50:ただのお弁当
「ごめんくださーい」
村長宅に着いたリリムは玄関を2,3回程ノックして向こうからの返事を待つ。すると中から『誰だい?』とラァラの声が聞こえてきた。
『リリムです』と返事を戻せば扉が開かれる。
「やあ、おはようリリム君」
「おはようございます、ラァラさん」
「随分早起きだね。うんうん、若者はそうでなくちゃ。 感心感心ッ」
今夜は徹夜だと言っていた割りには元気そうなラァラが、快活な笑みでこちらを出迎えてくれる。
そんなラァラの右腕には包帯が巻かれていた。マオス大森林で怪我でもしたのだろうかとリリムは思ったが、昨日はそんな素振りを見せていなかった。
となると錬金術の最中に何かアクシデントがあったのかも知れない。
「包帯が気になるかい? 大丈夫、大した怪我じゃないさ。すぐ治るよ」
人の思考を読んだかのか、リリムが包帯に対して何か口にする前に、ラァラがなんとも無いと手を振るう。
冒険者ギルドの時もそうだったが、人の思考を読むのが得意なんだと言ってのけたラァラが、本当に読心術でも扱えるかの様な振る舞いを見せるのでリリムは驚くばかりだ。
「俺の怪我はさておき、こんな朝早くからどうしたんだいリリム君。何か急用でもあるのかな?」
リリムが持つ鞄に視線を落としてラァラが訊ねてくる。読心術に呆気を取られていたリリムはふと我に帰り、そういえばと持参した弁当の事を思い出した。
「実は朝食を持って来たんですよ。ルーゴさんもラァラさんもお腹空いてないかなぁと思ってですね」
「本当かい? 嬉しいな。言われてみれば昨日の夜から何も食べてないよ」
どうやらリリムの思った通りで休憩も取らず錬金術に勤しんでいたらしい。
リリムも調合に熱中し過ぎて食を疎かにする事がよくあったので気持ちは分かる。今ではペーシャという同居人が居るのでそんなことはしないのだが。
「リリム君の分もあるのかな。中で一緒に食べないかい?」
「いえ、私は診療所の仕事があるのですぐに戻るつもりでした。でも、錬金術ってちょっとだけ興味あります」
「お、いいねぇ。じゃあリリム君には色々と見せてあげようかな」
ラァラにおいでおいでと手招きされるままに中へ入ると、リリムの鼻先を異臭が貫く。
まるで生肉を香水で煮込んだかの様なこの激臭は以前、冒険者ギルドにてラァラの私室に漂っていた臭いと同じものだ。
思わず鼻元を手で抑えると、ラァラは苦笑いしていた。
「あはは、匂いはごめんね。そのうち慣れるさ」
「結構な臭いですけど、まだ我慢出来る方なので大丈夫ですよ」
「そうかい。さっすがリリム君。一度ギルドで体験しただけはあるね」
「私は良いんですけど、村長の家の中でこんな激臭をばら撒いて大丈夫ですかね? この臭いが染みついてしまったら、村長が可哀想ですよ」
「俺も最初は外でやろうと思ったさ。だけどルーゴに止められてしまってね。外でこんな異臭を放ったらシルフが全滅すると注意されてしまったんだ」
確かにギルドで同じくこの臭いを体験したティーミアは終始涙目だったなとリリムは思い出す。シルフは特性として鼻が効くらしく、この異臭に耐えられないとのこと。
なので村長宅の居間にてこの臭いを魔法で封じ込めているらしい。村長が不憫でならないとリリムは同情した。
「臭いが染み付く心配はないよ。ルーゴが生活魔法で除去してくれるからね。大概の悩みは彼を頼れば全て問題無しさ」
言いながらラァラが居間の扉を開け放てば、大きな錬金釜をこれまた大きな棒でかき回すルーゴが出迎えてくれる。
「お前は俺を便利屋か何かと履き違えてないか?」
「あはは、そんなことないよ。それよりルーゴ、リリム君がお弁当の差し入れに来てくれたよ。ちょっと休憩にしようじゃあないかい」
「ルーゴさん、お邪魔しま――」
と、ラァラの後に続いて村長宅の居間へ入ったリリムは自身の目を疑った。
何故なら視界に広がっている室内はいかにも錬金術師の研究室といった空間に様変わりしていたからだ。かつて村長が暮らしていた老人然とした部屋は影も形も無い。
「これ部屋を借りるとかそんなレベルじゃないですよ。もはや改装じゃないですか」
村長が元に戻ったら腰を抜かしそうだ勢いで辺り一面が様変わりしてしまっている。
研究室の中央に置かれた錬金釜から放たれる激臭が加われば、村長は昇天してしまうのではないだろうかとリリムは危惧する。
右に視線をやれば薬品が入った瓶やら、得体の知れない物体が保管されている瓶が視界を圧迫する。左に視線をやればラァラが持ち込んだのだろう本棚がこれでもかと並べられていた。
「ちなみにこの部屋、元に戻せるんですか?」
戻せませんと言われたらどうしようかとリリムが恐る恐る聞いてみると、ラァラは表情を得意気にして指を弾いた。
パチン、と乾いた音が鳴り響いた一弾指。
「えッ!?」
リリムの目の前には元の姿を取り戻した村長宅の居間が広がっていた。
「な、なんですか今のは……?」
今まで見ていた研究室は幻覚だったのだろうか。しかし、居間の中央に佇むルーゴが錬金釜をかき回していた棒を手に持ったままなので、先程の光景は幻覚の類ではないのだろう。
「あはは、驚いているね、まあ無理もないか。御覧の通り、俺の研究室と村長様の部屋はすぐに切り替え可能だよ。だから心配はいらない」
「は、はぁ。そうですか」
もう一度、指がパチンと弾かれれば再び室内は研究室へと切り替わる。
リリムはもう何がなんだか分からなかった。考えてもしょうがないので、部屋の端に置かれた椅子に腰を降ろすことにした。
するとラァラがわざわざ椅子を移動させて隣に腰を下す。
「リリム君のお弁当楽しみだなぁ。俺はワクワクしてしょうがないよ」
などとやけに楽しそうなラァラがまた指を弾けば、何をどうしてかリリムの目の前にポンッと軽快な音と共にテーブルが出現した。
何でも有りかとリリムは頭を抱える。
以前、ラァラは自分には魔法の才が無いと言っていたが、今しがた目の前で繰り広げられた光景が魔法で無ければ何だと言うつもりなのだろうか。
「もちろん、これは錬金術だよ」
「へぇ~、錬金術ってなんでもありなんですね。すごい!」
「ちょっと含みの有る言い方だねそれ」
またもや読心術を使って来たラァラを余所に、リリムはクロスをテーブルの上に広げてお弁当を並べていく。
蓋を開けてみれば隣のラァラが『わぁ』と感嘆を漏らす。
「昨日から何も食べてないから余計おいしそうに感じるよ。いいねいいね、ルーゴが絶賛してたんだよ、リリムの弁当は美味いってね」
「へ、へぇ~」
そうなんだとリリムは未だ釜をかき混ぜているルーゴに視線を移す。
何かを感じ取ったのかルーゴは手の動きを止め、なにやら気恥ずかしそうに兜の上から頬を掻いていた。
「ああ、言った。お前の弁当は美味いとな」
「へ、へぇ~」
なんてルーゴがド直球に嬉しい事を言ってくれる。
リリムは早くに両親を失くしているので人に対して料理を振る舞った経験があまりないのだが、こうもストレートに美味いと言ってくれるとなんだか言葉を失ってしまう。
ペーシャは何を出してもうまいうまいと食べてくれるので、それとはまた違った感情が胸の内に沸き上がってくる。
何だか気恥ずかしくてリリムはついつい無言になってしまう。ルーゴも無言で再び錬金釜をかき回し始める。
なんとも言い難い空気が研究室に漂っていた。
そんな中、痺れを切らしたのかラァラが沈黙を破る。
「休憩しないのかいルーゴ。俺が全部食べてしまうよ」
ルーゴの手がピタリと止まる。
「駄目だ」
釜から離れたルーゴがどこからか引っ張って来た一人掛けの椅子に腰を掛け、リリムと向かい合った対面を位置取った。
さっそく用意していた食器をルーゴに手渡すと目線が合わさってしまう。
「ちょうど腹が減っていた。リリムは本当に気が利くな、ありがとう」
「い、いえ、別に。私がしたくてやってることなんで、お礼なんて……」
率直に礼を言われてしまい、気恥ずかしさが頂点に達したリリムは思わず顔を伏せてしまう。
ルーゴは命の恩人なので出来る限り力になってあげたかったが、ただの弁当でこうも喜んで貰えるとは思ってもいなかった。
「今のリリム君を見てると思わず俺まで照れ臭くなっちゃうよ」
隣のラァラがガラムみたいな事を言っていた。
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