15:聖女リーシャ・メレエンテ
聖域リディルナには重苦しい空気が流れていた。
ルーゴの正面、右手に金色の光を纏うリーシャは表情に不快感を隠そうとしない。先ほどリリムとティーミアをみすみす逃がしてしまったからだろう。
転送魔法を逆に利用しようとした二人を見て慌てて魔法を閉じようとするも一歩遅かった。魔法陣が消え去るのと同時に二人の影も消失してしまう。
それらを補助したのが、ルーゴの使った重力魔法。
「今のはまさか重力魔法。ただの村人が使えて良い魔法ではないですよ。ルーゴさん、あなたは一体……」
対面、リーシャと相対するルーゴの表情は分からない。
真黒の兜を横に振って首を鳴らすと、魔法を受けた右腕の負傷が瞬く間に再生していった。
魔法を使った痕跡はない。
それを見たリーシャの目が鋭く尖る。
「魔法を使わずに傷を治す。ルーゴさん、あなたもリリムと同じく人外、化け物なのですか。ただの人間とはとても思えません」
傷が完全に完治したのを確認し、ルーゴが重く溜息を落とす。
人外。化け物。
そう称されて傷付いた訳ではない。
昔にも目の前のリーシャに同じことを言われたからだ。
「化け物か。以前にもお前からそう言われたな」
「戯言を、あなたとお会いしたのは今日が初めてですよ」
言ってリーシャが空に手を振るうと光の粉が舞った。そのまま光は手を追う様に収束していき、やがて剣を形作る。
それは聖女が武器とする女神の聖剣。
光の属性を纏うその剣は、斬り付けた相手の再生能力を封じる力を持つ。
一部、自己再生の力を持つ魔物に対して非常に有効な聖剣だ。コアを持ち、それを破壊するまで殺せない魔物すら問答無用で死に至らしめる。
リーシャはルーゴを魔物と見立てて女神の聖剣を手にしたのだろう。
「ルーゴさん、私はリリムを追わなければなりません」
「だろうな。それをさせない為に俺がここに居る」
聖剣の切っ先がルーゴに向けられる。
「あの魔物は人間に扮してその正体を隠していました。何を企てているかも分からない危ない輩です。今すぐ息の根を止めなければなりません」
「俺は反対だな。リリムはアーゼマ村で薬師をやっている優しい子だ。その危ない輩とやらが、何故わざわざ人を癒す職に就いている」
「それすらも正体を隠す演技なのかも知れませんよ」
「だとすれば大した役者だな」
殺す。殺さない。
互いに一歩も譲らぬいさかいが聖域に静かに響く。
やがて言い争いに飽きたのかリーシャは一歩前へ進んだ。
「ルーゴさん、そこをどけて下さい。分かっていますか? あなたの後ろには教会の聖騎士達が居るのですよ。挟み撃ちの形です。この状況を一人でどうにか出来るつもりですか?」
リーシャが顎を引いて合図を送ると、ルーゴの背後で待機していた聖騎士達が一斉に剣を引き抜いた。
再び合図が送られれば、その凶刃がルーゴに襲い掛かるだろう。例えなんとか逃れたとしても、対面にはAランク冒険者の実力を持ったリーシャが聖剣を構えている。
それにも関わらずルーゴは体勢をピクリとも崩さない。
その態度を見てリーシャは余計に表情を鋭くする。
「あなたの噂はかねがね。なんでもジャイアントデスワームを剣一本で一断ちしたようですね。ですが、そのくらい私でも出来ますよ。なにせ私は元――」
――ルークのパーティメンバー。
そこまでリーシャが言いかけたと同時だった。
リーシャの体がくの字に曲がってふっ飛び、衝撃音を伴って壁に叩きつけられる。
「か、かはッ!?」
腹を抑えて咳き込むリーシャの目は困惑に満ちていた。まるで何が起きたか分からなかったからだ。気付けば壁に叩きつけられていた。
「り、リーシャ様!?」
「大丈夫ですか!」
「何だ、一体何が起きたッ!?」
それは聖騎士達も同じで、酷く狼狽えた様子でリーシャの元へ駆け寄ろうとする。しかし、その足はルーゴの一声で一斉に静止した。
「動くな」
その言葉通りに聖騎士達の体が硬直する。
聖域の中央でこちらに顔を向けるルーゴに魔法を使った気配はない。だというのに聖騎士達の体は動かない。
今、動けば皆殺しにされる。
そんな気迫がルーゴから感じられた。
「俺とリーシャの因縁にお前達は関係ない。だから全員その場から動かないでくれ。邪魔だ」
ルーゴが手をかざすと聖騎士達の頭上に重力魔法が発生する。その魔法は下に向かって加重を掛け、直下に居た者達を全て床に這いつくばらせた。
聖騎士の一人が魔法から逃れようと体を僅かに捩らせると、重力魔法がその聖騎士だけに圧を強めた。鎧に亀裂が走る。
ルーゴとリーシャ側の形勢が変わった瞬間だった。
先ほどまで完全優位にあった人数差をあっさりと覆され、リーシャの頬に冷や汗が伝う。
「重力魔法をこうも自在に。いよいよ化け物じみて来ましたね」
体勢を立て直したリーシャが口から血を滴らせながら聖剣をルーゴに構える。
「……いいでしょう。これが最後の警告です。ルーゴさん、私のパーティに入る気はありませんか?」
「断る」
「そうですか、ではッ!」
リーシャが聖剣で十字に宙を斬ると、ルーゴの足元に光の輪が生じる。
「せあッ!」
聖剣が天高く掲げられ、それと同時に輪が光の剣を突き上げた。
寸前で身を引いてそれを躱したルーゴの眼前で、役目を終えた光の剣が宙に霧散して消え失せる。
リーシャが使用したこの技は『聖刻』と呼ばれる聖女専用の魔法だ。聖剣で文字――印を刻めば、対応した魔法が標的に襲い掛かる。
聖剣でリーシャが宙に十字を刻んで突く動作を取れば、ルーゴの眼前で展開された輪が光線を撃ち出す。
それを避けられたとしも、リーシャが聖剣を振るって印を刻めば次々に魔法がルーゴへと襲い掛かった。体を休める暇も与えない速攻が繰り出され続ける。
「防戦一方ですねルーゴさん! 兜を被ったままでは呼吸がし難いのではないでしょうか! 鎧もさぞ重たいでしょう! あなたの正体が気になります! さあ、その兜を外してお顔を見せてください!」
剣を振るう手をリーシャは止めない。
ルーゴが降参して兜を外すまで魔法を行使し続けるつもりだ。
「どうです! 反撃する暇もないでしょう!」
横なぎに光の剣が振るわれるとルーゴは横転してそれを躱す。次に足元を狙って光線を突き出せばルーゴは身を翻して魔法を避ける。
ちょこまかと動き回って躱し続けているが、いずれ体力に限界が来るだろう。何も尽きるまで待つ訳ではない。要は体の動きが少しでも鈍れば良いのだ。
そこに勝機がある。
いずれ兜も勝手に外すことだろう。
「お得意の重力魔法も使わせませんよ! さあさ、どんどん行きます!」
意気揚々と聖剣を振るい続ける。
そんなリーシャは気付いてもいない。体力を減らし続けて体の動きが鈍るのを待っているのが自分だけではないことを。
「なッ!?」
印を刻もうとしたリーシャの視界から突如としてルーゴが消え失せた。魔法を放った際の光で見失った訳ではない。今まで目で追っていたルーゴが突然消えたのだ。
「リーシャ様! 奴は後ろです!」
唖然としていたリーシャに向かって聖騎士が叫ぶ。
慌てて振り向こうとするリーシャの頬に、ルーゴの鎧を纏った拳が飛んだ。
「うぐッ!?」
床に聖剣を突き刺して衝撃を緩和し、体勢を立て直して振り向き様にリーシャは剣を振り払う。が、その手をルーゴの蹴りによって払われ、聖剣が後方へ飛んでいってしまった。
モロに痛撃を受けてしまった右手がひしゃげて、リーシャの口から小さく悲鳴が漏れる。
「い、痛いぃ。手が、手があぁ」
骨が折れてしまったか親指が反対にねじ曲がっている。
他の指も見るも無惨で、手首から上は血で濡れてしまっていた。
これでは聖剣を握ることも出来ないだろう。あまりの激痛にうずくまるリーシャの視界の端に、ルーゴの足が映る。
恐る恐るリーシャが見上げると、兜の隙間から赤い目がこちらを見下ろしていた。
「リーシャ。お前は調子に乗ると魔法の腕が鈍る癖があるな」
「は、はぁ? 先ほどから何なのですかあなたは」
「自分が優位であると錯覚すれば集中を解いてしまう。だからそこにつけ込まれる。俺はいつも注意していた筈だが、まだ直っていないようだな」
言っている意味が分からないとリーシャは表情を歪める。
確かにルーゴは、自分が完全優位に立ったと油断したリーシャの隙を突いて背後に回った。それは事実だ。
だが指摘するその言い方は、まるで顔なじみが交わすような言葉遣いだった。
「あ、あなたは一体誰なんですか?」
だからリーシャは困惑する。
「まあ分からないのも無理はないか。俺がそう仕向けているんだからな」
そう言って兜に手を掛けたルーゴの声にリーシャは聞き覚えがない。彼の身のこなしも、小さな所作も、何もかもに見覚えがない。
しかし、それは当然。
何故ならルーゴが被っていた真黒の兜には『認識疎外』の効果が付与されているのだから。
「久しぶり、と言えば良いか。リーシャ」
「そ、そんな……」
リーシャの目の前には、かつてその手で殺した男――ルーク・オットハイドが兜を携えて立っていた。
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