第24話 葉山風太⑥

「クロ! どうしたんだよ」


 風太ふうたは慌ててクロのそばに駆け寄った。いつもひょうひょうと構え自由気ままに振る舞うクロは、このように苦しむ様を風太に見せたことなどなかった。


(……【双石そうこく】)


 今、この聖母しょうもには白狩背しらかせ中の神のジンが重くのしかかっていた。


 しかしその呪縛もさることながら、風太の行く末を見届けようと誓った者が己だけになってしまったことにショックを受けていた。


(わしに本来の力があれば……)


 クロは今になって矮小になった己の力を歯痒く思った。かつては力が弱まるのを感じながらも、これが定めと受け入れていたはずなのに。


 神としての力を維持して何になろうか。クロにとって日の差す縁側、温かな膝の上の居心地に代わるものなどありはしなかった。衰退の終着でありついた甘露の日々、


(……守りたい)


 だが今の自分ではこれが精一杯だった。


 風太が【夢見むけん】を従えて大きなジンを操る際も、その実、【夢見】と合祀で繋がっているクロからジンが供給されていた。


 【双石】にしてもそうだ。己の容量以上のジンを用いようとして、図らずしもクロのジンを借りたのだった。


 全盛期のクロであればそんなものは取るに足らないことだったが、今では結界ひとつ維持できない。信仰の喪失が与えた影響は甚大だった。


(……なんてザマだ)


 依然として脅威は脅威のままそこにある。息も絶え絶え外を望むと、しかしクロから力を奪った元凶であるナノンが希望を繋ごうと必死に戦っていた。


 次の獲物と定めたのだろう。幻覚の中、火室ひむろ長戸ながとに襲いかかっている。横に薙いだ槍からは炎が放射状に広がり、長戸を包み込んだ。


「長戸さんっ」


 クロに寄り添いながら外の様子をうかがっていた風太が悲鳴を上げる。グリモアを詠むでも、タリスマンを操るでもないナノンが、やはり太刀打ちできる相手ではない。


(……あやつではダメか)


 クロは外の惨状を目にして思案した。モノリス職員には酷だが、彼らを守るよりも風太を確実に逃がすことに力を注ぐべきかもしれないと。


 しかし長戸がやられたと見てそう判断したのであれば、それは断じて「否」だ。


 ナノンであるからこそ対等以上に戦う手段を備えていることもある。そのことを証明せんと、今まさに生真面目な男の腕が、空気を焦がす豪火を払って現れた。


 全身を守る黒いナノアーマーが長戸の体温の上昇を感知して、ボシューッと水蒸気とともに熱を吐き出す。アーマーがいかに丈夫でもその下は生身の人間だ。


 熱を排出してくれるとは言え体は蒸され、アーマーからのぞいている手足や顔には火傷を負っている。


(……これしきのことでっ)


 ナノンの体がジンの影響を和らげてはくれるが、暴走する火室の苛烈な炎撃を喰らってなお立っていられるのは、長戸の精神力によるところが大きい。


 長戸は携帯していた短棒の柄尻を押した。短棒は長戸の体長とそう変わらぬ長さまで伸び、続けて棒を軸に高密度に圧縮されたナノラバーが放出される。


 黒い人口筋肉は互いに結びついて強固な組織を築いていき、鋼を超える硬度を発揮した。そうしてインスタントに形成されたものは、原始の時代から連綿と加工され、強化されながら使われている最古の武器――棍棒だ。


 しかし長大な得物の感触を確かめる間もなく、せっかちな火神が赤いひと突きを繰り出した。


 長戸の筋肉が膨張する。その緊張を的確に捉えたナノアーマーが、最新鋭の棍棒を最も効果的に振るうための動作をエスコートした。


 柄に黒い棺桶をくっつけたような不吉は武器は、ひと振りで火室の槍を弾き飛ばした。炎は散り散りになり火の粉が羽虫のように巻き上がった。


 弾かれた槍に体が流され火室の腹ががら空きになった。火室は平穏を苛む悪意に負けまいと、上に流れた槍を満身の力で引き戻そうとする。幻覚の中で戦う火室は、そのまま先端の斧部で憎き影を叩き切る算段だ。


 だが目の前にいる者は幻覚の中の影ではなく、任務の遂行に全力を注ぐ不屈のモノリスだった。


 ハルバードが長戸の頭に振り下ろされるより前、吸い込まれるようにその脇腹に死の柩がめり込んだ。


 確かな手応えを必勝の一撃に変えるため、長戸はアーマーの出力を瞬間的に上げてホームランさながらに火室を打ち上げた。


 枝々をつんざき中空を舞い、無慈悲な大地に火室の体はどさっと落ちた。沈黙。火を繰る憤怒のリュカオンは、ついにその意識を幻覚とともに彼方へ解き放った。

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