4. ラブ・フォー・ユー

 日本ではなく、大陸の方のとある場所の工場。そこに様々な作業音が響く。製造もされるし、修理もされる。ここは違う国にありながら、RCCのメカを開発、修理を請け負う工場である。

 ここで作業行う主任技術者はツァイス・レオンパール。青い服に真っ白な白衣を纏った黒髪の男である。かつて統一機構でハカセと呼ばれていた男でもある。

「単刀直入に言うと、修理は完了している」

 経過書類を映し出したタブレットをイクズスに渡しながら言う。

 今日、わざわざRCCベースを離れて工場に直接来たのは修理状況を見るだけではない。

「どうです。手出しできそうですか。」

「誰にモノを言っている」

 ツァイスという男はおおよそ天才である。若くして名声を得た権藤マオとは違う方向の天才だ。彼が統一機構を抜けて、RCCに協力しているのは、統一機構でするべき仕事を全て終えているからだ。

 イクズスからもツァイスは知らぬ相手ではない。どちらかと言えば似た者同士である。

「ライン分けの都合上、納入にもう1ヶ月ほどもらうぞ」

「仕方ありませんね」

 件の納入品とはレイブレイカーのことだ。異星および異世界のマシンであるが、ツァイスは修理してみせた。時間をもらうと言ったのは、更なる改造の為である。

「それにしてもライン分けですか」

「カラミティの建造が始まったからな」

 ツァイスが親指で奥を指し示す。工場の奥の方で黒い30M級人型ロボットの組み立てが行われている。以前のカラミティとはデザインの違う。特に各部に緑色の石のようなものがはめ込まれている。

「マオさんには頭が下がります」

「まったくだ」

 発明品の他に興味をさほど持たないツァイスでも、マオのたゆまぬ努力には感動するところがあるのだろう。

「だが残念な事に、モノがモノだ。あのヒビキとかいう奴は賛成しないだろうよ。」

「仕方ありませんよ。彼だっていつか認めなければならない日が来ます。」

 ツァイスは腕組してため息をついた。イクズスはその言わんとしていることをもう理解している。

 人間ではありえない人生。不老とも言える姿。孤独な永い時間。不死ではないが、人として死なないだけでバケモノと何ら変わらないカタチ。それを人間の姿で居続けることは、気合や根性ではどうにもならない。

 それらはいつ終わりがあるのか。終わることができるのか。

 分からない。

「私たちは何もない荒地に花が咲くことを素晴らしいことだと知っているので」

「フン」

 イクズスの愛想笑いに、ツァイスは鼻を鳴らす。気が置けない間柄でも、すれ違いはあるものだ。

「まぁいい。マオからの言伝の仕様書も渡す。本人に渡せ。」

「丁度いい。そろそろ帰る頃でしょう。」

 タブレットのデータをイクズス自身の端末に移し取り、RCCベースにもメールとして送信する。


                *****


「ぬう」

「どうした?」

 梅雨に入って天気の悪い毎日。ショウがちゃんと起きることに慣れ、遅刻の心配がなくなった頃。学校の制服が夏服となっても、胸元を第三ボタンまで開いてだらしなくしているショウ。ネクタイまでしっかり締めてきっちりしているタケルと対照的である。

 そんな彼が唸っているのは、天気の悪さによるテンションの低さからではない。

「一向に襲撃が来やがらねぇ」

「平和なのはいいことだ」

「学生ゴッコしてる意義がねぇ!」

「楽しくしてるでしょ。この前のコ、どうしたの。」

「放課後キスしようとしたら泣きやがった。ったくとんだ地雷だったぜ。」

「君の思ってるより、普通の女の子は純真ってことだよ。」

 他愛のないショウの女付き合い失敗談を聞くのも慣れっこになった。1ヶ月ほど、異星人の襲来はない。この曇り空で、異星人の宇宙衛星も見えなくなっている。また実際にも見えなくなっているらしい。移動したか、光学迷彩で隠しているか、RCCでも追跡が続けられている。

「女といえばお前はどうなんだ? アテナちゃんとか。」

「どうって言われてもなぁ」

 タケルにとって、気になっているほかはない。物憂げな表情や、艶やかな黒髪、体育で見た意外に大きい胸の膨らみ、穢れの無い太ももなど、一瞬で思い出せる。ただし、気になっているだけで好きというわけではない。

「そんなことよりも今日は早く帰りたい」

「あん?」

「アマテラスのCDアルバムが新発売するんだ」

「今朝ストリーミングダウンロードしてただろうが!」

 自由人のショウでも、タケルに対して恐ろしいことが1つある。

 バーチャルアイドル、アマテラス。タケルはそのアイドルの病的なファンなのである。彼女の番組は全てアーカイブを取っているし、PC画面の前でのオタ活は何度も目にしてきた。曲の音源はラジオだろうが番組上だろうが、販売されるCDやストリーミング全て確保している。

 何より、アマテラスはRCCの広報であるにも関わらず、タケルはそれらの努力を自費でやってのけているということだ。ショウは、タケルに女っ気がないことの原因は全てこれのせいだと思っている。

「3枚ぐらい買わないといけない気がする」

「んなワケねーだろ!!」

 強迫観念にまで陥っている相棒に、全力のツッコミをする。聞いているかどうかはさだかではない。

「タケルちゃーん!!」

「!?」

 唐突に甲高い声がする。ショウはそれが女子の声だとはっきり分かる。だが、タケルを呼ぶこの声は聞き覚えの無い声である。

 声の主は後ろから走ってくる。髪は染めたような金髪、長い手足で遠目からでも長身、そして胸もでかい女。その女が学生バッグを振り乱してランナースタイルの腕の振り方をして、猛然と走ってきている。

「ターケールっ!!」

 ショウの見たことのない女は勢いよくタケルの背中に向かって跳び、抱き着いた。

「タケルちゃん、久しぶりぃ!」

「おーう、帰ってきたのか」

 タケルの知り合いらしいが、かなりグラマラスで美人にも関わらず、タケルのテンションは低いままだ。

「タケル、この女誰よ!?」

「ンだよ、おめーこそ誰だよ!」

 ショウはもっともな質問をするが、でかい女はショウの姿を見るや、口調を荒くしてケンカ腰だ。まるで犬が知らない人間に対して吠えたてるかの如くである。

「この子は、小日向愛音こひなたあいね。1つ下の幼馴染。親父のヒビキおじさんとアメリカに行ってたんだよな。」

「そう! 寂しかったよう!」

 タケルはアイネをおんぶしてるようなものだが、特に気にしてない。

「こっちは東堂タケル。東堂司令の言いつけで、今ウチに住んでる。」

「チッ。よろしくしてやる。」

「何なんだその二重人格は」

 タケルと話している時だけ可愛い声を出し、タケルと話す時は低めのドスのある声で話す。いくらなんでも塩対応すぎる。

「アイちゃん、タケルちゃん!」

 通学路唯一の横断歩道で、もう一人後ろから女の子が追いついてくる。アイネとは対照的にスレンダーな黒髪の美少女だ。アイネほど背は高くないが、小柄でもないボーイッシュかつスポーティーな女の子である。

「マモ、おそーい」

「アイちゃんが全力で走りすぎ!」

小日向守こひなたまもりな。双子みたいな姉妹なんだ。」

「お前、そんな関係性貴族があるのか?」

「貴族って何」

 女っ気がないというのは訂正するべきかもしれない。ショウは今まで知ることのできなかったタケルと女の子の距離の近さに慄く。

「タケルちゃん、今日は一緒に遊ぼーよー」

「ダメだ。用事がある。」

 でかいメス犬にこれでもかと好かれているのにタケルの意志は固い。ショウがウソだろという顔をしている。

「付き合ってくれたら、これあげる」

 遊びたいのはマモリもらしく、彼女はバッグからパッケージングされたCDアルバムを出す。タイトルはLove for you。プレミアムエディションとある。

 まさにタケルが欲しがっているアマテラスのCDアルバム、その限定版である。

 タケルはそれを一瞥してから、真っすぐ前を見た。

「予約したから自分で買う。そうじゃないと意味がない。」

 気持ちの悪いほどの確固たる意志がある。ショウはその場で膝を付けるぐらい崩れ落ちた。

「じゃあ、買ってからー」

「買ったら帰るに決まってるだろ」

「なら、お家デート。タケちゃんの家、久しぶりに行きたい。」

「ミュージックビデオ見ながらでいいなら」

「わーい!」

「行くよぉ」

 どうにも噛み合わないタケルと姉妹の会話に、ショウはちょっと涙した。


                  *****


「ちーっす」

 出勤者まばらなRCC司令室に現れた男は、小日向響。RCCの中ではイレギュラーな隊員である。

「イクズスは寝坊?」

 司令室にいるのはセティとルイセのみ。共にイクズスの伴侶なので、いないということは昨夜女の子と頑張りすぎたのではという下世話な話である。

「ハカセの工場に出張中。東堂司令は防衛軍の定期報告会に向かったわ。」

 基地の責任者が揃って不在。こういう場合、指揮権は先任オペレーターのセティにある。それぐらいの指揮系統は考案済みである。

「エルレーンは最近顔出さねぇしなあ。アテが外れたか。」

 ヒビキは任務しごとで娘たちと魔術を悪用して犯罪を行う小さな組織の壊滅をしていた。

 彼の上役は氷室英治であることに変わりない。RCCには出向している身分なのである。

 さりとて前からイクズスたちには協力しているので、ヒビキ自身はホームがこちらであると思っている。

「そうでもありませんわよ」

 朝のメールチェックをしていたルイセが声を上げる。彼女はプリントアウトしたメールをヒビキに押し付けた。

「んん? 新型カラミティ仕様書?」

「40ページあるのでデータ持ってって下さい。プリントは紙の無駄です。」

「うへぇ」

 押し付けられた紙の文面を読んで怪訝な顔をする。ジ・エンド事変で前のカラミティは解体されることになった。その後、マオはカラミティのことをおくびにも出さずにRCCでヴェーゼ甲型の図面などを引いていた。

 マオの父の設計ではなく、成長した自分のカラミティを再設計したいとは聞いていたが、それが今になったのはどういう感情の変化があったのだろうか。

 自分の端末に件のデータファイルを移し、適当な席に座って仕様書を眺める。

 名前は新型カラミティと仮題しており、正式に決まってはいないようだ。ただどの道、カラミティと呼ぶので何でもいいだろう。前回のカラミティと違い、デザインはほっそりしている。魔光晶まこうしょうなる緑の石で魔力の出力安定化やコクピット確保を行っているらしい。

「この魔光晶って何?」

 魔術的に分からないことはルイセに聞けば良い。

「ジャミラス・シェイク博士が提唱された、魔術的エネルギーを基礎とする動力システムを結晶化したものよ。レオンパール主任が理論は理解してるからモデルは作っておくっていって、機密技術扱いになってるわ。」

「どこも実用化してないシロモノじゃねぇか」

 ジャミラス・シェイクはジ・エンド事変後、世間のエクスドライブへの不信を根本として出てきた新エネルギー論者である。彼はエメラルドエルザールという動力モデルであれば、エクスドライブの代替エネルギーとして理論上可能であることを提唱した。

 ただこれには問題があり、動力炉を実際に建造するまで10年以上試行錯誤しなければならないということになっていた。一般的には未だ研究中のものが、この魔光晶のことである。

 ヒビキはレオンパール主任のことも聞いている。元統一機構の兵器開発担当者である。統一機構での仕事を終えて飽きたから、今度はRCCで兵器開発をしているという変人である。

 イクズスの信任を得ているのだから、疑いようはないのだが、それはそれとして変人だと思う。

「カラミティって、起動キーとしての人型の使い魔なんて必要なんかね」

 ヒビキは図面と仕様を眺めながら呟く。セティは意に介さないが、ルイセは少し考えてから言う。

「セキュリティとしては画期的ね。操縦者が小日向響でなければいけないということと、小日向響を座らせることに意義があると承認してくれるということを要件として同時に満たしてくれるわ。」

「理屈は分かるんだけどな」

 ルイセの言葉に、ヒビキは大人として理解する。ただ、読み込んだ結果、ヒビキ自身は納得できないことがあった。

「あえて聞くが、未来永劫イクズスと生きていく自信があるか?」

「もちろん! 私は大魔女よ?」

「不死はともかく、不老は条件満たせば簡単でしょ。愚問だわ。」

「結構なことだ。そうされる男の負い目を考えたことあるか?」

 ルイセは自称大魔女。ヒビキよりも魔術、魔法の専門家である。今後も不老であることは認める。

 セティは老化しているような気がするが、初めて会った時よりも美しく大人になったという感じだ。この美しさが続くような気がしてならない。

「そんなものは子供ひり出した日になくなったわ」

「そんな感じねぇ」

 セティはあえて下品な言葉選びをして、さらに中指まで立てている。ルイセは笑顔である。

「まあイクズスにはお前らみたいな女傑じゃないとダメか。聞いた俺が悪かったよ。」

 降参の両手上げをして、ヒビキはため息を吐いた。

「フブキもタカネもいつかおばあちゃんになっちまうんでな」

 純然たる事実を再確認する。ヒビキの2人の妻はどちらも普通の人間だ。あと10年ほどで老いが確実に来る。その時にはもしかすると孫が、アイネやマモリから生まれて来ているのだろうか。

「あなたはフブキさんやタカネさんにまた会えたとしても、彼女たちを選びそうにないわね」

「可能性がゼロでない限り、俺はどんな運も引き寄せられるし、死んだ人間とまた会うことなんて造作もないだろうよ。」

 セティは、ヒビキのクールさを何となく分かっていた。彼はもう十分な幸せを手にした。だから、もう一度を願わないと。

 ヒビキは願えば必ず手に入る。だからこれからは運命に抗い、苦しむことを自ら選び続ける。

 しかし、それを哀れむ者がいる。

「ヒビキさんの勝手でしょうけど、それを違うと言えるのはマオちゃんだけでしょうね」

「そうなんだろうな」

 カラミティの仕様書を読むのをやめ、ヒビキは立ち上がる。以前のカラミティには、権藤マオの父、権藤雷生が娘を支えるためという願いの為、護衛として弟として青年男性を起動キーかつメインシステムとした。

 今度建造されるカラミティは、権藤マオが願うものが作られる。それは、マオの記憶や魂を全て移植し、自らがメインシステムとなるものだった。その願いの理由はごく単純なものだ。直筆で書いてあった。

『ヒビキおじさんと共に生き続けるために』

 実質的な愛の告白であるが、ヒビキとしては到底認められなかった。それが彼女にとって正しいと思い、理解してやる事はできても、巻き込みたくないという気持ちが先を行った。


                 *****


 学校の帰りのCDショップでアマテラスのCDアルバムの限定版と保管用と布教用で3枚同じものを買う。

「うっ」

 タケルは涙をこらえきれない。都合上ついて来ているショウと、付き合っているアイネとマモリは茶番を見つめている。

「生きててよかった」

「うん、ヨカッタネ」

 ショウはもはやそう言うしかなかった。呆れるしかない。CDなんてのは今時ショップに来て買わないものだが、タケルにとってはそれほど好きなのだと思うしかなかった。

 店の中にはタケルのようにアマテラスのアルバムを購入しにきた類友が何人かいる。彼らは別に泣いてはいないが、熱意ある仲間であることに変わりないであろう。

 アルバムを宝か何かのように小さい風呂敷で包み上げ、通学バッグに丁寧に入れるのが見える。そんなタケルの横を来店した女の子が通り過ぎる。

 羽盾アテナだ。タケルのことなんか毛ほどにも気にせず、店内に入ると試聴機に進み出て、ヘッドホンを耳に当てている。試聴できる曲は、今日発売のアマテラスのアルバム収録曲である。

 ショウも通りすがりに聞いたが、歌は上手い。曲はキャッチーなものから煩すぎない曲調まで、広い分野で作られている。ただ歌詞は、恋や愛の詩ばかりでかなり甘ったるい。少女かと思えば、妙齢の女性だろうと愛を叫ぶような歌詞がある。

 タケルはどれほどその歌詞を理解しているのだろうか。アマテラスが好きなのだから理解はしているかもしれないが。

 というかそもそも、アマテラスはRCCで製作している広報動画の中で、立花ミサキがMCをしている時に出てくるバーチャルアイドルである。いわゆる中の人などいない的にはしているが、アマテラスは立花ミサキがやっていて、彼女が歌を歌っているのだ。

 タケルが怖いのは、アマテラスとミサキを完全に切り離して考えているということだ。立花ミサキとRCC整備員のミカゲが夫婦関係であることを知っているからこそなのかもしれない。

 ともあれ、アテナが同好の士であることが分かったタケルは、店内に再入場した。そして、まったく物怖じせず話しかけに行っている。店の外で待っているショウらをいくらも気にすることなく、会話を弾ませているのが見える。

「これは長くなるな」

「くっそ、泥棒猫めっ!」

「アイちゃん、落ち着いて~」

 イライラし始めたアイネがいきり立って店内に突撃しようとする。マモリはそれを止める。さながらコントか何かである。

「何をやっとるんだお前らは」

 そこにショウの知らない男が通りがかる。夏も近いのに全身黒づくめの黒髪の男だ。年齢は30代前後頃だろうか。

「あ、パパ!」

「こっちのセリフでしょ」

 ギャルの不純な関係によるパパ呼びではなく、本当に父親としてのパパである。ショウはここで小日向響を初めて知った。

「パパ、聞いてよ! タケルちゃん、ひどいんだよ! 私たちよりもアマテラスだって!」

「お、おおう」

 アイネの勢いに父親は引いている。

「だがなぁ、アイネよ。タケルに対するのはライクかラブなのかどっちなんだ?」

「んー、分かんない!」

「だよなぁ」

 ショウが第三者的に見たのはどう見てもラブだったような気がするが、彼女自身はライクであるかもしれない。ちゃんと恋をしていないのかもしれないが。

「お前らは自由に恋愛しようなぁ」

「パパは自由じゃなかったの?」

「パパがママたちを好いたのは前世で結婚して幸せにする約束だったからだよ」

 恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言っている。本気なのだろう。

「それで、パパはどうしてフラフラしてるの? いつもなら基地で遊んでるじゃない。」

 娘にすら言われる遊び人認識。こうはなりたくないと思う。

「イクズスが出張中で手持ち無沙汰よ」

「パパはイクズスさんしかトモダチいないのー?」

「エルレーンはウザったいし、氷室は東京まで行かないといけないからな」

 マモリの問いに、彼はガハハと笑う。

「じゃあママたちのところ行けばいいじゃん」

「ラブレターを貰った気分で、ちょっと顔を合わせ辛いな」

 アイネの提案にも否定的だ。まさにああ言えばこう言う。

「マオ姉のことなら、認めてあげなよ」

「うん?」

「マオ姉ちゃん、前に家に来て、ママたちに相談してきたよ」

「何、知らないの俺だけだったか」

 図星を突かれて苦笑する。頭を掻いて、ばつが悪そうにしている。

「ママたちは何だって?」

「パパは千年以上我慢するから、よろしくって」

「よく分かってるな」

 ヒビキは俯いて笑っている。恥ずかしがってもいる。

「あれ? ヒビキおじさん?」

 店内で談笑していたタケルがアテナと共に店から出てくる。

「それじゃあ、また今度な」

「ん」

 相当話せたようで、タケルはアテナとかなり距離が近めの別れの挨拶をして、手を振って別れている。

「どうせアイとマモの絡まれてるだろうタケルを揶揄おうと思ってたが、アテが外れたな」

「いや、どういうことなの」

「二人とも。遅くならない内に帰って来な。」

 店の前で屯ってヒビキが今まで何の話をしていたかはタケルの知る由ではない。だがヒビキは父親らしい釘刺しを娘たちにして、その場を去る。

「何なん?」

 いまいち理解が及ばないタケルはショウを見て説明を求めるが、ショウはなんだか微妙な顔をしている。

「タケル、明日休みだし、今日は遊ぼうぜ!」

「いや、帰るだろ」

 アイネはどさまぎに道草を提案するが、今日のタケルは冷静に狂っている。そんな誘いに乗る事はない。

「タケちゃんは、そんなにアマテラスが好きなの!? さっきの子よりも!」

「それはそれ、これはこれだろ」

 タケルの口からずいぶんと聞き分けの良い言葉が出てきている。それはつまり、幼馴染の姉妹よりもアテナのほうが上だということではないだろうか。

「タケルのばか! オタク!」

「タケちゃんのアホ! 地雷マニア!」

 姉妹は罵詈雑言なのかよく分からない悪口を叩いて怒り、その場を走り去る。結果的に、ヒビキの心配は杞憂に終わり、早く帰ったということであれば問題あるまい。

「意味が分からん」

 タケルには何事か理解できないらしい。

「まあ帰って、曲聞こうぜ!」

「そういうところなんだよなぁ」

 とにかくアマテラスの曲を聞きたいタケルは帰宅を促す。ショウは呆れかえるしかなかった。



 丘の上の藤川家の家は子供が複数人住んでも余裕のある家宅をしている。元々は藤川リュウの両親が多趣味だったために様々な部屋があったせいである。現在はそれらが改装され、複数の子供部屋になっている。タケルの部屋は2階にあり、元々リュウが子供時代に使っていた部屋だが、1人用にしては大きいため、ショウと2人で使っている。

 タケルの側にはアマテラスのピンナップやフィギュアが飾られ、今もコードレスイヤホンでハードな楽曲リピートを続けている。それでいて、勉強の予習復習をきっちりしている。たまに歌を口ずさんだりして。

「勘弁してくれ」

 同じ歌を3周も4周も歌うタケルに嫌気が差して、ショウは部屋を出てリビングに下りて来る。そこではミアがノートパソコンを叩いていた。

「ついに下りて来たわね」

 気持ちは分かる、と言いたげに彼女はげんなりしている。

「別に壁は厚くないから、どうしたって聞こえてくるのよね。別にタケルの歌が下手なわけじゃないけど、ああも繰り返し歌われるのは脳に響くわ。」

「オッキーは?」

「疲れてるから、耳栓して寝てるわ。整備部は近く搬入が複数あるからって、整備計画に大忙しよ。」

 ミアはピンクのキャミソールとハーフパンツをルームウェアにしていて、ショウにとっては一時の癒しである。

 最近出撃がなくても、技術者のほうは忙しそうである。

 ショウは冷蔵庫のペットボトルからコップに飲む分だけ移して、飲みながらミアの隣に馴れ馴れしく座った。彼女は嫌がってはいない。

 彼女の操作するノートPCにはドラゴンヴェーゼに大気圏脱出用ブースターを取り付けた際の出力バランス試算がされている。

「異星人のところに直接乗り込んで叩くってところか?」

「緊急を要する場合にね」

 彼女はショウが飲みかけのスポーツドリンクの入ったコップを奪い取り、自分で飲んでしまう。

「ひどくね?」

「また取りに行きなさいよ」

 前から分かっていたことだが、彼女は高飛車だ。母親がそういう感じであることは聞いている。そんな女性を妻の一人に迎えている藤川リュウも相当なことだが、タケルの弁以上の人物像は分からない。会うのが楽しみである。

「返せよ」

 ショウは怒ったような感じで、彼女の両肩に力を入れて引き寄せ、合意を得ずに唇を合わせる。

「やめなさいよ」

 1回、ショウの顔をどかせようと抵抗する彼女だったが、ショウの強い力によって抑えられ、彼に口腔を舌で弄られる。

「んっ」

 抵抗できずに舌と舌が絡み合い、ねっとりしてきたところで、ショウの舌が離れていく。そこに顔を上気させたミアがいた。彼はいやらしく笑っている。

「不満げじゃないか」

「あたしは一番の女よ。愛されて当然の。あなたがあたしに狂うなら仕方ないわね。ちゃんとやりなさいよ。」

 彼女は気丈に、というより自信たっぷりに言ってくる。目の前の男に負けないよりも、自分に自信があるための言葉。痩せ我慢とも言えない。

「一番とは光栄だ。俺は、気持ちよければ二番目だろうが三番手だろうが、構わず楽しんでしまうんだが、一番の女は何が違うか見せてくれるか?」

 彼も負けてはいない、というか彼も彼で自身に満ちた男だ。長い事宇宙を旅して、行きずりの恋もしたことがある。彼の恋愛経験は見た目通りではない。

 自信のある女のプライドを刺激して、さらけ出すよう誘導する。彼も結局は王様気質なのは変わらない。

「こら」

 ショウは胸に手を伸ばし、ミアは彼の首に手を回し始めたところで待ったがかかる。

 藤川リエ。タケルの母親だ。リュウのいない今、この家の支配者の一人である。ただ、そう難しいことではない。10代の少年少女や、子供たちの多い家だからこそ、大人がしっかり統べている。

「乳繰り合うなとは言わない。そういうのは部屋でしなさい。」

「サーセン」

「ごめんなさい」

 トレパンとTシャツ姿の部屋着で現れたリエの短い説教に、ショウはすぐに謝り、ミアもノートPCを閉じて、礼をして謝る。2人は自然に手と手を繋いで、2階の部屋へと早足で戻っていく。

「そういう年頃だし、仕方ないわよね」

 リエは冷蔵庫から冷えた麦茶を出し、昔を思い出す。彼女は、彼らくらいの年頃にリュウと再会した。見知った者でもあまり信用できない時に再会した、昔臆病だった少年との再会は、リエの不安さを一気に払拭してしまった。だから、今から思うと恥ずかしさでいっぱいである。

「まったく」

 出張から帰って来ない旦那を想って、麦茶を一気飲みした。

 2階に上がった2人はといえば、ショウのほうは部屋に戻ろうとしていた。自然に繋いでしまった手が離れようとした時、ミアがむしろ手を引っ張ってきた。

「あんなことして、これで終わらせる気?」

「お前の部屋にはオキヒコがいるだろ」

 ショウがリュウとの共同部屋なら、ミアはオキヒコとの共同部屋だ。ミアとオキヒコは出勤時間が違うし、ミアは気にしないというから同室になっている。

「別に。耳栓とアイマスクしてるし。あんただって、ホントは戻りにくいでしょ。」

 ミアの言うことは図星だ。実のところあんまり戻りたくない。今のところは廊下にまで歌声は響いていないが、戻った瞬間、タケルから布教されるのは怖いまである。

「来なさいよ。あたしももう、仕事する気なんて起きないし。」

 彼女はショウの手を強く引っ張る。彼女の顔は上気している。そして、ショウをまっすぐ見ないで言っている。先ほどまでの強気さはどこへやら、顔を背けて、ショウを引き込もうとしている。

「分かった」

 彼女に恥をかかせたくないと思ったわけではないし、意地の悪さが沸き上がったわけではない。ただ、その表情が心底可愛かっただけだ。

「ん」

 彼女の言う通りにして、彼女が手を引くまま、ミアとオキヒコの部屋に入る。電気が落とされた真っ暗な部屋だが、リュウとショウの部屋と同様の間取りだ。半分割って一方がオキヒコ、もう一方がミアの領分である。

 オキヒコは彼女が言っていた通り、アイマスクをして寝息を立てている。

 ミアは小脇に抱えていたノートPCを勉強机に置く。それを合図に、ショウは彼女に抱き着く。

「んっ」

 抱き着かれた勢いで、そのままベッドに押し倒された。彼女は呻くが、彼には関係ない。もはや止められない。彼は彼女の服の肩紐に手を掛け、一気にずり下ろした。



 明くる朝。オキヒコは寝苦しさで目が覚める。カーテンからは強い日差しが差し込んでおり、これがかなり暑い。雨が降ったところで暑さは変わらないし、朝だから涼しいわけでもない。そういういつもの初夏を感じ、欠伸を噛み殺しながら起き上がる。

 いつもならば同じようにアイマスクをして隣に眠るミアの姿が見えるのだが、今日は珍しくアイマスクをしていなかった。それどころか無防備に柔肌が所々見えている。

「ミアも暑いのか」

 呟きながら、血のつながった兄妹とはいえ、乙女の柔肌に目を伏せる。

「はあ」

 二度寝するには暑すぎる気温に、ため息を吐きながら、顔を洗うべくベッドから降りて立ち上がる。それで否応なくミアのベッドの全貌が見える。

 タオルケット一枚の中で向き合って寝ている2人の男女。ベッドの周りには2人の服が乱雑に脱ぎ捨てられている。寝ているミアとショウという組み合わせを見ただけで、オキヒコは察してしまう。

 まずいものを見てしまった。そういう気がして、オキヒコは早足で部屋を出て、1階に下りる。誰もいないリビングを過ぎて、洗面所へと向かうと、すでにタケルが顔洗いを済ませていた。

「おはよう、オッキー。早いな? ショウ知らん?」

 タケルは何も知らなかった。

「ミアとショウが一緒に寝てた」

 オキヒコは事実を言うのを止められなかった。驚愕の事実を共有して欲しかった。

「この暑さで? 尋常じゃねぇな。」

 しかし、タケルは何も分かっていなかった。

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