第25話 葉山風太⑦
激動の夜を駆け抜けて、深いオレンジが山の向こうをぬくめ出した。里は朝靄に包まれて静まり返り、夢と
結界の光が潰えた集会所内、壁にもたれかかって座る
失った血を取り戻すためにポリポリと増血剤を噛み砕いている。モノリス職員たちはと言えば、人形に襲われて打撲や絞痕を負った者はいるものの、みんな軽傷だった。
「3柱を残し、神が連れ去られてしまった」
茄子は部下たちの無事に安心しながらも、相手の戦果を呪った。
布団の上に身を丸める猫姿のクロに【
「すみません、私が死人使いを抑えられていたら」
文音は顔を下に向け、申し訳なさそうにしょげている。頭上の耳は茹ですぎたワンタンよろしくへにゃりとかしずき、尻尾まで正気を失ったように床の上でうな垂れていた。
長戸が
「いえ、
それぞれを労いつつも、さてどうしたものかと思案する。里を襲撃されて神まで奪われた今、
「あんさぁ、またあっちから攻めて来ねえの? 俺とクロ、さらい損ねてるしよぉ」
もちろん生みの親が別にいることを知ったショックもあったし、橘を逃した悔しさや、ひとり突っ走ってしまった後悔もある。
ただ、
感情が発露する土台――心が安定していれば、自ずと言動や思考は前を向く。今の風太は焦燥に駆られて闇雲に喚き散らしたり、不安に心を絡め取られたりはしない。
それほど彼にとって自分が何者で、どこから来たのかを知ることは重要だった。
「また現れるでしょう。長戸君、試しに生体データをスキャンしてみてください」
長戸が言われるがまま自身の体内情報を洗ってみると、わずかにノイズが混じっていた。
「これは?」
ノイズの正体は黄昏が長戸の体に仕掛けた監視用のスパイアプリだ。対象者の位置情報を使用者に送信するという単純なもので、攻撃性は皆無なのだが、その分意識しないと見つけにくい。対象者は
「おそらく僕と文音さん、風太君も同じ攻撃を受けているはずです」
「ははあ、気持ちわりぃけどしゃーねーな。そのアプリ、取り除くわけにゃいかねえ」
風太は意外にもスパイアプリやトロメアについて、すんなり理解を示した。
「田舎だからってなめないでくんねーかなあ。世界中のユーザーとトロメア上でサバゲーやったりできる時代だぜぇ? そこら辺の知識は最低限持ってるっつーの」
「そ、それは失礼」
「ひとつ聞きてえことがあんだけどよ。俺、【夢見】を握ったらあんたたちみたいな力を使えたんだわ。今まで
昨夜、散々未知の脅威に晒されたというのに、彼の思考はすでにこれからのことに注力していた。スパイアプリを辿って再び橘たちが現れると言うのなら、自分もそれ相応の対処をしなければならない。
包まれたキノコから抜け出そうとしたとき、橘を前に激昂したとき、その意志に呼応してジンが溢れ、【夢見】を介して魔術となった。
だがそのジンは自身の体から湧き出たというよりも、どこかから流れ来たような妙な違和感があった。果たして昨夜に発揮した力を我がものとして計算してよいのだろうか。
「ジンが流れて来た感覚、ですか」
風太の戦うさまを直接見てはいないが、橘を退けたことからも魔術を使ったことは間違いない。風太の話とクロの様子と照らしながら、茄子はひとつ仮説を立てた。
「クロさんからジンを借りたと見るべきでしょう」
この土地の鎮守の要としてクロは白狩背の神々と繋がっている。だから【夢見】を操ろうとする若きブックマンの心に応じてジンが供給されたのではないか。
クロは今、猫の姿になって以前よりも増して気怠そうに丸まっている。昨夜、神の姿を顕現させ力を振るった影響もあるのだろうが、それ以上にシジル化した神々がクロにとって大きな負荷になっていることは疑いようがない。
果たしてそんな状態で風太が魔術を使い続けるとどうなるか。
「……俺ぁ、ジンを使わねえ方がいいっつーことか」
正直なところ、【夢見】を振るうことに高揚する自分がいた。魔術という暴力を振りかざすこと、それはあの闇夜において、これまで風太が想い溜めていた願いをわかりやすく具現化したものだった。
白狩背を守り、そして里をこんな状況に陥れた者に制裁を下す。【夢見】から魔術を繰り出すたびに、その願いを叶えられるという実感が強く湧き上がる。
これまで里の現状をただ見つめ続けるしかできなかった風太にとって、想いの実現は紛れもなく快感を伴うものだった。
しかし、その力によって守りたい者にまで危険が及んでしまうというジレンマが、風太を元の傍観するしかできない青年に押し留めようとする。
「クロさんの状態を今よりマシにする手立てはあります」
押し黙る風太に、茄子は静かに提案した。グリモア化。【夢見】と【双石】をアーカイブ化してそれぞれの物語性を独立させることで、クロから2柱の合祀の影響を取り除くのだ。
信仰が廃れた世でシジルが再び神として顕現することはない。3柱を思えばそれが最善の策だった。
「グリモア化のことは後々でもいい。いったん僕たちと一緒にモノリスに来てください」
黄昏に狙われているとわかった以上、ブックマンとして目覚め始めた風太とクロを残していくことはできない。
「ね?」
それだけではない。茄子はかつての自分と風太の境遇を重ねていた。だからこそ風太には孤独のままでいてほしくないし、願わくばブックマンとしての意義を感じてもらいたい。茄子は痛む体を傾け、うつむく青年の少し頼りない肩にそっと触れた。大丈夫、キミはきっと決断する。そう信じて。
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