第23話 葉山風太⑤
「
退く風太。橘は部下を非難こそすれ感謝はしなかった。それが不服だったのだろうか、火室は橘に向かって槍を引き構えた。
「ちょ、ちょっと待てっ」
まさかの事態に浮かせていた腰がまた地に落ちた。堂々と戦うことを好む火室が自分のことを疎ましがっていることは知っていた。しかし、任務中に槍を向けられるほどとは思いもしない。
「二度とトカゲっつーんじゃねえ!」
襲いくる赤い刺突から逃れようと、たまらず橘は横に転がった。本日二度目のおむすびころりんである。
トカゲなんて呼んだ記憶はなかったが、とにかく槍の炎から遠ざかろうと暗がりへ転がり逃げた。風太から転がされ、部下から転がされ、彼の自尊心はズタズタだ。
橘が視界から消え、火室が次に捉えたのは風太だった。
「おいおい、敵味方おかまいなしかいっ」
殺意の目が風太を射抜く。
(……またこの目かよっ)
かつて
「まだいやがったか」
槍を地面から抜き取りざま背面でぐるりと旋回させると、炎が仁王の円光のごとく火室を彩った。
キノコの幻覚に導かれるままに、火室は風太に向かって突進した。激しい足運びは先程までの洗練されたものからは程遠く、怒りの衝動に身を委ねて暴走している。
突然現れた荒ぶる火神に驚きはしたが、風太も怯むことなく刀を構えた。火室に向かって凶悪な双眸をひん剥いて、迎え撃とうとする。
ボッ!
空気を焦がし、その眉間めがけて槍が突き出される。返り討ちにしようと気構えた風太だったが、荒ぶる炎を吹いて迫る槍の迫力に気圧されてしまい、攻め気を削がれて尻もちさながら地面に屈んだ。
(あんなの喰らったら死んじまうじゃねーかっ。くそ、俺を連れ去るんじゃねーのかよ)
結果的に火室の初撃を躱すことになったのだが、今の一撃で自分と火室の力量差をまざまざと思い知らされた。
そもそも橘との戦闘にしても、風太が優位に立てたのは生け捕り前提の立ち回りで橘が後手に回ったことも大きい。蓬莱でブックマンの素養を身につけていたとはいえ、イコール魔術での戦いに長けているというわけではない。
今度は風太の胴を薙ごうと斧部が襲いかかってくる。風太は座り込んだままどうにか刀で受け止めたが、火室の常軌を逸した膂力に体ごと吹き飛ばされた。
(やっべえ! ナニモンだあいつ)
手が痺れて刀を握っている感触が消えた。立ち上がろうにも、ダンプに跳ねられたように体の感覚がとっ散らかってうまく動かせない。
「猿のくせにしぶてえなーおい」
再び地面に這いつくばる風太を横薙ぎが襲う。今度こそ防ぎようがない、もうだめかと思ったとき、見慣れた大きな背中が風太の眼前に立ち塞がった。
(【
どこから現れたのか、満身創痍のその身を投げ出し、大入道は紅蓮の槍撃を受け止めようと試みた。しかし規格外の巨体を持ってしても火室の槍の前では無意味だ。
怒りでリミッターの外れた火室の槍に切り払われながら、【双石】は背後の風太もろとも弾き飛ばされた。
「お前、何してんだよ。余計なことしてんじゃねえ」
風太は言うことを聞かない体をどうにか奮い立たせ、【双石】に這い寄る。黒い袈裟は水を被ったように月夜にぬらめき、触れた手はじっとりと血で濡れた。ボロボロの【双石】の体には今の槍撃はダメ押しのように思えた。
「……ここは拙僧に任せて、風太は姫のそばへ」
【双石】は体を横たえたまま風太に指図するが、任せられる状態でないのは誰の目にも明らかだ。
「バカヤロー! んなナリのお前に何ができんだよ! 立て、一緒にクロんとこ行くぞ」
傷だらけの【双石】を前に橘を追うことは一旦諦めた。今はとにかくこの口うるさくお節介な大入道を安全な場所に連れて行かなければ。
風太は焦燥に駆られながらも【双石】の手を取ろうとした。が、差し出す手と行き違いに【双石】の長い腕が静かに伸びて、風太の胸にそっと添えられた。
「風太。お前さえ生きていれば拙僧は不滅だよ」
【双石】は笑んだ。風太を安心させるためでもなく、逃げる負い目を拭ってやるためでもない。そう信じて疑わない樫の木のような真っ直ぐな健やかさが滲んでいた。
託すのだ。これまで紡がれてきた幾年にも渡る願いが、忘却のうちに消えないよう。愛する者の未来に託すのだ。
「いいから行くぞ! ……ほら、頼むからよぉ」
梃子でも動かないであろうことを察しつつも、風太はなお、【双石】を促した。
「またそんな顔をして。仕方のない子だ」
10を越えても肩車をおねだりする風太を、【双石】は毎回そう言ってはよっこらせと持ち上げた。しかし、最早それは血の匂いを飾る穏やかな過去。
「……達者でな」
【双石】の掌に全身から絞り集めたジンが収束すると、風太との間に強力な斥力が発生した。生かすために拒絶する力。風太を想う強さに比例して、その体を自分から遠ざけていく。
風太は為す術もなく空中を滑空しながら、己の無力と迂闊さが招いた事態を噛み締めた。怒りに任せて橘を追い詰め、自分に力があると勘違いをしてしまった。
自身の出生が明るみになったことすら、ここに至っては悪い方に働いた。長年の薄ぼんやりした呪縛から心が解放されて、何でもできるような錯覚に陥った。そのせいで強大な敵を前にしても退くことを選ばず、実力以上の何かを期待してしまったのだ。
「【双石】……わりぃ」
悔しさと情けなさで視界がふやけ、幾粒もの雫が【双石】を惜しむように後方の闇に注がれた。
どんっ。
背中に衝撃が走ると、そこは結界に守られた集会所だった。
(俺ぁこっから出るべきじゃなかったなぁ)
【
(何やってんだよ、まじで)
風太は壁にうな垂れて一瞬、腐りそうになった。が、意外にもすぐさま飛び起きた。
(だめだろ、んなとこで死んでちゃーよぉ)
まだ火室からやられたダメージが残っていて足がふらついた。
(だーくそっ)
体を支えようと結界に寄りかかったが、どうもおかしい。先程まではあんなに力強く輝いていたのに、今は弱々しく明滅している。
(……クロ?)
風太はハッと顔を上げ、集会所のドアから中に入っていった。室内に敵の気配はないものの、外の夜闇に押し返されるがごとく頼りない光が滲んでいる。
クロがいるはずの部屋に向かうと、モノリスの職員たちが不安げに輪を作っている。その中心には片膝をついて息を切らすクロがいた。
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