56:契約の魔法



「ベネクスって……、あの不死鳥ベネクス様の事を言っているのですか!?」


 揺らめく火球の名を聞いて、真っ先に反応を示したのはリズだ。


 聖騎士である彼女が身を置くアラト聖教会、その礼拝堂に飾られた絵画には女神アラトと共に、不死鳥ベネクスと呼ばれる神鳥の姿も描かれている。


 理由は一つ、ベネクスはアラトの手によって召喚された使役獣だったからだ。


 女神に仕える騎士であるリズは、ベネクスを名乗る者が姿を現わした事に驚くばかりだった。


「ああ、そうだぜ。俺様がベネクスだ」

「そんな、まさか……」


 信じられない、と口元を手で押さえて驚愕を露わにするリズに、火球はおどける様にその炎を瞬かせる。


「信じられねぇか? まあそうだろうな。だが、お前が信じようが信じまいが、今この場においては関係ねぇさな。だがその剣は鞘に納めてくれよ? いくら俺が不死鳥でも斬られれば痛てぇんだからよ」


「は、はぁ、分かりました」


 リズの剣が鞘へと納められれば火球はマオステラの前へと突っ立つ。


 火球に表情は無く何を考えているのかは全く読み取れないが、反対にマオステラの表情には立腹と嫌悪が入り乱れていた。


「ルーゴ……、いやルークと言った方が良いか? この男は少なくとも国に牙を向ける様な男じゃあないぜ。俺が保障する。間違ってもお前に教わった魔法を、悪用するなんて真似はしねぇ」


「どうしてお前はそこまでルークに肩入れするんじゃ。それが分からぬな。信徒だからか? それともこの男を使って何か企んでいるんじゃなかろうな」


 ルークの力を利用したいと考える者は多いだろう。


 マオステラは森での衝突によって、元Sランク冒険者ルークの実力の一端に触れている。その身を吹き飛ばされ、魔法で焼かれ、斬撃によって斬り裂かれた。


 そして、その時点でのルークは分身魔法によって魔力が半減している状態だったと後で分かったのだ。


 だとすればその力はまさしく、


「ルークの力は神々ワシらに迫っている。賛同は出来ぬが、討伐命令を下した王国の判断は理解出来るな。ベネクス、お前が味方するこの男は、気まぐれ一つで国が滅ぼせる力を持っているやも知れぬのだぞ」


「っは。気まぐれねぇ?」


「何が可笑しい」


 火球に表情はない。


 だが、嘲弄混じりの声色から何を言わんとしている事は理解出来た。まるで無知な愚者を蔑むような物言いにマオステラは目を細める。


「だったらどうして今、王国は滅んでいねぇんだ? 俺は言ったよな、ルークは仲間や国に殺されかけたと。この時点でルークは国に牙を向けてもおかしくはねぇんだよ」


「何が言いたい?」


「ルークはそんな事しねぇって言いたいだけだよ」


 火球に表情はない。

 だが、言いたい事は伝わって来た。


「そうだよマオステラさん、ルークは国を滅ぼすなんて真似はしないよ。それは冒険者ギルドのマスターである俺も保障する」


 ベネクスの言葉にラァラが賛同する。

 そして、ティーミアもまた同様にルークを庇った。


「私もルークの味方に付くわ」


「ティーミア、お前もか」


「だってルークは魔物に困っていた私達シルフに手を差し伸べてくれたんだもの。守ってやるって。人間の癖して魔物にそんな事言うお人好しはルークくらいなものよ?」


「なるほどの。人里で魔物とシルフが共生しとるのはそういう事か」


 それにアーゼマ村の村長が頷く。


「そうじゃ。ルークさんがシルフをアーゼマ村に連れて来たのです。その時は流石に驚いたが、今はこれで良かったと思っとります」


「シルフと言えども魔物じゃ。人間達に何か迷惑は掛けておらんかったのか」


「迷惑とはどんでもない。シルフ達は村の仕事を手伝ってくれとりますから。そしてルークさんは、そんなシルフが住むこの村に近付く魔物を追い払ってくれておる用心棒です」

 

 村長の言う通り、アーゼマ村にシルフという魔物を連れて来たのはルーク本人である。


 最初こそアーゼマ村の住民は、村の物資を盗んだシルフと生活を共にする事に困惑していたが、すぐにシルフ達は住民達に溶け込んでしまったのだ。


 よく働いてくれるシルフ達に、高齢者の多いアーゼマ村は大変大助かりである。畑仕事は草々に聡いシルフにとってお手の物、荷物の運搬は自在に空を飛べるシルフにもってこいだ。


 もはや今のアーゼマ村にシルフの存在は必要不可欠。それにロポスが村を襲撃した際にも、ティーミア達シルフは村の住民を守る為に動いてくれたのだ。


 今のアーゼマ村にシルフの存在は必要不可欠だろう。


 そんな人間と魔物が共生するこのアーゼマ村を守ってくれているのが用心棒ルーゴである。


 そして村長は王都でのルークの活躍を知っている。国唯一のSランク冒険者の称号を得た彼の奔走により、魔物の人畜被害は著しく減少していた事を。


 だからこそ、力強く言えるのだ。


「ルーク様は無暗やたらに力を振り回したりはしないですぞ」


「……そうか」


 と、村長の後押しを受けて、マオステラはしばし思案する様にして顎に手を当てた。それ程までの信頼をルークは受けているのかと。

 

 続いて考え込むのはティーミアの発言に感じた違和感だ。


 彼女と同じシルフであるマオステラは不可解に感じてしまったのだ。シルフはそこいらの魔物よりも強いという自負がある。しかし、ティーミアは『魔物に困っていた』と言っている。


「少しだけ話しを逸らしても良いかの。ティーミア、お前は魔物に困っていたと言っていたがそれはどういう事じゃ」 

 

「どういう事も何も、私達の生活が魔物に脅かされたって意味ですよ。でもルークが守ってくれるから問題ないわ!」


「問題ない訳あるか、大ありじゃ。どうしてシルフがそこらの魔物に脅かされておるんじゃ」


「おっと、そこに関しては俺から話をさせて貰っても良いかな?」


 そう言って話割り込んだのはラァラだ。

 怪訝な表情をして視線を向けて来たマオステラに、ラァラはルークに手を向けて説明する。


「先程、ベネクス様がルークは国に裏切られたと言っていたね。それこそが、シルフ達が魔物に生活を脅かされた原因だよ」


「む、どういう事じゃ」


「Sランク冒険者だったルークの存在が、魔物に対する強い抑止力となっていたんだ。彼は日々、王国の民を守る為に魔物を狩っていたからね。そんなルークを失えばどうなってしまうだろうか、マオステラさんはどう思う?」


「ルークが立場を失った結果、魔物が好き勝手暴れ始めて活性化したと?」


 ラァラはマオステラに『その通りだ』と指を差す。


「魔物の活性化による影響は当然シルフにも及ぶだろうね。今まで均衡を保っていた力関係は崩れ、ティーミア君達シルフは魔物に生活を脅かされる様になってしまったんじゃないかな?」


 その推察にティーミアはこくりとマオステラに頷いて見せた。


 つまり、国が誤った判断を決行した所為で、被害がシルフにまで及んでしまったと。


 しかしながら当然、人間側はシルフがどうなろうと知った事ではないが、ラァラの話し様は人間側にまで被害が及んでいるといった口ぶりだった。


 王国を守る為に戦っていたルーク。

 それを国は裏切ったと。


 何故?


 マオステラがそこまで思考を巡らせれば、ラァラがまるで見透かす様に言う。


「どうして国はルークを裏切ったんだろうね?」


 と。


 話しを聞けば聞くほど、マオステラが自身で言った『信用ならないから討伐命令を下した』という見解が崩れて行く。


「マオステラさん、あなたは以前にエル君から『国への悪意の匂い』を感じたと言っていたね」


「そうじゃ。だから王国の守護神であるワシが顕現条件を満たした」


「匂いを感じたと言うエル君は『人形魔法』と『呪縛魔法』によって行動を制限を課せられていた。そんな彼女は王の配下である王盾魔術師の一員であるロポス・アルバトスと共にアーゼマ村を襲撃した」


「悪意の元は国の王にあると言いたいのか?」


「そうは言ってないよ。でもね、国が今まで尽くして来たルークを裏切った事と、マオステラさんが国への悪意を感じて目覚めた事。この二つは偶然なのかな?」


 そして『俺はこう思うんだ』とラァラは続ける。


「何者かが国を脅かそうとしてるんじゃないのかな。それだったらさ、邪魔なSランク冒険者ルークを始末しようとする動きにも納得がいくんだよ」


「ほう。その話はワシも無視出来ぬな。だが、まだ暴論の域を出ぬな」


「そうだね。でも国が脅かされているのは確かだよ」

 

 そう言ってラァラがリズに視線を送れば、リズは一つの咳払い共にマオステラへと向き直る。


「マオステラ様。現在、王国内で行方不明者が増加しております。中には小さな村落の住民がまるごと消え失せた例も。これは今回、王盾魔術師ロポス・アルバトスがアーゼマ村を襲撃した件と無関係では無いと、私はそう考えております」


 ロポスは変化の魔法をアーゼマ村の住民に仕掛けた。


 何故、その必要があるのかはまだ分かりかねるが、人間を物言わぬ物体に変化させれば色々と都合は良いのではないのかと、リズやラァラは考えているのだ。


 行方不明者の続出。

 Sランク冒険者ルークへの抹殺指令。

 そしてマオステラが感じた国への悪意。


 確かに無関係ではないのかも、とマオステラはそう考える。


 そして、テーブルに上で揺らめく火球──ベネクスがリズに代わり、マオステラに後一歩とダメ押しをする。


「ちょっと良いかマオステラ。まだ頭を悩ませてるお前に一つ、面白い事を教えてやるよ」

「なんじゃ」

「ティーミアに『妖精王の加護』が降りてるぜ」

「なんじゃと?」


 それが最後の一押しとなった。

 マオステラは頭を抑えて酷く嘆息した。


 隣の若き妖精王はベネクスの発言の意味を理解出来ず、頭の上に疑問符を浮かべるばかり。だが、マオステラにはその言葉の真意を理解出来る。

 

 何故ならマオステラは今現在『妖精王の加護』を誰にも降ろしていないのだから。


「……分かった。ルーク、お前にワシの力を貸してやろう」


 『その代わり』と付け加え、マオステラはルークに手を差し向ける。すると意図を察したのかルークはその手に握り返した。


「誓え。国の民と、そしてティーミア達シルフを決して傷付けぬとな」


 それは契約の魔法。

 互いの合意を経て、決して破る事の出来ない誓いを結ぶ魔法だ。


「ああ、国の民もシルフも、絶対に傷付けないと誓う」


 力強く頷いたルークが手に魔力を込めれば、交わした手と手が光を帯びる。契約の魔法が結ばれた事の合図だ。


 魔法を終えた事で手を放したマオステラはルークに言い付ける。


「皆に感謝するんじゃな。この者達の後押しが無ければ、ワシもお前に力を貸してやろうとは思わなかったかも知れぬ」


「そうだな。皆、すまない。こんな不甲斐ない俺を庇ってくれて、ありがとう」


 そう言ってルークが感謝を述べれば、快活な笑みを浮かべたティーミアがルークの背中をバシバシと力強く叩いた。


「あったりまえでしょ! こんな時ぐらい庇ってやるわよ! あんたいつも言ってるじゃない? 同じ村に住む仲間として当然だ~とか何だとか。つまりそーいう事よ」


 得意気にふふんと鼻を鳴らすティーミアに続いて、テーブルの上に揺らめく火球が主張する様にルークの眼前で炎を瞬かせる。


「ルーク、これで貸し一つな」

「ああ、助かったよ」

「そんじゃ、俺様は帰るんで後はしっかりやれよ。あとマオステラ、年寄りが若者をそうそう虐めるもんじゃあないぜ」


 『あばよ』と言い残して火球は静かに小さくなっていき、やがて完全にその姿を消失させる。見届けたマオステラが『年寄り言うな』とぼやいていた。


 ラァラはそれなら老人みたいな喋り方しなければ良いんじゃないだろうかと思いながら、マオステラとルークが契約を交わした事で一つ話を進める事にした。


「よしよし、マオステラさんありがとね。ルークが完全に『分身魔法』を会得する事が出来れば、きっと世の中がもっと良くなるよ」


「ほう? 断言したな。ラァラと言ったか小娘、お前の中には分身魔法の明確な運用方法が有るという事か」


「その通りさ」


 とラァラは更に断言する。


 マオステラの言葉通り、ラァラにはもしルークが『分身魔法』を会得した際のプランが一つ有ったのだ。


 それは至ってシンプルな企てだ。


「ルークの分身に目一杯働いて貰うのさ。今、冒険者ギルドでは活性化した魔物に手一杯で常に人手不足なんだ。ルークが働いてくれれば、この人手不足もすぐに解消してくれるだろう」


 期待してもいいよね? といった目配せをラァラが送れば、ルークは任せろと言わんばかりに頷く。


「ギルドの人員、それもAランクやBランクの冒険者の手が開けば、リズの言った増加する行方不明者に歯止めを掛けられる筈だ」


 これがラァラの言った『世の中がもっと良くなる』の真意だ。


 今現在、冒険者ギルドは活性化する魔物の対処に追われて常に人員が不足している。Cランク以下の人員を育てるにしてもそれでは時間が掛かり過ぎる。


 だからルークの分身達で不足を補うのだ。


 効果の程はやってみなければ分からないが、やってみるだけの価値が元Sランク冒険者のルークには有る。


 そして、増加する行方不明者。


 これにアーゼマ村を襲撃したロポスの様に王盾魔術師が関わっているのだしたら、ギルドのAランク冒険者達を各地に配備すれば、王盾魔術師に対する十分な抑止力となってくれるだろう。

 

 王盾魔術師は魔法の天才集団と称されているが、ギルドのAランク冒険者もまた戦う事に関しては歴戦練磨の実力者なのだから。


 下手な事は出来ない筈。


 それらをマオステラへと説明し、彼女に教授して貰う『分身魔法』の運用方法を打ち明ける。それは力を貸して貰う側の義務だろう。


 マオステラが感じた王国への悪意。


 この正体はまだはっきりとしない。だが、これにアーゼマ村を襲撃した王盾魔術師ロポス・アルバトスの存在は無関係ではないとラァラは考えている。


 ルークが言っていたのだ。

 ロポスは魔紋によって口止めされていたと。

 

 ならば必ず背後に何者かが居る。

 それが王国への悪意に一番近しい者だろう。


 王盾魔術師達が何を考えているのかは分からないが、もし良からぬ事を企んでいるのならば、徹底的に邪魔してやろう。

 

 それがラァラの企てだった


 


 

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