31:彼に危険はあり得ない


 

 リズが突如として杖に変化した。


 それを見たペーシャは不思議そうに目を丸くしていたが、リリム自身も全く訳が分からない。未だに頭が混乱している。なにしろ突然の出来事だったのだから。


 リズは何かしらの魔法を使用したのだろうか。

 いや、違う。彼女自身も酷く困惑していた。


 それはつまり予想外の出来事だったということ。

 

 魔紋が刻まれていると言ったリズがその魔導書に触れた瞬間、リズは杖に変化してしまった。


 だからリリムはペーシャに言う。


「ペーシャちゃん、その魔導書に触れては絶対にいけません。杖にもです。何が起こるか分かりません」

「で、でも……、分からないなら尚更調べなくちゃ……」


 それでもなお手を伸ばそうとするペーシャの手をリリムは無理やり引き離す。


 これは直感だ。

 あの魔導書に刻まれた魔紋がリズに魔法を放った。


 魔紋とやらはリリムも全く知識にない。だがそれがもし、時限式の罠を発動する為の物だったとしたら。それがもし、遠隔で魔法を行使する為の物だとしたら。


 それはつまり、攻撃されている事を意味する。


 誰がそんな事をしているかは知れないが、リリムの頭の中ではロポスの顔が浮かんでいた。彼が背負っていた杖、それに酷似した杖がリリムの足元に転がっている。


 ロポスは言っていた。


『窓からちょろっと、机の上に魔導書が見えたものでしてねぇ』

 

 何故、覗き込んだ?

 

「ペーシャちゃん、急いでルーゴさんの元へ行きます」


「リリムさん? 診療所はどうするんでっすか。ルーゴさんの所へ行くのなら、私がお留守番してなきゃまずいんじゃ……」


「この状況であなたを一人にする訳にはいきません。ペーシャちゃんも行きますよ。お願いですから私の言う事を聞いて下さい」


 ペーシャに視線を合わせてリリムは言う。


 そうとう切羽詰まった表情をしていたのだろう、顔を見合わせたペーシャが大人しく頷いたのでリリムは早足にと診療所を後にする。


 リズには申し訳ないが杖はここへ置いていく。

 何せ触れれば何が起こるから分からないのだから。


 ルーゴはアーゼマ村の広場で冒険者相手に講習を行っている。そこへ行けばひとまず危機は脱せるだろう。







 ルーゴの元へ辿り着いたリリムは目を疑った。


 それは広場の中央にて一人の小さな女の子が、妖精の王であるティーミアと互角に魔法を撃ち合っていたからだ。


 鮮やかな空色の髪をした少女だ。


 冒険者だろうか、その少女はローブにあしらわれたリボンを揺らしながら、一歩と踏み出して握りしめる杖から炎の魔法を放ち、ティーミアが巻き起こした風を真正面から迎え撃つ。


 相殺だ。


 交わった魔法と魔法は互いに威力を打ち消し合い、激しい衝撃波を起こして宙に霧散した。それは互いの力が拮抗しているなによりの証明だろう。


 ティーミアは『妖精王の加護』の力を使って自身の魔法を強化している。それに勝てずとも劣らない魔法を放った少女にリリムは瞠目する。


「くっそぉ! あんた強いわね、やるじゃない!」

「ほんと? 妖精王様にそんなこと言われたら……エル、照れちゃいますっ」


 魔法の衝撃によろめいて尻餅をついてしまった少女――エルにティーミアは手を差し伸べる。エルは満面に喜色を湛えてその手を取った。


 まるで青春物の本から1ページを切り取ったような光景だ。反対にリリムは自宅で人が突然杖になるホラーの真っ只中である。


 ただ、今のアーゼマ村にエルが来ているのは僥倖だろうとリリムは考える。なにしろエルはギルドが誇るAランク冒険者なのだから。


 リリムはティーミアとエルの様子を見守っていたルーゴの元へと寄って行く。


「ルーゴさん、どうしてエル様がこの村に来ているんですか?」


「む、リリムか。お前はエルの事を知っているのか」


「当たり前ですよ。彼女はルーク様の元パーティメンバーなんですから。知らない人の方が少ないですよ。それで、エル様もルーゴさんの魔法講習を受けに来たんですか?」


 リリムはルーゴへそう問いかける。 


 本名をエル・クレアというその少女は、この国において知らない者はほとんど居ない。何故なら英雄ルークの元パーティーメンバーとして名を馳せるのが彼女だからだ。


 だからこそリリムは不思議に思う。

 魔法講習のこの場に、何故エル・クレアが居るのだと。


 エルは13才にして魔人と呼ばれる程の魔法使いだ。そんな彼女がどうして魔法を教わる必要があるのか甚だ疑問だ。


「ラァラが薦める者がアーゼマ村で魔法を教えていると聞きつけたらしい。まだまだ自分は経験が浅いとエルはアーゼマ村へ足を運んだようだな」


「そうなんですね。エル様の魔法の腕前はAランク冒険者の更に上を行くと聞きますが、それなのにまだ経験が足りないと。頑張り屋さんなんですね」


「……、そうだな」


 ルーゴがエルから目線を一切離さずに頷いた。

 彼も努力家なエルの事が気になるのだろうか。


「そうだリリム。今日は珍しくペーシャを連れているな、何かあったのか」


 視線そのままにルーゴが聞いてくる。

 普段は広場へ連れてこないペーシャを引き連れたリリムを見て、ルーゴは何かを察知したのだろう。


 ラァラも妙に鋭い所があった、その師であるルーゴも勘が良いらしい。流石は師弟と言うべきか。リリムは頷いて診療所での出来事を語っていく。


 教会の聖騎士リズが来たこと。

 リーシャに2つのお告げが降りたこと。


 そしてだ、


「そのリズさんが杖になっちゃったんです」

「ん?」


 その言葉が妙に引っかかったのか、ルーゴはようやくエルから視線を切ってリリムへと顔を振り向かせた、困った様に顎に手を当てながら。


「リリム、お前は何を言っているんだ」


 リリムも自分が何を言っているか分からなかった。


 だが、リズが杖になったのは事実だ。

 そこに付け加えてリリムは事の詳細を話していく。


「リズさんは魔紋が刻まれていると言って、私の魔導書に触れたら杖になっちゃったんです。私も咄嗟の事だったので訳が分からなくて」


 リリムがそう説明していくと、ルーゴは確認を取る様にしてリリムの隣に居るペーシャに視線を下す。それにペーシャが頷いた。


 魔紋。魔導書。杖。

 それらの説明に加えてリリムは更に補足を入れる。


 診療所にはリズよりも先に、王盾魔術師ロポス・アルバトスという黒尽くめの男が訪ねて来ているということを。


「なるほど、王盾魔術師か……」


 言ってルーゴは広場の中央にて、魔法の打ち合いをしていた二人の少女達を呼び付ける。その名を呼ばれたエルとティーミアがこちらに駆け寄って来た。


「ちょっとルーゴ、あたしは今このエルって子とどっちが強いか決着を付ける所なのに。一体なんの用なのよ」

「エルは別に良いけど……」

「あたしが良くないの!」


 急に呼び出されたのでティーミアはエルの手を引きながらぷりぷりと頬を膨らませていた。そんな子どもっぽいティーミアを諭すように、ルーゴは腰を落として視線を合わせる。


「済まないティーミア、そしてエル。敵だ」


 その一言でティーミアとエルの目付きが変わった。


「ティーミア。お前には他のシルフ達と連携して、村の住民達の安否確認を行って貰いたい。お前達シルフには羽があるからな、俺が闇雲に走り回るより余程効率が良い。頼めるか?」


「まあ、あんたのお願いならやぶさかじゃないけど。それで? その敵とやらを見つけたら倒しちゃって良いの?」


「交戦するな。ロポス・アルバトスと言う黒尽くめの男をもし見つけたのなら、俺が合図するまで様子を見ろ。してシルフ達に言い付けるんだ、絶対に村の外へ出るな、とな」


 そこまで説明したルーゴが『頼んだぞ』と告げれば、それを合図にしてティーミアはペーシャの手を引いて上空へ飛び上がる。


「さあ聞いたわねペーシャ! 行くわよ!」

「あいあい! 妖精王様!」

「エル、また後でね!全部片付いたら今度こそ決着付けるわよ!」


 羽に風を纏わせて二人のシルフが一気に空を駆け抜けて行った。その後ろ姿に『また後で』と言われたエルが手を振って見送る。


「は、速いですね。さすがシルフです」


 空を自在に飛び回る二人の少女を見て、リリムはふと自分も羽が有った子ども時代は、あそこまでとは言えないが空を飛んでいた事を思い出す。


 今は引きちぎってしまったので飛べないが。

 と、感傷に浸っている場合ではない。


「ルーゴさん、安否確認ってどういう事ですか?」


「リリム、お前は言っていたな。ロポスが訪ねて来た後にリズが杖になってしまったと。加えて、そのロポスが大量の杖を背負っていたとな」


「は、はい。言いましたが……それがどうしたんですか?」


「背負われた杖。それは、リズの様な元人間なのではないかと俺は考えている」


 確かに。そう思ったリリムの背筋に悪寒が走る。


 リズが変化した杖は、ロポスが背にしていた杖と酷似していた。ならばその杖も元人間の被害者ではないかとルーゴは考えたらしい。


 もしその考えが正しいとするなら、早急に必要なのはアーゼマ村の住民の安否確認だ。なにせロポスはこのアーゼマ村に居たのだから。


 そして次にするべき事は、


「俺がロポスを捕まえる」


 言ってルーゴが地面を蹴ると魔力の波の様な物が広がっていった。リリムは以前にこの魔法を見たことがある。


 確か『お掃除魔法』と言っていた筈だ。

 何故、今この状況で? とリリムは考える。


 ルーゴの隣に居たエルも同じ疑問を頭に浮かべたらしい。


「ルーゴ先生、これお掃除魔法だよ?」


「そうだな。だが全体に広がる波の様なこの魔力は応用の幅が広い。エル、お前も魔人と呼ばれる魔法使いなら固定観念に捕らわれるなよ。魔法の世界は想像力だと言う事を忘れるな」


 指摘されたエルが考え込むようにして口元に手を当てる。

 そして答えを見つけたらしい。


「逆探知?」

「ああ。ロポスとやらが魔紋を扱えるレベルの魔術師であるならば、迫り来る魔力の波を警戒して必ず反応を示す筈だ。その正体が掃除の魔法だとしてもな」


 魔力の波が広がってアーゼマ村全体に行き渡る頃、リリムには分からない何かを察知したルーゴとエルが同じ方向へ顔を向けた。


「居たな。あそこか」

「随分警戒してたんだね、たぶん防御魔法使ったよ」

「生活魔法相手にな。まるでいつ攻撃されても対応出来る様に構えてたみたいじゃないか、この田舎村で」


 鼻で笑ったルーゴが隣のエルにポンと手の平を乗せた。


「今から軽く攻撃する。エル、俺の魔法に合わせろ」

「わかった。エル頑張ります」


 視線を向けた同方向にルーゴが手の平を向けると、突如として出現した縄が射出された。その縄はまるで生き物の様に障害物を避けながら進んで行く。


 この魔法もリリムは見たことがある。

 以前にマオス大森林で教えて貰った捕縛魔法だ。


 やがて手応えを感じたのかルーゴが縄を掴むと、隣のエルがあろうことか縄に向かって杖から電撃を放ち始めた。


「うわぁ!! か、雷!?」

「リリム。危ないから離れていろ」


 唐突に放たれた電撃にリリムは素っ頓狂な声をあげる。


 そんなリリムの悲鳴をかき消す様に、空気を叩きつけるようなスパーク音が鳴り響いていた。空中にはバチバチと青白い稲光が瞬いている。


 リリムは容赦の無いその雷撃に表情を引き攣らせながら一歩と後退った。今のあの二人に近付くのは危険過ぎる。広場で魔法の練習をしていた冒険者達も何事だと騒いでいた。


 その電撃は縄を伝って捕縛された者をビリビリと感電させていることだろう。


 同じ縄を掴んでいるルーゴが感電していないのが理解出来ないが、リリムは縄で捕縛されているだろうロポスに同情した。


「エル、俺は魔法耐性があるから平気だがやり過ぎだぞ。これで相手が何の罪も無いシロだったらどうする。少し痺れさせるだけでいい」


「え、あ……、ごめんね? 敵って言うからつい」


 エルが舌を出して可愛らしく謝罪し、放電を止める。その横でルーゴが嘆息しながら縄を引いていくと、プスプスと煙を上げる黒尽くめの男が引き摺りだされた。


 ロポスだ。


「ぐおぉぉ。き、貴様らッ! 突然なんなんだ! 私を誰だと思っている……ッ! 私は王盾魔術師ロポス・アルバトスだぞ……!」

「そう言うのなら徽章を見せろ」

「ぐッ……!」


 ルーゴに指摘されたロポスが黒こげの顔面を引き攣らせた。その様子にリリムですらこりゃ持ってないなと確信する。


「王盾魔術師を偽称すれば重罪だぞロポス。それにお前が身に纏う魔力は邪悪が過ぎる。何者か答えて貰おうか」


「こ、このど腐れ野郎め!」


 更なる詰問にロポスは狼狽した様子でルーゴに手の平を向けた。


 放たれたのは炎の砲弾だ。

 だが、それはルーゴには届かない。隣のエルがそれを許さず、杖先から放たれた突風が蝋燭を吹き消すように鎮火してしまった。


「そんな馬鹿な……」

「抵抗は無駄だロポス。この子はAランク冒険者だ、そこらの小悪党なら太刀打ちすら許されないぞ。さて、もう一度聞こうか、お前は何者だ」


 ルーゴが手に力を込めると、呼応するように縄がロポスへの締め付けを強める。先ほど魔法を放った腕すら縛り取られ、今度こそ抵抗は出来なくなった。


 ルーゴ達の後方でその様子を見守っていたリリムはロポスを心底可哀想に思ってしまう。


 シルフの巣へ突入した時もそうだった。

 ルーゴを前にすると脅威が脅威でなくなってしまうのだ。


 それに今日のアーゼマ村には英雄ルークのパーティーメンバーであったエル・クレアも居る。そこに加えて異常な剣の腕前を持ったガラムまで居るのだ。


 リーシャに降りたという2つのお告げ。

 あれは間違いだったのだ。ルーゴに危険という2文字はない。


 女神のお告げも絶対ではない筈だ。

 死人なんて出る訳がない。

 今のリリムにはそう思えた。

  


 

  


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