42:そこまでにしておけ
「ペーシャちゃんは大丈夫ですかね……、心配です」
マオス大森林に足を踏み入れてからしばらくしての事だ、ペーシャの姿が突如として消えてしまった。
ルーゴとラァラは僅かに何者かの気配を感じたらしく、恐らくはマオスに連れ去られたのではと考えている様だった。
だとすればペーシャは無事なのだろうか。
マオスの目的が全く分からないのでリリムは心痛する。
ただでさえ魔物が1匹も見当たらないという異変を見せるこの森の中で、先ほどルーゴが闇魔法と思しき攻撃を受けたばかりだ。
そんな状況でたった一人のペーシャを思うとリリムは居ても立っても居られなくなってくる。
かと言ってリリムにはどうにも出来ないのが現状なのだが。微精霊の加護を使ってペーシャの捜索もしているが、微精霊達も見つけられないようだった。
「ルーゴさん、早く……早くペーシャちゃんを見つけてあげないとっ」
「落ち着けリリム、ペーシャは無事だ」
「ど、どうして分かるんですか?」
顎に手を当てて何やら考え込んでいる様子のルーゴにリリムは問うた。しばらくしてルーゴは森のとある一点に視線を向けて指で示す。
「この先で微かだが魔力を感じる、これはペーシャの物だな」
「もしかしてペーシャちゃんも私達を探そうと探知魔法を使っているのでは?」
「そうだと良いがな。ラァラ、お前に頼みがある」
不穏な言い方をするルーゴが振り返ると、名を呼ばれたラァラが腰にあった短剣を引き抜いて頷いた。
「了解、この場は任せてよ」
「俺はペーシャの方へ向かいたい。リリムを頼んだぞ」
「怪我一つ負わせないさ」
ルーゴが屈んで姿勢を低くすると、次の瞬間にはその姿が消え失せる。どうやらペーシャの居場所を特定したらしく急行する様だ。
リリムにはルーゴとラァラが何を話し合っているか分からなかったが、ラァラが短剣を抜いたのでこちらに何か危険が迫っているのは分かった。
そこでやっとリリムは気付く、微精霊がこちらに危険を知らせるため強く光を瞬いていた事に。どうやらペーシャのことで頭がいっぱいで警戒が疎かになってしまっていたみたいだ。
隣のハルドラは危険が迫っている事に気付いていたらしく、背負っていたどでかいカバンから小型の弩を取り出し始めた。
「マオスが来たら捕獲しましょう」
『いやぁ楽しみですねぇ』とハルドラは上機嫌に体を揺らしながら、弩の引き金に網の付いた矢を装填していた。
リリムは若干表情を引き攣らせながらラァラに耳打ちする。
「ラァラさん、ハルドラさんが神様を捕獲しようとしてますよ。」
「ああ、ごめんね、ハルドラはちょっと好奇心が旺盛な子でね。まあ彼にも、あの弩にも出番はないかな。リリム君はハルドラに余計な事はするなと伝えてくれ」
手をかざしてリリムを後方へ下がらせたラァラが、森の奥をへと視線の切っ先を向けた。
リリムの周囲を漂う微精霊も同方向から危険を感じているらしい。
加護によって呼び出した3体の微精霊達にリリムは別々のお願いを出している。一つはマオスを探知する為に出した『シルフの索敵』、もう一つは『ペーシャの捜索』だ。
そして今、森の奥へ警戒を示している微精霊に出していたのは『魔物の索敵』だった。
つまりこちらへ迫って来ているのはハルドラが期待しているマオスではなく、魔物ということになる。
「さて、何が出てくるかな」
ラァラが姿勢を落として短剣を構えた。
こちらへ一直線に向かってきているということは、ペーシャを攫った敵の差し金で動いている魔物だろうとリリムは考える。
その敵とやらがもしマオスならば、とんでもない魔物が飛び出して来てもおかしくはない。
ルーゴはペーシャの元へ向かってしまったので、せめてラァラやハルドラが対処出来る魔物であってくれとリリムは願うばかりだった。
〇
「ふん、あの白髪娘はストナウルフの群れに対抗出来ると思うておるんか。狼型の最強種じゃぞ、阿呆め」
先ほど『絶対許してあげぬからな!』と怒り心頭していた様子とは一転して、マオステラは静かに水晶が映すラァラを鼻で笑った。
どうもマオステラは怒りが一定以上溜まると逆に静かになるらしい。
それが却って不気味な雰囲気を纏わせており、対峙するペーシャはごくりと唾を飲み込んだ。ここからが正念場だろう。彼女の注意は完全にペーシャへと向いているのだから。
「おいペーシャ。お前はこの聖域がどういう物かを理解した気になっている様じゃが、それは間違った認識じゃぞ」
「へ、へぇ……そうなんすか。この空間にある物体全部を操れるとかじゃないってことでっすか?」
「その通り」
こちらへとゆっくり腕を伸ばしたマオステラが指を向けてくる。
咄嗟に羽ばたいたペーシャが指先から逃れる様に宙を飛び回るも、まったくマオステラの照準から逃れられない。
そして何故だか羽に纏わせている風の様子がおかしかった。思った様に風を操れないのだ。それが原因でペーシャは速度が出せないでいた。
「ワシが加減しておる内に大人しくしていれば良かったものを」
嘆息したマオステラの指が未だこちらへと向けられている。あの指先から魔力を感じている訳でもないのに、ペーシャは得も言えない不安を覚える。
今すぐあの指先から逃れないとまずい。
「くらえッ!」
風を上手く操れない中、ペーシャはなんとか宙を飛びながらも風魔法でマオステラを攻撃しようとするが、風の刃は標的へ届く前に霧散してしまった。
「な、なんでッ!」
「ワシが操れるのは物体だけと思うたか?」
妖しく笑ったマオステラが手を開いた。
同時にペーシャは喉元を押さえる。息が苦しい。先の発言から聖域内の風すら自在だと言うことは分かったが、どうして呼吸が苦しくなるのか理解が及ばない。
既に風の制御を失ったペーシャが高度を落とし、地面へと降り立って膝を落とす。
「ぐ、ぐぅぅッ……!?」
うめき声をあげながら草の上に倒れる。
訳も分からずペーシャは呼吸を整えようと大きく息を吸うも、ほとんど息苦しさは緩和されなかった。それどころか息を吸い込もうとすればする程に苦しさが増していく。
「何がどうして苦しいかも分からない、といった顔じゃな」
手の平をこちらに向けながらマオステラが近付いて来る。
一体どんな魔法を使ってるのかペーシャには見当もつかない。なにせマオステラからは魔力を何も感じないのだから。
「空気じゃよ空気。ワシはお前の周囲に限定してこれの濃度を下げておるんじゃ。さっき言ったじゃろ、お前の認識は違えておるとな」
「く、くるしっ……っ」
「そうじゃろう、苦しいじゃろう? そろそろ頭痛が響いて来たか? その内、吐き気を伴って呼吸が乱れてくるぞ。血の気も引いてゆき、そしてゆっくりと意識を失ってゆく」
こちらに辿り着いたマオステラが身を屈ませ、まるで子どもを諭す様にしてこれからペーシャの身に起こることを淡々と述べていく。
これが神の力かとペーシャは自身の浅はかさを後悔した。
自分の力が通じると勘違いしてしまったのだ。いくらルーゴ達から注意を逸らす為とは言え力の差を見誤ってしまった。
マオステラが手をかざすだけで手も足も出なくなってしまう。
空気がどうと言われてもペーシャにはまるで分からないが、それを操作するという事は極めて危険な攻撃だという事は理解できる。
「やめ、やめ……で」
「止める訳なかろう。羽虫の如く煩わしかったからの。お前だって目の前で虫が飛び回っておったら払い除けるじゃろう。殺されないだけありがたいと――」
静かに見下ろすマオステラの口が閉じる。
呼吸を乱されて意識が朦朧としていく中、ペーシャの視界の隅で誰かがマオステラの腕を掴んだ。
「そこまでにしておけ、マオス」
真黒の兜を被った男――ルーゴだ。
対するマオステラがペーシャから視線を外して睨みつける。
「しなかったらどうするつもりじゃ」
「そうだな、俺はお前と戦わなければならない」
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