18:ギルドマスター
ルルウェルに案内されて冒険者ギルドの奥へと進んで行くと、ふとリリムの鼻先に不思議な香りが掠めた。
「……? 何ですかこの香りは」
「んぁ。あたしこの匂い駄目かも」
その香りはどうやら歩を進めたリリム達の前方にあった扉の奥から発生しているらしかった。まるで生肉を香水で煮込んだかの様な不思議な匂いがしてくる扉の取っ手を、ルルウェルが苦笑いしながら手に掛ける。
「この匂い最初はきついのよね。私もそうだったわ。でもすぐ慣れるから心配しないで。だってギルドマスターの私室はここだもの」
正直リリムはその扉を開けないで欲しかったが、ルルウェルがノックをして取っ手を引いてしまう。
「マスター。お客様ですよ」
匂いに尻込みしているとルルウェルに背を押されて無理やり中へ押し込まれる。するとリリムは視界に大きな釜を捉えた。どうやらこれが匂いの発生源らしい。
近付くにつれて大きくなる匂いに咽るのも束の間、脚立の上で巨大な釜をかき混ぜていた白髪の少女が挨拶をする。
「やあ、冒険者ギルドへようこそ。俺がギルドマスター兼錬金術師のラァラ・レドルクだ。匂いはすまないね、ちょうど調合していたんだよ」
脚立から身軽に飛び降りた白髪少女――ラァラ・レドルクが一礼して頭を垂れた。
身長はあまり背の高くないリリムより一回り低いかそのくらいか。
その見た目は随分と若々しくとてもギルドマスターには見えないが、ティーミアが彼女の姿を確認した途端僅かに警戒した事に加え、その左目の上に走った縦一本の生々しい傷跡が実力者である風格を纏わせていた。
「急に申し訳ありません。私はリリム・レンシアと言います」
「あらひはふぃーふぃあひょ」
「ティーミア、失礼ですよ。鼻から手を離してください」
リリムが注意するとティーミアは涙目で首を横に振っていた。どうやらシルフは鼻が効くらしい。しょうがないのでリリムはポケットからハンカチを取り出してティーミアに手渡した。
「あはは。いいよそのままで、無理することもない。さあ座って、何やら訳有りな様子だからさっそく本題に移ろうか」
ギルドマスターであるラァラに促されてリリム達は客間のソファに腰を降ろした。
どうやらさっそく本題に入ってくれるらしく、ラァラはルルウェルからルーゴの手紙を受け取って内容に目を通していった。
「ところで、君達はどうして修道服なんて着ているんだい?」
手紙を読みながら器用にこちらに視線を通すラァラが疑問を問いかける。流石にギルドマスターとあって、リリム達が本物の聖職者ではないことはお見通しらしい。
「実はさっきまでアラト聖教会に居たものでして」
リリムがそう答えるとラァラは手紙を読みながら更に疑問をぶつけてくる。
「それはおかしな話だ。普通、教会から外へ出る時に借りた服は返さないかい? 少なくとも俺はそうするね」
ギクリ、とリリムが体を震わせる。
どうやら言葉選びを間違えてしまったらしい。隣のティーミアがリリムのふとももをちねってくる。
確かにラァラの言う通りだとリリムは思うも、あの時は状況が状況だったのだ。さてどう説明したものかとリリムが頭を捻っていると、ラァラはこちらを一瞥して口を開いた。
「返答に困る、か。どうやらそれが訳ありの理由なんだね。アラト聖教会で緊急事態が発生して脱出、その後この手紙の差出人であるルーゴという人にギルドへ行けと言われた。そんな感じかな」
細かくは違うが、大筋は合っている。
ラァラとリリムが交わした数少ない問答でここまで状況を察してしまうとは、リリムはギルドマスターと呼ばれるこの少女も侮れないと少なかれ警戒する。
そもそもラァラは少女のなのだろうか。
その見た目は若々しいのだが、いかんせん荒くれ者が集う冒険者ギルドのマスターであるという肩書がその認識に齟齬を生じさせる。少なくとも未成年の少女が名乗って良い身分ではない。
いっそ『あんた何歳?』なんて聞ければ良いのだが、リリムは初対面の相手にそんな事を聞けるほど肝は座ってない。
「今年で27歳になるよ」
「んっ」
読み終えたのだろうか手紙を折りたたんでルルウェルに手渡すラァラが、リリムに視線を移してそう言った。
自分を考えていたことが読まれてリリムは思わず面を食らう。
「な! どうして私の考えている事が分かるんですか!?」
「あはは、ごめんね。人の思考を読むのが得意なんだよ」
「もしかしてラァラさんも加護持ちとかですか?」
「も、って言ったね。ということはリリム君って加護持ちなんだね」
「うああ! どんどん当てられます!」
人の思考が読むのが得意らしいラァラに次々と言い当てられ、リリムは目に見えて困惑した表情を浮かべる。
別に隠してはいないが加護持ちであることがバレてしまった。そんなリリムの袖を隣のティーミアがちょんちょんと引っ張る。
「今のはリリムが口滑らせただけでしょ」
「……っ」
リリムがスンッと無表情になる。
「そ、そうですね。ちょっとびっくりして気が動転しちゃいました。今のは忘れてください」
気恥ずかしそうに咳払いをしたリリムがソファに深く腰を据えてラァラに向き直った。
今はルーゴがティーミアに渡していたという手紙が重要だ。
そこに何が書かれているかはリリムの知るところではないが、こうしてギルドマスターの私室に通されたということは、それなりの事が書かれているに違いない。
「ラァラさん。その手紙には何が書かれていたんですか?」
そう訊ねるとラァラがくすりと頬を緩めた。
「内容を詳しく語ることは出来ないが、ここにはリリムとティーミアを守ってやってくれって書かれていたよ」
「ほ、本当ですか?」
本当にそう書かれているのならば、まるで友人に頼み事をするような書き方だ。
しかもその相手がギルドマスターなのだからリリムは驚きを隠せない。
そんなリリムすらもラァラは見透かしているようだった。
「驚くのも無理はないかな。俺に向かってこんなこと言ってくる人なんて他に居ないだろうからね。全くルーゴも人使いが荒いよ」
なんてラァラはおどけて見せる。
二人がどんな関係なのかはリリムは知らないが、どうやらティーミアはそれがとても気になったらしく、身を乗り出す様にして問いただした。
「ちょっとあんた、ルーゴとどういう関係なのよ」
「ん。もしかして気に触っちゃったかい? ごめんね。別にティーミア君が気にする様な関係ではないから安心しなよ、ははは」
諭すように笑ったラァラがふと、見せつけるように右手を前に持っていった。
リリムとティーミアが手を目で追うとラァラが指を弾く。すると、ポンという軽快な音と共に一本の短剣が宙を待った。
「ルーゴは俺の師匠だよ、剣戟のね」
出現した剣の鞘を手に取ったラァラが眼前で小さく構えて言う。
「魔法の才能があまり無く錬金術しか能が無かった俺は、彼に剣の何たるかを教えて貰ったんだ。お陰でAランク冒険者にまで昇り詰めて今やギルドのマスターだよ」
構える短剣が壁へと投げつけられれば、錬金釜から漂う匂いに引き付けられた一匹のハエが胴体ど真ん中を貫かれる。
リリムは小さく拍手を送った。
ルーゴに教えられたという剣の腕は確からしい。
「俺はルーゴに感謝しているんだ、だから彼のお願いなんてとても断れやしない。だから安心しなよリリム君とティーミア君。君達は今からアーゼマ村に帰るまで俺の保護下に入るからね」
それを聞いてリリムはひどく安心してしまった。
実力者が集うギルドのマスターに守って貰えるのは非常に頼りになる。
しかしだ。
肝心のルーゴはどうなる。
彼は今、アラト聖教会の中で大勢の聖騎士と聖女リーシャを相手取っている最中なのだ。人の命を助ける為に自分の命を投げうつ。そんなルーゴをリリムは放っておけなかった。
「私達を守って貰えるのは感謝します。でもその中にルーゴさんも入れて貰えませんか? ルーゴさんは今、私を助ける為に戦ってくれているんです……」
リーシャに殺されそうになったリリムを外へと逃がしたルーゴは『後はまかせろ』と言っていた。
だが、相手が相手だ。
リーシャはルークの元パーティメンバーの実力者なのだから。
リリムは重ねてお願いする。
「事情は説明します。だから、ルーゴさんも守ってもら――」
そこまでリリムが言いかけるとラァラに手で遮られる。真剣な話をしているのにどうしたのだろうかと怪訝な表情をしてリリムは口を止める。
「いや、ルーゴは守らなくて大丈夫だよ。なにせ俺の師匠なんだからね。強いんだ、彼は」
「つ、強いのは私も知ってますけど、でも、放っておくなんてことは」
「それこそ大丈夫さ」
『後ろを見てごらん』とラァラが続けて、ソファに腰を降ろすリリムの後方を指で示した。
「二人とも無事の様だな」
「どわぁッ!? ルーゴさん!!???」
振り返ればそこに真っ黒兜が佇んでいた。
リリムは一瞬ギョっとして飛びのいてしまったが、声の主がルーゴであると確認すると、気が抜けてへなへなとその場に座りこんでしまった。
そんなリリムを見て、背後のラァラが苦笑いする。
「あはは、来るのが早いよルーゴ。俺が守ってあげる必要なくなっちゃったね」
「む、早かったか。それはすまなかったな」
ラァラとそうやりとりするルーゴは、モノクロの珍騎士からマント一枚の珍妙な姿にジョブチェンジしていた。
どうやら無事な様子。リリムを庇って負傷した右腕も何をどうやってか既に完治しているようで、リリムは流石ルーゴだと胸を撫でおろした。心配するのもおこがましいとはまさにこの事だろう。
ティーミアも、
「ルーゴがあんな奴らに負けると思った?」
なんて言っていた。
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