20:ありがとうございます


 リリムの種族はエンプーサと呼ばれる魔物だ。


 エンプーサは人間と瓜二つの外見を持つのが特徴で、それを利用してよく人の生活圏に侵入しては『マナドレイン』と呼ばれる技を使い、その魔力を根こそぎ奪っていくという卑劣な魔物であった。


 既に絶滅したという噂もある彼女達エンプーサを、西の大陸では淫魔サキュバスと呼ぶ地域もあるのだとか。








「それじゃあ検査を始めるわね、リリムさん」

「お手柔らかにお願いします」


 ギルドで自分は魔物――エンプーサであると打ち明けたリリムは、ひとまずアーゼマ村に帰還して体に検査を受けることになった。


 リーシャの手によって王都に転送されてから1日しか経過していないというのに、随分久方ぶりと感じるアーゼマ村の自宅兼診療所にて、リリムはベッドの上に座ってルルウェルに上着を脱がせられる。


 検査が行われる理由は単純で、体に異常が無いかというものだ。


 魔物でありながら人間と同じ生活を何年も続けていたのだ。体のどこかに異常が出てもおかしくはない。それをルーゴ達は心配してくれているようだった。


 しかしながら、魔物ひいては絶滅危惧種エンプーサ相手に診断が出来る医者は王都に存在しないので、魔物の生態に精通するギルドの調査員ルルウェルが代わりを勤めることになった。


「す、すみませんルルウェルさん。こんな私の為にわざわざアーゼマ村に来て頂いて。本当に申し訳ないと思ってます」


「良いのよ良いのよ。ちょっと前に頭痛診て貰ったでしょ? そのお礼と思って貰って構わないわ。それに私がリーシャに余計なこと言ったせいでこんな事になっちゃったんだし」


 悪魔エンプーサ、または淫魔サキュバスとも呼ばれる彼女達が持つ攻撃手段、もしくは食事行為に『マナドレイン』というものがある。 


 これは対象と深く触れ合う事を条件として発動し、その対象が持つ魔力を強引に奪ってしまうという凶悪な技だ。


 王都の歴史書にも、人に擬態するエンプーサに魔力を強奪されて大勢が命を落としたという記述が存在する。


 という事もあってエンプーサは危険生物に指定されている訳なのだが、リリムは生まれてこの方マナドレインを使ったことがなかった。


 人間に例えれば、人生で一度も食事をしたことがないに等しい。なので体に異常が無いかを調べるのだ。


「という理由で体を診るということはもう説明したわよね? 実際、食事をしたことがないってどうなのリリムさん。今まで体に不調はなかった?」

「あ、いえ、特に何も」


 今まで食事をした事のないリリムの体には、ルルウェルが心配する様な異常は今のところ出たことはない。


「ですが、ご飯を食べてもお腹が空くってことは今まで何度かありましたね」

「なるほど? でもリリムさんは今までマナドレインを使ったことが無いのよね? お腹が空いたって時はどうしてたのかしら」

「そういう時はこれを摂ってましたね」


 そう言ってリリムは懐から一つの袋を取り出し、紐を解いて見せると中からいくつかの丸薬が取り出される。


 ルルウェルはあまり薬に知識が無いため首を傾げていたが、その丸薬の正体を代わりにギルドマスターであるラァラが答えた。


「この香りはロカの実だね」

「お、ラァラさん詳しいですね」

「これでも錬金術師兼冒険者だからね。冒険者界隈では有名な木の実だよ、魔力が尽きた時の特効薬としてそのまま齧る者も多い」


 自慢げにそう語るラァラは、リリムの正体を知る者としてルルウェルの診断に立ち合いしている。


 なんでもギルドに危険生物として登録されているエンプーサを野放しにするのはまずいという話で、以前ルルウェルがシルフに対して行ったような調査をリリムにも行うと、ラァラはギルドマスターとしてアーゼマ村に訪れていた。


「ロカの実って冒険者の間では有名なんですね」

「まあ冒険者と言うより魔法が使える魔術師寄りの人達にかな。魔力を回復してくれる効果を持った薬は貴重だからね」


 『一つ貰っても良い?』と、ロカの実を材料にして調薬した薬を指差すラァラにリリムが頷けば、彼女はひょいっと丸薬を丸呑みする。


「うん、良いねこれ。体にじんわりと魔力が溢れてくる感じだ。ロカの実を単体で齧るよりも効果が大きい。噂に聞いた通りの腕前を持っているようだね」

「いや、まあそれが無いとエンプーサの私としては死活問題だったので」


 エンプーサは他者から魔力を奪って糧にする生き物だ。


 一応、人間と同じく食物を摂取することで飢餓は回避出来るが、体の作りが人間と根本的に違う。


 なので魔力の摂取は必要不可欠であるのだが、リリムは自分の正体を隠して人里へ紛れ込んでいる為、人間相手にマナドレインは使用出来ない。するつもりもなかった。


 ましてや魔物でありながら力は普通の小娘なので、他の魔物はおろか野生動物から魔力を奪うことも出来なかった。


 なのでロカの実を食べることにしたのだ。


「そんな生活をしている内にロカの実単体よりも、他の薬草と混ぜて調合するとより効果が大きくなる事に気が付きまして。するとあれよあれよと言う間に」


「薬師としての腕前が上達したと言う訳だね。あはは、なるほどね」


 ラァラが苦笑しながらそう言った。

 続けてラァラはロカの実を材料に作った丸薬が入った袋を手に取る。


「リリム君。これは素晴らしい薬だよ。生きていくのに魔力が必要なエンプーサの君が、この薬一つで生き延びる事が出来るくらいにはね。王都で見る物よりも遥かに優れ、加えて効果は即効性と来た」


 リリムが調合した薬。

 名付けるならロカの丸薬か。


 ラァラはそれが入った袋をリリムに見せつける様に掲げて言う。


「これ、冒険者ギルドに卸さないかい? 高値で取引するよ」


 ラァラはなんともまあ魅力的な提案を突きつけて来た。


 ギルドに直接薬を卸す。


 それが意味するところのつまりは、リリムにギルドの『専属薬師』にならないかと提案を持ちかけているのだ。それもギルドマスターが直々に。


 更に付け加えるなら、仮にギルド専属薬師の正体がエンプーサだとバレてしまっても、そのリリムに危害を加えるということはギルドに喧嘩を売るという事に等しい。


 そういう意味も含めてラァラは交渉を持ちかけているのだろう。ギルドの保護下に入る代わりに、是非ともロカの丸薬を卸して欲しいと。


 なんともやり手なギルドマスターだなとリリムは思った。

 ともあれば、


「はい、良いですよ。是非ともです。買い手がギルドとあれば安心ですしね」


 リリムにそれを断る理由がなかった。

 その返事にラァラは満足そうに笑みを浮かべていた。


「良い返事だ。これでリリム君は冒険者ギルドがよしなにする薬師となった訳だね。これから君に手出しする様な輩が表れたら俺達ギルドが鉄槌を下す」

  

 と、なんとも心強い言葉をリリムに送ってくれる。


 一応、ロカの丸薬を卸すという対価を支払わなければならないが、リリムはこれでギルドのお抱え薬師となった。何かあれば冒険者が守ってくれることになる。

 

「これで良いかい? ルーゴ」  

「ああ。済まないな」


 ラァラの横で椅子に腰を降ろすルーゴが頷いた。


 ルーゴはルルウェルの診断、もといラァラによるエンプーサへの調査の場に同行していた。彼もリリムの正体を知る者として。


「ルーゴさん、迷惑を掛けてしまってすみません」

「気にしなくて良い。同じ村に住む者として当然だ」


 リリムが頭を下げるとルーゴは気にするなと腕を振るう。

 

 思えばいつも迷惑を掛けていたなとリリムは今更ながらに反省した。


 一人で森に入った時は『危険だから』と手を引いてくれた。ティーミアに魂を奪われた時だってそれを取り返してくれた。前日はリーシャから命を守ってくれた。


 今回だって、身の安全を保障してくれる場を取り持ってくれた。


 リリムは思う。

 何故、この人の魔法は危険だからとその正体を疑っていたのだろうと。自分こそ正体を隠した魔物だった癖に。


「ルーゴさん、本当にすみませんでした。実は私、あなたの事を危険視していたんです。ずっとその正体を疑っていたんです。なのに守って貰ってばかりで、本当になんと言えば良いか……」


 再び頭を下げ、重ねて謝罪する。


 リリムはこの場を取り持ってくれたルーゴと、並びにその本性がエンプーサだと知るラァラとルルウェルには何故、正体を隠していたのかは知らせてあった。


 理由は単純だ。

 両親が冒険者に討伐されてしまい、孤児となったリリムは外界を一人では生きていけず、庇護を求めてアーゼマ村に身を隠した。ただそれだけ。


 それを踏まえた上でルーゴはこう言うのだろう。


「それこそ気にするな。人は誰しも知られたくない面があるもんだ。俺の場合は兜の下がそうだな。リリム、お前の場合はそれがたまたま魔物であったというだけだ」


 なんてことはないと。そう言うルーゴにリリムは知らずして視界がボヤけて来てしまう。思わずまた頭を下げそうになったが、ルルウェルに止められてしまった。


「はいはいはい。湿っぽいのはここまでにしておきましょ? 流すにはちょっと衝撃的事実過ぎるけど、リリムさんもまだ教会での疲れが取れてないことだしね」


 それに、と付け加えてルルウェルがルーゴを指差す。


「今から診断の為にリリムさんのシャツを脱がすから、ほらほら男性の方は散った散った」

「む。そ、そうか。それは済まなかったな」


 ヒラヒラと追い払う様に手が振るわれればルーゴが席を立つ。


「丁度良い。ラァラ、表へ出ろ」

「俺とやろうってかい?」

「違う、そうじゃない」


 ラァラを手招いてルーゴが診療所を後にしようとする。

 そんな背に向かってリリムは小さく言った。


「ルーゴさん、ありがとうございます」


 それが聞こえたのか、ルーゴは手を振るっておどけて見せた。







「で、リリム君のことはどうするんだい?」


 診療所から少しばかり離れた所で、ルーゴと向き合うラァラは神妙な顔でそう訊ねる。


 なにせリリムはエンプーサという絶滅危惧種の魔物だ。加えて言うならば危険生物としてギルドに登録されているのだから。


「リリムの正体は誰にも知らせない。今知っている者だけに留まらせる。もちろんリーシャにも口止めしておかねばならない」

「これまた過保護だね。どうしてルーク……おっといけない、ルーゴはあの子をそんなに守ろうとするのかな」


 もしかしてお気に入り? とラァラがうりうりとルーゴをつつけばその手を振り払われる。どうやら冗談が通じる話ではないようだった。


 ラァラが知る限り、ルーゴから届いた手紙にはリリムについて特に重要そうな事は何も書かれて居なかった。


 それはつまり、あの手紙をしたためた時点ではリリムについて何も分かっていなかったことになる。


 ということはリーシャと接触した時点で何かあったという事なのだろう。


「リーシャが気になることを言っていてな」


「リーシャが? どういうことだい」


「お告げが降りたと言っていた。なんでも『アーゼマ村に住む魔物の娘が、王都に救いをもたらす』だとか。俺はそれが気になってな」


「なるほどね」


 女神の加護を持つ聖女リーシャは女神アラトからお告げを受けることが出来る。


 驚くべきはお告げの的中率だ。

 今までリーシャが受けた未来を暗示するお告げは、一度たりとも外れたことがないのだとか。


「そのお告げとやらの娘が、もしかしてリリム君かも知れないと?」

「そうだ」


 ルーゴが深く頷いた。


 元Sランクがリリムという魔物の娘をあれだけ手厚く扱う理由に、ラァラはなるほどねと苦笑する。


 しかしだ。


「ルーゴ、これだけは分かっていて欲しいんだけどさ。もし、エンプーサであるリリム君が人を傷付けた場合、俺達ギルドはリリム君を討伐しなくてはならなくなる。それだけは覚えておいて欲しい」


 これだけは、ギルドマスターとして釘を刺して置かねばならない。 


「分かっている」


 ルーゴが再び強く頷いた。 

  

 


 


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