第12話 白狩背、強襲②

 ごん。


 風太ふうたやモノリスの一団が雑魚寝する集会場の掃出し窓が、不意に鈍い悲鳴を上げた。


 ごん、ごん。


 まるで今から起こる惨劇を告げるように、だんだん音は大きくなる。


「……ん」


 窓際で毛布に包まっていた風太は、いち早く物騒な音に気がついた。


「んだよ、ったく」


 重い体をしぶしぶ起こし、カーテンを乱暴に引き開けると、そこには半年前に見送ったはずの父親が立っていた。


 まだ夢の中にいるんだろうか。風太は窓越しの父親を眺めながら、どうしたものかと考えた。夢に出てくるにしては愛想もへったくれもない。顔には生気がなく、白目をひん剥いて無表情に突っ立っている。


 生きているときも愛想なんて持ち合わせていなかった頑固一徹の伝蔵でんぞうだが、ならばしかめっ面でも構わないなら、その人間離れした表情はどうにかしてくれないだろうか。


 そんなことを思っていると、伝蔵は腕を大きく振り上げた。そのまま窓を激しく殴りつける。


 ガシャンッ!


「おわっ!」


 窓ガラスは風太の頬を薄く裂きながら、室内に降り注いだ。


「お、親父?」


 電球の切れかかった街灯を背負う伝蔵からは、見たことのない色のジンが立ち上っている。その後ろにはかつてこの村で一緒に過ごし、そして死に分たれたはずの住民たちが皆一様に意志の宿らない目をどんより光らせて立っている。中には風太が聞き知っているだけで、顔の知らないもっと以前に死んだはずの者もいた。


「風太君」


 窓の割れる音で目が覚めたのか、茄子なすがそばに駆け寄ってくる。他にも騒音に起こされた人がちらほらいて、外の様子に息を飲んでいる。


「ゆ、夢? つーってわけじゃーなさそーだな」

「おそらくなんらかの魔術でしょう。僕の後ろに下がって」


 茄子は口早にそう言い1冊の革で製本された本を取り出すが、かつての住民たちは待ってはくれない。


 伝蔵を先頭に、各々が壊れた人形のように割れた掃き出し窓に殺到し出す。


「げっ! おい、親父止まれ! 止まれって―!」


 死んだはずの住民たちは、てんでバラバラに窓に押し寄せ、大渋滞を起こしている。ある者は窓や壁に押し付けられ、またある者は掃き出し窓と室内の段差につまずきドミノ倒しのように折り重なって集会所に倒れ込む。


「風太君、皆を起こして!」


 茄子は風太を後ろ手に庇いながら、革表紙の本を開いた。


「炉を惜しむ腐肉」


 言葉に寄り添うように、茄子の背後に異形の獣が揺らぎ出た。一見するとヘラジカのようだが、その頭部には野太い茨が絡み合ったような2本の角を戴き、目の代わりに陰々とした黒い洞が4つ、光を吸い込むように空いている。


 茶色くごわついた体毛からは所々腐食した肉や肋骨がのぞき、背を覆う深緑の苔や藻類の合間には背骨が発達したものなのか、琥珀色の突起が連なっている。


 四足の立ち姿は、森の奥深くで静かに口を広げる毒沼のようで、つま先でも浸そうものなら頭の先まで蝕まれてしまいそうな、負の引力をたたえている。


「皮を撫で 肉を喰み 散らす白 刹那の痛みは永久の闇 誘え、霧塵紅虜むじんくうりょ


 呪文にそって、ヘラジカの化け物は大地から何かを呼び覚ますように、床近くまで頭を垂れて深く息を吐いた。


 毒沼の肺から吐き出された魔の息吹は、手始めに床の木材を変色させ、ずぶずぶと腐食させながら広がっていく。獣のあらゆるものを腐す瘴気が、掃き出し窓の死人たちを静かに飲み込んだ。


「ぐががっ」「ぎぎぃっ」


 折り重なり倒れている死人たちは床の上でもがき苦しみ出した。瘴気にその肌を焼かれ、仮初の肉体を蝕まれていくうちに、彼らは元の土塊へと還っていく。


「お、親父ぃ!」


 無論、先頭にいた伝蔵はいの一番に瘴気を浴びた。腐れゆく父親の形をした何かに向かって、風太は叫び声を上げた。


「風太君、これはキミの親父さんじゃない! 魔術で土塊を人の形に押し込めて操っているんでしょう。趣味が悪い」


 茄子は人のなりを崩した木偶を指差した。


「僕の魔術は大雑把なものが多い。みんな、僕より前に出ないで」


 すでに集会所で雑魚寝していたモノリスの面々は目を覚まし、動揺しながらもひと塊に集まっていた。収書課しゅうしょか以外の職員はほぼ非戦闘員なのだが、さすがにこういう事態には慣れている。


「茄子さん、裏の勝手口や窓からも!」


 ツインダガーを構えた文音あやねが悲痛な声を上げた。50体を超す土塊人形が集会所を取り囲み、四方八方から押し寄せていた。木のドアを打ち破り、すでに勝手口から数体、中に入り込んでいた。


「貪る豊穣の四息しそく


 文音もタリスマンに呪を吹き込む。


「這う咆哮 奪い 沈め 与える者 理を放し 戦塵を散らせ、人修羅ひとしゅら


 文音の体は強靭な風を纏い、その刃で迫る人形をひと薙ぎにした。長戸ながともアーマースーツを着込んで応戦している。


「一人ひとりは大したことない、が」


 如何せん数が多い。それに戦えない者たちを守りながらでは立ち回りも限定されてしまう。次第に部屋に人形が溢れ、芋洗い状態の大混戦になった。


「がっ」


 そしてついに祭神衆さいじんしゅうの若手に魔の手が追いついた。昼間、巫女姿で陰神を担いでいた女性が宙吊りにされ首を締められている。


「おおっ」


 長戸はヘッドロックをかけていた人形の頭を、渾身の力でそのままねじ切った。人形たちに阻まれ女性のそばに行くことが叶わないと見るや、ねじ切った人形の頭をドッヂボールよろしくぶん投げようとする。が、その腕に新たな人形が絡みついてきた。


「くそっ、三虎みとら!」


 後輩の名を呼ぶが、纏った風に怯みもせず押し寄せる人形たちに文音も自由を奪われていた。狭い室内では人修羅の縦横無尽な戦法は封じられてしまう。


 首を締め上げられている女性だけではない。もう人形の暴動は止まることを知らず、あちこちでモノリス職員が餌食になっていた。


「ちくしょう! 放しやがれ!」


 風太も例外ではなくぼさぼさの髪や四肢を掴まれ、床に引き倒された。人形たちは一様に口を大きく広げ、風太の白い体に迫る。まるで風太を食うことでその生命を取り込もうとするように。


「や、やめやがれ!」


 人形の歯が風太の皮膚を食い破ろうとしたまさにそのとき、部屋の中心、その床から光が煌めき、溢れ出た。


 光は隈なく床を這い、壁を伝い、天井を覆う。皆が集まる部屋がその優しい太陽のような温もりに包まれると同時に、室内にいた人形の体から青白い炎が噴き出し、燃え上がる。


 部屋の中は燃える人形たちで煌々と輝き、昼のような明るさだ。


「この火、ちっとも熱くない」


 燃える人形にしがみつかれたまま、自分の体も炎に飲まれているというのに、文音は全く熱さを感じなかった。


 それどころか青白い炎からは、悪を絶ち救済へ導く不動明王のような慈悲深さと頼もしさが伝わってくる。


 今や集会所は白く輝く結界に守られていた。


 その中心には黒い影がひと柱。光を縫い止めるかのように、艶やかな黒髪を床まで垂らした見慣れぬ女性が立っていた。


 体の輪郭に沿う黒いドレスの上には、龍の角のごとく尖った鋼鉄の肩当てと手甲をつけ、その身には世界の秘密を凝縮した闇夜のローブを纏っている。


 「知」と「武」を兼ね備えた凛と佇む姿からは深淵なる神性が迸っていた。

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