第1話【一色紗矢の憂鬱】

「ほら席に着けー、テスト返すぞー」


 教室。

 数学担当の教師が入って来るなり嫌な宣言をしてくる。

 昨日やったばかりのやつをもう採点済ますとか、どんだけこの教師やる気あるんだよ。


亜流斗あると、お前何点だった?」


 授業が終わると同時に、クラスメイトの大悟だいごが俺の席へとやって来た。


「ん」

「なんだ52点かよ。相変わらずぱっとしない点数ばかり取ってんな」

「ほっとけ。そういうお前こそ、今回のテスト何点だったんだよ?」


 答案用紙を見せてやれば点数だけを確認し、すぐにつまらなさそうな表情で机の上に半分腰かけ文句を垂れる。いつものルーティンだ。


「俺か? 31点」

「赤点ギリギリじゃねえか。人のこと言えた立場か?」

「いいんだよ、学校のテストなんて赤点取らない程度に頑張とけばいいんだよ。どうせ社会に出たって何の役にも立たないんだろうし」


 大人が言うならまだしも、同い年、しかもクラスメイト全員からバカ認定されている奴に言われても何の説得力もない。

 そもそもこいつがウチの高校に入れたこと自体、奇跡と言っていいレベル。

 進学校でもなく滑り止めで入るようなところでもないので、どんな偶然に偶然が重なったのか。


「ウチの親父も言ってたぞ。『人間足し算と引き算と掛け算、それにちょっとの漢字が書ければ生きていける』ってな」

「じゃあ今すぐ高校辞めて就職したらどうだ」

「断る! 女子高生と付き合うなら、やっぱり同じ土俵に立つのが一番手っ取り早いからな!」

 

 下品な笑みを浮かべ、今クラスにいる女子たちを汚れた目で軽く見回す。


「それに俺たち凡人ぼんじんがいくら勉強を頑張ったところで、天才様には叶わないんだから」


 大悟の視線、その先にいるのは――クラスメイトにしてこの学校の生徒会長を務める『一色紗矢いっしきさや』の姿。

 先程のテストで唯一100点満点を取った彼女は、特徴的な黒に少し紫が入った長い髪をなびかせ、クラスの他の女子と談笑している。


「頭も良くて運動神経抜群、そのうえ生徒会長様でスクールカーストの頂点に立つ美貌の持ち主......付き合えるものなら一度付き合ってみてえよ。そうだろ?」


 大悟のいやらしい視線に気づいてしまったのか、彼女は俺たちに向かって軽く女神のように微笑んで会釈えしゃくした。

 こういう時、どんな風に反応していいかわからず、俺は頬杖をつきながら伏し目がちに顔を背けた。


「俺まで一緒にするな」

「え? お前は付き合いたくないの? 学園ナンバーワンだぞ?」

生憎あいにく、俺は一色にこれっぽちも興味が無いんでね」


 大悟の言いたいことはわかる。

 彼女は女性にしては背が高く体のラインも綺麗、出るところもしっかりと出ていて、おまけに性格だって良い。

 男女共に絶大な人気があるのは陰キャな俺だって充分理解している。

 ただ――だからどうした? というのが俺の本音。

 付き合うのと好きになるのは別で、変に距離を縮めず、遠目から眺めている方が幸せなことだってある。

 世の中には、ずっと知らないままでいた方が良かったということが確かに存在するんだ――まぁ、一色に限ってそんな懸念はないと思いたいが。


「ホントいつも思うけど、お前そっちのはないんだよな?」

「もちろん、至って普通の高校生男子だ。俺が女性声優好きなのは知ってるだろ」

「そうだった。じゃあ単純に年上が好みってだけか。高二の俺たちからしたら、若い女性声優さんっていってもみんなおばさんだもんなー」


 ......コイツ! 俺を含めた全ての若手女性声優ファンに喧嘩を吹っかける発言をしやがった!

 鼻で笑った大悟は悪い奴ではないんだが、少々頭がアレなこともあって、時折デリカシーの無い発言をして場を凍らせるのが悩みの種だった。


 ***


 午前中の授業が終わり、真っ先に俺が向かった場所は食堂......とは真逆に位置する体育用具室。

 決して教室で大悟と一緒に昼食を食べるのが嫌というわけではないんだが、俺だって食事の時くらいは一人静かに過ごしたいわけで。

 外から窓の鍵が開いているのを確認し、慣れた所作で窓枠に手をかけて中へと侵入する。

 この体育用具室は体育館と繋がっていて、授業の時以外は普段鍵がかかっていて入れない。

 つまりここは昼休み限定で誰もやって来ない、絶好のマイスペースとなるわけだ。


 靴を脱いでマットの上にあぐらをかき、ビニール袋に入った昼食のおにぎりたちを広げて準備OK。

 俺はスマホをいじりながら午後の授業に向けて栄養補給を開始した。

 喧騒が支配する教室内とは違い、静寂に包まれた体育用具室は居心地が良く、いつまでだっていられる。

 許されるなら午後の授業が終わるまでくつろいでいたい気分だ。


 昼食を食べ終え、その場で横になりながら目的もなく適当にスマホをいじっていると――体育用具室の扉に鍵が刺さる音がした。


 おいおいマジか! まだ午後の授業までは余裕で時間があるっていうのに!


 俺は慌てて荷物を手に取り、とりあえず跳び箱の裏に隠れて様子を窺うことに。

 扉の鍵が『ガチャン!』と音を立ててき、ゆっくりと静かに両側の扉が動き始めた。

 隙間から現れたのは.........あまりにも予想外の人物、一色紗矢だった。

 手には英語で書かれた、色合いからしていかにもパン屋の紙袋っぽいものが。それもそこそこ大きな。


 ――え? みんなの憧れの存在でお昼も大勢の取り巻きたちと一緒に取る一色さんが、なんでお昼休み真っただ中のこの時間に、こんな陰キャ専用スポットに?


 いぶかしんで物陰から一色さんを注視していれば、彼女は背後を確認しながら室内に入り、扉を慎重に閉め、内鍵もロックした。


 ......一色さん、いったい今からここで何をするつもりだ?


 音を立てないようできるだけ息を殺し、彼女の動向を見守る。

 大きめな嘆息たんそくをした後、入り口付近にある折りたたまれたパイプイスを一つ広げ、彼女は腰を下ろして紙袋の中から焼きそばパンを取り出した。

 どうやら俺のようにここで昼食を取るつもりのようだ

 ......あれ? でも待てよ?

 確か一色さん、俺が教室を出る時には机の上にお弁当箱みたいなものが見えた気がするんだが......。

 

 記憶を辿っている僅かな合間に、彼女はあっという間に焼きそばパンを食べ終え、二つ目・コロッケパンに手を出した。

 お弁当だけでは足りず、だからと言ってみんなの前で食べるのは恥ずかしいとかいう女子らしい想いから、ここで隠れて食べることにしたのだろう。三次元女子のくせに、なかなか可愛いマネするじゃないか。

 俺に観られているとも知らず、彼女は引き続き黙々と早いペースで食べている。


 ――5分後。


 それにしても随分食べるな......まぁ、甘い物は別腹とも言うし、一色さん的にパンがそれに当てはまるってだけのことか......。


 ――さらに5分後。 


 ............ウソだろ、おい? 俺の記憶が確かならば、いま一色さんが食べているメロンパンでおそらく10個目。

 いくらなんでも別腹なんて生やさしいレベルじゃない。ガチ中のガチだ。


「ふぅ、これくらいで大丈夫かしら?」


 メロンパン最後の一切れを口の中に放り込み、空になった紙袋を畳むと、一色さんは何かを確認するかのようにお腹に手を当て軽くさすった。

 その表情にはどこかまだ余力を残している感さえある。

 スクールカーストの頂点に立つ一色さんが、まさかこんなフードファイター顔負けの特技? を持っていたなんて――俺は、とんでもない秘密を目撃してしまったのかもしれない。

 とにかくだ、ここは一刻も早くこの場から一色さんのご退場を願おう。

 ――しかし、そういう時に限って思わぬことが起きるのがこの世界の仕様、と言わんばかりに突然俺のスマホにRineの着信音が鳴った。相手は....大悟! お前か!


「誰!?」


 彼女は驚きの声をあげ、音の鳴った先、すなわち俺が隠れている跳び箱の方へと恐る恐る近づいて来ている。

 ......これはヒジョーにマズい。

 単純に俺がここで昼を過ごしているのがバレるのならまだしも、相手は生徒会長。

 最悪問題が大きくなる可能性だってあり得る。

 どうすんのよ、俺!?

 徐々に危険を知らせる足音が近づくのに対し、本能的にとった行動、それは――


 死 ん だ ふ り


 熊、またはそれらに匹敵する自分にとって勝ち目のない危険な動物と鉢合った時に効果的だと、この国では教育の一部として古くから語り継がれているとかいなかったりとか。


「......如月きさらぎ、くん? ......何してるの?」


 見ろ、一色さんも俺の見事な死んだふりに困惑しているじゃないか。

 あとは彼女が諦めて帰ってくれるのを待つばかり。


「......えっと、体調悪いなら今すぐ先生呼んで来るけど?」

「申し訳ございませんでした!」

 

 一色さんの一言に俺は飛び起き、人生初の全身全霊を込めた土下座で謝罪した。

 ちなみに熊と出くわしたら絶対に死んだふりだけはしないように。

 正確な対処法? んなもん、グ〇レ。


「ひょっとして窓から入ってきたんでしょ? あそこだけどうも立て付けが悪くて、如月く

んみたいな人が現れるから、早く直すようにお願いしてはいるんだけどね」


 俺が密室の体育用具室にどうやって侵入したのかバレバレらしく、鍵の閉まらない窓に視線を向け苦笑を浮かべる。


「今回は同じクラスのよしみで見逃してあげるから、もう二度と勝手に入ったらダメよ?」

「ホントごめん! 恩に着る!」


 手短に感謝だけを述べ、俺は彼女の横を通り抜けて体育用具室を出ようとする。が、


「――なんて、言うと思った?」


 一刻も早くこの場から立ち去ろうとする俺の肩を、一色さんは低い声で後ろからがっしりと掴んで引き留めた。

 ......如月亜流斗きさらぎあるとは、逃走に失敗した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る