そして、時は動き出す


 ランスロットは地に倒れ伏したラインハルトを助け起こした。目を覚ましたラインハルトは、ぼろぼろになった体を引きずりながらも、それでもあの坂の上の悪魔から一歩でも遠ざかろうと、引き返し始めた。


 同じローブを着た、同じ髪型の……いや、ラインハルトの髪は今やひどく乱れている。そんなラインハルトの、その肩をランスロットは支え、ふたりで来た道を歩きはじめる。


「ラインハルト……」

「ランスロット……」


 足取りのおぼつかないラインハルトの体重おもみを体で感じながら、ランスロットは一緒にいることが当たり前だった、そしてそれが当たり前ではないことを知った友に話しかける。


「どうした、相棒。水臭いじゃないか?何も言わずに俺の前から消えて」

「……帰れ、いますぐに。俺はお前のことが嫌になったんだ。

 だから、ギルドを辞めた。お前にこれ以上、付きまとわれたくなかったからな」


「どうした、親友。何か困りごとか?困ってるなら俺に頼れよ」

「こんなところまで付きまとわれて、ほんとうんざりだ。迷惑だよ、帰ってくれ」


「どうした、好敵手ライバル。俺たちが二人そろって攻略できないクエストがあったか?俺たちがふたりいれば解決できない問題がこの世にあると思うか?」


「ランスロットッ、ランスロットッ!ランスロットッ!!!」


 声を張り上げたラインハルトは、ひどく咳き込むとそのまま立っていることが出来ず倒れ、地べたに寝転んだ。その肩を支えていたランスロットも彼に引っ張られ、その横に寝そべる。


「帰れッ、消えろッ!俺の前からいなくなれッ!!!」


 地面から空を見上げた。夜空の星が綺麗だ。


「どうした、ラインハルト。俺はお前のために死ぬのは怖くない。お前は怖いか?俺のために死ぬのが……」

「……ランスロット……俺は、怖くない……」

「じゃあ、決まりだ。俺たちで、ヤツを倒そう」

「アイツを倒すなんて、そんなこと絶対に無理だッ……無理に決まってるッ!」

「出来るさ、きっと」

「出来るかな……出来るかも……」


 ランスロットは立ち上がり、寝ころんだままのラインハルトに再び手を差し出した。


「絶対に大丈夫だ。俺は殺されても死なない。友情に誓うよ」


 ランスロットの差し出した手を掴み、立ち上がったラインハルトは暗闇に灯台を見つけて、眩しそうに目を細める。


「友に誓うよ。俺の命に代えて、お前を殺させはしない。絶対にやり遂げよう」


 ふたりは来た道を引き返す。悪魔ベゼルに見つからないように用心しながら……。




 食堂で食器を磨いているミミクルの顔が突然、ぱっと明るくなる。

「おかえりなさいっ、ラインハルトさんッ」

 ミミクルは食堂の前の廊下を歩くラインハルトを見つけて、声を張り上げた。


 ランスロットの背中を押した後、ことの成り行きを不安げに見守っていたミミクルはそれでも、ラインハルトの元気そうな姿を見て、無邪気に喜んだ。


「ミミクルちゃん、ごめんね。君にも迷惑をかけるかもしれないけど……」

「構いませんよっ、きっときっとギルドの皆さんが守ってくれます」


 ラインハルトがギルドを去った理由、ベゼルという名前の呪いは彼の親しい人間をいずれ殺す。毎日のように食堂に通っていたラインハルトのそのリストに、ミミクルの名前がないと言いきれる保証はどこにもない。


 それでも、ミミクルは”賛成票”を投じた。


 それは、ギルドメンバー全員が出席する会議での話だ。ラインハルトのギルド復帰、そしてその呪いにギルド全体で立ち向かうかどうかの決断をギルマスはその会議にゆだねた。


 会議は紛糾したが、なんとかミミクルと同意見が上回り、ラインハルトはギルドに復帰することが決定する。


「ここで反対票を投じた奴はそもそも呪いベゼルの対象にならないだろう」

 ギルマスのその一言で、まだ言いたいことがありそうだったギルメンも、沈黙した。


「皆、頼む。俺たちに協力してくれッ!」

「すみませんが、もう一度お世話になります。俺に力を貸してください」


 そう言って、そろって頭を下げた二人の姿をミミクルはその潤んだ目に刻んだ。


 食堂には、例によってミミクルにたかって、ただ飯を食らっているアーサーがいる。彼女は間髪入れずに、食堂ののれんをくぐったラインハルトに食って掛かった。


「ちょっとラインハルトッ!呪いのこと、聞いたわよっ!!!


 あなた、私をにしようとしたわよね。あの日、私に親切にしてくれたのは、『ヤツを誤魔化すには……』とか言ってたのは、そういうわけよねっ!


 あの呪いは、あなたと親しい間柄の人間を襲う。つまり、あの呪いに私を、ランスロットのかわりに殺させようとしたわよねッ!!!」

「アーサー、違いますよ。ただ一言、美しいあなたにお別れを言っておきたかっただけです。ランスロットには言わなかったお別れをあなたにはどうしても言いたかったんです」


 これは人のいいミミクルでもわかった。ラインハルトは口から出まかせを言ってるだけだ。こんなんで騙される人は……


「あら、ラインハルト。あなた、見る目があるわね。また、高級レストランなら、おごらせてあげてもいいわ」


 ――いた。やっぱりアーサーはアーサーだった。


 それはそれとして、今日のラインハルトにはいつもと違うところがひとつ。


 その”ひとつ”の理由は今日まで時折、見かけたこんな光景……


「やぁ、ラインハルト。じゃあ、またなっ」

「ラインハルト……ごめん、今忙しくて」

「ラインハルト様、ごめんなさい……私、まだ死にたくないんです……」


 そんな風に彼を避けるギルメンや、


「ちょっと近寄らないでよッ。呪いに勘違いされたらどうするのッ!?」

「それに触るなッ、穢らわしい。呪いが移ったらどうするッ!?」

「ラインハルトのことなんて全然、好きじゃないんだからねッ!」


 そんな風に面と向かって罵倒するギルメンのせいなのだろうか?


 ぬけるような空色の髪色がラインハルトの生まれつきなのかどうか、ミミクルには分からない。ただ、ランスロットの太陽のようなだいだいの髪色とは真逆のその色に染め直したのは、何か考えがあってのことなのだろう。


「ラインハルトさん、髪、染めたんですね」

「あぁ、ちょっと気分を変えようと思って」

「似合ってます……」

「ありがとう、ミミック娘ちゃん。じゃあ、俺は行くね」


 後ろ姿でもはっきりとランスロットと区別できるその後頭部を見送り、ミミクルは自分の仕事に戻った。




 ギルマスの居室はギルドの建物の最上階にある。彼に呼び出され、ミミクルはその部屋を初めて訪れる。


「おう来たな、ミミック。よく来てくれた」

「お疲れ様ですッ、ギルマス」

「まぁ、くつろいでくれといいたいところだが、なんか変な気分だな。俺の部屋に魔物を呼ぶなんて、な……」

「不思議な気分です……」


 ミミクルがそう感じたのは、ミラベル・コゼットがどすんっと音を立ててその上に置いて行った、素敵な赤絨毯の感触の良さのせいだけではない。高級そうな調度品、由来あり気な宝物たち、磨き抜かれた武器や防具。すべてがミミクルの外見に、人をおびき寄せるために生み出されたまがい物の宝箱に、勝るとも劣らない出来の良さだ。


 なんだか宝物庫にでもいる様で、自分がふさわしい場所にいる様で、ミミクルは決して居心地が悪くなかった。


「……わぁー」


 ミミクルがそんな声を上げて、宝物たちそれらに見惚れていると

「アーサーが変なことを言い出したんだ……」

 唐突に、ギルマスが言った。


「あいつの考えることは大抵、ろくなことじゃない。

 

 大体は金が絡むことだし、それもアイツの借金を返すどころか増やすだけの結果に終わることがほとんどだ。金が絡まなくても、無鉄砲に騒ぐだけ騒いで他のギルメンに迷惑をかけるだけの結果に終わる。


 あいつの計画に乗るなんて、どんなに練り込まれた計画ものでも、どれだけまともに見えても、泥船に乗って大海に漕ぎ出すようなものだ。


 だがな、たしかに言っていることは間違いはない……」


 ギルマスは落ち着きなく、うろうろと赤絨毯の上を行ったり来たりした。何度も口にするのをためらっては首を振る。しかし、ようやく決心したように言葉を紡ぎ始める。


「ミミクル、はっきり言ってしまえば、大いに危険はある。

 だが、ギルドで行われた――実験と検証。

 その結果は、”安全”だった。

 ギルドの責任をもって大丈夫だと言える、普通の場合ならな……」

 

 ごくりとミミクルは唾を飲み込んだ。何か大変なことが進行している。何か大きな渦にミミクルは飲み込まれかけている。


「だが、今回は普通じゃない。時間に限りがある。

 一度だけ、急ぎで行われた実験と検証。

 その過程に一つでも間違いがあればミミクル、お前は死ぬ。

 それだけデリケートな問題なんだ。

 俺の勘では勝算は8割ってとこだ」


 少しずつミミクルにも事態の深刻さが、目の前の老人が自分に何をさせようとしているのか、飲み込めてきた。危険を伴う行為、いや、逆に考えればそれは、そのリスクを背負って余りある結果をもたらしてくれるということでもある。


「はっきり言ってください。つまり、どういうことなんですか?」


 思わずミミクルは聞いていた。自分の命がかかる、いや、大切なギルメンの命をかけるほどの決断をギルマスは今、しようとしているということだ。


 落ち着きなく歩き回っていたギルドマスター、ボードワール・クレマシオンは立ち止まり、深い呼吸をひとつ。そして、時は動き出す。


「お前に、ラインハルトの呪いベゼルを、食べてもらいたい」


 息をすることも忘れてミミクルは、ただ天井をみつめた。そこに映し出されたがミミクル自身の未来だと、彼女は確信している。それが生か死か。そこまでは解らなかった。


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