第4話 猫と先輩と神さま②
「こんなところで一人暮らしなんて、寂しくないのかな」
「えぇ、目つき怖いー。もっと素朴でウブそうな人、想像してたなー。18歳、私の1個下か」
文音は
「人を見た目で判断するな」
「だって、
「お前の願望を勝手に押し付けるな」長戸は無表情に付け加える。「この社会じゃ、そういうのもレイシズムの一層に当てはめられる」
いつもであればしゅんとなり謝る文音だが、如何せん人種差別を学ぼうと社会学部の大学を目指していた身だ。実現こそしなかったが、自分をレイシズムのレイヤーにカテゴライズされるのは我慢ならなかった。
「長戸さんこそ、さっき『ヒュームらしく』なんて言ってたじゃないですかー。それこそ立派なレイシズムの一層ですよーだ」
この時代、人は大きく3つのレイヤーに分けられた。人類の80%を占める健康にして500年という超長寿命を手にしたナノン、次に人口の15%を占める様々な生物の特性を獲得したリュカオン、残りは自然のままの姿でいることを選んだヒュームだ。レイヤーが存在するということは、そこに隔たりがあるということだ。
レイヤーの創出に一役買ったのは、大疫災という未曾有のウイルス性病原体の流行だった。ウイルスは凶悪な毒性と感染力で世界の人口をかつての半分以下、35億人ほどに減らしながら、変異を繰り返して勝手に消えていった。ウイルスが去ったあとに残されたのは、急激な人口減少とそのあおりで麻痺した経済、混沌とした世俗と荒れた人心だ。二度とウイルスの侵攻を許さないために、各国は手に手を取り合って医療を発展させ、奇跡を生んだ。それがナノンであり、リュカオンなのだ。
しかし、誰しも差別意識を持って生きているというわけでは決してない。文音にとって長戸はできた先輩だし、そもそも文音自身にナノンを嫌うような感情はない。ナノンやリュカオンなんて関係ない、あくまで人対人だ。そんなフラットな彼女は長戸を指摘するにあたり、強く責める言い方にならないよう、少し頬を膨らませて可愛らしさをトッピングしてみた。
「『ヒュームらしく』……俺、言ってたか? いや、言っていたな。すまない」
逆に長戸がしゅんとなり頭を下げた。どうやら「可愛さのトッピング」の効果はなかったらしい。
(んーしまった!)今後は文音が後悔する番だ。(気をつけたのに、ちょっと突っかかりすぎた!)
文音はこの春から
若干気まずくなり、現実逃避にトロメアの画像を気難しい顔をして眺める。今私、気まずくて黙っているんじゃありません、真剣に葉山家について勉強しているだけなんで、という体裁だ。
その苦し紛れの擬態の最中、文音はトロメアに展開される情報に違和感を抱いた。
「あれ? 風太さん、誕生日と年齢、あってなくないですか?」
出生日と年齢に5年の開きがあるのだ。
「多分、行政の手続きで不手際があったんだろう。それ、市民課のデータベースから引っ張ってきてるからな」
「へぇー。……母親のデータも紐づけされてないんですね」
「……複雑な家庭環境なのかもな」
複雑な家庭環境、というパッセージに文音の心はざわつくが、(自分の家のことは自分でどうにかする。大丈夫、そう決めた)、それをおくびにも出さない。
「にしてもこのクリップ、画素荒くないですか? 服以外真っ白ですよ」
「画素のせいじゃない。……どうやら先天的にそうらしい」
「え、そうなんですか? 日本人のヒュームと言えば、黒髪がデフォなのに。てかなにそれずるいー。いいなー白い肌」
それもレイシズムなのでは、という言葉をどうにか長戸は飲み込んだ。
(安易に否定するな。あくまで若い女性として白い肌が羨ましいと言っているだけであって、三虎のこの発言は彼女生来の爛漫さによるもののはずだ。そこに差別意志なんておそらくない。……いやしかし、もしこのノリで初対面の葉山さんになにか失礼があっては……。いや……だが……)
寛容であろうとする自分と社会人としてのモラルの狭間、長戸がむだな葛藤と戦っているそのとき、
「長戸さん! 前!」
文音の悲鳴が車中で爆発する。
車の真正面に赤い鎧姿の侍、らしき者がこちらに右半身を向けて立っている。
「ぬうっ!」
長戸は慌ててブレーキを踏み、ハンドルを鋭く切った。けたたましい音をあげながら車体が90度回転する。文音の体は右から左に振り回され、ドアに肩をぶつけた。
「もう、なんなの一体」
車は助手席側が赤い武士と相対するような格好になって停車している。文音は忌々しげに窓から外を見遣って「げっ」と鳴いた。
生物であれば車に搭載されたインサイトが判別し、自動で減速、停止する。その機能が働かなかったということは。長戸も文音ごしに武士を見て、表情を険しくした。
「去ね」
底冷えする声色とともに、骸骨が首だけをこちらに向けた。漆黒の双眸や口内で、百足やナメクジがぞぞっと蠢いている。
(ダダダダダメ。ににに、苦手なやつだ)
文音は全身の毛を逆立てて目を背けた。彼女はグロテスクな虫を前にすると体が言うことを聞かなくなるのだ。
「早う去ね。再びこの地を汚すつもりか」
侍はゆっくり右手を腰の刀にすえた。
「いさい承知しておる。化け猫よ、貴様があの田舎侍どもに類する者だと」
「ばば、化け猫? もしかして私のこと言ってる?」
なぜか自分に因縁をつけてくる侍の様子に、文音は余計に混乱する。文音は初めて白狩背村に来たのであって、縁もゆかりもない土地だ。
「いさい承知しておるのだ。貴様があの場にいたことも」
しかし文音の動揺などお構いなしに侍は続ける。腰を落とし地に根を張るように踏ん張ると、不穏な圧力が高まっていった。
「我から友を奪うのみならず、風太をも連れ去るつもりか。……許すまじ、許すまじ。今日こそはこの身を賭して滅してくれるわ」
暗い重圧が一気に膨れ上がり、蜃気楼が立ち上がるように侍の周囲が歪んでいく。侍の左手が鯉口を切った。
「三虎っ!」
長戸は慌てて運転手側のドアを開き、三虎の手を引く。三虎は引きずられながら助手席から腰を浮かせた。
「我は転じる者、敗れし定めの疫災。いざ、悪賊からこの地を守らん」
長戸と三虎が転がるように車から出たと同時に、侍は居合斬りを放った。鈍い赤紫色の斬撃が不吉な流星のきらめきを見せ、その刀身から靄のように広がって車を包む。
「三虎、走れ!」
靄は車を通り越し、白波が迫るごとく走る2人を追う。文音はグロテスクな頭蓋骨のせいでまだ体が上手く動かず、足がもつれてしまった。
「あっ」
すっ転ぶ文音。長戸はそのすぐ後ろに這い寄る靄から文音を庇おうと、その間に立ち塞がるが、靄はそんな2人を静かに飲み込んでいった。
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