第18話 白狩背、強襲⑧
「
側頭部に埋め込んでいる極薄の骨伝導イヤホンから
「このまま僕の合図があるまで戦域の近くで待機です。合図があり次第、そこをめがけて飛んでください。死人使いがいます」
「了解です」
文音はそう答えるや、いつでも空を翔けられるように太い枝の上で身を低くした。
しかしそんな2人のやり取りを知ってか知らずか、
すると火室は二股にわかれた長い舌を、トカゲがまさにそうするように口からチョロチョロと出したり入れたりしだした。
トカゲは鼻以外にも、口内にあるヤコブソン器官という感覚器官で匂いを感じ取る。舌で空気中の匂い物質を絡め取り、それをヤコブソン器官に差し入れることで、鼻で行なうより多くの情報を匂いから嗅ぎ取るのだ。
舌先が2つに分かれていることもトカゲの嗅覚を特徴的なものにしている。耳が左右にわかれているのと同じように、2つの舌先で立体的に臭いを感知できる。すなわち、それぞれの舌先に到達する匂い物質の時間差を利用して、匂い物質の来る方向を感じ取れるのだ。
火室は特殊な嗅覚を駆使して文音の登った木を探り当てると、ハルバードを大きく横に薙いだ。斧部が太い木の幹に食い込み、猛火が爆ぜながら凄まじい勢いで木の水分を奪っていく。
パチパチパチッ。やがて火の移った幹から炎があがり、哀れな木は悲鳴を上げて地に倒れ伏した。
だが、そこに文音の姿は見当たらない。すでに他の木に飛び移っていた。
(これじゃ埒が明かねえな)
火室の苛烈な攻撃範囲は槍とその炎が届くところ。高所にいる文音を脅かすには炎に頼らざるを得ないが、20数メートル上空にいる素早い敵を仕留めるには、彼の手札では不足だった。
(……仕方ねえ。癪だがあいつの援護に回るか)
文音を諦めた火室はその標的を茄子に切り替えた。行く手を阻むキノコを槍で薙ぎ払いつつ茄子の匂いがする方へ歩を進める。
戦場にはそぐわないキノコの焼ける芳しい香りが広がった。
(……腹、減ったな)
火室は舌を出し入れしながら、つい匂いに思考がつられてしまった。茄子を探していたはずが、気づけばローチェアに座って網でキノコを焼いてる。
(しけたBBQだな。肉はねえのかよ)
舌打ちしようとしたそのときには、網の上で鶏もも肉が油を落としている。
(おお。いいじゃねえか)
にんまり笑って鶏肉にかぶりつく。皮目はぱりっと香ばしく、さっぱりした肉汁が口の中に広がった。
(足りねえな、もっとだ)
戦場を忘れたトカゲは芳醇な幻覚の中をさまよい歩く。橘用にと巨大キノコ群に忍ばせていた毒キノコの胞子が、偶然にも彼を夢へと誘ったのだった。
敵の戦力を確実に削ぎつつも、茄子は懸命に大地へと己の
有限のジンを垂れ流し、彼は一体なにをなそうとしているのか。
木には固有の言語がある。言語といっても人間のように音声や記号で意味を表すわけではない。
例えば匂い。自分たちを食べようと害虫や動物が近づいてきたとき、ある種の木々はエチレンという化学物質を発し、危険なやつらがやってきた、備えろ、とその匂いでもって仲間に警報を鳴らす。
例えば菌類。豊かな山や森の土をティースプーンですくえば、その中には数キロ分の菌糸が含まれている。山々は菌糸によって均一に繋がり、菌糸を介することで花粉を飛ばす時期を相談したり、さらには互いに養分をわけあったりするのだ。
どんな情報、物質がどれだけの規模で交換されているかは定かではないが、森のネットワークは確実に存在する。茄子は腐肉の獣を媒介に光ファイバーのように広がる菌糸、その先に繋がる木々と交信し、死人使いの居場所を探しているのだ。
(思っていた以上に遠隔から人形たちを操っているのかもしれない)
そろそろ自分のジンも底が見えてきたというのに、思うように求める情報があがってこない。滲む焦りを抑え込んで懸命に交信し続ける。
しかし、嫌らしくも焦燥の匂いを嗅ぎ取り、茄子の死角に転がる土塊が再び人の形をなそうと蠢いている。
そうとは知らず、茄子は吸い上げられる雑多な情報を拾っては捨て拾っては捨てる。と、(見つけた)やっと目当てのものに行き着いた。
山から寄せられた座標を
(この距離ならあと一手)
茄子は残りのジンを振り絞り、死人使いのいる方へ向かって
よし、手応えはあった。汗と笑みを滲ませたその瞬間、背後の肩口に亡者の牙が食い込んだ。彼の強みが招いた盲点だった。
◆◆◆
トロメアに座標が共有されるや、文音はありったけの風を纏って樹頭から飛び立った。この機を逃せば延々と人形遊びを強いられてしまう。消耗戦になれば文音たちは圧倒的に不利だった。
(絶対逃さないんだからっ)
茄子から託された地へ。獲物を求める疾風となり、枝々を蹴って急行する。
(あれだっ……よね?)
座標の場所には人間よりふた回りほど大きいキノコがもぞもぞと身を捩っている。その隣には黒いローブを頭から被った何者かが立っていた。
(へのこ神……そうか、茄子さんが)
文音は瞬時に黒のローブは使役されている神だと断じた。隣のキノコこそが死人使い。だったらと風の刃を一層長く、へのこ神ごと敵を葬れるように形成する。
相手は自分に気づいていないし、そもそも身動きすらできない。頭上から降り立ちながらひと薙ぎ、それで勝負は決するはずだった。
へのこ神のでっぷりした傘めがけて風刃を振り下ろそうとした瞬間、辺りの地面から幾多の触手が突き上げ、文音の体を横殴りに打ち据えた。
高速で飛翔する物体は側面からの衝撃に弱い。触手に急降下の軌道をそらされてしまい、文音は体勢を崩して地面にダイブした。
纏った風をクッションに体を回転させながら瞬時に衝撃を和らげたが、激突のダメージを完全に相殺することはできなかった。
(いたたた。……さすがに丸腰じゃないか)
どうやら死人使いは襲撃されることも織り込み済みで、自分の周囲に触手を仕込んでおいたようだ。文音が身を起こすのと同時に、周囲の地面も隆起していき人形が2体形成された。キノコに体の自由を奪われても死人使いは淡々と状況に対応する。
新たに生まれた人形のうち1体が文音の前に立ち塞がった。右腕は骨が変形したものであろう白い刃を備え、左腕には触手の束、これまでの人形とは明らかに様子が違っている。
人形のもう1体は今まで倒してきたものと変わらず、へのこ神にへばりついて捕縛された主人を助け出そうとしている。
(瞬殺してやるんだからっ)
文音は再び荒ぶる風をその身に従えた。
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