41:頭冷やせ



「ペーシャは返して貰うじゃと? はっはっは! なんじゃこいつ、ワシの聖域を破れると思うておるんか! 笑わせるの!」


 ルーゴの宣言を受けたマオステラがこれは愉快と弾き返す様にけらけらと笑っていた。どうやら聖域とやらに絶対の自信があるらしい。


 投影魔法から様子見していた事を看破され、少々焦りを見せていた先ほどまでの様子はどこへやら、不敵に笑みを浮かべるマオステラはペーシャに振り返った。


「おい、お前はペーシャと言うのか!」

「は、はい……、一応」

「ならばペーシャ、この面白い小僧の名を教えろ!」

「え、えぇ……、そんな事言われても」


 う~ん、とペーシャは頭を捻らせる。名を教えろと言われ、そんなほいほいルーゴの名前を教えても良いのだろうか。


 ややもすれば名前を知ることで発動出来る魔法があるのかも知れない。マオステラが持つ手札が分からない以上、ルーゴの名を馬鹿正直に教える危険を犯す訳にはいかない。


「るぅー……ん? うん、ルークさんでっす」


 なのでペーシャは嘘を吐くことにした。


「ルーク、……ルーク? どこかで聞いた名じゃな。はて? じゃあペーシャ、このルークという男の家名は分かるかの?」


「そこまで聞くんすか。一体何の為っすか」


「え? あ、いや、ちょっと気になっただけじゃ」


 いや、露骨過ぎだろとペーシャは眉間に皺を寄せる。

 誤魔化すにしてももうちょっとどうにかならなかったのか。


 神と言えども所詮はシルフかと、ペーシャはシルフの癖して鼻で笑って嘘に嘘を重ねた。


「ルーク・オットハイドさんって言うんすよ」


 ルークの偽名は完全に思いつきであったが、繋がるオットハイド姓はルークに関連付けて述べた嘘だった。


 仮に名前を知ることを条件として発動出来る魔法が存在したとしても、ルーク・オットハイドは既に死去している為、ペーシャの嘘によって巻き込まれてしまう被害者は居ない。


「ルーク・オットハイドとな。ますますどこかで聞いたことがある名じゃが、全然思い出せぬな」


 『まあいいか!』と口角を上げてマオステラが指先をビシッとこちらに突きつけて来る。


「かかか! 仲間の名を敵に教えるとは愚か者め! お前は頭が悪いな!」

「そっすか」

「あまり驚いておらぬな。じゃが、これからワシが見せる闇魔法を見て、己が如何に愚かなのかを思い知るが良い!」


 豪快に笑ったマオステラが水球に映し出されるルーゴへと手の平を向けた。


 やはりか。

 だが頭が悪いのはお前だとペーシャはほくそ笑む。


 ルーク・オットハイドは既にこの世には居ない。投影魔法が映し出している真っ黒兜の本当の名前はルーゴである。つまりその闇魔法とやらは不発に終わるのだ。


「とくと味わえワシの闇魔法をッ!」


 マオステラが開いた手の平をぐぐぐと閉じていくと、ルーゴの様子が段々とおかしくなっていく。何故だか足を止めて胸を抑えている。


『む、何だこれは……っ』


 そんな苦しそうなルーゴの様子にペーシャは訳が分からず目を見開いていた。


「ええぇッ!? な、なんで! どうしてぇ!?」

「はっはっは! これがワシの闇魔法じゃ! 名前と容姿さえ分かってしまえば、どれだけ距離が離れていようとも攻撃出来る無敵の魔法じゃい!」


 握られる手がどんどん閉じられていく。


 伴ってルーゴが受けている苦痛が少しずつ強くなっていっている様だった。ティーミアの窃盗魔法すら受け付けなかったルーゴも、流石に神の魔法は払い除けられないらしい。


「しかしなんという奴じゃ。凡人なら既に意識を失ってもおかしくない筈なのに、ワシの魔法を受けてちょっと苦しいみたいな雰囲気しよって。むかつくのぉ」


 マオステラが手の平に込める力を更に強くさせる。


 その背後でペーシャは頭を抱えていた。


 それは偽名を教えた筈なのにマオステラの魔法が何故か効果を発揮しているからだ。それが意味するところのつまりは、ルーゴの本名がルーク・オットハイドということになってしまう。


 以前、巨大樹の森でティーミアと対峙したルーゴは兜を外していた。ペーシャは遠くから様子を見ていた為、彼らが何を話していたかは耳にしていない。加えてルーゴの顔もよく見えていなかった。


 だが、髪の色が『赤髪』だった事は覚えている。


「る、ルーゴさんってもしかして……」

 

 ティーミアが言っていたのだ。

 王国には馬鹿げた強さを持つ赤髪の魔法剣士が居ると。


 もしルーゴが本当にそのルーク・オットハイドなのだとすれば、なおさらマオステラに対抗出来る者はルーゴしか存在しないのではないのか。


 ここで彼を失う訳にはいかない。


「うおぉ! すまねぇっす……ルーゴさん!」


 今の状況は完全にペーシャの安易な発言で引き起こしてしまった事態だ。


 自分のせいで発動条件を整えてしまった闇魔法を止めようと、ペーシャが力をふり絞って体に巻き付いたツタを引き千切ろうとしたその時だ。


「がッ!?」

 

 マオステラが伸ばしていた腕から血飛沫が撒き散らかされた。


「わ、ワシの魔法を弾き返しよったか! なんなんじゃこいつ!? どういう魔法耐性をしとるんじゃ、本当に人間なのか!?」


 血相を変えてマオステラが血に濡れた腕を押さえた。


 名前を知るだけで遠距離からでも行使出来る闇魔法。強力な攻撃手段ではあるが、リスクはそれなりにあるようだ。


 どうやら神も完全無欠ではないよう様子。


『る、ルーゴさん? 大丈夫ですか?』

『ああ、問題ない』


 池に浮かぶ水晶には心配した様子のリリムと、それに応えるルーゴが映し出されていた。闇魔法を受けた筈のルーゴはピンピンとしている。


 マオステラは地団駄を踏んでぷりぷり怒っていた。


「なんじゃなんじゃ! ワシの魔法じゃぞ!? 何で『問題ない』で済んでおるんじゃい!」


 こちらからの声は向こうへは届いていないのか、ルーゴ達はマオステラを全く意に介していない。


『しかし、今のは一体なんだったんだろうね。もしやマオスが遠隔攻撃を仕掛けて来たのかな?』


 ラァラが周囲に視線を向けながらルーゴが受けた魔法をしばし思案する。彼女達はマオステラが攻撃しているといった事実をまだ知らない。


 正体不明の敵による正体不明の攻撃を受けて警戒心を強めている。


『これは恐らく闇属性魔法の類だな』


『なるほどね、確か闇魔法には名前と姿を知るだけで攻撃出来る魔法があったね。だとすれば、敵はどうしてか君の名前を知っている事になるよ』


『仮にペーシャを攫った敵がマオスならば流石は神と言ったところか。全てお見通しと言いたいらしいな』


 ペーシャは心の中でルーゴへ土下座する。

 私が名前を教えてしまいましたと。


「うぬぬぬぬぬ! ならば次の手じゃ! ワシが創った森の中でいつまでもでかい顔出来る思うなよッ!」


 マオステラは一度大きく息を吸い込み、魔法を弾かれた悔しさからか震わせていた体を落ち着かせると、血飛沫を上げた腕の出血が止まる。そして傷がゆっくりと治っていく。


 まるでティーミアが持つ『妖精王の加護』みたいだとペーシャは驚きで目を大きく見開く。


 いや、妖精王の加護ではない。あれはこの世に加護を降ろす存在であるマオステラが備え持つ再生能力なのだとペーシャは思い立つ。


 マオステラは不死身か。


 違う。同じ能力を持つティーミアとて不死身ではない。更には先ほどペーシャは神とて完全無欠ではないと認識を正したばかりだ。

 

 何らかの弱点は絶対にある筈。

 ペーシャは今度こそ気付かれないよう細心の注意を払って手に風魔法を込める。


「魔法の効果が薄いと言うなら直接攻撃するまでよッ!」


 傷が完全に塞がったと同時にマオステラが両手を振りかざせば、真っ赤に染まる池から新たな水球が浮かび上がった。


 そこに映し出されているのは角を生やした屈強な複数の狼達。どうやらストナウルフと呼ばれる凶悪な魔物達をけし掛ける様だった。


 ルーゴはリリムやハルドラといった非戦闘員を抱えている。彼女達を守りながらの戦闘は苦戦を強いられるかも知れない。


 今は自分に出来る事を成してルーゴを援護するべきだとペーシャは考える。


 自分の責任でマオステラに闇魔法という手札を与えてしまったのだ。せめてそれをさせないだけの働きはしなくてはならない。

 

「さあストナウルフ共! あとでご褒美をやるから森の侵入者共を痛めつけてやれ!」


 指を振るえばストナウルフ達はマオステラの指示の下、一斉にその足を駆けさせた。どこへ向かう。決まっている、ルーゴ達の元だ。

 

「そうはさせないっすよマオステラ!」

「なッ!?」


 渾身の力で風魔法を解き放ち、ペーシャは体に巻き付くツタを切り裂いた。


 唐突な事態に反応が遅れたマオステラの顔面目掛けて風の刃を放てば、頬を掠めて後方へと飛んでいく。


 まさかここに来て反撃してくるとは思っていなかったのだろう。首を傾けて避けられはしたが、ほんの僅かにダメージを与えることは出来た。そして水球から意識を逸らすことには成功した。


「お前、この聖域でワシを相手にする事がどういうことか分かっておるのか?」

 

 言われなくてもペーシャは分かっていた。


 この極彩色の景色を作り出す空間――聖域はマオステラの完全支配下にある。ありとあらゆるものを自在に操作出来るのだろう。そして脱出出来るかも怪しい。


 ペーシャに勝ち目はない。

 ただし、感知能力に関しては引けを取らないつもりだった。


「もう一度、縛り付けてやる!!!」


 ペーシャが風魔法を行使しようとすれば、すかさず地面から伸びてきたツタが足に絡み付こうとしてくるも、それより早くペーシャは空に飛び立った。


 ご丁寧に縛り付けてやると宣言してくれたマオステラにペーシャは感謝する。でなければツタを躱すことは出来なかっただろう。


「さあさマオステラ! 鬼ごっこ開始っすよ!」

「おんのれ、小娘めッ!」


 羽に風を纏わせて聖域の空を自在にペーシャは飛び回る。


 マオステラがそんなペーシャを捕獲しようと、周辺の木々から枝を鞭の様に震わせるも直撃することは無かった。


 ペーシャは全力で自分を中心に風を引き込んで匂いを感知している。マオステラが周辺の物質を動かそうとすれば、より早くそれを匂いで感知する。


 つまり攻撃を予知出来る。


 流石に地中から伸びてくるツタの匂いは感知出来ない為、ペーシャはこうして宙を飛び回っているのだ。


「へいへいマオステラ! 私はこっちでっすよ!」

「うぎぎぎぎ! ちょこまかと逃げ回りよって! ええい、子どものお遊びにかまけてられるかぁ!」


 マオステラが頬を膨らませながら水球へと視線を戻したので、ペーシャはその背中に突風をお見舞いする。


「ぶゃぁッ!?」


 突き飛ばされたマオステラがあられもない格好で頭から池に突っ込み、水飛沫を上げながら沈んでいった。


「頭冷やせこんにゃろ! 人の話を聞かないからそうなるんすよ!」

 

 人の話に耳を貸さず、まず話はしばき倒してからだと言ったマオステラに向かってペーシャは言い放った。


 それが本人の聞こえたかどうかは分からないが、マオステラは池の中央から静かに顔を出した。


「ワシが……、ワシが同じシルフだと手加減して、してやっとると言うのにににににぃぃぃぃ! おのれおのれおのれ! ペーシャ! お前はワシを怒らせたなッ!!!」


 わなわなと髪を震えがらせながらマオステラは怒髪天を衝いていた。頭を冷やすどころか更に沸騰してしまったらしい。 

 

 ペーシャは思わず肝を冷やしてしまうが、結果的にはルーゴ達から意識を逸らすことに成功している。あんな闇魔法をルーゴ目掛けて乱発されては困るのだ。


 例え闇魔法がルーゴに効果が薄くとも、彼はほんの僅かに苦しそうな様子を見せていたのだから。


 なんだかやり過ぎてしまった感も拭えないが、必ずルーゴ達が来てくれる筈だとペーシャは時間稼ぎに没頭すると覚悟を決める。


「泣いて許しを乞うても、もう絶対許してあげぬからな!!!」

「話を聞いてくれるまで絶対謝らないっす!!!」




 


 

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