55:得手 不得手
ルーゴの自宅はアーゼマ村の隅にポツンと置いてある。
今はもう誰にも使われていなかった空き倉庫を村長から提供して貰い、少しばかりの改造を施して住居としたからだとラァラは聞いていた。
お陰で窓の無い部屋があったりなど、住まいとするには少々歪さが感じられる民家であったが、今回はそこを利用して人を呼び込む事にした。
「ルーゴの隣はあたしが貰うわね」
「別に構わないが」
「ほらほらマオステラ様! あたしの隣にどーぞ!」
「ワシはどこでも構わぬが」
今回、ラァラがルーゴ宅へ呼び寄せたのは、ルーゴの正体がSランク冒険者ルーク・オットハイドだと知る者達だけ。
妖精王ティーミア。
精霊であり神の一人でもあるマオステラ。
そして病み上がりではあるが、聖騎士リズ・オルクにもここへ足を運んで貰った。
リリムとルーゴの命を狙ったリーシャはともかく、リズはこちらが側であるとラァラは考えている。何故なら彼女はアーゼマ村、そしてルーゴとリリムの危険を知らせに来てくれた張本人なのだから。
「リズ君には紹介がまだだったね、こちらの可愛いお嬢さんはマオステラさんだよ」
ラァラが視線を誘導する様にしてマオステラに手を向けると、リズは見た目子どもにしか見えない緑髪のシルフに向かって丁寧に一礼する。
「初めまして。私はリズ・オルク、よろしくねマオステラちゃん」
マオステラちゃん。
どうやらマオステラの名では伝わらなかったようだった。確かに彼女はシルフの癖して何故か羽がないので、見た目はそこいらの子どもにしか見えない。
アーゼマ村の広場で子ども達の輪に加わってお遊戯してても不思議はないだろう。
そして、この国においてマオステラの名は別名で広まっているのだから。初見のリズが分からないのも無理はない。
ラァラは一つ咳払いをして自身の言葉足らずに補足を付ける事にした。
「リズ君。こちらのお嬢さんは君が仕える女神アラトと並ぶ神の一人で、マオステラことマオス様だよ。失礼のない様にね」
「へ」
言っている意味が分からないといった様子で怪訝な目線をリズがラァラへと飛ばす。
そして、一呼吸を置いて辺りの様子を見渡したリズは理解したのだろう。女神アラトと並ぶ神の一人という言葉の意味を。
嘘は言っていないと、皆の目がそう言っている。
瞬間、リズが床に片膝を突いてマオステラへと跪いた。
「失礼しました、マオス様。私は女神アラト様に仕える聖騎士の一人、リズ・オルクと申します。お会い出来て光栄でございます!」
「マオスじゃない、マオステラじゃ」
「失礼しましたマオステラ様」
先程のちゃん付けをまるで無かったかの様にする振る舞いにラァラは感心するばかりであった。
一点の乱れのないその礼儀作法を受け、ちゃん付けされたマオステラもご満悦といった様子だった。
「あのすれっからしの信徒にしては礼儀がなっておるな、感心感心っ」
「すれっからし? アラト様はすれっからしなのですか?」
「そうじゃ。ベネクスはあやつの事をくそったれとも言っておったな」
「くそったれ、……そんな」
あらぬ方向からちゃん付けの報復を受けたリズの顔面に影が差す。自身が崇める女神がくそったれと称されれば無理はないのかも知れない。ラァラは同情する。
女神アラトにそんな悪たれ口を叩けるのは、同じ神であるマオステラくらいなものだろう。
「マオステラ様はそのアラトって女神を知ってるの?」
まるで見知った関係の様に言うマオステラにティーミアが訊ねる。
「ああ、知っておるぞ。アラトとは何度も殺し合った仲じゃからな」
殺し合った。
随分と物騒な言葉を口にしながらマオステラは苦い顔で背中を摩る。彼女の背にはシルフの特徴である羽がない。曰く、どうやらその羽は、
「アラトの聖剣で叩っ斬られてしまっての。それからワシは空を自由に飛べなくなってしまったんじゃ。どうじゃ、くそったれじゃろう? 痛かったんじゃあ」
「ちょっとリズ! あんたん所の神様何をしでかしてくれてんのよ!」
「えぇ! 私に言われましても!? 知りませんよ! というかこのままアラト様を悪く言われたままで溜まるか! ティーミア様、私はマオステラ様にも非があったのだと思います!」
テーブルに強く拳を落として気を荒げるティーミアに、堪忍袋の緒が切れたリズが抗議する。
信仰の違いは時に聖戦を起こしてしまうものだが、こんなにくだらない聖戦を目にするとはラァラも思わなかった。ふと視線を移せば、ルーゴも溜息を吐いていた。
「静かにしろ」
「むぎゃッ!?」
「うぐっ!?」
ルーゴがパチンと指を弾くと、重力魔法が作用したのかティーミアとリズの二人が椅子へ強制的に着席させられる。
これで騒がしかった室内に静寂が訪れた。ルーゴは申し訳なさそうにしながら、椅子に腰を落とす一人の老人に謝罪する。
「村長、病み上がりでここに足を運んで貰ったというのに騒がしくて申し訳ない」
「いやいや、大丈夫じゃよ大丈夫。若いのは騒がしいくらいで丁度良い」
ほっほっほと笑みを浮かべながら髭を摩る村長はマオステラへと向き直った。
「挨拶が遅れて申し訳ありませぬ、マオステラ様。私はアーゼマ村の村長をやっておりますオルガ・レンシアと申します」
「これはこれはご丁寧にどうも。ご老人、お主がアーゼマ村の長か。ティーミア達シルフが村で世話になっておる様じゃな。感謝する」
「いえいえ、マオステラ様からは森の恵を与えられております故、こちらの方こそ感謝を」
「あの森はワシが王国の為に創った森じゃ、何を採っても構わぬ。好きにせい」
村長の態度に気を良くしたのかマオステラは気前の良い事を言ってくれる。
しかし、彼女の許しを得る以前の話で、アーゼマ村の住民も王国の者達もマオス大森林に自生している植物は好き勝手に採取しているのが現状なのだが。
ひとまず、それぞれが初見の相手に挨拶を済ませた所で場が整っただろう。
ラァラは咳払いをして全員の視線を自身へと集めた。
「さてさて、そろそろ話を進めても良いよね。俺達のこれからについての話をしたいんだ」
「これからについて? それはワシをこの場に呼び寄せた事に関係あるのか」
これからについての話。その言葉にマオステラがテーブルの頬杖をついてさぞつまらなさそうに訊ねてくる。ラァラは『もちろん』と頷いた。
「マオステラ様にはお願いがあってご足労いただいた次第だよ。まずはその話からしようかな」
「ほう、お願い……か。なんじゃ、言ってみろ」
「単純さ、力を貸して欲しいんだ」
この世に加護を降ろす神の一柱、妖精王マオステラ。
彼女の伝話は王国に数多く残されているのだ。
この国の歴史に詳しい者なら『マオス』の名を聞けば、数多の魔法を操る大魔術師の姿を想像する。その力は魔法でマオス大森林という広大な森を創ってしまうほど強力な物だったという。
一般的には風属性の魔法が得意だというシルフの身でありながら、マオステラは地水火風の基本属性から闇や光、果ては無属性魔法すら自在に操ったのだとか。
リリムに話を聞けば、エルに掛けられていたという『人形魔法』と『呪縛魔法』を容易く解いて見せたと言っていた。
その力は本物だろう。
だからラァラは力を貸して欲しいと願い出たのだ。
「マオステラ様、あなたは数多の魔法を操った大魔術師だと聞いてるよ。一度、森で俺達と衝突した時も、ルーゴに闇魔法を仕掛けてきたね。しかもその威力は、魔法耐性の高いルーゴにダメージを与える程だった」
「ふふふ、まあワシ程優れた魔術師はそうおらんじゃろな」
ラァラに魔法の腕を褒め称えられるとマオステラは得意気にふふんと鼻を鳴らしていた。隣のティーミアは『流石です!』と拍手を送っている。
「それで? ワシに何をして欲しい」
ラァラが言った『力を貸して欲しい』という申し出。
森すら創ってしまったという優れた魔術師にそれを願いでた理由は、それこそ単純な物でマオステラの魔法の腕前を借りたいということ。
ただし、魔法の腕を借りたいのはラァラではない。
「マオステラ、俺に魔法を教えてくれないか?」
ルーゴだ。
この場に者は全員、ルーゴがかつて変幻自在に魔法を操った魔法剣士である事を知っている。だからティーミアやリズは驚きを隠せなかった。
「ちょ、ちょっとルーゴ、魔法を教えて欲しいってどういう事よ。あんたは今でも十分過ぎる程すごい魔法持ってるじゃない」
「私も同じ意見ですね。ルーゴ様はこれ以上、何を望むと言うのでしょうか」
ティーミアはルーゴの魔法の腕前は身を以って知っている。なにせ殺されかけたのだから。それはリズも同様で以前、アラト聖教会でその身に重力魔法を受けている。
それ故に不思議に思うのだろう。
何故、Sランク冒険者と認定されたルーゴが魔法を教わる必要があるのかと。
「お前達はルークの名を過信し過ぎだ。俺にも出来ない事はある。今回、村を襲撃され、村の者を守れなかったのも偏に俺の不出来が原因だ」
そう言ってルーゴは嘆く様に溜息を漏らし、村長へと謝罪する。
「村長、本当に申し訳ない。用心棒として雇われている身でこの体たらくだ。たった二人の襲撃犯から村の住民を守れなかった」」
ルーゴ、いやルークは仲間に命を狙われ殺されかけた後、村長に実情を話してアーゼマ村に身を隠すを事を許されていた。
しかし、国に一度命を狙われている男を、村長もそう易々と村に置く事は出来ない。なのでルークは『村を守る用心棒ルーゴ』でいる事を条件として、アーゼマ村にその身を置いていた。
しかしその用心棒ルーゴは襲撃に気付くのが遅れ、村の住民数名が魔法の餌食となってしまったのだ。
結果として全員無事に変化の魔法から元に戻れたから良かったものの、このままで用心棒としての立ち位置が危うい。
「いやいや、ルーゴさんには随分と助けられておる。そんなに気負わなくても大丈夫じゃぞい」
村長は快くそう言ってくれてはいるものの、ルーゴは本人はそれで良いとは思っていない。
だからマオステラに魔法の教えを乞うのだ。
ルーゴだけでなく人間、果ては魔物にも魔法の得て不得手が存在する。ティーミアが『風属性』の魔法を得意とし、リリムが『無属性』の魔法を得意とする様に、ルーゴにもまた得意とする属性がある。
それは『火属性』と『無属性』の魔法だ。
逆に苦手とするのが『闇属性』と『水属性』の魔法。
「マオステラ、俺に分身魔法を教えてくれないか。この魔法を磨き上げれば、俺は今よりもずっと、誰かの役に立てる」
村を襲撃したロポス・アルバトスが使用していた『分身魔法』
ルーゴはその魔法を模範する事によって自身の物としたが、分身魔法の属性はルーゴの苦手とする闇属性に分類される。
加えて習得してから日が浅く、いくら魔法剣士とかつて呼ばれたルーゴでもこの魔法をまだ完全に操り切れているとは言い難い。
その点、マオステラは基本属性の全てを操る言われている魔術師である。そして、一度ルーゴに闇属性の魔法を仕掛けていた。
彼女なら分身魔法を操るのは造作も無い筈、そう期待しての申し出だったのだが。
「断る」
マオステラは容赦なく首を振るった。
「そうか、理由があれば聞きたいのだが」
「理由か、では言ってやろう。お前個人に対する信用がワシの中で固まっておらんからじゃ。お前の本名はルーク・オットハイドと言うのだろう? どうしてルーゴと名乗っているのか、まずはその理由をワシに教えるのが先じゃろう」
と問われるのは当然の帰結か。
正体を隠して活動している点にマオステラは不審を感じているのだろう。
教えを乞うている立場のルーゴに嘘は許されない。故に国に、仲間に殺され掛けたからと包み隠さずルーゴは話すしかない。
しかし、王国の守護神を自称するマオステラはその返答に眉根を顰める。
「国から討伐命令が出されたじゃと? ならばなおのこと信用出来ぬではないか。ルーゴ、国もお前が信用出来ぬからその命令を下したのではないのか?」
「マオステラ様、ルーゴは信用出来る奴よ。そんな風に言わないで」
「ティーミア、お前は黙っておれ、ワシはルーゴと話しておるんじゃ」
マオステラの言い様にティーミアが咄嗟にルーゴを庇うも、簡単に払い除けられてしまう。
その様子にラァラもリズも村長も余計な口は挟まない。
──国もお前が信用出来ぬからその命令を下したのではないのか?
マオステラの言い分は正しいからだ。ルーゴの事をまだ何も知らない彼女がそう捉えてしまうのもなんら不思議はない。
いくら周りがどうこう言おうが、マオステラがその目で見て信用に足るかどうかを判断するしかないのだ。
ただ、マオステラが既に信用を置いている者が、ルーゴの事を庇えばどうなるだろうか。
『ごちゃごちゃうるせぇな。てめぇはこいつの何を知って偉そうな事言ってんだよ、マオス』
突如として、マオステラの眼前に赤く燃え上がる火球が出現する。今しがた聞こえて来た声はこの炎から発せられていた。
「だ、誰だ貴様ッ!」
現れた炎に警戒したリズが剣を引き抜き、ティーミアは腕に風を纏わせて戦えない村長を庇う様にして前に立つ。
しかし、ルーゴやラァラ、果ては眼前に迫られたマオステラはリズ達とは打って変わって静かだった。
まるでこの声の主を知っているかの様な素振り。その様子にリズは握りしめていた剣を柄を思わず緩めてしまう。
「どうして出てきた」
ルーゴが呆れた様に嘆息すれば、炎をゆらゆらと宙を漂ってテーブルの上に移動する。そして応える様にして炎を揺らがせた。
「お前があんまりに不憫だったからさ。尽くして来た国に裏切られ、信頼してた仲間に殺されかけ、今度は信用なんねぇからそうなったって好き放題言われてる姿を見せられたらよ」
熱を感じさせない不思議な炎が発するのは、僅かな怒気を含む中性的な高い声だった。
警戒しながらもティーミアは思考を巡らせる。この声に聞き覚えがあったからだ。それは以前『再生の儀』とやらでエルを生き返らせる際、ルーゴがこの部屋で話をしていた相手の声と同じ物。
「さすがに俺様でも腹が立つってもんだ。いいじゃねぇか、教えてやれよマオス。別に減るもんじゃねぇだろ」
馴れ馴れしくマオスと呼ばれたマオステラが、この主の名を口にする。
「勝手な事を言うな、ベネクス」
不死鳥ベネクス。
それは王国に存在する神の一柱だ。
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