第11話 白狩背、強襲①
夏の残暑はとうに過ぎ、刈り取った田んぼの上で呑気にいわし雲が棚引く
「エイヤッ! エイヤッ! エイヤッ!」
神主用の白衣に身を包んだ男たちが巨大な男根を担いで、同じく巫女姿の女たちが掲げている陰神に突撃する。担ぐ男女はみんな真剣そのものなのだが、どこか口端や目端に笑みをのせ、溌剌としたアホらしさがにじみ出ている。
「うはーすげえなー。まじで3ヶ月で仕上げちまうなんてよー」
「
隣で
「それに風太さんの教え方がよかったって言ってましたよ。まさか1人でお囃子から何から習得してるなんて、ってみんなびっくりだったみたい」
文音は実のところ風太を侮っていた。いつも覇気がなく気怠げな青年がひとり。正直初仕事は難航することを覚悟した。風太が白狩背の行事をきちんと覚えていて、それを再現できるとは到底思えなかったからだ。しかし実際はどうだ。ひとたび神楽を舞えばつま先から頭髪の先っぽまで神経が通っているような洗練された所作に目を奪われ、奏でる囃子の美しい音色に耳は溺れた。
「ジジババどもに叩き込まれたからなー」
村の者たちが蘇り、あるいは去っていった移住者たちが再び集って男根や陰神を担いでいるわけでは無論、ない。
地域ごとに祭事や神事の作法は違えども、やはり共通項は存在し、そのノウハウを集積・継承している集団だ。白狩背のようにアーカイブ化しようにも人手が足りない場合などに出張っては、アーカイブ化のために祭事や神事を習得し、その地の人々に代わって演じる。
風太は【
「祭事で使うものがきれいに保たれてたのも大きいですね。うちの美術課の出番、ほとんどなかったですもん。普通は神輿の修繕とか色々あって、道具を揃えるのに半年くらいかかるみたいですよ」
モノリス・ライブラリには文化保存のための様々な部署が存在する。美術課は祭事で使う道具の調達を担当する部署で、道具の修繕にとどまらずときにはゼロから作り上げることもある。
「みんな、いろんな案件を扱ってきたけど、こんな奇祭は初めてだって」
文音は饒舌だ。なにせ初めて自分が担当するアーカイブ化案件、張り切らない理由はない。文音や
「まーなー。でーじな道具だからぞんざいには扱えねえよ」
風太はどうしたことか、震える声で小さくそう呟いた。驚いて文音が隣を見遣ると、白瓢箪は目を潤ませている。
「ど、どうしたんですか」
模造性器のどつきあいに、笑うことはあっても涙する要素なんてどこにもない。そのはずなのだが、風太にとっては事情が違った。
かつて記憶喪失で目覚めた少年に命を吹き込んだ祭り、自分が集落の担い手として継承した祭りが今、最後のときを迎えている。アーカイブ化するということは、自力でその文化を残していく選択を諦めるという意味に繋がる。熟考に熟考を重ねて出した答えだったが、それでも本当にこれでよかったのかと自問してしまう。
「こんな賑やかにやれるなんて、もう二度とねえと思ってたぜえ」風太は震える声を絞り出す。「きっともうこれが最後だーなぁ」
これまで連綿と受け継がれてきたものを記録し、保存する。風太の心の内を知り、文音は改めて自分の仕事の重責を思い知った。
「風太さん、加わらないでいいんですか?」
風太の言う通り、こんな規模で豊年へのこ祭りを執り行えることはもうないだろう。それならやはり、最後の住人である風太も絶対に加わるべきだと文音は思った。
「……見届けてえんだわ。それによ、俺の役目はあんたらと一緒に監督するこったろ」
しかし頑なに加わろうとはせず、目を潤ませたり興奮したりしながら一歩引いて眺めるだけなのだった。
◆◆◆
「つーかよー、こっからが本番だからなー」
この日の祭事が無事終わり、その夜、みなで白狩背の集会場に集まっていた。豊年へのこ祭りは2日間に渡って行なわれる祭りで、1日目の夜はこうして関係者が一同に介し、食べて飲んでのどんちゃん騒ぎをするのが習わしなのだ。モノリス・ライブラリの面々は白狩背に泊まり込みで祭りやそこから派生する生活を保存する。
集会場の玄関先では、祭神衆の若手がビール片手に大きな網の上で猪肉や鹿肉を焼き、辺りに香ばしい匂いを漂わせている。外のベンチに腰掛け、山の冷たい風にあたりながら酒を楽しむ者もいれば、集会場の中でへべれけに酔って気持ちよくなっている者もいる。
「やあ、賑やかだ」
文音は外のフェンスにのんかかりながら、ほろ酔い眼で笑っている。その隣で長戸はあくまで嗜む程度にちびちびと紙コップを口に運ぶ。
「せんぱーい、もっとガツッといかなきゃ、これも記録してるんですよー」
「だからだ。仕事で醜態を晒せるか」
「はぁ? 醜態ですって。そんな中途半端なことしてたら豊年へのこ祭りに失礼ですよー」
絡み酒になっている後輩に軽くため息を吐き、肉を取りに行くふりをしてフェンスから離れた。BBQの前では長戸の上司、
「性神祭と五穀豊穣の祭りが結びついてひとつになっているんですね、実に興味深い」
茄子は焼酎の入った紙コップを片手に、厚いべっこう眼鏡の奥でまん丸い目を輝かせ、風太に色々質問している。民俗学をこよなく愛する中肉中背の45歳。浅黒い肌に、エラのはった大きな顔の上で、物腰の柔らかさに反比例して頑固そうな剛毛が撫でつけられている。
「だろー。陰陽神がそれぞれ別の性質も持ってんだ。陽神は父なる太陽、陰神が母なる大地って具合によー」
風太も好奇心旺盛な茄子を相手に楽しげだ。
「へのこ祭りだけじゃねえ。今じゃ色んな行事が重なりあっちまってんだ」
「人口減少の煽りですね。でも、工夫しながらここまで維持させてきたのはすごいことですよ。白狩背の先人たち、それに風太さんの努力と苦労の賜物です」
茄子の熱っぽい言葉に風太は照れ臭そうだ。振り返って集会所から谷向いに見える神社を指差した。
「
「なるほど。お見受けしたところ、雲神社の祭神はあそこで丸くなっている猫ちゃんですか」
茄子は集会所の窓越しに、座布団の上で丸くなっている黒猫を見つめた。
「そーそー。クロってんだ」
「……クロさんに、白狩背の神々の
茄子は紙コップを口に運びながら注意深くクロを観察する。
「多分、合祀で中核に据えられた影響なんでしょう」
「ジン? あの帯みてえモヤモヤしたやつのことか」
風太も紙コップを傾けながら相槌を打った。
「……見えますか、帯みたいなの」
「そら見えるよ。あんたにだって見えてんだろ」
茄子はカカと笑った。ジンは普通に暮らす人間には見えることがない。神性なものとの縁が深い者や、モノリス・ライブラリの職員のように日常的にジンに触れ、操る者でないと可視できないのだ。
「顕現した神とともに暮らす影響でしょうかね。風太さん、何層重なっているかわかります?」
「んーそーだなー。……8色かな」
以前は10色あったジンの帯が、今では8色に減っている。消えた1色はセンセーへの恩讐へ、もう1色は自分への呪いに変わった。クロを見るたびに、風太の内で燻っている無念と怒りが、目前の木炭のごとく赤く明滅するのだ。
「なあ、茄子さん。あの紫色のジンあんだろ。あれ、【夢見】のなんだよな」
「シジル化した神ですね」
「あいつがシジル化しちまってからよ、【夢見】のジンが濃くなったんだ。そんかわりよぉ、なんかクロの調子が悪そうなんだよな」
【夢見】が一振りの刀に姿を変えて以来クロはどこかダルそうで、今日のように座布団や毛布の上でじっとうずくまることが多くなった。
「よく見えているようですね」
茄子は風太が自分と同じ次元でジンを識別できていることに驚いた。しかし見たものをどう判断するか、その知見は持ち合わせていないらしい。
「【夢見】がシジル化しちまったことが、クロに影響してんのかな」
「おそらくクロさんは、白狩背の神々が存在するための楔となっています。シジル化した【夢見】さんが繋がり続けているせいで、クロさんのジンの流れに悪影響を与えているんだと思います」
茄子はずり下がる眼鏡を中指で持ち上げた。茄子はこの話をするためにここに来たのだ。アーカイブ化の監督だけなら長戸と文音がいれば事足りる。
「【夢見】さんのアーカイブ化、やっぱり抵抗ありますか」
「あいつが本になったらよぉ、クロがよくなんのかな」
風太は網の下で静かに燃える木炭に目を落とす。
「本、僕たちはグリモアって呼んでるんですけどね。グリモアにすることで、【夢見】さんの存在は【夢見】さん自身の物語性で確立されることになりますから。おそらくクロさんへの影響は消えるでしょう」
「あんたたちと話してるとほんと、脳みそとろけちゃうんだわ。……なんか、どっちか選ぶみてえでやだなぁ」
「どっちかを残してどっちかを手放す、そういう話ではないんですよ」
茄子は食い下がるが、風太は火を見つめたまま黙ってしまった。ギンを失い心が壊れ、挙句に人を襲って返り討ちにされ、もう元の姿には戻れないという。
(そりゃいくらなんでもあんまりなんじゃねえのかなあ)
アーカイブ化をすれば二柱は今よりいい状態になる。風太も内心わかってはいるのだが、どうにも腑に落ちない。
数切れの肉が箸からもれ、網の上で焦げて縮こまっていく様を眺める。
(お前もまさか食べ残されて黒焦げになるたーな。どうせならおいしく食ってもらいたかったろーによー)
黒い肉がいたたまれなくなって、つい風太は箸を伸ばした。
「焦げてますよ」
構わず口に放り込む。砂を噛む食感と苦味が口の中に散らばった。
「うは、じゃりじゃりする」
「何か焼くものもらってきましょう。焼きおにぎりとかいいな」
茄子はそう言って席を立った。その間に、網の上の焦げた肉を全部口に突っ込んだ。
(んー、まじぃ)
それでも、そうした自分に少しだけ満足する風太だった。
◆◆◆
孤独を常とする山里が数多の寝息を抱えて静まる夜。ひとときの熱気で隠された白狩背の憂鬱から染み出すように、不穏な3人が集落の共同墓地で蠢いていた。
闇の中で活性化する魔性の癌細胞、世界の崩壊と再構築を信奉する彼ら――黄昏にとって、暗がりは愛すべき隣人であり、理想へ至る架け橋だ。
「這い滲み 満たし 包む」
死を弄ぶ不吉なさえずりに呼応して、骨壺に収められた骨が蠢動し、その囲いを打ち砕く。炎に奪われた肉体を求めて土を、根を、砂利を、有機・無機を問わずそこに存在するあらゆるものを貪欲に喰らいながら、仮初めの命に手を伸ばす。
墓石を化け物地味た力で押しのけ、かつての住民が立ち上がった。彼に続くように1人、また1人と闇が覆う黄泉の大地から這い出てくる。
「おはよう。さあ行こう。忘れ物を取りに」
底冷えする呻い声とともに死者の行軍が始まった。猫とあの日の少年を迎えに、光が宿らない伽藍の瞳を携えて。
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