第19話 葉山風太①

「おーいっ。茄子なすさんがやべえぞー!」


 集会所内の結界でいまだへのこ神であり続ける風太ふうたは、外の惨状に悲鳴を上げた。茄子が人形に押し倒され、ジンの様子も弱々しい。


「俺はいいからよー。あんた、茄子さんとこに行ってくれ」


 長戸ながととて仲間の危機を救いたいが、その仲間から託された使命がある。逡巡し、結局風太に従うことにした。


「援護します」


 声帯に仕込んだマイク越しにそう告げるや、長戸は結界から飛び出した。茄子からの応答はなく、疑似現実トロメアにはただ襲われている様子しか映らない。茄子がナノンで生体データを共有できるのであれば、今まさにどういう状態にあるのか手に取るようにわかるのに。 


自分の身体状態を数値化することが常の長戸にとって、状態不明という状況は心理的に片目をつむっているようなものだ。トロメアが捉える不完全な視覚情報を糧に、不安は化け物のように巨大化する。


 脚部のアーマーに強化された脚力で茄子をめがけて一足飛びに駆け寄る。


 そして発砲。長戸は茄子のそばに駆けつけるや否や、しがみつく亡者の頭部に向かって銃弾を見舞った。しかし爆散して頭部を失ってもなお茄子を放さない。


(それならば)


 ナノアーマーの腕力で亡者の四肢をねじ切っていき、首なし芋虫となった亡者を放り投げた。


「茄子さんっ! 無事ですか」


 亡者を引き剥がしてようやく茄子の状態を確認できたが、


「……長戸君……ミスっちゃいました」


 真っ青な顔で呟く茄子の肩口は、肉がえぐれてひどい出血だ。


「応急処置をします」


 えぐられた右肩周辺の服を裂き、止血のために脇に手を入れて血管を圧迫する。次に、腰の多目的ポーチからスプレー缶を取り出し、傷口に吹きつけていく。


 傷口を覆ったメディカルジェルは、止血を行いながら体組織の再生に必要な栄養素を供給し、線維芽細胞の働きや肉芽組織の形成を活性化させていく。


(ナノンなら)


 生体デバイスを通してチェインに働きかけ、最も相応しい処置を迅速に行えるのに。長戸は尊敬する上司の脇を押さえながら歯噛みした。


「茄子さん、大丈夫か?」


 心配そうに風太が長戸たちをのぞき込む。


「出血はひどいが大丈夫。こんなところで死なせはしない!」


 自分に言い聞かせるように答えてすぐ、長戸は慌てて隣を凝視した。


「風太さん、なぜここに」


 へのこ神に受肉されて身動きが取れないはずの風太が、【夢見むけん】を握って横に立っている。


「助かりそうならよかった。茄子さんのこと、頼んだぜぇ」

「ま、待ちなさい! どこに行くつもりだ」


 長戸の静止を聞き流し、風太は確固たる足取りでリュウグウノツカイが発するジンの方へ進んでいく。集会所でたちばなを前にしたときの怒り様は鳴りを潜めたが、怒気は体の芯に宿り、今もその温度を上げ続けている。


(豊年祭りの日に現れるたぁ、太え野郎じゃねえか)


 橘のせいで白狩背しらかせは衰退の速度を加速度的に速めた。そんな中、形にとらわれずどうにか白狩背を残そうとして今日のアーカイブ化があるのだが、それすら橘は台無しにするつもりらしい。


(俺とクロを連れ去るだぁ? 上等、やってみろよ)


 風太の気持ちに応えるようにシジル化した【夢見】から深紫のジンが立ち昇った。目の前には薄ら笑いを浮かべながら、キノコの暗がりから現れる橘の姿。あの日のように深海魚を従え、冷めた目で風太を見下している。


「おいおい風太。それ、シジルだろ? グリモア化しないで力を引き出すなんてお前、どうなってるんだ? ははは、お前すごいよ。見込んだ以上だ」


 愉快そうな橘の声が、風太の芯を一層熱くする。馴れ馴れしく呼ばれることすら癇に障った。


「橘、てめーっ! いつまでもセンセー面してんじゃねえぞ」


「なんだ、寂しいこと言うなよ。これでも白狩背には感謝してるんだ。ナノンの社会じゃ医者なんて大した職業じゃない。せいぜいがカウンセリングか健康増進のアドバイスをするくらいだ。でもな、ここじゃ違う。皆センセーセンセーってちやほやしてくれてさ。俺に医者としての充足感をこの上なく感じさせてくれた。その筆頭がお前だったよ」


 植物人間から目覚めた風太は、大袈裟な医療を必要とはしなかったものの、寝たきりだったために8歳の子供が備えているべき体力や筋力、知能は持ち得ていなかった。


 経過観察も含めて風太の身体を診てきたのはセンセーこと橘だったのだ。もちろん寝たきりだったときの延命医療や看護ケアを伝蔵でんぞうとともに行なったのも橘だ。だからこそ風太は彼を兄のように慕い、その裏切りを許せないでいる。


「……ずっと騙してたのか。はじめから里をめちゃくちゃにするつもりであんたはここに来たのかよ」


「ここでの生活も、まあ悪くなかったよ。……それは否定しない。でもな、お前とクロを連れて行かなきゃ全部無駄骨になってしまう。だから風太、ついて来い。白狩背をいい思い出ってやつにさせてくれよ」


 橘にとって、白狩背は黄昏たそがれから与えられた任務地のひとつに過ぎない。医療を必要とするヒュームに囲まれた生活は彼の自尊心を大層満足させたのだが、彼の役回りは集落の診療医ではなく、あくまで黄昏の構成員だった。


「……よーくわかったぜぇ。てめーはやっぱり俺の敵だーっ」


 風太は【夢見】を左下段に構えて駆け出した。疫災の刀身はジンをとどめ、その密度を増していく。


「やっぱり、だと? そうだ、俺はお前と会ったときからずっと敵さ!」


 橘が呪文を呟くと風太を迎え討つ形で空中に水刃が現れた。風太がギンを失った日、手も足も出なかった術だ。


「殺しはしない。ただちょっと、お前うるさいよ!」


 橘の気勢とともに10数本の刃が風太を襲った。少し痛い目にあわせて大人しくなってもらおう、橘にとって風太はいまだに8歳のガキだった。


 だが【双石そうこく】たちとの温かい交流が、ひとりで舞う落涙の神楽が、恩愛と孤独の挟間で営む日々のその全てが、彼を無名のブックマンへと成長させた。


 風太は刀を振り上げた。刀身の纏ったジンはぶ厚い壁となり、水刃を余すことなく斬り散らす。刃から放たれた斬撃の勢いはなお衰えず、橘を斬り伏せんと空気を圧して直進した。


「なっ!」


 侮っていた相手からの予想外の反撃。水刃に足止めされ喚き散らすしかできなかったあのときの残影を切り裂き、風太の一太刀が橘に迫った。


 呪文の詠唱は間に合うはずもなく、橘は無様に地面を転がり逃げることでどうにか斬撃を躱した。


 しかし息をつく間もなく二の太刀が襲いくる。リュウグウノツカイに指示を飛ばす間はないし、体勢を立て直す余裕もない。橘に残された選択肢は限られている。


 そして彼は転がった。力の限り転がった。幾度も襲ってくる斬撃への恐怖を原動力に、おとぎ話のおむすびもかくやと転がった。


「逃げんな!」


 恥も外聞もかなぐり捨ておむすびころりんと化した橘を追うが、風太の刃はあとひとつのところで届かない。阿呆を一所懸命に追いかけているようで、風太は余計に苛立った。


「てめー待てや、くそったれ!」


 やはり使い慣れた猟銃の方がよかったと後悔したが、キノコに絡め取られて持ち出すことはできなかった。それならばと風太は足を止めてジンを練り始めた。


 先程の斬撃とは比べものにならない量のジンが刀に集中し出す。これまでジンを扱うことなどなかった風太だが、握る【夢見】から掌を通して感覚が流れ込んでくるのだ。


 まるで初めて立った赤子が親に手を引かれるように、【夢見】の導きを信じて一心に身を委ねる。


(くそったれだと?)


 風太の攻撃の手が緩み、橘は転がることをやめた。


(それはこっちの台詞だ、風太!)


 屈辱だった。かつて自分が命を握っていた患者、それもガキの奮う暴力に肝を冷やし、無様にも地面を転げ回って命を拾う。自尊心の高い橘には耐え難いことだった。


(お前にもこの屈辱味わわせてやる。少し痛い目、くらいじゃもうすまさないからな)


 土埃にまみれた姿で立ち上がり、橘はグリモアを構えた。ムカっ腹をジンに変えて大技を準備する。青蛇令せいだのれい。この地で【跫音きょうおんの狼】に防がれたとはいえ、ジンを水に変換し、周囲の水分を取り込みながら圧倒的な攻撃範囲と水量で敵を圧殺する、この男の誇る最大の術だった。


「永久を侍る狂い渦 満ち 流転――」


 しかしこの戦闘において主導権を握っているのは、その力に目覚めたばかりのブックマンだった。


 風太は練り上げたジンとともに地面に刀を突き立て、在らん限りのジンを放出した。荒ぶるジンは土中を駆け巡り、橘の立つ大地に魔法陣を描く。


「うごぁっ!」


 魔法陣が強く発光する。増幅した疫災のエネルギーが天に昇る柱となり、周囲のきのこもろとも橘を飲み込んだ。橘は力の奔流に抗うことができず、ボロ雑巾のようにもみくちゃにされて地面に突っ伏した。

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