30:魔紋
リリムの診療所に訪ねて来た聖騎士。
自身をリズ・オルクと名乗った彼女はどうやら、リリムとルーゴに危険を知らせる為にアーゼマ村へと訪れたらしかった。
リリムがリズの姿に怯えて玄関の扉を閉めた時、剣を引き抜いてでも扉を破壊しようとしたのはその為とのこと。既にリリム宅へ敵が押し寄せて来ていたのかと勘違いしたらしい。
迷惑極まりないが、そう言えば『敵の手が』どうとか言ってたなぁとリリムは思い出す
しかしリズは敵がなんだと言うが、はっきり言ってリリムの敵は聖女リーシャである。その関係者、リーシャ専属の聖騎士と言うリズもそこに含まれるのだ。
なにせ以前、その命を狙われたのだから。
「その件に関しては本当に申し訳ございませんでした。聖女リーシャに代わって私、リズ・オルクが深く謝罪致します」
それ故にリズは騎士としてのプライドも捨てて深々と頭を下げるのだろう。
この場には居ない自身の主の名を出すと言うことは、リーシャも同様の気持ちなのだろうかとリリムはひとまず謝罪を受け止める。
「わ、分かりましたから、そんな事しないでください。リズさんが私にこうして剣を向けて来ない時点で、もう敵意はないんだなって伝わってますから」
「とても寛大な心遣い、なんと感謝申し上げれば良いか……」
リリムがそんな事やめてくれと頼むとリズは申し訳なさそうに頭を上げる。
誠意は既に伝わっている。
リリムに対して二度とその剣を向けないだろうということは、陳謝の意を灯すその目から伝わってくる。
少なくとも、先ほど診療所に訪れたロポスと言う黒尽くめの男よりかは信用出来るだろう。
「ささ、リズさん、どうぞ座って下さい。何かお話があるんですよね?」
「はい。とても大事なお話があります」
診療所内の一室にリズを通して椅子に座って貰う。
かつて命を狙われた者を部屋に通すのは些か不用心が過ぎるが、背後のペーシャが先ほどから臨戦状態なので一応何かあっても対処は出来るだろう。
リズが聖騎士であると名乗った時点で、教会での一件を知らされているペーシャが、腕に風を纏わせながら即応の体勢を執っていた。
「リズって言いまっしたか? 腰にあるその剣を私に預けてくれないすか。敵意はないみたいっすけど、一応刃物はリリムさんに近付けないで欲しいっす」
ペーシャはリリムの身を案じてそう言ってくれている。
けれどもリリムは申し訳ないがペーシャに風魔法を解くようお願いした。リリムの命を狙ったのはリズではないからだ。
だが、ペーシャは首を横に振ってリリムのお願いを拒否する。
「駄目っす。この人……、いやこの人達は一度、リリムさんの命を狙ったんすよね。私はこのリズって言う聖騎士が信用出来ないっす。さあ、その剣をこちらに渡して下さいっす」
「ぺ、ペーシャちゃん?」
普段のペーシャからは考えられない強気な姿勢にリリムは思わず息を飲む。
今まで一緒に暮らしていて感覚が麻痺していたが、シルフはCランク冒険者が歯が立たない程の実力を持っているのだ。今のペーシャにはその気迫が感じられる。
お前は信用に足りないから剣を渡せ。
そう言われたリズはコクリと頷き、ペーシャの言う通り剣を手渡した。
「あれれ? 意外と素直っすね。もっと渋ると思いまっしたが。もしや私の気迫にビビッてしまいまっしたか?」
「そうですね。私としましても、剣を渡すことで納得して頂けるのなら素直に渡す事にします。せめてもの誠意です」
腰を上げたリズが大人しく剣を渡すと、伴ってペーシャも腕に纏った風魔法を解いた。
ペーシャが納得したことで話しの場が整ったことだろう。
リリムはリズに腰を降ろすよう促して、先ほど彼女が口にした『敵の手』がどうという物騒な話の詳細を伺う。
何やらリリムとルーゴに危険が迫っているようだと言うが。
「リズさん、危険って何の事ですかね。こんな平和な田舎村に危険なんてあるのでしょうか?」
リリムの認識はそうだった。
アーゼマ村には度々魔物が来ることもあるが平和そのものである。
先日、お隣さんが結婚生活50年目にして勃発させた初の夫婦喧嘩が、大事件だとリリムの耳に伝わるくらいには平穏だ。
それを話すと、リズはその認識を正すように大きく咳払いする。
「この場合リリム様がと言うよりも、アーゼマ村全体の認識がおかしいと言うべきですね」
「と言いますと?」
「リリム様は現在、この国が置かれている現状は知っておいででしょうか?」
そう言ったリズがその現状とやらをつらつらと説明していく。
英雄ルークが死んだ事で魔物が活性化し、人畜被害が急増している事。魔物に対抗する人材が常に不足している事。死傷者も絶えず増え続け、行方不明者の数も増している事。
それらをリズは丁寧に説明していった。
しかしリリムはその話自体は把握している。なによりつい最近、シルフに積み荷を奪われた事は記憶に新しい。魔物が活性化している現状はアーゼマ村も無関係ではないのだから。
「たしかにそのお話はよく耳にしますが……」
その言葉にリズはピクリと眉を寄せた。
何か言葉選びを間違えてしまったかとリリムは肝を冷やす。そんなリリムにリズは険しい表情をして一本、指を立てた。
「そのお話はよく耳にする。リリム様はそう言いますが、現状……それで済んでいるのがおかしい事なのです。リリム様はこんな話を知っていますか?」
「え? な、なんでしょうか?」
「王都の周辺に存在する村落にてここ最近、行方不明者が増加しています。また、一夜にして住民全員が姿を消した村もあるのです」
なんて思わずぞっとする話をリズは言う。
それを知っているかと言われれば、リリムは頭を振るしかない。魔物の被害が増えていると口伝で聞いてはいても、そんな住民全員が姿を消しただなんて話は聞いた試しがない。
それを伝えればリズは険しい表情そのままに話を続ける。
「聞く所によりますとアーゼマ村はここ最近、魔物による被害者はゼロのようですね。だから私はリリム様の認識がおかしいと言うのです。周辺の村落がそんな現状だと言うのにも関わらず」
「で、ですが、アーゼマ村が平和なのはルーゴさんのお陰で……」
そうだ。
アーゼマ村にはAランク冒険者をものともしないルーゴが用心棒をしてくれている。だからこの村は平和が守られている。
「確かにその通りですね、ルーゴ様は非常にお強い。私もアラト聖教会での一件にてその実力の一端を直接向けられましたから。ですが、それは話の肝ではありません」
ルーゴは強い。
リズもそれを知っているのだろう。
だが、それを踏まえて彼女は先ほど言ったのだ。
リリムとルーゴに危険が迫っていると。
アラト聖教会の聖騎士であるリズがそれを確信した様に言うのは、それはきっと、女神アラトのお告げに関係があるのかも知れないとリリムは思う。
どうやらその直感は正しかったようで、
「今朝、リーシャ様に新たなお告げが2つ降りたのです。それを伝えようにもリーシャ様は現在、ルーゴ様によってアーゼマ村へ近付く事を禁じられていますので、こうして私が使者として参った訳です」
「ルーゴさんが……、そうだったんですか」
「はい、お恥ずかしながら。教会での一件以降、私はルーゴ様と手紙のやり取りをしていまして、そこで色々と話し合いをさせて貰いました」
リズが申し訳なさそうに頷く。
リーシャがアーゼマ村への接近禁止命令をルーゴに出されている事も若干気になるが、リリムはお告げの詳細を訊ねるとリズは指を2本立ててお告げの内容を語っていった。
一つ。
アーゼマ村に住む知人、またその者が庇護する者に危険が迫っている。リーシャに降りたお告げに綴られた知人。それはルーゴの事を示す。
一つ。
アーゼマ村にて死人が出る。
それはまさに読んで字の如く。
その2つのお告げをリズは語った。
「死人が出る……。そんなまさか」
それを聞いたリリムは思わず口に手を当てる。
つい最近まで『死』だなんて自分には無関係だと思っていた。だが、リーシャに命を狙われた事によって、リリムの中で死が鮮明にイメージ出来るようになってしまっていた。
「り、リリムさん。顔色が悪いっすよ?」
「大丈夫です。ちょっと衝撃的だったもので」
背後のペーシャが心配そうにこちらを覗き込んでくる。後ろから見てもリリムの様子は普通ではないとペーシャの目に映ったのだろう。
ひとまず心配はいらないと伝えてリリムは考え込む。
リズの説明では王都周辺の村落にて行方不明者が続出していると言っていた。その上で女神が『アーゼマ村で死人が出る』とお告げを降ろしたと。
この2つは無関係ではないとリリムは考える。
アーゼマ村は平和だと言ったリリムの認識がおかしいというリズの言葉は正しいのだろう。
ただ、一つ疑問はある。
「リズさん。どうしてその話をわざわざ私にするんですか?」
「そうですね。一つ目のお告げにある庇護される者、それを私とリーシャ様はリリム様であると確信したからです。ですのでお告げの内容はあなたにも伝えるべきであると。脅すような言い方はすみませんでした」
謝罪と小さく頭を下げてリズは続ける。
「私としてもこれを真っ先に報告すべきはルーゴ様とアーゼマ村の村長様であると考えたのですが、どちらもご自宅には不在でしたので。診療所を開いているリリム様ならご在宅かと思い、先にこちらへ伺ったのです」
なにやらルーゴが不在だったのでリズはまずリリムを訪ねたとのことだった。
先ほど診療所を訪ねて来た自称王盾魔術師ロポスもそんなこと言ってたなぁと、リリムは思い出す。
今日のルーゴは村の広場にて、ギルドから来た冒険者達へ魔法の講習を行っているのだ。自宅に出向いても居ないのは当然。
しかしそれはどうでもいい。
そもそもだ。
何故に一度リリムの命を狙ったリーシャ達が、そのリリムを心配する様にして使者まで寄越して危険を伝えに来たのだろうか。それが全く分からない。
リズには確かに敵意は感じられない。
だが完全に信用出来るかと言われればそうでもない。
彼女が言った死人が出るという話の真相はさておき、その問題はリリムが抱えるには荷が大き過ぎる。
「リズさん。ひとまずですが、私はルーゴさんの居場所を知っていますので、このお話の続きはそこでしませんか?」
「そうですね。その方が良いでしょう」
ルーゴを交えて話し合いをした方が良い。
リズの同意を得てリリムは席を立つ。
それに倣って椅子から腰を上げたリズはふと何か気が付いたようで、神妙な顔をして窓際の机に置いてあった魔導書を手に取った。
それはリリムが魔法の勉強をする際に読んでいた物だ。
薬品を扱う診療所に、魔法に関する本が置いてある事を不思議に思ったのだろうか。リリムがそう訊ねるとリズは首を振り、本の表紙をそっと指でなぞる。
「リリム様。この魔導書に魔紋が刻まれているのですが心当たりは?」
「ま、魔紋? なんですかそれ、知らないですね」
「マーキングの様な物ですね。例えればリーシャ様が得意とする転送魔法です。あれは刻まれた魔紋と魔紋を繋いで人、あるいは物を転送するのですが――」
と、そこまで魔紋について説明したリズの体が突如として発光した。
「リズ、あんた何のつもりっすか!」
「違います! わ、私は何も……」
ペーシャが怒号を浴びせながら腕に風魔法を纏わせる。
発光。それはリズ本人も意図せぬ事だったのか、彼女はひどく狼狽した様子で目を見開き、発光を始めた自身の体に視線を降ろした。
その次の瞬間だ。
――ポンっ。
という軽い音を伴ってリズは杖に変化した。
杖に変化した。
「はぁ?」
背後からペーシャの気の抜けた声が聞こえてくる。それと同時に、杖と魔導書が床に落下して乾いた音を散らす。
リリムは訳が分からず、一瞬呆けてしまった。
今、目の前で何が起きたのか全く分からない。
「な、何なんすかね……?」
頭に疑問符を浮かべたペーシャが床に落ちたその杖と魔導書を拾おうとする。そんなペーシャの手を、リリムは反射的に止めていた。
「ペーシャちゃん、それに触ってはいけません」
「リリムさん……、どうしたんすか?」
絶対に触れてはいけない気がしたのだ。
理由も理屈もない。直感だ。
そう思ったのは、リリムの視線の先で転がっているその杖が、王盾魔術師を自称していたロポスが大量に背負っていた杖に酷似していたからだった。
リズは魔紋と言っていた。リリムの魔術書に刻まれていたそれが、リズを杖に変化させたのだろうか。
だとすれば、リリムに危険が迫っていると言うお告げとやらに関係があるのだろうか。
疑問が尽きず現状に何の理解も及ばないが、リリムには一つだけ確信出来ることがあった。
攻撃されている。
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