36:再生の儀
扉の奥から二つの声が聞こえてくる。
一方は、まだ付き合いは浅いが良く知る男の声だ。ルーゴという偽名を使ってアーゼマ村にて用心棒をやっている英雄ルークの声。
もう一方は全く見知らぬ声だった。
男性とも女性ともとれない中性的な高い声が、扉の奥でルークと何やら話し合っている。
『今度はこの小娘を生き返らせるのか。あ~あ、どこもかしこもボロボロだぜ。もう少し手心を加えられなかったのかよ』
『加減していれば俺がやられていた。エルは強い。この子を野放しにしていればアーゼマ村も危なかっただろう』
そうだ。
エルはアーゼマ村を襲撃しにきた二人の内の一人だった。
村の広場ではあんなに無邪気な笑顔で、一緒に魔法の力試しをしていたというのに。ルークの背後に杖を向けたエルの目は、どこか虚ろで何も見ていなかった。
あんな目をして誰かを殺そうとした者は初めて見る。
とても恐ろしかった。
『ふぅん? アーゼマ村が危なかった……ね』
『何がおかしい』
『あの日、この小娘は国を想いお前を殺そうとした。今一歩覚悟は足りなかったようだがなぁ。それとは反対にお前はアーゼマ村を想い、エルをこんな状態にしてしまった』
『…………』
『勿論、襲い掛かって来たのはエルの方だぜ? でもよ、大小は違えど互いに守るべき物があったのには違ぇねえと思ってよ』
『そうだな』
あの日のこと。
それはルークの口からは何も知らされていない。
ただ、今までの発言からエル、そしてリーシャという教会に居た女と何があったのかは推測出来る。
ルークは自分の仲間に裏切られたのだ。
それはどれ程ルークの心に傷を付けたのだろうか。
そして、かつての仲間達はルークが生存している事実を知らない。だから無謀にもエルはアーゼマ村を襲撃し、死亡した。
ルークの家に運び込まれたエルは既に息をしていなかった。彼女は死に際に何を思ったのだろうか。目尻から頬へ伝った涙の跡を見ても、何も分からない。
『俺様は知ってるぜ。このエルって子がどんな想いでお前を手に掛けたのか。何故、あれほど好いていたお前を殺そうとしたのかをな』
『……話せ』
『お前が国を、民を守るのに必死だったからだ。エルはあの日、お前と国を天秤に掛けて両方を取ったんだよ、年端もいかない子どもの癖して傲慢にな』
『どういう意味だ』
『国がお前を殺すと決定した時、子どものエルに何が出来る。一緒に逃げるってか? あの陰険なジジイが絶対にそれをさせねぇ。だからエルは選んだんだ。国を守るというお前の意志を継ぐってな。まあ俺にはその考えはさっぱり分からんがな』
呆れた様な声が向こうからこちらまで小さく届く。
聞いてはいけない話を聞いている気がした。
国がなんだ、守る意志がなんだと。
ルークは国唯一のSランクにして英雄だ。
色々としがらみがあるのだろう。
エルも同様に。
『何故、お前がそれを知っている』
『あの日以降、こいつは毎晩毎晩ずっと教会で俺に祈ってたのさ。これで間違いはなかったのか。この選択は正しかったのだろうか。ベネクス様、お願いだから教えてくれってな。ガキの癖して、そのちっせぇ頭で色々考え込んでたよ』
『リーシャ……、リーシャはどうだったんだ』
『あいつの主神はアラトのくそったれだからな、俺に祈りは届かねぇよ。だから知らねぇさな』
エルはどうやらルークを殺した事を後悔していたらしい。だから余計に不思議に思ってしまう、そんな子がどうしてアーゼマ村を襲撃するだなんて真似をしたのだろうかと。
国の為と言うなら、例え田舎の村民だろうとどうなっても構わないのだろうか。
『そういえば、なんて言ったっけか? 生意気にも妖精王を名乗ってるあのガキの名前は』
『ティーミアだ、忘れるな』
『そうそうティーミアな。あいつがエルの死体を見た時の顔、どう思った? 俺には全く分からんかったのよ。出会ってたった1日の相手に背信されただけだぜ?』
『何故お前がそれを気にする』
『特に意味はねぇよ。ただ、いたずら妖精はそんなこと気にしねぇぐらい、もっと神経が図太い筈だと思っただけだよ。マオスみたいにな』
『ティーミアは仲間想いの子だ、シルフ達を守る為に戦争を起こそうとした程にな。だから余計にショックを受けただろう』
『ふぅん。随分と心優しい妖精王が居たもんだな』
マオス。
その名は知っている。
シルフ達の祖先の名だ。
彼女もまた、妖精王を名乗っていたらしい。
『さて、準備が整ったぜ。これから再生の儀を執り行う。リスクは分かってるんだろうな? なにせ自分の加護を他人に分け与えるんだ。例えお前だろうとそれは避けられねぇ』
『分かっている』
『勿論、この子にもリスクは及ぶ。不老不死を中途半端に与えちまうんだからな。不死はまあ良い、生き返るだけだ。だが不老はどうだ、この子の成長の一切を止めちまう』
『……分かっている』
『ケケケ。歳を取らねぇ事を喜ぶ奴は少なからず居るが、これはそんな生易しい物じゃあねぇ。一切成長しねぇんだ、将来身に付ける筈だった力も、魔法も、その全てを失っちまう。おまけに体も成長しねぇが、肉体を構成する魔力はどんどん衰えていく。不老なんて名ばかりだな』
『だが、それを受け入れてなお生き返るかの選択をするのは……エルだ』
『まあ、そうだけどよ。ひとまずはだ、あっちに行ってエルに直接聞いてみるとするかな』
――お前はそれでも、もう一度ルークに会いたいかとな。
瞬間、ルーク達が居る部屋の室内が真っ赤に染まった。
扉の隙間から光と火が漏れ出ている。
なのに全く熱は感じない。
これが、もう一つの声の主――ベネクスが言った『再生の儀』なのだろうか。煌々と赤光を瞬く室内から、ルークの声が聞こえてくる。
『エル。戻って来い……、俺はまだここに居る』
ルークは一体何を思ってそんな事を言うのだろうか。
自分を二度も殺そうとした相手に何故、戻って来いなんて言えるのだろうか。こっちは出会ったその日に裏切られただけで、胸が張り裂けそうだったというのに。
――また後でね。
エルはその言葉に笑みを浮かべて手を振り返してきた。
――騙してごめんね。
なのにエルは、投影魔法を通してこちらに向かってそう言った。
すぐにエルの元へ向かおうと思った。
何故、どうしてだ、と。
生憎、リリムに絶対行っては駄目だと言われて止められてしまったが。
「友達に、なれたと思ったのに」
ルークからは『誰もこの部屋に近付けないでくれ』と言われていた。だけど、申し訳ないがちょっとだけ外の空気を吸わせて貰うとしよう。
エルがもし本当に生き返るのだとしたら、思いっきりその顔面をぶん殴ってしまいそうだったからだ。
そういえば、とラァラがギルドの食堂にてルークに言っていた言葉を思い出してしまう。『やり返してやろうとかは思わないのかい? 』そんな事を言っていた気がする。
ルークは何故、我慢出来るのだろうか。
「ずっと仲間だった奴らに裏切られたんでしょ。あんたは、一体、どういう気持ちで」
「ティーミア」
頭を冷やす為に外へ出れば、そこに居たリリムが身を屈ませて視線を合わせてきた。彼女もエルとルークの事が心配で様子を見にきたのだろうか。
けれども今は、とても心配そうな目でこちらに顔を覗かせている。
「大丈夫ですか?」
「……うん」
「ティーミアは、強い子ですね」
目元をハンカチで拭われる。
そしてリリムはそっと胸に抱き寄せて頭を撫でて来た。まるで小さな子どもをあやすみたいに。
そっと視線を空へ向ければ月が夜空に浮かんでいる。
アーゼマ村へ来ていた冒険者は未だ村の外を警戒中だ。ルークとエルへ襲い掛かった魔物達がまだ残っているかも知れないからと。
ガラムが指揮を取っているらしい。
明日、ラァラがこの村に来るまでの代わりとして。
「エル様の様子はどうでしたか?」
リリムはエルが死んだ事を知らない。
だからこんな事を聞いてくる。
「きっと大丈夫よ、ルーゴに任せておきなさい。それにあんたはこんな所で夜更かししてないでしっかり休みなさいよ。もしかしたら冒険者達が魔物と戦って怪我するかも知れないんだから」
加えて、仮にエルが生き返ったとして、彼女の身がどうなるのか分かったものではない。ルークはリリムの事を信頼している。だからきっと、もしものことがあれば彼はきっとアーゼマ村の薬師を頼る筈だ。
リリムにはその時に備えてしっかりと休息を取って貰わなければいけない。
それにいつまでもリリムが帰って来なければ、彼女と寝食を共にしているペーシャが心配する筈だ。
「そうですね、分かりました。ティーミアもあまり夜更かししてはいけませんからね。ちゃんと睡眠を摂らないと大きくなれませんよ?」
「あたしをなんだと思ってるのよ! それにシルフはこれ以上成長しないの!」
「そ、そうなんですね。知らなかったです」
「はい、行った行った。あんたこそちゃんと寝なさいよね」
手を振るってリリムと別れを告げる。
そして振り返る。
ルークとエルが居る部屋には窓がなく、外からではまだ再生の儀とやらが行われているかも分からない。エルが今、どうなっているかも分からない。
だけど、帰って来て貰わなければ困る。
一度約束してしまったのだから。
『エル、また後でね!全部片付いたら今度こそ決着付けるわよ!』
と。
エルの魔法の威力は凄まじかった。彼女自身が発動した投影魔法すら破壊してしまう威力だ。あとで確認すればマオス大森林の一部が抉れていた。
ルークは何とか耐えたようだったが、自分があれを受ければいくら妖精王の加護があろうともタダでは済まないだろう。
そうだ。広場での魔法の打ち合い、そこでのエルは手加減していた。こっちは妖精王の加護で魔法を強化していたというのに。
これがルークの元仲間の実力かと歯痒く思えてしまう。
ルークの仲間として負けていられない。
今度こそ、決着を付ける。
「だからエル、早く戻って来なさいよ」
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