14:お告げの魔物
その後、リリム達はしばらくリーシャの案内でアラト聖教会の施設を周っていった。
女神の石像が祭られた大聖堂。
典礼儀式が行われるという祭壇。
聖歌を歌う際に使われるクワイア。
などなどと。
リリムはちょっとしたテーマパークに迷いこんだ気持ちで教会見学を楽しんでいた。ほとんど誘拐された様に連れてこられたが、今のところリーシャが危害を加えてくる様子はないので少しだけ楽しむ分には問題ないだろう。
ただし油断は良くない。
リーシャの案内に従っている最中、何度か今の内に逃げ出せないかとティーミアに確認を取ってみたが、
「ばかちん、あんた気付かない? 外には聖騎士がびっしりよ。隙なんかないわ。そりゃ力尽くでって言われたら訳ないけどさ」
と言われてしまった。
ルーゴからは、
「強引に押し通ることは出来る。だが、聖職者を傷付ければ罪に問われるのは俺達の方だ。下手な行動はまだ控えておこう」
とのことだった。
どうやら戦闘に関して素人のリリムが気付かないだけで、周囲にはびっしりと聖騎士達が待ち構えているらしい。
何故、リーシャはこうまで徹底して田舎に住む村人を囲むのだろうか、とリリムは疑念を持ちながら彼女の案内に従っていった。
やがて、陽も落ち始めた頃に辿り着いたのは、
「さて、ここが私の案内する最後の場所、聖域リディルナです」
そう説明してリーシャが大きな扉に手を掛けると、扉に掘られた溝を沿って光が走っていった。直後、重々しい音を伴って重厚な扉が開いていく。
聖域リディルナ。
そう呼ばれた最後の施設がリリム達の視界に広がった。
「あれ? 意外と大したことないわね」
先に口を開いたのはティーミアだった。
それと同時に似たような感想をリリムも抱く。
なにせ広々としたその施設の中は、壁も床も天井も真っ白で窓一つないのだから。飾り気もない、調度品の一つも見当たらないその部屋の中央で、聖書台がぽつりと設置されているのみ。
今まで見て来た教会然とした施設ではなく、リディルナと呼ばれたこの空間は確かに聖域と呼ばれるに相応しい不思議な雰囲気が漂っていた。
「上も下も真っ白ですね。こんな所に長時間居たら頭痛くなりそうです」
「確かにそうね。あたしなら10分も耐えられなさそうだわ」
リーシャの案内に従って歩を進めていくと、突如として入口の扉が閉ざされた。
割と大きな音がしたので体がビクンと震えてしまうも、リーシャは笑みを浮かべながら『大丈夫ですよ』と安心を促してくる。
そして手の平を部屋の中央に差し向けた。
「あちらに置かれていますのが、女神アラト様が私たち聖女にお告げを降ろす際に使われる聖書になります」
言ってリーシャはその手をリリムへと向ける。
手を取れということなのだろう。
「さあ、リリムさん。あなたは聖女に相応しい資質を持っています。どうぞ前へ。怖がらなくて良いですよ、女神アラト様に祈るだけなので」
「わ、分かりました」
下手な行動は控えたよう。
ルーゴに言われた言葉だ。
なのでリリムは成すがままにリーシャの手を取って聖書台の前へと立つ。そこに置かれた聖書と呼ばれる書物は既に開かれており、そのページには何も書かれていなかった。ただの白紙だ。
「リーシャ様、これは?」
「ここで聖女の資質を持つ者が祈ると、その聖書に女神アラト様のお告げが綴られるのです。なので今はまっさらという訳ですね」
「なるほど?」
ここで祈ればお告げが降りると。
なんか怖いな、とリリムは思った。
周りに何もないただ真っ白な空間で、その中央にぽつんと置かれた聖書に祈ってみろと言われているのだ。何かとんでもないギミックが隠されてそうで恐ろしくなってしまう。
後ろにはルーゴとティーミアが控えているので、何が起きたとしても大丈夫なのだろうが、得も言えない恐怖がリリムの胸の内に沸き上がってくる。
「そう言えば、リーシャ様がアーゼマ村へ訪れた時にお告げがどうとか言ってましたね。リーシャ様の時は聖書に何が書かれたんですか?」
なのでリリムは少しばかり話題を逸らす。
するとリーシャは3本、指を立てた。
「私に降りたお告げは3つ。一つは『アーゼマ村に住む魔物の娘が、王都に救いをもたらす』と、そう綴られました、私はこれがティーミアさんであると確信しております」
リーシャが1本、指を折りたたんで続ける。
「もう一つは『待ち人が来る』ですね。私はある程度の実力を持ったお方を探していました。強力な魔物に対抗出来る強者を。私はこれがルーゴさんであると確信しております」
リーシャが1本、指を折りたたむ。
そして、その手を隠すように背の方へ持っていった。
「リーシャ様? あともう一つは」
「あら、私は2つと言いませんでしたっけ?」
「な、何を。一体どうしたんですか」
その言葉でリリムはリーシャに対して不信感を抱く。
そもそもこれまで彼女が話してきた内容に一つ、不可解な点があったのだ。
何故、リリムが聖女の資質を持つかだ。
聖女と呼ばれるからには女性が選ばれる職業なのだろう。
ルーゴは男性だ。選ばれないのは分かる。だがティーミアはどうだ。なぜ、体験入信のこの場で、聖女の聖法衣を与えずシスターの格好をさせている。
どうしてリリムだけが聖女の資質を持つと言われて聖法衣を貸し与えられた。
「リーシャ様、一つ聞かせて貰って良いですか?」
「はい、なんでしょうか」
「聖女の資質、その条件を教えて貰えないでしょうか」
そう訊ねると、リーシャは笑みを解いて無表情のままリリムの体を下から上へと、まるで品定めするように眺め始めた。
リリムの額に汗が滲む。
どうして今、リーシャはアーゼマ村に来てから常に絶やさなかった笑みを消したのだろうか。その真意が分からずリリムの背筋に悪寒が走る。
たまらずリリムがルーゴに向かって助けを呼ぼうとすると、突然リーシャに手を取られてしまった。そしてリーシャの顔が目前まで近付いてくる。
「条件。いいでしょう、教えて差し上げます。それは『類稀な才能を持つ美しい人間の娘』ですよ。その条件を持つ人間だけに女神様のお告げが降ります。故に資質なのです」
リーシャが無表情で続ける。
「そう、人間の娘だけです。人間の娘だけが女神様のお告げが与えられる。だからティーミアさんでは駄目なのです。だからリリムさんにお願いしているんですよ」
リーシャが無表情で続ける。
人間の娘を強調して、ルーゴやティーミアには聞こえない小声で、彼女はリリムの耳元で呟いた。
「私に降りた3つ目のお告げ。それは『今日、アーゼマ村から王都に訪れる人間の正体は魔物である』だったのです。びっくりですよね」
人間に扮した魔物が居る。
そう述べたリーシャの視線が鋭く尖り、リリムを睨みつけてくる。
「私はそれがリリムさんなのではと疑っています」
リリムが体をビクリと震わせる。
そしてリーシャはリリムの耳元でそっと告げた。
「死にたくなければ祈って見せろ。私は聖女であると同時に、民に仇なす魔物を滅する冒険者だ。もしお前の正体が魔物であるならば容赦はしない」
リリムは怖気で全身の震えが止まらなかった。
国が誇るAランク冒険者に容赦しないと言われ、全身の肌が粟立っていた。
死にたくなければ祈って見せろ。
やるしかない。
助けを呼ぼうにもこの距離。無理だ。
言われた通りにリリムは聖書に向かって震える両手を合わせる。
「め、女神様……どうか」
祈ったのは僅か数秒だ。
たったそれだけのことで、聖書はひとりでに文字を刻んでいく。
そこに記されたのは、
――その娘、人間に非ず
だった。
直後、視界の端で光が瞬き、金属音が激しくぶつかり合った。
「きゃっ!?」
突然の衝撃音、伴って体に走った衝撃にリリムは顔を庇うようにして伏せた。そして遅まきながらに理解する。自分がルーゴに抱きかかえられ、守られていた事に。
対峙する様に向かい合っていたリーシャがこちらを冷たい目で見下ろしている。その右手は金色に発光しており、魔法を発した痕跡があった。
ルーゴの右腕の鎧が消し飛んでいる。
むき出しになった腕には夥しい血が滴り落ちていた。
「る、ルーゴさん! 腕が、腕が!」
「軽傷だ、問題ない。だから落ち着け、大丈夫だ」
安心させる様にルーゴがリリムを抱える腕の力を強める。そして兜の隙間から覗かれる視線の切っ先がリーシャへと向けられた。
「突然リリムの様子がおかしくなったと思えば、これはどういう事だリーシャ。 この子が何をしたって言うッ」
「その人間モドキを離して下さいルーゴさん。そいつは人間に扮した魔物です。何を企んでいるか知りませんが、人に危害を加える前に殺しましょう」
「なんだと?」
視線を下げたルーゴと目が合う。
その目は酷く困惑した様子だった。
それもそうだろう。
今までただ自分達と同じ人間だと思って接してきた人物が、実は魔物だったと知らされたのだから。無理もない。
「ち、違うんです、違うんですルーゴさん」
リリムを抱くこの腕が、いつその力を強めて絞め殺してもおかしくはない。だからリリムは命乞いをする。首を振って言い訳にすらならない言い訳をする。
このルーゴという男が散々魔物を殺してきた所を、リリムはその目で見てきたからだ。
しかしルーゴは深く息を吐き、優しい目でリリムと目を合わせた。
「すまない。こんな事になるのなら、強引にでも教会から脱出するべきだった。そもそもリーシャと会わせるべきではなかった。安心しろ、お前をあの女にも誰にも殺させはしない」
『ティーミア!』そうルーゴが叫ぶとリリムはティーミアに腕を引っ張られる。彼女も色々と混乱した様子の表情をしていたが、今はリリムを守ることに専念してくれている。
「おっと、逃がしはしませんよ」
「っく。なんなのよ、邪魔くさい!」
不敵に笑ってみせたリーシャが指を弾いた一弾指、聖域を閉ざしていた扉の前方に複数の魔法陣が展開され、屈強な聖騎士達が続々と姿を現す。リーシャの転送魔法だ。
「ふふふ、これで逃げられませんよ」
「この状況で転送魔法を使ったのは失敗だったな」
「ん? どういうことでしょうか?」
背後でリーシャと対峙するルーゴがリリム目掛けて腕を払って魔法を展開する。発動されたのは横方向に力が向けられた重力魔法だった。
照準はたった今、聖騎士が転送されて来た魔法陣に構えられている。
「リリムを頼むぞ! ティーミア!」
「わぁ~ってるわよ! そっちこそ死ぬんじゃないわよ!」
転送魔法は何も一方通行ではない。
この魔法は魔法陣の上に立った者を瞬間移動させる魔法だ。魔法耐性を無視して行使されるそれは、どちらも入口と出口の両方の性質を持つ。
つまり魔法が解かれる前に魔法陣を踏んでしまえば、逆にその転送魔法を利用出来てしまう。
「しっかり捕まってるのよリリム!」
「は、はいいいいぃぃぃ」
重力魔法で加速が付けられたティーミアを先頭にして、リリム達が聖騎士の間を突き抜ける。こちらに聖騎士が腕を伸ばしてくるも、ティーミアが手に風魔法を纏わせて振り払った。
「な、なんだこのシルフ!」
「速いぞ! 捕まえろ!」
呆気を取られた聖騎士達が振り返ったところでもう遅い。
ティーミアとリリムが魔法陣を踏み抜いた。
「残念、あんたら遅いわね。これがどこに繋がってるか知らないけど、外に出ちゃえばこっちのもんよ」
視界が光に包まれる中、リリムは目線をルーゴへと向ける。
彼はこの場に残り、リーシャと聖騎士達を一人で相手にするつもりなのだろう。リリム達を追わせない為に。
「ルーゴさん!」
リリムが叫ぶ。
するとルーゴは問題ないと言わんばかりに片手を振るっておどけて見せた。
「あとは俺に任せろ」
その言葉が耳に届いたのを最後に、リリム達の視界は暗転した。
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