第9話 モノリス・ライブラリのお仕事

「そうですね」長戸ながとは遠慮がちに口を開いた。「……シジル化という言葉は知っていますか? 神のこの状態のことを指すのですが」


「シジル化?」

「ええ。ざっくり言うと、神がその力を消費しすぎると陥る姿です。神の核が露わになる現象、とでも思ってください」

「……神の核。つーことはこれが壊れたりしちまったら死ぬってことか?」


「シジル化した神を傷つけることは容易ではないです。ある程度の物理法則はシジル表層の皮膜で遮られてしまうし、ジンへの耐性も高いので」

「んー、ヒマクとかジンとかよくわかんねぇ。とにかくどうなのよ、【夢見むけん】は元に戻るのか?」


「人の思念が神のエネルギー源であるらしいことがわかっています。だからかつての世界のように、人の信仰や想いが募ればまた元に戻ることもあるでしょう。しかし、神を信仰するという行為が極めて限定的な現代では……」


 ナノンは医療の恩恵をその身に受け、健康と超長寿命を手に入れた。しかし、その超長寿命が副次的にもたらす弊害として、感情の希薄化が挙げられる。長い年月を生きれば生きるほどその精神は人間というより植物に近くなり、感情の起伏が極端に小さくなっていく。歳を重ねるごとに人間らしさが削ぎ落とされていくのだ。ナノンが世界の8割を占める現在、完璧に近い健康と感情の希薄化があいまって、神に祈る者は極端にその数を減らした。


「もう、このままってことか?」

「……このまま、というわけではないです。我々の仕事に深くかかわることなのですが、以前お会いしたときに話したことは覚えていますか?」

「んあーなんだっけ? 長戸さんたちゃ、ここみてえな消えちまいそうな集落を回ってるんだろ。んで集落が消えちまっても、その文化だけでも残せるように映像やら資料やらにしてとっといてくれる。だから俺ぁ、あんたらを今日呼んだんだ」

「その通りです」

「ははあ。正解ー」


 風太ふうたは学校の授業で正解を答えた生徒のようにニカッと笑った。


(あ、可愛いかも)


 凶悪な顔で神を怒鳴りつけ、かと思えば終始だらしない口調で長戸の説明を理解しているのかどうかもわからない。正直、トロメアで風太の画像を見たときからあまりいい印象を持っていなかった。しかし鋭い犬歯がのぞく笑顔があどけない少年のように可愛くて、文音あやねは場違いにも瞠目した。


民俗文化図書館モノリス・ライブラリには、もう1つ重要な役割があります」

 後輩の不謹慎さなんて露知らず、長戸は固い表情を崩さない。

「後世に残すために地域固有の文化をアーカイブ化するように、私たちは神もアーカイブ化するのです」

「カミモアーカイブカスル?」


 風太は間抜けな顔でオウム返しするが、その反応も長戸は織り込み済みだ。核心に触れる話は伏せながら、説明されたような気持ちになってもらえればそれでいい。欺く気持ちはない。長戸は余計な心配を風太にさせないよう、また、モノリス・ライブラリの機密事項に触れないように心を配っているだけなのだ。


「神は人の信仰や想いをエネルギーにしていると言いましたね? そうであるなら、神それ自体がその地域で暮らす人々の生活に根ざした、民俗文化の集合体ということになります」

「んじゃーよ、例えば『この1年健康に暮らせますように』ってみんなで執り行う祭事とか、たまに神社でするお参りとかが、【夢見】をつくってるってこと? だから【夢見】自身も長戸さんが言う文化なわけ?」


 風太はなんとか食らいつこうと頭をフル回転させ、長戸の説明したことを彼なりの体験に落とし込んでいく。


「その通りです。そして私たちはシジルとなった神もアーカイブ化、つまり情報化して保存できるんです」

「だーかーらー。そのアーカイブ化ってのがなんなんだよ。【夢見】はどうなっちまうんだ?」

「本にします」


 せっかくフル回転していた風太の脳みそはその働きを止めてしまった。実存する神を本に変えるとはどういうことか。だいたい本なんて今の時代、一部のマニアが集めるだけのデッドメディアではないか。


「はっ? 本?」

「はい」

「【夢見】を?」

「ええ」

「んー。あんたと話してると脳みそとろけちまいそうだぜぇ。……そりゃーよぉ、【夢見】のお話を書くってこと?」


 しかし、長戸もこれについては上手く説明する言葉を持っていなかった。多分どんなに説明したところで理解はしてもらえないだろう。


「それは見てもらうしかないと思っています。ただ、このままではシジル化は解けず、いつか存在が消えてしまうことは確実です。アーカイブ化すれば【夢見】さんの本質を変えないまま適切に保存することができる。私どもが招いてしまった事態とは言え、現状の最適解です」


 長戸は真摯な眼差しで風太を見据える。


(俺の生まれるもっと前、神に実体なんてなかった。なぜ神が顕現し、どのように消えるのか。クライアントとは言え民間人に話すなんてできない。黄昏のような危険思想に染まることだってあり得るんだ)


 長戸は神が姿を現した理由とその悲しい末路をあえて伏せた。


「……あのよ、シジル化しねえで神が消えちまうってこと、あんの?」


 これまでの思ったままをずけずけ質問していた口調から一転、風太は遠慮がちに長戸の顔をのぞいた。


「シジル化する間もなく消滅する……ということですか。力が弱まるうちに自然消滅するにしろ、力を使いすぎて消耗するにしろ、シジル化の過程は必ず通ります。可能性としてあるのは外部からの攻撃ですかね」


「攻撃かー」


 風太はあの日に向けられた殺意を思い出した。あの目に睨まれただけで心も体も縮こまって、ただ恐怖で震えていた。


「で、でも【夢見】さんは大丈夫ですよ! 信仰が薄まって弱っていたとしても、我々の攻撃程度で存在が消滅するなんてことはありませんから!」


 長戸が慌てて補足するが、風太は表情を暗くして畳のへりに視線を落とし、すでに聞いていなかった。


(……神は願いの集合体っつってたよな。つーことはさあ、やっぱ俺って人殺しだーなぁ……)


 彼は今、姿を変えた【夢見】でも奪われたギンでもなく、消えてしまった1柱を思った。仕方なかったのだ、【双石】たちだってそう言ってくれたじゃないか。


 しかしこの青年の心はずっと囚われたまま、灰色だ。


「今日は白狩背村の年中行事や生活模様をお聞きして、神のアーカイブ化の説明はもっとあとの予定だったんですが……。どうでしょう、順番は逆になってしまいますが、私どもに【夢見】さんを預けてもらえないでしょうか。【夢見】さんのアーカイブ化と白狩背村文化のアーカイブ化、並行してさせてもらえればと思いまして」


 長戸はシジルが風太の手にあることが不安だった。シジル自体に危険があるわけではないが、白狩背はすでに黄昏に知られた土地なのだ。何が起こってもおかしくはない。


「こいつがよぉ、あんたたちを襲ったことは謝るよ。でもなー、【夢見】も望んでこんな風になったわけじゃねえのよ。ギンが消えちまってからおかしくなったんだわ。わけわかんねえこと口走って暴れたりさぁ。ギンとえらく気が合ってたから、ショックで狂っちまったんだろうよ」


「……ギンというのは、その消えた移住組の誰かでしょうか」

「違え。ここで祀られてた狼だ。あいつが連れ去っちまった。……さっき【双石そうこく】が言ってたろ、橘ってやつ」


(なるほどー)

 文音は顎に手をやり納得顔だ。どうやら黄昏は信者集めだけでなく、しっかり神も回収していたらしい。しかも他の神には目もくれずに「ギン」だけ連れ去ったということは、「ギン」はかなり強力な神である可能性が高い。


「面倒臭えけどよぉ、狂っちまってもこいつは俺の家族だ。こんなわけのわからねえ姿になっちまっても、じゃーあとはお願いしますってわけにはいかねえんだわ」


 アーカイブ化すればモノリス・ライブラリで適切に保管され、消滅の危機から脱することができるし、【夢見】も元の性質を取り戻すだろう。しかしこの18歳の青年の小さな世界には、別れはあっても出会いはない。風太にとって、縁のある者はもうこの地の神々しかいないのだ。一見粗暴に見えるこの青年でも、寂しいものは寂しい。


「……今日は悪かったな。でもあんたたちに怪我がなくてよかった。また近いうちに連絡すっからよぉ」今日のところは帰ってくれ、風太はそう言外に示した。

「しかしそのままではいずれ――」

「わかってるってぇ」自分が何をできるわけでもないことは。「だからよ、ちゃんとまた連絡すっからさー」ただ、気持ちの問題だった。


 長戸が初めて白狩背を訪れたとき、風太は胡散臭そうにしながらもこちらの話は聴いてくれた。まだ存命だった風太の父・伝蔵でんぞうから「いらねえ世話だ」と追い返されはしたが、今日とてこの場を用意してくれている。長戸は逡巡したが、風太に従うことにした。


「……そうですか。わかりました」

 お辞儀して立ち上がろうとする長戸を目で追いながら、文音は戸惑った。


(え、え? クリップ見てないのかな? たちばな広斗ひろとのこと話してないのに)

三虎みとら、行くぞ」

 文音の困惑をよそに、長戸はもう鞄を手に持ち立ち上がっている。


「で、でも長戸さん」

「いいから、今日は帰ろう」

 そう促され、釈然としないまま文音は座布団を立った。


「今日はすみませんでした。いつでも連絡してください。待ってますから」

 そう言い残し、2人は葉山はやま邸をあとにした。

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