第10話 へのこ担ぎ
2人が帰ったあとも、
「クロよー。俺ゃ一体どうしたらいー?」
膝の上の重みにそっと助けを乞うと、
「風太の好きにするがよかろう」
黒猫は艶やかな声で応えた。この猫もまた白狩背に生きる神なのだった。
「もーちっと考えてくれやぁ」
好きもクソもない。それがわからないから、複雑怪奇な潮目を前にただ呆然と立ち尽くしているのだ。最近、こういうことがとみに増えた。センセーの裏切りを皮切りに、この白狩背は崖から突き落とされたように様変わりしていき、どうにかしなければと気持ちは焦るのだが、どうしていいのかわからない。気づけば独りぼっち、ただ自分が食うためだけに畑や田仕事に明け暮れていた。
「学校行ってりゃよー、いろんな答えが見つかんのかなー? もうちょいましな頭になったんかなー?」
風太は8歳になるまでの記憶がない。
「別に親父に文句はねえけどさ」
体は8歳でも中身は5歳だ。街まで出れば学校はあったが、ナノンだらけの学校に心の幼い風太を1人で通わせることはできなかった。伝蔵のエゴだったのかもしれない。
「伝蔵は必死だったぞ。幸せそうでもあった」
専ら伝蔵が先生役で、読み書きや簡単な算数を教えてもらった。おかげでネットで漫画や小説を読んだりゲームをしたり、田舎の独り暮らしでも文化的な生活を送れている。
「お前らはどうしてえとかあんの?
「……伝蔵は初めて会った彼を追い返してしまったのぅ」
「親父はきかん坊だったからなー。
風太は恐れている。白狩背から次々と人が消えていき、まるで自分の立っている地面が抜け落ちていくような心許なさをずっと味わってきた。それは太陽の光りを浴びて健やかに光る西瓜を収穫する喜びや、寝床で伝蔵から絵本を読んでもらう安らぎの間にも絶えずあり、影のように風太の意識につきまとった。
そしてついに独りとなったあと、今度は誰にも知られず白狩背が消えてしまい、この里の営みがなかったことになるのが寂しくてしょうがなかった。
「神のアーカイブ化ってのは置いといてさ。かっぱ祭りとかよー、
「人がいなくなったら当然その文化も野に還る、自然の流れじゃ。きかん坊はそう言っていたぞ?」
「自然の流れっつったってよー。なんか寂しーじゃねーか」
「周りを見てみろ。今じゃここで暮らすのはお前1人じゃ。……白狩背と心中する必要はないんじゃぞ?」
死にゆく伝蔵からも言われたことだった。ここに縛られる必要はない、お前の好きなように生きろと。
「そういうの勝手だよなー。他に生き方なんて知らねーのに」
「そうか? 色々できるじゃないか。お前の舞う神楽は白狩背の歴史の中でも随一じゃぞ」
「だろう? でもクロな、それってここでの生き方ってやつだぜ」
風太は脳死状態から目覚めてすぐ、自ら進んでこの集落の伝承者に手を上げた。神楽に祝詞にチキリン囃子、白狩背の神事をすべて1人でこなせるほど、その芸は体に染み付いている。
「別にやりてえことがあるわけでもねえしなー」
風太は胡座のまま、ごろんと体を後ろに投げ出した。やりたいことがない、というよりもやりたいことを考える余裕がなかった。
日に日に減っていく村人に、体調を悪くした伝蔵の世話、田畑だって放っておけば荒れてしまうし、肉を得るために狩りもしなければならない。それにもちろん、集落の祭事だってこなしていた。
「あーでも、女の子と遊んでみてえかも。移住組ん中にも若え人いたけどなー、みんな俺より10は年上だったし」
風太は独りになって初めて里以外のことに思いを馳せてみた。そうするとどうだろう、この年代の男子らしい、真っ当な欲求が首をもたげた。
「遊んでみたらいい。風太は男前だからね。街に降りりゃ、オナゴに困るこたぁないよ」
「お、まじか」
風太はまんざらでもない様子で笑むと、膝から降りたクロがそのすぐそばで体を丸めた。
「伝蔵の残した金だってあるんじゃろ? 試しに街で暮らしてみたらどうじゃ。あわなけりゃ、また戻ってくればいい」
「んーでもなー。今でもあんときのこと思い出すと、なんつーか震えんだよなー」
「あのとき?」
「豊年へのこ祭りだよ。お前の祭りじゃねえか。目覚めてすぐだったなー。わけもわからねえまま親父におぶられてよー」
風太が目覚めた日、五穀豊穣と子孫繁栄の祭りが執り行われていた。伝蔵はそんな祭事の真っ只中に意識を取り戻したという
当時の風太にとっては混乱以外の何ものでもなかった。自分の父親だという男に無理矢理立たされ、寝たきりだった体で歩けないとわかるや否や、今度は背中におぶられどこかに連れて行かれた。
「いやービビったぜー。黒光りするでっけーチンコがみんなに担がれてよぉ、貝のバケモンみてえなのにごっつんごっつん叩きつけられて。んなもん未成年に見せちゃダメだよなぁ。しかもみーんな大声上げながら汗びっしょりかいて、真剣そのものでよ」
連れて行かれた神社の境内で、清々しい秋晴れの下にけたたましく響くチキリン囃子や太鼓の音。里の男たちはヒノキで作られた長さ5メートルはあろう男根を肩に担ぎ、奇声を上げながら何度も陰神に突進した。男と女が出会うたびにその衝撃で担ぎ手の汗と唾が舞い飛び、お囃子は次を催促するようにテンポをあげた。観客は笑い讃え、そのすべてに大喝采を送っていた。
「意味なんかわかんなかったけどよ。腹と胸にズドンってきたぜー」
記憶を失くそうともそこは精神年齢5才。本能でその滑稽さ、また滑稽なことに真剣に取り組む愉快なアホらしさを嗅ぎ取った。チンコは世の少年みんなに共通する「オモシロ」なのだ。
「笑ったぜぇ。気づいたら親父の背中で爆笑してた。腹がねじ切れるんじゃねーかって、最後の方はちょっと怖かった」
事実、目覚めたばかりの体全身を使って笑うものだから、ひきつりを起こしてしまい伝蔵を青ざめさせた。
記憶を失くして8歳で生まれ直した風太に、白狩背はアホらしく健やかな笑いとともに命を吹き込んだ。これが風太の原体験だ。
「俺ぁここが好きなんだろなー。多分、そーなんだろうよ」
「……そうか」
どうやら親父譲りのきかん坊らしい。黒猫は風太の膝に身を預けながら、その行く末を案じた。
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