16:あなたは一体何をしているんですか


「そ、そんな……、何故、どうしてルークがここに」


 気が動転したのかリーシャは尻餅をついて目の前の男を見ていた。


 ルーク。

 そう、ルーク。

 かつてリーシャがその手で殺した筈の男の名だ。


 首を刎ねた感触は未だに忘れない。

 鮮血が撒き散らされた光景は未だ夢に見る。


 そのルークが眼前に居る。

 リーシャは目を白黒させて尻餅を付いたまま後退った。


「聖騎士達、済まなかったな。リーシャを介抱してやってくれ。手に怪我を負っている」


 ルークが指を弾くと重力魔法が解かれた。


 魔法から解放された聖騎士達は慌てた様子でリーシャの元へ駆け寄り、魔法を使える者はひしゃげたその手に治療魔法を施す。


 負傷したリーシャの右手が治っていく。

 それでも彼女の顔に浮かんだ冷や汗は引いていかない。


「リーシャ様、大丈夫ですか?」

 

 聖騎士の一人が呆けた様に静かなリーシャの肩を揺する。

 それでもリーシャはルークから目線を外さない。


 そんな彼女の様子を見て、互いに顔を見合わせた聖騎士達はコクリと頷くと、あろうことかリーシャに向かって笑いかけてみせた。


「リーシャ様! 良かったですね! まさかルーク様が生きていらしたとは!」

「思わぬ再会だ。呆けてしまうのも無理はないでしょう。ですがしっかりして下さい、あのルーク様が生きていたんですよ!」

「本当に良かった! ルーク様の死を一番悲しんでいたのはリーシャ様でしたからね!」


 聖騎士達が良かった良かったと言葉を連ねて大喜びしている。死んだと思われていた英雄が帰ってきてくれたと。中には涙を流している者も居た。


 そんな彼らの言葉一つ一つがリーシャの胸に突き刺さる。


「違う。あ、あれは偽者です」

「何をおっしゃいますかリーシャ様!」

「先ほど見たでしょう、あの強さ! 本物ですよ!」


 あの日の出来事を何も知らない聖騎士達は、嬉々と声を大にして本物だ本物だと騒いでいる。リーシャは耳を塞ぎたくなった。


 三ヶ月以上も前だ。

 リーシャは国の命令を受けてルークを殺した。

 その死体は痕跡を残さないよう丁寧に焼いて灰にしたのだ。

 誰も真相に辿り着けないようにと。


 王国はルークの死は事故であると発表した。

 ドラゴン討伐の任務の際、ルークは戦闘中に過って足を踏み外し、崖から転落してしまったと。


 それを聞いただけの何も知らない聖騎士達は、ルークが奇跡の生還を果たしたと勘違いしてしまうのも無理はない。


 だからリーシャに向かってこう言うのだ。


「ルーク様が帰って来てくれましたよ!」


 無邪気なその言葉にリーシャの動悸が激しくなる。


 殺した筈のルークが帰ってきた。

 何故? 何の為に?


「あ……あぁ、ルーク。訳を、言い訳をさせて下さい」

 

 リーシャは治癒魔法を掛けていた聖騎士の手を振り払って、ルークの目の前で頭を床に擦り付ける。


 手がひしゃげている為ひどく不格好な土下座だった。


 あまりに異様な光景が繰り広げられ、聖騎士達の間でどよめきが起こる。それすらも無視してリーシャは必死に頭を垂れる。


 何故ならルークがその気になれば、ここに居る者全員を殺せるからだ。


 正面から立ち向かえば例えギルドのAランクが束になろうと彼には敵わないだろう。それ故に『Sランク』という称号が与えられたのだから。


 だからリーシャは三ヶ月前のあの日、ルークを背後から奇襲し、弱った所で首を切断したのだ。死体すら燃やし尽くして灰にする徹底ぶり。


 だが、そのルークが今こうして目の前に居る。

 このままでは殺される。Sランクの実力はその仲間であったリーシャだからこそ理解出来る。だから戦闘を即座に放棄した。


「言い訳がしたいだって。誰にだ」

「ルーク、ルークです! あなたにです!」


 ルークは鼻で笑って腕を振るう。


「お前はリリムが魔物だと知り、即座に殺そうとしたな。彼女がどうして人と同じく生活していた理由を聞こうともせずにな。そんなお前が言い訳させてくれだと? 笑わせるな」


 ルークの言いように言い返せもせず、リーシャは体をガタガタと震わせる。


 とても死に別れから再会を果たした仲間には見えない雰囲気に、異常を察した聖騎士の一人がリーシャに駆け寄った。


「リーシャ様? 一体どうしたと言うのですか、何故この様に怯えて」


 声を掛けてもリーシャの耳には通らず、彼女はただただ子どもの様に怯えるばかり。こちらへ振り向きもしない。


「る、ルーク様。これは、二人の間に何があったと言うのですか」


 聖騎士は代わりとばかりにルークへと視線を投げる。

 

 そのルークは考え込む様に頬を掻いていた。そして何か思い立ったのか聖騎士へと質問を投げ返す。


「お前は誰だ?」

「リズ・オルク。リーシャ様専属の聖騎士です」

「そうか。ならばリズ、お前は俺とリーシャの間に何があったと思う」


 そう訊ねられ、リズと名乗った聖騎士はルークとリーシャを交互に見やった。


 片方、ルークの方はその目がとても冷ややかだった。とてもかつての仲間と再会を喜ぶ様な表情ではない。


 そして問題はリーシャの方だ。

 どうしてルークを前にして土下座なんて聖女に有るまじき行いをし、こうまでして怯えているのか。リーシャ専属の聖騎士――リズにも全く分からなかった。


「わ、私には見当もつきません」

「なら答えを教えてやる。どうやら王国は俺が事故死したと発表したらしいな。だがそれは間違いだ。いや、虚偽と言うべきか」

「間違い、嘘? どういうことですか?」

 

 ルークは任務中に事故死した。 


 それはリズを含めた聖騎士達に留まらず、国民全員が知るところである。なにせ国がそう発表したのだから。それが嘘なのだとすれば、とんでもない事件になる。


 リズが固唾を飲み込んで返答を待っていると、ルークは重々しく口を開いた。


「俺はリーシャに殺されかけた。だから俺が戻って来たと知って、リーシャはそんなにも怯えている」


 その言葉にリズだけではなく、後ろの聖騎士達もざわつき始める。リズはリーシャに視線を戻すも、彼女はルークの言葉に言い返しもせずただ黙っていた。


 無言の肯定。

 そう捉えられてもおかしくはない。


 リズは再びルークへと視線を戻した。


「リ、リーシャ様はルーク様が死んで深く悲しんでおられました」

「馬鹿を言え。俺を死ぬ寸前まで追い詰めたのはこいつだぞ」

「そんな……」


 リズは頭を抱えてルークに捲し立てる。

 

「ルーク様が居なくなった事で王国は魔物への抵抗力を著しく失い、その結果魔物はその数を増やして活性化しております。その現状を憂いてリーシャ様は冒険者としての仕事に力を注いでおられました」


 リズが知るリーシャの普段の姿。


 リーシャはルークが居なくなったことで増え続ける魔物の被害に憂い、少しでも魔物の数を減らそうと冒険者としての仕事に力を注いでいた。


 それが元ルークのパーティメンバーとしての責任だと。


「魔物に家族を殺され、孤児となった子ども達の保護にもリーシャ様は熱意を注いでおられました」


 魔物の被害が増えればそういったケースも必然的に増えてくる。


 アラト聖教会は孤児院も運営している為、リーシャは孤児の保護に熱意を持って励み、運営に必要な資金の募金を募ったりと、皆がそんなリーシャを応援し協力したりしていた。


 リーシャは目に隈を作りながら言うのだ。

 これが元ルークのパーティメンバーとしての責任だと。


「そんな多忙の中、リーシャ様は有力な人材を王都に集め、魔物に立ち向かっていこうと提案しておられました。ルーゴ様、いえルーク様やリリム様、ティーミア様を熱心に勧誘されてましたのもその為です」


 それが元ルークのパーティメンバーとしての責任だと。

 リーシャは日々、リズにそう言っていた。


「あれは全て、茶番だったのですか?」

「そうだな」


 ルークは頷いた。

 反対にリーシャは否定もしない。


 無責任にも未だ床に頭を擦り付け、自分はこの場を逃れようと怯えながら謝罪とばかりに土下座している。


 リズは目尻に涙を浮かべながらリーシャに言った。


「あなたは、一体何をしているんですか」


 ほとんど呆れたように漏れた言葉に、もはや聖女に対して敬意の念は少しも含まれていなかった。普段、聖女に対してそんな事を言おうものなら聖騎士に斬って捨てられる。


 だが、今のやりとりを聞いていた他の聖騎士達は、リズの不敬に口を挟まなかった。今はリーシャの返答をただ待っている。


 ややしばらく聖域内に沈黙が続くと、リーシャがゆっくりと頭を上げてリズに顔を向けた。


「ご、ごめんなさいぃ……」


 そこには一切の否定もない。

 言い訳もせず、謝罪するのみ。


 リズはその場に崩れ落ちる。


 増え続ける魔物の被害。家族を殺され行き場のなくなった子どもの数も増え続ける。負の連鎖を止めようと立ち向かった者達の墓標も増え続けるばかり。行方不明者も後を絶たない。


 その原因は、今まで信じて来たこの聖女リーシャにあったと。


「リズ、そうリーシャを睨みつけるな。こいつは国の命令でと言っていた、魔物が活性化してしまった責任はリーシャだけに押し付けるべきではない」


 ルークにそう言われ、リズははたと気付く。

 専属聖騎士である自分が聖女リーシャに憎しみ強い眼差しを向けていたことに。


 リズは一つ咳払いをして立ち上がる。


「ですがルーク様。責任を追及する先が国とあっては……、真実を知った私達聖騎士はいったいどうすれば」


「何もするな。相手は国だぞ、お前が言った責任を追及したところでのらりくらりと躱されるだけだ。酷ければ暗殺なんて強行手段に出るやも知れない」


 『現に俺が暗殺されかけたからな』とルークは冗談めかして言っていた。ジョークのつもりなのだろうが、リズは内心ひやっとしてしまう。


 だから何もするな、とルークは言うのだろうが。


「ルーク様はこれからどうするおつもりで?」


 リズがそう訊ねると、ルークは近くに転がっていた真黒の兜に視線を向ける。そのまま兜の方へと歩を進めながら答えた。


「俺はもうSランクではない、アーゼマ村のルーゴだ。リリムとティーミアを連れて村に帰った後は、しばらくは用心棒でも続けるつもりだ。シルフを守ると約束してしまったからな。無責任だと罵りたければいくらでも罵れ」


「い、いえ……、そんなことはしません」


 兜を手に取ってルークはそれを被る。

 続けてアラト聖教会に貸し与えられていた鎧を脱ぎ捨てた。


 流石に下着一丁はどうかと思ったのか、借りるぞと言って鎧に付いていたマントを取り外して身を隠す。


「リーシャ」


 再び村人の装いを取り戻したルークの兜が振り返った。

 リズの隣に居たリーシャが大げさに体を震わせる。


「今後、リリムやティーミアに手を出すな。加えてこの場に居る聖騎士全てに俺が生存していた事実を口外するなと言いつけろ」


 まるで脅しつけるようにルークは言う。

 リーシャが恐る恐る頷いてみせる中、リズもまた口を一文字に結んだ。


 この場に居る聖騎士の誰もが、ルークが生存していた事実を口外することはないだろうと、リズは聖騎士全員に確認を取るまでもなく断言出来る。


 そんなことをすれば国中が混乱する。

 ましてや、


「それを破れば、今度こそ俺が敵に回ると思え」


 元Sランクを敵にする勇気が誰にもないからだ。


 今のルークはかつて英雄視されていたSランク冒険者ではない。何者にでも成れるという危うさがある。


 リリムやティーミアといった彼に親しい者に手を出せばどうなるかは想像に容易い。

  

「話は分かったな。俺はリリムとティーミアを迎えに行く。後のことはお前達でケリを付けるんだな」


 言い残してルークは去っていく。

 

 彼が言った『後のこと』

 それは今まで嘘を述べてきたリーシャの処遇についてのことだろう。確かに、それについてはルークの関知するところではない。


 けれどもリズは、リーシャの手を取ってルークの後を追う。


「何だ、追ってくるな。俺はお前達のせいで忙しいんだ」

「いえ、聖域の扉は聖女にしか開けられないので」

「そうか、すまないな」


 聖域の扉が開かれた。




 

 

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