第三章 『呪いの鬼ごっこ』
第三章1 『違和感』
静かな夜の森で聞こえてくる騒がしい音に目を覚ます鳥たち。早希と共子の言い争いは続いていた。共子はもういいって言ってるじゃないか、無理に引き留めていたら、こっちの命が危ない、二人だけでログハウスへ戻ろう、という本心も言えずに、大は何とか宥めようと、二人の間を右往左往している。
「おい!」突然の声に大は懐中電灯を落としそうになるのを堪え、素早く振り返り、声がした方向を照らした。
「誰だ!」
西村と了が手を顔に翳して、眩しそうに目を眇めている。大は恐ろしいはずのヤクザたちの姿を見て安心した自分を可笑しくすら感じ、表情が緩んだ。
「よかった、あんたらか。俺たちのこと、連れ戻しに来たんだな。だったら、ちょうどいい。共子が言うことを聞かないんだ。手伝ってくれないか」
「あんたら、だ? ちょっと見ない間に、いい口の利き方するようになりやがったな」
了の言葉に引っかかりを覚えた早希は、共子との言い争いを中断して、「こんな状況で、口の利き方も、何も、ないでしょ」と了につっかかる。
ヤクザ相手に、なんなんだ、こいつは? ちょっと可愛いからって調子に乗ってやがんな。こういう奴にはきっちり落とし前つけさせとかねえとな。両手をズボンに突っ込み、肩で風を切りながら、了は早希に顔を近づけ、ガンを飛ばした。
「ああ? てめえらが逃げるから、追いかけて来てやったんだろうがよ」
「追いかけてくれなんて、こっちは頼んでないでしょ」と早希も負けじと顔を近づけ、応戦した。
西村が早希と了に歩み寄ってくる。ログハウスでのように、この場を仕切るのかと思いきや、二人を無視して先へと進んで行ってしまう。早希は西村の行動に首を傾げた。
早希と同じく拍子抜けしたのは了も同じだった。了は早希と西村を交互に見ながら、「あの、西村さん。こいつら、放っといていいんすか?」と確認を取る。
西村は足を止めずに了を向き、「今更、捕まえて戻っても、意味はない。きっと、あそこはもうだめだ。行くぞ」と伝える。
言っている意味は理解できずとも、西村の言う事に間違いはない。「あ、はい」了は軽くうなずくと、西村の後をついていく。去って行こうとする二人を、納得のいかない様子で、早希が追いかけた。
「追い掛けてきて、何なの。戻らずに一体どこに行くっていうのよ。ログハウスがだめって、どういうこと。あの佐々木って人はどうなったの」
西村は、早希が重ねる矢継ぎ早の質問に、うんざりした様子で立ち止まった。
「いいか。直接見てはいないが、おまえらのいう殺人鬼って奴が、あの場所にいるってことだ。関わらないほうがいい。あくまでも俺の勘、だがな」と振り返らずに答えると、再び歩き始める。
西村の話を裏づけるかのように、遠くから銃声のような音が数発聞こえてきた。
「まさか、この音って……」大がログハウスのほうを不安げな顔で見つめる。
早希はヤクザたちを、そして仲間をじっと見つめた。刑事だった父親の血だろうか、早希は生死に関する場面での勘が冴えていた。過去には、勘を信じて行動したことで、大きな事故を回避したこともある。西村の言うことを信じずに、ログハウスに戻るべきか。もし戻って、殺人鬼がいたら殺されるかもしれない。生き残るための決断を、今、迫られているのだと感じ、思いを巡らせる。
「待って」早希が勘から導き出した答えだった。
西村は予期せぬ早希の言葉に足を止め、早希を見やる。
「何だ」
「あたしたちも連れていって」
「何寝ぼけたこと言ってんだ。おまえらなんか足手まといになるだけだ。勝手にどこにでも行けよ。ねえ、西村さん」了は西村が喋る前に勝手に代弁した。
西村は了の問いには答えず、「理由は?」と早希に訊ねる。
「あたしは確かに足手まといになるかもしれない。だけど、大は山には何度も来ているし、共子はこの辺りの出身。二人とも地形には詳しいわ。ただ闇雲に逃げるよりはいいと思う。それに、あたしたちには懐中電灯がある。暗い山道には不可欠でしょ。どう?」
西村はしばらく沈黙した後、懐から銃を取り出し、早希の額に銃口をあてた。冷たい鉄の感触が、こめかみから伝わってくる。
「奪われるってことは、考えなかったのか」西村は冷酷に言う。西村の対応に了も驚きを隠せなかった。女、子供には暴力を振るわない西村が、なぜ……。
「ちょ、ちょっと、待って下さいよ。僕ら単なる学生で――」
「黙って」しどろもどろになった大を早希が遮った。
「大丈夫。この人は、そんなに悪い人じゃない」
「ねえちゃん、ヤクザ舐めてんのか」西村は撃鉄を引いた。後は引き金に軽く触るだけで、早希の脳は微塵に吹き飛んでしまう。緊迫する空気。早希は視線を逸らさない。ただ真っ直ぐに西村を見つめた。
早希の覚悟を決めた者の眼差しは、今年十六歳になるであろう自身の娘を嫌でも思い起こさせた。十年前に妻とともに出ていって以来、会えてはいないので、六歳までの記憶しかない。小さいながらも父親譲りのしっかりした目をしていた。町のチンピラに絡まれていた見知らぬ老婆を助けるために、両手を目いっぱい広げ、立ち向かった勇敢な容姿と、きりっとした顔つきは、今でも目に焼きついている。早希は正に娘と同じ目をしていた。
西村は苦笑し、軽く息を吐くと、銃を下ろした。
「いいだろう。だが足手まといになるって分かったら、その時点で」
「置いてってかまわないわ。こっちもいいよね」早希は食い気味に答えると、二人に同意を求めた。
「ああ」
「私は――」
「じゃあ、行きましょう」早希は、ここに残ると言いかねない共子の返事をうやむやにし、二人の背を押して、西村たちの後を追わせた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
木々の隙間から、ゆらゆらと動く光が見える。懐中電灯を持った西村を先頭に、了、早希、共子、大が息を切らしながら走っている。西村は分かれ道に差し掛かると、立ち止まった。
「俺たちを見たのはどの辺りだ」と早希に顔を向けた。
「どうして」
「あの辺りには俺たちが乗ってきた車がある。車にさえ辿り着ければ、なんとかなる」
「……確か、あっちだったよね」早希は右を指差しながら、後ろを向き、大に意見を求めた。大は早希の呼び掛けにも気付かず、手首にハンカチを巻いていた。
「どうしたの、大丈夫?」
「ああ、さっき小枝にひっかけたみたいだ。大した傷じゃないさ」大は笑顔で答えた。
西村が大を怪訝そうに見つめ、「なんだ?」と訊く。
「いや、何でもないです。僕らが見たところですよね」
「どっちだ」西村は語気を強めた。
「確か、左です」
西村はうなずき、皆は大が示した分かれ道の左へと進んでいく。
都会のむせ返るような夜に比べ、夏の山は想像以上に冷える。走り続ける彼らには関係がなかった。汗を垂らし、息を切らし、背後に迫ってくるであろう何かを恐れながら、車を目指す。ところが、進めど進めど、車が見つかる気配が一行に見えてこない。
西村は車へ辿り着けない不自然さに加え、ログハウスを出て以来、抱えた違和感が、どうしても拭えなかった。
獣道から草木が開けた場所に出ると、西村は突然立ち止まる。西村につられるように、皆も走るのを止めた。
「どうしたの」疲れによって顔を歪めた早希が訊ねるも、西村は何も言わない。
「西村さん?」早希に続き、了が声をかけると、西村は皆を見た。
「早く進まないと追いつかれる。何かあるの?」早希がもう一度訊いた。西村は、待て、と言う代わりに人差し指を掲げた。
「何かがおかしい」
「何かって?」
「流石に車がある場所まで、こんなに距離はなかったはずだ」
「確かにそうっすね。道が違うんじゃ」了は顎を触り、大に怪しむ顔を向けた。
「俺が間違ってるって言いたいのか」大が了に食って掛かる。
「そうじゃなきゃ、説明つかねぇだろ。てめぇが言った方向に進んでんのに、さっきから着く気配がまるでねえ。追いつかれたらどうすんだ」
「追いつかれたくないのはこっちも一緒だ。あのときは気が動転してはいたかもしれないが、記憶力は確かだ。道はあってはいるはずさ」と大は言うと、西村に視線を向ける。
「あんたも、つべこべ言わずに、先へ進むべきだ。とにかく早く車に辿り着かないと、殺されるかもしれないんだぞ!」大は敬語で話すのも忘れ、西村を批判した。
「おめぇ、ふざけんなよ。西村さんに対して、なんだ、その言い方はよ!」と了は大に言い寄るが、大も下がらない。
「ふざけてなんかない! おまえでも分かるだろ。今は立ち止まってるときじゃないことぐらい」
西村は周りの雑音を断つように、掲げた人差し指をこめかみに当てると、目を瞑り、一心不乱に思考を始めた。痣、死体、殺人鬼……、頭の中でパズルのピースを組み立てていく。
「だからと言って、言い争ってる場合じゃないでしょ。でも、大の言っていることは正しいわ。迷ったかもしれないけど、早く車には向かわないと、殺人鬼に追いつかれる」早希が言った。
黙っていた西村は手を降ろし、目を開けると、皆を見つめる。
「引っかかっていた部分が何か、漸く分かった」
「引っかかっていた?」早希は首を傾ける。
「このままむやみに進んでも、この暗さだ。車に辿り着ける補償もない。おまえらの仲間を殺した犯人は得体が知れん。だが、逃げ回る必要があるのか?」
「逃げないで戦うってことっすか」了が訊ねた。
「銃もある、無論、それも手だが。考えれば、簡単なことだった。それさえ確認すれば、こんなに焦ることもない。時間をかけて車を探せばいい」と西村は言うと、共子に顔を向ける。
「おまえの話じゃ、奴は痣を持った人間を襲い、殺す。そうだな?」
「絶対とは言い切れないけど。おじいちゃんは気をつけろと言ってた。殺された皆にもあった。状況を整理すると、そうだと思う」
「となると、やることは逃げる前にあった」
それを聞いた早希はすぐに同じ結論に至り、口を開く。
「この中に、痣を持った人がいる」
「そうだ、それを確認する」
早希と西村の言葉を聞き、水を打ったように森閑となる。各々は誰に言われるでもなく、自然と距離を取り始めた。
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