蜜告
lampsprout
蜜告
大和の国を作り終えた伊邪那岐と伊邪那美は、次々と神を生んだ。
しかし火の神が生まれたとき、伊邪那美は大火傷を負い命を落とした。
黄泉の国へ消えた伊邪那美を忘れられない伊邪那岐は、遥々伊邪那美を連れ戻す旅に出た。
黄泉の暗闇で伊邪那美に再会した伊邪那岐は、共に帰ろうと伊邪那美を説得した。
伊邪那美は決して自分の姿を見るなと言い残し、黄泉の神と話をつけに行った。
待ち侘びた伊邪那岐が火を灯すと、眼前には変わり果て腐りかけた妻の姿。あまりに驚いた伊邪那岐は急ぎ黄泉の国を後にした。
恥ずべき姿を見られて怒り狂った伊邪那美は、去ろうとする夫を追いかけた。
黄泉の国の入口で大岩に進路を塞がれて、伊邪那美は追手を伊邪那岐に差し向けた。
伊邪那岐は櫛の歯や聖なる桃の実で難を逃れ、何とか故郷に帰り着いたのだった。
◇◇◇◇
拝啓
伊邪那岐命様
お久しゅうございます。私が黄泉の国へ参ってから、早一年半が経ちました。そして、貴方が私を追ってきてくださってからも一年が経ちました。あの日のことを、私はどう記せば良いのでしょう。貴方にしてしまった惨い仕打ちは、昨日の事のように憶えています。抑、この文を使者が運んでも、貴方は開いてくださったのでしょうか。ついそれを心配してしまっています。もしかしたら、とっくに貴方は他の女神に心変わりをしているのかもしれません。それならば、どうして私などの文に目を通す必要がありましょうか。当然、私より付き合いが長く親しい女神も大勢いることでしょうから、尚更この文を出す意義など無いのかもしれません。ですが、大切な節目ということで、少し長めの文章をお書きしようと思います。
さて、貴方は如何お過ごしでしょう。私はいつも、貴方と子供たちの身を案じております。天からならば貴方たちのことがよく見えるはずなのですが、地の底に座する黄泉からはほとんど様子を伺うことが出来ないのです。貴方の顔が記憶から徐々に薄れていくことを、切に寂しく感じます。
況して子供たちの成長した姿などは、想像することしか出来ません。まさに虚しいものです。私が死する原因となってしまったあの子は、どうしているのでしょう。健やかに育っているでしょうか。兄弟たちと仲良くやっているのでしょうか。けれど、あれほど生命力に溢れた子なら、心配は要らないかもしれませんね。それでも一日にも満たない時間しか共に居られなかったことが、母として悔やまれます。あの子は寂しい思いをしていないでしょうか。
前置きが長くなってしまいましたね。では、そろそろ本題に参りましょう。一年前から、私はずっと、後悔に苛まれているのです。わざわざ文を寄越しておいて面白みの無い謝罪を綴る妻を、馬鹿な女と御笑いください。
一年前、黄泉の国まで遥々来てくださった貴方を、悪鬼の如く追い回してしまったこと。本当に、申し訳なく思っているのです。貴方を捕えようとするなど、なんと愚かだったのでしょう。
あのときの私は、黄泉の国に永く独りで居りすぎて、愛しい貴方と離れすぎて、どうかしていたのです。醜い私の姿など、聡明な貴方なら気にかけなかったであろうことに、正気であれば気付くことができたのに。
私など貴方様には相応しくないと、遠い昔に感じていた虚しさが、日を追うごとに強くなっておりました。共に在る間は忘れられていた様々な辛さが、この暗晦で増幅しておりました。
蛆にまみれ肉の腐った私の姿、突然目にした貴方が驚き戸惑うのは当然でした。本来ならば、もっと丁寧にお話をするべきだったのに。このように穢れた邪神と化す私を、憐れと貴方はお思いですか。
地の底深くまで迎えに来てくださったことに、本当は涙が溢れるほど感謝していたのです。愛する貴方の迎えを毎日待ち侘びておりました。下らぬ御託を並べずに、つれない素振りなど露も見せず、ただこのように申し上げれば良かったのです。
愛しさゆえに、失意が大き過ぎました。
愛しさゆえに、狂う私はあのとき殺意を懐きました。
怯える貴方の表情、態度に、爛れ濁っていた心がとうとう木偶になってしまったのです。更に眼の前で閉じた大岩に、酷く絶望して追手までも差し向けてしまいました。後から貴方が上手く逃げおおせたと聞いて、心底安堵したものです。あのとき使者が命からがら持ち帰った桃の実は、今も私の側にあります。それを眺めては、愛しい貴方のことを思い返すのです。繰り返しになりますが、今もずっと、私は貴方の身を案じています。
最後に、改めてお願い致します。
どうか子供たちを、宜しくお願いします。貴方なら、きっと立派に育ててくださる。此岸を凛々しく治めてくださる。そう信じております。仮に私のことなど忘れていても、これだけは果たしてくださると信じています。
私の使者を退けるため貴方が投げて寄越した桃の花言葉を、貴方はご存知なのでしょうか。邪気を祓う、神聖なる桃の果実。只その言葉を、貴方様に捧げます。
それでは、ご武運を。そして貴方たちに、溢れんばかりの幸が降りかからんことを。
敬具
伊邪那美命
追伸
御返事は使者に託してくださればと思います。いつまでも、お待ちしております。
蜜告 lampsprout @lampsprout
ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?
ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます