第三章2 『鬼ごっこ』
「そいつを見つけて、置き去りに、生贄にするってことっすか」了が西村に訊く。
「そういうことだ。それで誰も巻き添えを食わなくてすむ。俺らは無意味な追っかけ合いをしていた。痣を確認するだけで済むことだった」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。それに、その理論が正しかったとしてもだ。どうやって調べるつもりだよ。この場で全員ストリップでもしろっていうのか。そんな時間があったら一刻も早く車に向かうべきだ!」と大が声を荒げた。
「そんな必要はない」
「じゃあ、どうやって」早希が困惑気味に訊くと、西村は銃を取り出す。
「何よ、やっぱり、あたしたちを殺そうっていうの?」
「痣はどんな形をしていた?」西村は早希の質問に、質問で返した。
「え、痣の形?」
「痣はいずれも手の形をしていたな。なんでだ」
「なんでって……。それは、きっと手で触られたんだから当たり前じゃ」と言いかけた早希は、口を押さえる。
「そうだ。手で触られたから、手の形の痣がついたんだ」
「手で触ると、相手に痣がつく。呪われた痣を持つ人に殺人鬼が襲ってくる……」
「ああ。限りなく確証に近い。それでだ。おまえらの仲間が暴れたときのこと、思い出してみろ。触られた人間。おそらく、一人は」
了は腕を組んで唸り、「揉めてたのは、多分、佐々木の野郎っすね」と西村を見る。
「そうだ。そして、もう一人は」西村はそう言うと、銃口を共子に向けた。
「私じゃない!」顔面蒼白になった共子が強く否定する。
「そうだよ。共子、晴斗のこと助けに行ったよな。触られなかったなんて言いきれるのか? 縛られたロープを外したんだよな。きっと、そのときに触られたんだろ?」大は間断なく共子を責めたてた。
「それは……」共子は自分の記憶に自信が持てずに、か弱い声を出した。
「違うって言ってるじゃない。なんで大までそんなこと言うの?」早希が共子を擁護する。
「いや、俺は事実を言ってるだけだ。共子には悪いが、ここに残って貰うだけで、俺たちは助かるんだ」
「何を言ってるのよ! それに、今は疑うことよりも、早く車に辿り着くことが大事だって、大も言ったばかりじゃない。そうでしょ?」と早希が西村に視線を送る。
「車に辿り着けたところで、奴が追ってきたら結果は変わらんだろう。それよりもだ。俺は銃を向けただけで、こいつを疑っているなんて、一言も言ってはいない」
「え、どういうこと?」
西村は共子に向けていた銃を動かし、大に突きつけた。
「やけに饒舌だな。どうした、何か疚しいことでもあるのか」
「は? なんで、銃を俺に向けるんですか。意味分かんないですよ。俺を疑ってる? 俺は触られてなんか」
「ないって言い切れるのか。じゃあ、証明してみろ」
「証明も何も。俺は触られてなんかいない」
「小屋で暴れたあいつは、少なからず自分でそのことに気付いていたはずだ。おまえにも何か兆候がでてきているんじゃないのか。その腕の布はなんだ。何を隠している?」
大は指摘された腕を隠すように、さっと背に回した。
「これはさっき枝に引っかかって、切っただけですよ。下らない。こんな茶番に付き合ってなんかいられない。早希、こいつらとはここまでだ。俺らだけで行くぞ」
早希の手を自然に掴もうとする大に、「待て」と西村は撃鉄を引き、抑制する。
「そいつも道連れにする気か。分かれ道もわざと間違えたな? 大方、回り道をしている間に誰かを触ろうとしたってところか」
「大、本当のこと言って。もしかして、痣があるの?」と早希が不安そうに見つめる。
大は早希に一瞥をくべると、皆を見つめた後、俯いた。
「あったらどうだっていうんだ……」と大は吐息のような声で言う。
「大、どうしたの」
「……あったらどうだっていうんだよ。こいつらと一緒で、俺のことを置き去りにする気なんだろ」
「違う、何言ってるの。もし、あったとしてもだよ、一緒に逃げよ。なんとかなるよ」
「そんなの信用できるかよ。大体、おまえがいけないんだ」
「え」
「おまえがこいつらと一緒に逃げようってなんて言わなけりゃ、ばれずに済んだんだ」
「そんな」
「いや、それだけじゃない。そもそも、おまえが俺と付き合ってさえいれば、こんな山に来る必要もなかったし、巻き込まれもしなかった。先輩の付き合いで何度か来たけどな、俺はそもそも山なんか大嫌いなんだよ。本来は今頃、ビーチでのんびり過ごしているはずだったんだ! 早希。おまえのせいなんだよ、何もかも!」
大の爽やかな印象は消え、目は見開き、息は荒く、恐ろしい顔つきになっていた。じわりじわり、と早希に近づいていく。
「一緒に逃げようって言ったよな。だったら、早希、おまえも一緒に追われてくれるんだろ、なぁ!」
早希を触ろうとする大に、西村は容赦なく引き金を引こうとした。それを見た早希が、「やめて!」と西村の腕を強く掴む。銃弾は空に向かい放たれた。
大はその隙を見逃さず、激しく西村を蹴る。がたいがいい大から繰り出された蹴りには、威力があった。西村は大きく吹き飛ばされると、了も巻き添えをくらい、二人は地面に倒れた。
大は狂気じみた目つきで、早希を舐るように眺めていく。
「俺一人だけ殺されるなんて、フェアじゃないよな。早希なら分かってくれるよな」
尋常ではない様子の大に言葉が出ない早希が共子を見ると、同じように怯えていた。早希はさっと腰を落として、地面の土を掴み、大に投げつけた。目くらましにもならなかったが、その間に共子の手を取ると走り出し、大から離れていく。
大は西村の手から落ちた懐中電灯を、慌てた様子もなく拾い上げ、これから始まる鬼ごっこを楽しむように、ニヤリとし、二人の後を追っていった。
思わぬ展開。大学生たちの追いかけ合いが始まる傍らで、ヤクザ二人は取り残されてしまった。
「大丈夫っすか、西村さん」了が身を起こしながら、声をかける。西村は何も言わず立ち上がると、サングラスを掛け直した。
大にされたことは屈辱ではあった。しかし、今は街で喧嘩をしている場面とは違う。見てはいないが、厄介な殺人鬼とやらがいるのは確実だ。自分だけが助かる分にはなんとでもなるとはいえ、了を見殺しにはできない。幸い、二人とも痣はない。女たちを助けられないのは心苦しい部分もあるものの、今日知り合った奴を助ける義理もない。
込み上げてくる怒りや葛藤の感情を押し殺し、危険な状況は避けるべきだという己の勘に従い、西村は早希たちを追わずに、別の方向へ行くと決めた。
「結局、呪いを持った疫病神が勝手にどっかにいってくれたから、こっちはもう安心すね。車だって、ここまで来れば俺らだけでも見つかりますよ」了がやけに大きな声で西村に言った。
それを聞くや否や、西村は了の胸座を鷲掴みにすると、顔を引き寄せる。
「理屈じゃねぇんだよ、了! ヤクザは舐められたら終いだって、何度言ったら分かんだ!」とサングラス越しにも、こめかみに血管が浮き立っているのが分かる形相で了を叱咤した。
「すいません、そうっした。落とし前つけさせましょう。あの野郎、懐中電灯も持って行きましたからね」了が笑顔で答える。
普段なら怒られた後などは、決まってしょげて、ぼそぼそと話す了が、真逆の態度を取ったことを見て、西村は了の思惑に気付いた。了はヤクザの面子を大事にする西村の性格を承知した上で、あえて西村を焚きつけるような言い方をしたのだと。加えて、了自身が思う弱い立場の早希たちを助けてやりたい、という気持ちをも満たす流れを了に謀られた、と分かった。了を舎弟にして以来、初めてしてやられたと感じ、西村は片目を瞑った。分かったとはいえ、一度口にした言葉を覆すわけにもいかない。
「追いかけるぞ」そう告げた西村の口元は、どこかほくそ笑んでいた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
足場が悪い山道を早希と共子は駆けていく。暗闇ではいつ、草や木の根に足を取られ、転ぶかわからない状況でも、足元を気にして走る余裕は二人にはなかった。後方では大の持つ懐中電灯の光がちかちかしていたからだ。少しでも躓けば、大に追いつかれて、触られ、ゲームオーバー。子供のころ遊んだ、鬼ごっこのルールそのものだ。違いはただ一つ。触られたら、実際に殺されてしまう可能性があるということ。
「早希、共子、待てよ!」草木が顔や体にひっかかろうが、構うことなく大は進み、二人に迫ってくる。
背の声を気にしながら、「ごめん、早希。私のせいだ」と共子が言った。
「共子の?」
「私が飛び出したから」
「違うよ、共子のせいじゃない。こんなこと誰にも予想できないもん。それに大には、前から嫌な予感はしていた部分もあった。とにかく、今は逃げることだけ考えよ」
共子は早希が握る手を見つめる。
「でも、私にだって、痣があるかもしれない」
早希は共子を見つめると首を振った。
「知り合ってから、もう五年の付き合いだよ。嘘をついてるかどうかなんて、分かるって。共子は触られてないって、言った。だから大丈夫。でしょ?」
「うん。触られてない。ありがと。早希」
早希は前方に二手に分れた道を見つけると、その左側にある岩場を指差した。
「見て、岩場。あそこに隠れて、大が通り過ぎるのを待ってみよ」
共子がうなずくと、二人は岩場へと駆け込んだ。崩れた岩が重なり合い、大人二人がぎりぎり入れそうな隙間がある。日中の明るさであれば、ばれそうな場所も夜の闇に紛れてしまえば、隠れるには適している。荒れた呼吸を整える間もなく、早希は共子を押し込むと、続いて中へと入っていった。岩場の中は想像以上に狭かった。それでも、この場所に賭けるしかない。粗削りの岩で肌が傷つくも、痛みを堪え、できるだけ奥へと入っていき、声を潜めた。
ふざけやがって。こんなはずじゃなかった。今まで俺の誘いを断るやつなんて、いなかった。あいつが断ったから、呪いが感染されて、挙句の果てに殺される……。こんなことあってたまるか、有名企業に就職して、いい暮らしをする。俺の人生設計がたった触られたことで終わるなんて、ありえないんだ……、くそっ!
「早希! おまえのせいだ。おまえも呪われるんだよ!」大の叫ぶ声が近づいてくる。
「……予感は少しあった。けど、大があんな風になるなんて思ってもみなかった。こんな状況だから、仕方ない、かもしれないけど。人ってほんと分かんない」身を細めた早希が小声で言う。
「そう、だね」と共子は歯切れの悪い言い方をした。
声を出すのに疲れたのか、早希と共子の隠れた場所の確信を得たのか、大の声は聞こえなくなった。周りはひっそりと静まり返ったが、早希と共子の心臓の音は破裂してしまうかのではないかというぐらい高鳴っていった。
枯れ葉を踏む足音が聞こえ、岩場の入り口が懐中電灯の光で照らされる。見つかってしまったのか……。足音と光は確実に近づいてきている。岩場を探るも、武器になるようなものはない。例え、あったとしても、大に触られるだけで、全てが終わってしまう。二人は覚悟を決め、お互いの手を握りしめると、目を瞑った。
緊張感が高まっていく。二人はひたすら大が通り過ぎるのを願った。それしかできなかった。儚くも願いは叶わず、足音は岩場の近くまでくると、止まった。もうだめだ、と二人は互いが潰れてしまいそうなほど、抱きしめ合う。時間が経過していった。しかし、隠れているとは思わなかったのか、大が岩場の隙間に気付くことも、中を覗き込むこともなかった。
暫くすると、探すのを諦めたように大は動きだし、遠ざかっていく足音が聞こえてくる。早希と共子は涙で貼りついた瞼を開けていく。岩場の入り口から見えるぼやけた視界には、薄っすらと月に照らされた木々だけが映り、人工的な光は見えなかった。
「……行った、みたい」早希が吐息を洩らした時だった。突如、懐中電灯で照らされた逆さまの大の顔が暗闇に現れ、微笑みを浮かべる。
「典型的過ぎるだろ、こんなところに隠れてさぁ」大が岩場の上から、二人を覗き込んでいた。
叫び声を上げた早希と共子は、顔を引きつらせながら、岩場の奥へと後ずさっていく。岩が二人のむき出しの腕や足の肌を切り、血が出るも、構ってはいられない。入り口の狭さから、大の体の大きさでは腕までしか入らない。大は岩場に肩を食い込ませながら左手を早希へと伸ばしていき、触れようと藻掻いた。
「こんなところに隠れたって、むだだ。触らせろよ。おまえらも呪いに感染すればいいんだ!」
「やめて、大! こんなことしたって、意味ない。一緒に逃げよ!」
「ふざけんな! 今になって都合のいいこと言ってんじゃねぇよ! 先に逃げたのはおまえらだろ! 俺だけが死ねばいいってのかよ!」
優しかったころの大は見る影もなく、悪魔のような顔つきで早希を掴もうとする。大の指が早希の鼻の先に触れそうなぐらいに伸びてくる。岩場の奥へは、これ以上下がることはできず、奥にいる共子も早希に押され、顔を歪ませた。早希は目を瞑り、触られまいと、できるだけ顔を背けた。大の指先は早希の頬に触れようとしている。もう指の関節分も距離はない。
「だから、最初から素直に――」と大が言いかけると、ズドンという重い発砲音とともに、大が早希の目の前から卒然と消えた。
いったい、何が……。
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