43:聖域での攻防



 突如として姿を現したルーゴがマオステラの腕を握り締めた。


 途端にペーシャは息を吹き返し、体が精一杯に呼吸を求めて咳き込んでしまう。気を失う寸前だった。もしかすれば命を落としていたかも知れない。そう思ってしまう程の苦痛だった。


―――――。

―――――――。


 二人のいさかいがペーシャの耳に届く。


―――――――。

――――――――。

―――――。


 マオステラの得体の知れない攻撃で呼吸を止められてしまっていたペーシャは、思考も視界も混濁していて定まらない。二人が何を言い争っているのかが分からない。


「ッ!?」


 唐突に響いた衝撃音が耳をつんざく。

 訳も分からずペーシャは体を伏せて身を守った。


 呼吸が整っていき、視界が回復するとペーシャはようやく状況を理解する。ルーゴが助けに来てくれたのだ。


 しかし視線を上げた先、こちらに背を向けるルーゴの左腕が千切れてしまっていた。マオステラの攻撃を受けてしまったらしい。血が滴り落ちている。


 ルーゴの様子を確認すると同時にペーシャはマオステラの動向を探るも、視界にその姿は入らなかった。


 どこへ行った。


 周辺から気配を探ろうとすれば遥か前方から土煙が上がった。どうやらマオステラはルーゴの攻撃を受けてぶっ飛んでしまったらしい。遅れて衝撃がこちらにまで響いてくる。


「ペーシャ、無事か!」


 こちらに振り返ったルーゴが慌てた様子で駆け寄って来た。次いで体中をべたべたと触られてしまう。分かっている。怪我を確認しているのだ。


「良かった、怪我は無いようだな」


 呼吸を止められ地面を転げ回ったせいで衣服は汚れているが、ペーシャの体に目立った怪我は見当たらない。


 それを確認するとルーゴは胸のつかえを取る様にほっと息を吐いていた。


「は、はいっす。とりあえずは大丈夫っす」

「本当にすまなかった。お前を守ると約束しておきながらこの体たらくだ」


 ルーゴが申し訳なさそうに謝罪する、腕から血を滴らせながら。ペーシャは大丈夫だが、ルーゴが全く大丈夫じゃない、主に左腕が。

 

「いやいやいや! ルーゴさんの怪我の方がまずいですって! 腕! 腕ッ! ひぇぇぇ! 腕が千切れてるっすよ! やばいっすよ!」

「安心しろ、大丈夫だ」


 なんてことないとルーゴがペーシャの頭を撫でてくる。

 

 ルーゴは『大丈夫だ』と言うが、それがもし痛くないという意味なら全く大丈夫ではない。滴る血の量からしてすぐに失血してしまう程の怪我だ。


「お?」


 なんて表情を青くしていると、ペーシャの眼前でルーゴの左腕が瞬く間に再生して行った。トカゲかな? とペーシャは頭が錯乱する。一部、コアを破壊しなければ倒せない魔物すらこうは再生しない。


 ルーゴが感触を確かめる様に再生した左腕を振って見せつけてきた。


「ほら、大丈夫だ」

「そ、そっすか」


 万全と言いたげにルーゴが左手を握りしめた。


 ペーシャは目元を押さえる。ああ、これにティーミアは負けたのだと。どうやら一定以上の実力を持つ者には再生能力が完備されているらしい。ルーゴといい、マオステラといい、ティーミアといい、ペーシャは羨ましく思えてくる。


「それで、あいつがマオスで間違いないか」


 ルーゴが前方へ再び顔を向けると、遠くでゆらゆらと立ち上がる影をペーシャも視界に捕らえる。


 羽はないが、背丈はシルフと同等。それでいて何をどうやってかルーゴの左腕を飛ばした実力者。そしてこの極彩色の聖域の支配者が奴だ。

 

 あれがマオスでなければなんなのだろうか。


「正確にはマオステラっていうらしいっす。それに自分は精霊だとも言ってまっした」


「なるほど、本物の精霊は初めて見るな。そして思った以上に厄介だ。ここまで広い聖域を作り出せるとはな」


 見渡す限りに極彩色の景色が広がっている。

 ペーシャはこれを見て、聖域からの脱出は無理だと判断した程だ。


「あれ?」


 と、ペーシャはルーゴの反応に引っかかりを覚える。


「というかルーゴさん、聖域を知ってるんすか?」


 どうしてルーゴはここが聖域の中だと理解しているのだろうか。そもそもの話で、どうやって聖域に侵入したのかも分からない。入ろうと思って入れる類の物なのか。

 

 ペーシャ自身、聖域という言葉を今日初めて知っただけだが、そういった諸々の疑問をペーシャがぶつければ、ルーゴは遠くのマオステラに視線を向けたまま答える。


「そうだな、俺も詳しい訳ではないが聖域の中に入るのは初めてではない」


「じゃあ対処方法も分かりまっすか? 聖域内の全てがマオステラの支配下みたいっす。あいつやばいっすよ」


「それも大丈夫だ。ペーシャ、お前は俺の背に隠れているだけで良い。もう二度と怖い思いはさせないと誓う」


 『だからこの場は任せてくれ』とルーゴが腰にあった鞘から剣を引き抜いた瞬間、マオステラの攻撃が始まった。


 周辺の木々という木々から枝が槍の様に襲い掛かってくる。


 数えるのも馬鹿馬鹿しい程に伸びて来る無数の槍を見て、ペーシャは言われた通りにルーゴの背に身を隠す。


「はぁッ!!!」


 ルーゴが剣を力強く振るえば枝の槍が薙ぎ払われた。二度、三度も振るわれれば瞬く間にマオステラの攻撃が全て斬り裂かれる。


 それでもマオステラの猛攻は終わらない。

 

 後方から巨大な影が降りて来たかと思いペーシャが見上げれば、空を覆う巨大な樹が音を立ててこちらに倒れてきていた。


 一閃。


 ルーゴの剣が鈍い銀光を放つと大樹が縦真っ二つに両断されてしまう。そしてルーゴが手を掲げると、裂かれた大樹が重力魔法によって持ち上げられる。


「お返しだ」


 重力の照準が前方へ向けられ、二つに斬られた内の一方の大樹が勢いを付けて射出された。おまけにルーゴが指を弾くと大樹が炎を纏ってマオステラに襲い掛かる。


「うおぉぉ!? ルーゴさん強ええぇッ!?」


 燃える大樹がマオステラの居た前方に着弾した。


 業火が広がり、辺りは火の海と化す。不気味な極彩色の景色が今や赤一色に染まっていた。


「や、やったすかね?」

「いや、まだだッ」


 ルーゴが拳を握りしめる。


 すると重力魔法によって上空に持ち上げられたままだった大樹の片割れが粉々に弾けた。再び重力の照準が前方へ向けられると、またもや木片が炎を纏って業火の中へ雨の様に降り注ぐ。


 炎を纏った大樹の質量爆弾に、木片の絨毯爆撃による追撃。あまりに殺意の高い攻撃にペーシャは絶句するも、


「これで少しは堪えてくれるとありがたいのだがな」


 なんてルーゴは未だ前方から視線を逸らさないでいた。手にしている剣も鞘に戻す気配はない。これでもまだマオステラを倒すには至らないと考えているようだった。


 ペーシャの風を用いた索敵魔法も炎の勢いが強過ぎてまるで機能していない。マオステラの動向が掴めない。


「流石に倒せたんじゃないっすかね?」

「これで倒せるなら苦労しない。それに周りをよく見てみろ、聖域が解かれていないのが良い証拠だ」


 確かに聖域は解かれていない様だった。


 前方は業火に包まれており見るも無惨ではあったが、ペーシャが他に視線をやれば極彩色の景色は未だ健在だ。


「んん?」


 周囲の景色を見渡していたペーシャが眉根を顰めて目を凝らす。視線を向ける先は前方の火の海だ。


 炎が勢いを増してどんどん大きくなっている。最初こそそう思っていたペーシャだったが、その様子がおかしいことに今更ながらに気付いた。


 前方の炎がこちらに近付いて来ているのだ。

 いや、どんどん押し寄せて来ている。


 燃え盛る木々に草々、果ては地面までもが津波の様にペーシャとルーゴを目掛けて迫って来ている。


「ぎええええッ! なんかすごいのがこっちにぃ!?」


 羽に風を纏わせたペーシャは咄嗟にルーゴの腕を引っ張るも、逆に腕を掴まれて引き寄せられてしまった。


 この場に居たら死ぬ。あの迫り来る聖域に呑まれて死ぬ。だと言うのにルーゴは空を飛んで逃げようとするペーシャを掴んで離さない。


「る、ルーゴさん!? なにやってるんすか!」

「もう一度言う、俺の背から離れるな」

「ひ、ひぇぇ……、わわわ分かりまっしたァ!!」

「少し本気を出す」


 構えたルーゴが剣の切っ先を前方へ向ける。


 ペーシャはこの構えを知っている。以前、この構えからジャイアントデスワームを一刀両断したと、それを見ていたシルフ達がペーシャに教えてくれたのだ。


 あの人に斬れない物は無いのではないかと。


 固唾を飲み込んでペーシャが様子を見守っていると、ルーゴが小さく呟いて剣を振り払う。


「――――斬るッ」


 ルーゴがこちらに振り返った。

 その背後の景色は横一文字に斬られて崩れ落ちる。


 シルフ達は『斬れない物は無い』と絶賛していたが、まさか聖域を斬ってしまうとは。


 この男は確かにルーク・オットハイドなのだとペーシャは確信した。

 

「る、ルーゴさん。今のは?」


 ルーゴが直前に呟いていたのだ。

 斬る、と。


 その言葉と共に両断された景色は斬られた端から微塵となって崩壊していき、押し寄せるその足をピタリと止める。


 まるで斬撃その物が魔法の様に感じられた。


「斬ると言うより微塵切りになってる気がするんすけど」


「魔力を声に乗せて唱え、応じた魔法を強化し行使する。詠唱と呼ばれる物だ。今のは斬撃に詠唱を与えた結果だ」


 言いながらルーゴがこちらを抱き寄せ、後方へと剣の切っ先を向ける。抱きかかえられたペーシャの鼻先に花の香りが掠めた。


「さしずめ斬撃魔法と言ったところか。お前が生きた時代には無かった技術かもな。マオステラ」


「……ほぅ、詠唱ね。魔法も進化しとるんじゃな」


 いつの間にかペーシャ達の間近まで接近していたマオステラは、胸から腰にかけて衣服を血で汚していた。流石にルーゴの剣を受けて無傷では居られなかったらしい。


 しかしその傷も次第に治っていく。


「それで? その進化した魔法でそんなにワシを殺したかったか」


「違うな。俺はお前を殺しに来た訳ではない。話し合いをしに来ただけだ」


「話し合いじゃと? 後ろを見てみろ馬鹿者め。ワシの聖域を燃やした挙句、盛大に斬りよって。あれのどこに話し合いの意志を汲み取れと言うんじゃ」


 表情を歪ませたマオステラがこちらに手を向けてくる。

 対するルーゴは切っ先を向ける剣の柄を握りしめた。


 反射的にペーシャは緊張で息を止めてしまうも、ルーゴが安心させる様に背をぽんぽんと叩いて来た。


 先ほどまでとは違い、今はルーゴが居る。

 それだけでペーシャは緊張を解してしまう。


「る、ルーゴさん」

「大丈夫、俺が付いている」


 ペーシャが心配そうに顔を上げれば、ルーゴが目を合わせてくる。そんな二人の様子を見てマオステラが不思議そうに首を傾げた。


「……お前達、もしやつがいか?」

「違う」

「違うっす」


 即座にペーシャとルーゴが否定した。


 二人の反応にマオステラは何故だか口を尖らせていた。そんな表情されてもペーシャはルーゴとどうこうと言った関係ではないため否定することしか出来ない。そもそも何が不満なのだろうか。


「おいルーク・オットハイド。お前達が番ではないと言うなら何だと言う気じゃ。人前でベタベタしよって。もし如何わしい関係でペーシャを誑かしておるなら、なおさら容赦はせぬぞ」


「ペーシャを攫って痛めつけていたお前がそれを言うのか。ん? いや、待て、そもそも何故お前は俺の名を知っている」


 『誰に聞いた』と問いただすルーゴにペーシャは心臓を跳ねさせた。


「誰って、ペーシャから聞いたんじゃが」


 ルーゴがこちらに視線を下した。

 ペーシャはそっぽを向いた。


「何故、俺の名を知っている」

「いや違うんすよ」


 まさか適当に嘘を言ったら当たってましたなんて言っても信じてくれないだろうなとペーシャは葛藤する。さてどう答えたものかと。


「まさかティーミアから聞いたのか?」


「違いまっす。う~ん、何て言えば良いんすかね。マオステラがルーゴさんの名前を教えろって言うから嘘を教えたっす」


「それでルーク・オットハイドと? 何故だ」


「何故って言われてもぉ……」


 マオステラをほったらかしで二人は問答を繰り返す。マオステラ本人はこの痴話喧嘩はいつ終わるのかと欠伸をかいていた。


 しばらくすると、不機嫌そうにマオステラがルーゴとペーシャの間に割って入る。


「いつまでやっとる! いい加減にせんかルーク・オットハイド! お前はワシと戦うのではないのか!」


 ルーゴが抱きかかえるペーシャをマオステラから遠ざける。


「だから違うと言っているだろう。俺はペーシャを助けに来ただけだ。そしてマオステラ、お前と話し合いを望んでいる」


「まだそれを言うか……、分かった、分かった! 聞いてやるから話せ!」


 やっと対話の姿勢を見せたマオステラの様子を受けて、ルーゴも剣を鞘に納めて敵対意志は無いといった姿勢を見せる。


 背後で聖域が未だ炎上しているが、ようやくマオステラの矛が収まってくれたとペーシャはほっと胸を撫でおろした。





 


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