40:マオステラ



 冷や汗が止まらなかった。


「み、皆さんどこでっすか……?」


 返答が戻って来ることは決して無い。

 それもそうだ。ペーシャの風魔法にて探知出来る範囲内には誰も居ないのだから。


 ペーシャはこの風属性の魔法を利用した『探知魔法』の索敵範囲を正確に調べたことは無いが、かなり遠くまで探れる事は知っている。


 シルフの巣。アーゼマ村。

 今まで居住地としたこの2つのいずれも、全体を覆える程ペーシャの索敵範囲は広い。加えて大体どこに誰が居るかを把握出来るくらいには正確だ。


 なのにルーゴ達を探知出来ない。


 つまりペーシャ、あるいはルーゴ達のどちらかが一瞬にしてどこか遠くへ移動してしまったことになる。


 この場合『ペーシャが移動した』が正しいだろう。

 目の前の景色が一変している。それが何よりの証拠だ。


 昼間でも薄暗い不気味な森、というのがマオス大森林が普段見せる景色である。しかしペーシャの眼前には、様々な色が散りばめられた極彩色の光景が広がっていた。

 

「ひぇぇぇ、ここどこだよぉ……」


 真っ白な木々は紫色の葉を生やし、地面には桃色の草がびっしりと生い茂っている。黄金色に輝く空には緑色の雲が浮かび、真っ黒な土に覆われる地面には青色の石が所々に転がっている。


 見るに明らか異常な光景だ。

 こんな景色を作り出せそうな者をペーシャは一人しか知らない。

 

 マオスだ、間違いない。


「何じゃお主、せっかくワシの聖域に招いてやったのに呆けよって」

「ひ、ひぇ!?」


 急に背後から何者かに語りかけられた。

 だがペーシャは振り返ることが出来ない。


 それは知っているからだ。強者とは決して関わってはいけないと独特な気配がする。妖精王ティーミアすら簡単に打ち負かしたルーゴがそうだった。


 そのルーゴと似た気配が後ろから感じられる。

 

「ん? 招いてやったは違うか。正確に言うならば、避難させてやったが正しいかの。まあどっちでも良いか。おい、そこのシルフ、こっちへ来るんじゃ」


 なんだか老人の様な喋り方だったがまだ年若い女性の声だ。その声色は随分と不機嫌そうにしている。何か怒らせるようなことをしてしまったろうか。ペーシャの頬に冷や汗が伝う。


「このワシがこっちへ来いと言うとるのに……、まったく最近の若いもんは礼儀がなっておらんな」


 声の主が溜息を吐けば、どこからか伸びて来たツタがペーシャの腕に巻き付いた。悲鳴を上げるのも束の間、ペーシャはツタに腕を取られて引き摺られてしまう。


「ぎぇ! な、何なんすかこれぇ!」

「はっはっは! 年寄りの言うことを聞かぬからそうなるんじゃ」


 引き寄せられて初めて声の主の姿を確認する。


 周辺の極彩色の景色と同様、真っ赤に染まった奇妙な池の畔で少女がこちらを見下ろしていた。


 背丈は人間の子どもと然程も変わらなく、シルフのペーシャから見てもやたらと幼い印象を受ける。


 ルーゴはマオスをティーミア達と同様のシルフだと言っていたが、目の前の少女にはシルフの特徴である羽がなかった。


「なんじゃ、人をジロジロと見よって」

「い、いや……、その」


 ただこの女がペーシャとルーゴ達を分断したには違いない。先ほど感じた花の香りが目の前の少女から感じられる。


「あ、あんたは一体、誰なんすか……?」


 関わってはいけないと理解はしている。


 初めてルーゴと相対した時と同じでロクな目に合わないだろう。それでもペーシャはこの少女の正体が気になって仕方がなかった。


「お、ワシの事がそんなに気になるか」


 ふふんと鼻で笑った少女がにやりと笑えば、鋭く尖った八重歯が顔を覗かせた。人間じゃない。だがシルフでもない。


「マオステラ・ラタトイプ。それがワシの名じゃ!」


 自身をマオステラと名乗った少女が淡い緑色の長髪を揺らしながら大げさに手を胸に当てた。


「妖精シルフから転じて精霊となった元妖精王、それがこのワシじゃよ。どうじゃ、シルフのお主ならマオステラの名を一度は聞いたことあるじゃろう?」


 ない。

 

 少なくともペーシャが記憶している中にマオステラの名はなかった。マオスという名ならつい昨日ルーゴから聞いたばかりなのだが。


「聞いたことないっすね。マオスと何か関係あるっすか?」


「今はそっちの名で通っておるんか。マオスとは友人が付けてくれたワシへの愛称じゃな。う~ん、本名よりマオスの方で通ってしまうのは何だか複雑じゃなぁ」


 難しそうな顔をしたマオステラが顎に手を当ててうんうんと唸る。どうやらマオスとマオステラは同一人物らしい。


 隙だらけだ。ルーゴと似た様な油断ならない雰囲気はあるが、どうも恐ろしいと言った印象は受けない。


 風魔法を纏って全力で空に飛び上がれば、ややもすればこの場から逃げられるのではないだろうかとペーシャは考える。


 マオステラはシルフを自称しているが羽がない。

 ならば空は飛べない筈だ。


「おっと、ワシの聖域から逃げられると思うなよ。反逆者め」


 ペーシャは魔法を使おうと一瞬だけ羽に意識を向けただけだった。それを敏感に察知したマオステラが指を振るうと、地面から真白い根が伸びてペーシャに纏わり付いてくる。


「いッ!? な、なんすか!?」

「大人しくするなら生かしておいてやる。同じシルフの好じゃ。だが王国に牙を向いたこの連中は絶対に許さぬがな」


 反逆者。王国に牙を向く。


 まるで何を言われているかペーシャは理解出来なかったが、マオステラが言った『連中』とやらが誰を指しているのかは分かった。


 マオステラが真っ赤な池に手の平を向けて上へ振るえば、巨大な水球が浮かび上がった。そこに映し出されているのはルーゴ、リリム、ラァラ、ハルドラの4人。


 この魔法は聞いたことがある。

 アーゼマ村を襲ったエルが使用していたという投影魔法の類だろう。


「ま、待ってくださいっす! 反逆者とか牙を向いたとか意味分んないっすよ! あの4人は少なくともマオステラさんの敵ではないっす!」


 嘘は言っていない。


 ペーシャ達はこのマオス大森林に踏み込むに当たって、マオステラとは遭遇しないよう警戒していた。そもそも敵対意志が無いのだ。


 だというのにも関わらず、マオステラは水球に映し出された4人に向かって敵意を隠さず睨みつけていた。彼らが一体何をしたと言うのだろうか。


「意味が分からないじゃと? っは、何を言うか。ならばワシがこの森に顕現する条件を教えてやろうか、小娘め」


 水球を睨みつけていたマオステラが振り返り、憎悪を剥き出しにした目がペーシャに向けられる。


 彼女が背にする景色がどす黒く染まっていく。まるで感情がそのまま映し出されてるかの様だった。


「王国の守護神であるワシが顕現する条件、それは国に敵意を持つ者、又はその配下がワシの創り出したこの森に攻撃した場合じゃ」


「こ、攻撃? してない! してないっすよ!」


「嘘を吐け。強大な魔力が森の一部を消し飛ばしたのを感じたぞ。悪意を持った者が何かをしでかさない限りワシは現れぬ」


 森を消し飛ばしたのはエルだ。


 マオステラの言った国への悪意が彼女にあったのかは知れないが、ペーシャ達がマオス大森林に攻撃した訳でない。


「お前達から森を消し飛ばした痴れ者の匂いを感じる。無関係だとは言わせぬぞ」


 周辺の木々が鋭く尖らせた枝先をペーシャに伸ばしてくる。まるで木自体が生きているかの様だった。


 聖域と呼ばれたこの空間に存在する物全てがマオステラの支配下か。そうなればペーシャに勝ち目はない。全身に纏わり付くツタが抵抗すら許してくれない。


 何か弁明しようにもマオステラはどうしてか頭に血が上っている様で、こちらの言葉を聞き入れてくれる様子ではない。


「ひとまず、話は全員しばき倒してからじゃな」


 マオステラが真っ赤な池に浮かぶ水晶へと振り返った。


「おぅ、なんじゃ?」


 するとマオステラは水晶が映し出す光景を不思議に思ったらしく、訝しげに全ての意識を水晶へ向けていた。お陰でペーシャに纏わり付いているツタの締め付けが緩む。


 一体どうしたのだろうか。


 ペーシャも伴って水晶へと視線を向ければ、そこに映し出されていたルーゴがはっきりと水晶越しにマオステラを睨みつけていた。


「な、なんじゃこいつ! 何故ワシのことが知覚出来る!?」


 ここに来てマオステラが初めて狼狽えた様子を見せた。


 ペーシャも訳が分からなかったがリリムがよく言っている『ルーゴさんはルーゴさんなのでしょうがないです』という言葉を思い出す。


 ルーゴは魔法のエキスパートであるというのがペーシャの認識だ。でなければ冒険者相手に魔法の講習なんてしない筈。


 だからルーゴはマオステラが使う投影魔法を看破する何らかの術を知っているのだろう。


「こいつ、ただの小僧ではないな」


 マオステラがルーゴに対する認識を新たにする。


「見ているな。お前がマオスかどうかは分からないが、ペーシャは返して貰うぞ」


 視線そのままにルーゴがマオステラに言い放った。


 そうだ。ルーゴは守ってくれると言っていたのだ。ならば必ず助けてくれるだろうとペーシャは根拠もなく安堵感に包まれてしまう。

 

 既に冷や汗は止まっていた。

 


 


 


 

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