44:盗み聞き
「俺から王国への悪意を匂いとして感じただと?」
「そうじゃ、だからワシはお前達に襲い掛かったのじゃ」
「随分と気軽に言ってくれるな」
「だからすまんかったと謝っておるじゃろ」
ようやくマオステラが話に耳を傾けてくれるようになったので、ルーゴとペーシャは聖域を歩く道すがら、何故こちらに襲い掛かって来たかの理由を聞いていた。
いわく、マオステラが匂いと表現するその悪意を、マオス大森林へ踏み込んだ者達全員から感じたそうだった。
ちなみに聖域を歩いているのは出口を探しているからだ。
ルーゴとマオステラが派手に暴れた所為で、何でも聖域がダメージを負い過ぎて崩壊寸前になっているのだとか。
見上げるペーシャの視界にはヒビが走る奇妙な空が映る。次いで地面へと視線を向ければ所々に地割れが起きており非常に危ない。
そんな崩壊の影響でマオステラは一時的に聖域をコントロール出来なくなってしまっているらしい。
普段は聖域を解くだけで外に出られるらしいのだが、それが今は出来ないのでこうして歩きながら聖域の出口を探している。
見慣れない極彩色の景色は目に良くない気がするので、ペーシャはいい加減外に出たいなと憂鬱そうに目を擦っていると、
「匂い……、匂いか。確かにシルフは鼻が効くと言うからな」
ルーゴが袖を兜に近付けて鼻をすんすんと鳴らしていた。
「多分そういう事じゃないと思うっすよ、ルーゴさん」
「違うのか?」
悪意の匂いって何だよ、とルーゴの隣を歩くペーシャは今更ながらに思った。
ペーシャ自身もマオステラが何故そんな表現をするのかが分からないが、恐らく、と言うよりは確実にその匂いとやらはエル・クレアの事を指している。
マオステラが言っていた自身の顕現条件。それは『王国に悪意を持った者、またはその配下が森を攻撃した時』だ。
森――すなわちマオス大森林の一部を抉る程の魔法を放ったのはエル・クレアしか居ない。
「マオステラはエルの事を言っているんだと思いまっす。あいつが放った魔法が森を攻撃したって判定になってるんすよ」
「判定……か」
事の経緯を知らないルーゴが疑問符を頭に浮かべていたので、ペーシャはマオステラの顕現条件等を教えてあげることにした。
未だ極彩色の景色が森の奥へ奥へと続く中、ペーシャが説明を終えるとルーゴは『なるほどな』とすぐに納得がいった様子だった。
ただ、ペーシャには一つ疑問がある。
シルフは鼻が効く。だから分かってしまうのだ。僅かにでもエルと接触した者、例えればリリムからもエルの匂いは少なからず感じられる。匂いとはそう易々と落ちる物ではないからだ。
だが、ルーゴはどうだ。
他の者達より一層濃くエルの匂いが感じられるのだ。ペーシャは他のシルフ達よりも特に鼻が効く、風魔法を用いた索敵を妖精王から任せられる程に。
だから疑問に思う。
「ちょっと質問なんすけど、ルーゴさんって結構エルと仲良かったりしまっしたか?」
「何故そう思った」
ペーシャは自分の鼻をちょんちょんと指で示した。するとルーゴは観念したと腰に手を掛けて小さく溜息を溢す。
「そうだ。エルとは背中合わせで魔物を屠って来た仲だった。俺は剣と魔法で、エルは拳と魔法でな。エルだけだったよ、俺の剣に合わせられる近接主体の魔法使いは」
まるで思い出すかの様にルーゴは言う。
ペーシャはルーゴの以前を全く知らないが、きっとルーゴにとってエル・クレアという少女は既に過去の人物なのだろう。それを証拠としているのが正体を隠すあの真っ黒な兜だ。
アーゼマ村に居るルーゴという人物は既にルークの名を捨てている。
「ペーシャ、今の話は……」
言い辛そうにするルーゴにペーシャは首を横に振るった。
「分かってるっす。誰にも言わないっす」
「……、助かるよ」
恐らくこの話を知っている者の数は限られている。
ペーシャが思うにティーミア、そして仲を良さそうにしているラァラ辺りだろうか。彼女はギルドマスターという立場にありながら妙にルーゴへの待遇が良い。
そして、この話を巧まずして耳にしてしまったマオステラか。
「ほぉ~う、ルーク・オットハイド。ペーシャと秘密の共有か。これはますます怪しい関係じゃな。やはり番じゃろ!」
「お前はさっきからしつこいな」
口に手を当てて表情をにやつかせるマオステラ。こいつはさっきから何なのだろうか。同じシルフのペーシャでも彼女の思考回路が分からない。
「こんな小さな娘と縁組む大人が居てたまるか」
「ルーゴさん、私もう15歳っす」
「え? そ、そうなのか……、それはすまなかった。だが、人間で例えても15歳はまだ子どもだ」
などとルーゴは言うが、人間とシルフとでは『大人』という区切りの考え方が違う。
ペーシャはティーミアやマオステラと同様に背丈は人間の子どもと変わらないが、これ以上の成長はしない。言ってしまえばこれが成体、または成人とも呼べる。
成長限界に達したシルフは立派な大人と見なされ、巨大樹の森で過ごしていた頃はペーシャも魔法や武器を用いて魔物達と戦っていた。
つまりはもう大人だ。
シルフは人間の様に歳によって明確な判断基準など設けない。
「ルーゴさんから見たら私はまだぺーぺーの子どもかも知れないっすけどね」
「そういう言い方をした訳ではないのだがな。そうか、15歳か。ペーシャはリリムと同い年だったんだな」
「ちなみに妖精王様はもう19歳っす」
「なんだって」
普段あまり驚かないルーゴがティーミアの年齢を聞いて僅かな動揺を見せる。きっと女性に年齢を訊ねるのは失礼だと思って聞きすらしていなかったのだろう。
「やたらに俺と手を繋ぎたがるから、まだまだ子どもだと思っていた」
その言いようにペーシャは積極的にルーゴに取り入ろうとするティーミアが不憫でしょうがないと他人事に思った。
そして、その話に聞き耳を立てていたマオステラは、何故だかに口角を吊り上げてまたも表情をにやつかせていた。
「ほうほう妖精王とな、ワシと同じ王を名乗るとは威勢が良いの。シルフもまだまだ繁栄しとるという訳か。ふっふっふ、それでルーク、その妖精王とは良い仲なのかの?」
「ティーミアは大切な仲間だ。それ以上でもそれ以下でも無い。そして俺の事はルークと呼ばないでくれ。今は訳有ってルーゴと名乗っているんだ」
「なんじゃ話を逸らしおって」
「逸らしてない」
「ほいほい、分かった分かった。人間は面倒な生き物じゃな」
やれやれとマオステラは肩を竦める。
ルーゴは本当に分かっているのかと言いたそうにしていたが、それ以上とやかく言う気は無いようだった。
「逸らすと言うか、話を脱線させたのはマオステラの方じゃないっすか?」
ペーシャがそう指摘すると隣のルーゴが頷いて同意を示す。
マオステラがペーシャと番なのかとしつこく聞いたせいで今の話になっている。そもそもは何故にマオステラが襲い掛かって来たのかの理由を聞いていたのだ。
「話を戻すがマオステラ、俺達は王国へもこの森へも危害を加えるつもりは毛頭ない。だからお前と戦う理由が無いんだ」
「では何故、この森にお前達は警戒心を強くして踏み込んだんじゃ。始めから臨戦状態の一団が森に入ってこればワシだって警戒してしまうじゃろ」
「俺はお前の顕現条件をある程度知っていた。だから警戒していたんだ。矛先をこちらに向けて来るのではないかとな」
「それはすまなかったの。本当に害意が無いと分かればワシも攻撃の一切を止めよう」
『故に聞きたい事がある』と表情を鋭くしてマオステラは足を止めた。ルーゴとペーシャに見せたその目付きは再び敵意をこちらに示している。
「心して答えよ。お主らの仲間に一人、ワシらの会話を盗み聞きしとる痴れ者が一人おるな。そしてルーゴ、お主はそれを知っていながら放置している。何故だ」
マオステラが身に纏う雰囲気が一変する。
ペーシャはビクリと体を震わせてルーゴの背後へ隠れた。
「前提として言っておく。少なくとも俺達に敵意は無い。それは先ほども言ったな」
「っは。もう一度聞くぞルーゴ。お前はどうして盗聴されておると知りながらその者を放置しておる。敵意は無いと言いながらこれか。舐められたものだな」
マオステラはルーゴの仲間、つまりマオス大森林へ踏み込んだ者達の中に一人、この聖域内での会話を盗み聞きしている者が居ると言った。
ペーシャにその人物の心辺りはない。
ギルドマスターのラァラが聖域内の様子を探りつつ、いつでもルーゴの手助けに向かえる様にしている……、といった話でもなさそうだった。
「盗聴、それは俺が指示したことではない。奴が勝手にやっていることだ。言っただろう、俺達に敵意は無いと」
「俺達に……ね。なるほどの、奴は仲間ではないと。では何者じゃ。何故、お前はそやつと行動を共にしておる」
「王盾魔術師の一人だ。お前の言う通り、俺は奴がこちらの会話を盗み聞きしていると知っていながらあえて泳がせていた。目的の真意を探る為にな」
王盾魔術師と聞いてペーシャは表情を青くする。
ルーゴの話が本当だとすれば、盗聴しているという者はアーゼマ村を襲ったロポス・アルバトスの仲間であるということになる。
ペーシャの表情の変化を見て、マオステラは何かを悟ったのか重い溜息を吐いていた。
「ペーシャ、お前は王盾魔術師に苦い経験でもあるのかの?」
「は、はいっす。王盾魔術師は私達シルフが住んでいるアーゼマ村を襲撃してまっす」
「そうか。ワシは今や精霊じゃが、元シルフとして聞き捨てならぬな」
一度こちらに攻撃しておいてどの口が言うのかとペーシャは眉根を顰めたが、思い返せばマオステラは最後の最後まで手を抜いてくれていた。呼吸を止められたのもペーシャの攻撃に対する反撃のみ。
もし王盾魔術師と対峙するとなれば、マオステラは味方に成り得るのだろうか。
「マオステラ、王盾魔術師はエル・クレアと言うこの森を魔法で抉った魔法使いの仲間だ。お前はこれをどう捉える」
王、いわば国の盾となるのが王盾魔術師だ。
そしてマオステラは国の守護神を自称していた。
その利害は一致することになる。
だが、マオステラが言っていた自身の顕現条件。それは『王国に悪意を持った者、またはその配下が森を攻撃した時』だ。
この場合、国の盾となるはずの王盾魔術師が国の守護神であるマオステラの根城を攻撃したことになる。
その状況下でマオステラはどう動くつもりかと、ルーゴは問うている。
「そうじゃな、王盾魔術師はワシの敵ということになるかの」
その答えを聞いて、ルーゴは何もない空へと顔を上げて言う。
「だそうだ、ハルドラ。すまないがお前を泳がせておくのはここまでの様だ」
すると、まるで返事を戻す様にして空からハルドラの声が響き渡った。
『……まさかバレてるとはね。あはは、勘弁して下さいよ、英雄ルークと守護神マオステラに睨まれるとか僕じゃ荷が重いですって』
それは随分とおどけた声だった。
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