05:圧倒的な実力差


 衝撃音がシルフの巣に響き渡る。


 何事かとシルフ達が音のした方向へ視線をやれば、妖精王の間の天井を突き破り、二つの影が上空へと飛び上がった。


 片方は血を口から撒き散らかしながら腹を押さえるティーミア、もう片方はそんな妖精王の頭を鷲掴みにする赤髪の青年――ルーク・オッドハイドだった。


「どうした魔王。こんなものか?」

「っく! こんなもんじゃ――」


 ティーミアの返答を待たずしてルークが腕を振るえば、先ほど魔王になるとほざいた妖精王が、遥か後方の巨大樹に叩きつけられる。


 それを見ていたシルフ達は一斉に逃げ出した。

 巨大樹の幹が衝撃で折られて倒れて来たからだ。


「――ぐぁッ! くっそ! あんの馬鹿力!」

 

 叩きつけられたすぐさまに地面へと降り立ち、体勢を立て直したティーミアが両腕を突き出す。すると崩れ落ちる巨大樹の幹が風を纏った。


 シルフが窃盗魔法の他にもう一つ得意とする風属性の魔法だ。


「ぐぬぬぬぬぬ!! くっそぉおお!! このままじゃ、あたし達の巣が潰れちゃう!」

 

 ティーミアが両腕に力を込めると、伴って巨大樹を下から突き上げる風がその力を強めた。


 しかし『妖精王の加護』で強化した風魔法も巨大樹を支えるには至らず、徐々にシルフの巣へと落下する速度を高めていく。


「辛そうだな、手伝ってやろうか?」

「なッ!? ルーク……ッ!」

 

 いつの間にか隣に居たルークが手をかざす。


 射出されたのは一直線に伸びる炎で出来た小さな槍。しかし、小さいからと言って侮るなかれ、これは『Sランク』が使う魔法であり、その威力は巨大樹を一瞬にして灰にしてしまうほど強力な炎の槍だった。


 シルフの巣への脅威が消え失せてティーミアが風魔法を解くと、その余波で灰が上空にばら撒かれる。


「はぁ……はぁッ。何考えてんのよ! あんたの仲間もシルフの巣に居るんでしょ!? 馬っ鹿じゃないの!」

「だから魔法で消してやっただろ」 


 目に見えて疲労困憊と肩で息をするティーミアとは対称的に、あれ程の威力を誇る魔法を使用した筈であるルークは呼吸すら乱していない。


 深紅の瞳がティーミアにずっと照準を構えている。

 決して逃さない。そんな気迫が感じられた。


「お前が持つその『妖精王の加護』とやら。どうやら傷は治っても体力までは戻らないようだな」

「はぁ? だから何なのよ! あたしにダメージが無いのは変わらないじゃない!」


 精一杯に強がって見せるのは仮にも王と名乗っているプライドからか。だが相手が完全に悪すぎた。国の英雄ルークと対峙するティーミアはその見た目通り、まるで大人に喧嘩を売る生意気な子どもの様。


「このまま相手にしてたら疲れるだけだと言っている」

「じゃあさっさと死ねッ!!」


 既に余裕を見せ始めたルークの隙を突く様にしてティーミアが肉薄を試みる。強大な威力を持つ魔法を発動させないつもりの速攻。


 腕に纏わせた風の刃を顔面目掛けて突き上げる。が、ルークは首を傾けるだけで簡単に回避してしまう。かすりもしない。


「こんのッ! 避けるんじゃないわよ!」

「攻撃を当てたいのなら、一撃目二撃目と次の手を常に意識しろ」


 渾身の一撃が空を切り、体勢を崩したティーミアの喉元にルークの掌底が打ち込まれた。細く空気が漏れる音がすると同時に、拳が腹部へと追撃を加える。


「がはッ!?」

「魔王を名乗るつもりなら明らかに経験不足だな」


 ルークの追撃が止まらない。


 内臓を打たれて咳き込むティーミアの横腹に蹴りが繰り出された。あまりの衝撃でティーミアは再び後方へ飛ばされてしまう。


「また吹っ飛ばしやがってッこんの! 何度も叩きつけられてたまるかってんのよ!」


 吹き飛ばされながらもティーミアは風魔法を操って勢いを殺しつつ、羽に力を込めて空中で体勢を立て直した。


 初手では頭を鷲掴みにされてそのまま後ろの巨大樹に叩きつけられたが、一度受けた攻撃ならまだ対処出来る。


「くっそ! あんな化け物どうしろってのよ!」


 宙に身を留めながらティーミアはしばし考える。  

 恐ろしいのはルークの多彩な魔法だ。


 ルークが魔法剣士と呼ばれている事はティーミアも知っていた。変幻自在に魔法を操り、敵を翻弄しつつ一撃を持って斬って捨てるとかなんだとか。


 実際に相手をしてみて、その手数の多さに驚かされてばかりだった。


 身体強化の魔法を使った異常な力。

 巨大な樹を一瞬で焼き尽くす炎の魔法。

 一瞬で移動するのは風の魔法か。

 そしてシルフが誇る窃盗魔法すら受け付けない魔法耐性。


 気付いてないだけで他にいくつも魔法を併用しているに違いない。ティーミアはこの男をどこからどう崩せば良いのかまるで分からなかった。剣を持っていないことだけが唯一の救いだろうか。


 何をしてくるか分からないという怖さがルークにはある。

 近付くのは危険。


「だったらこんなのはどうよ!」


 空を飛んだままティーミアは手を掲げて風魔法を行使する。


 ルークは恐ろしい相手だが、ただの人間だ。

 逆にシルフは宙を自在に飛び回る羽を持っている。


「空から攻撃してれば手も足もでないでしょ!」


 種族の差を突く。

 これがティーミアが出した答えだった。


 しかし、次の瞬間にはその考えが浅はかだったと思い知らされる。


「なッ!?」


 突然、体が重たくなったのだ。


 鉛でも背負ったかのように重心が崩れて、抵抗もままならないまま地面に叩きつけられてしまう。何が起きたか分からなかった。


 そして遅まきながら理解する。


「まさか、重力魔法ッ!?」


 自分が受けた魔法の正体を。

 

 重力魔法は星が持つエネルギーを自在に操るという無茶苦茶な高等魔法だ。ティーミアも人間が持っていた書物でしかその魔法を知らない。


 限られた者しか使えない魔法。

 その中でも更に限られた者にしか使えない高等魔法。


 それが今、ティーミアの体を壊していく。


「うぎぎぎぎぎ……ッ」


 地面に叩きつけられてもなお重力魔法が解かれる気配はない。


 潰されまいと抗うティーミアが腕を伸ばすと簡単に骨が折れてしまった。それ程までの加重が体に伸し掛かっている。


 起き上がれない。

 まずい、非常にまずい。


「はぁ……はぁッ! 殺される、殺される……ッ!」


 全身が悲鳴を上げている。


 ティーミアが持つ『妖精王の加護』は過剰なまでの回復力を誇るが、加護を持つ本体の死までは否定出来ない。死んでしまえばそこまでなのだ。


 加護の回復力を上回る速度で体を壊されれば死ぬ。


「く、くっそォ! こんな、こんな所でッ!」


 巣はすぐそこだが助けは望めない。


 シルフで一番強いティーミアが手も足も出ないのだから、他の誰がルークに対抗出来るのだろうか。束になったところで敵いはしない。


 今、こちらへゆっくりと歩を進めるあの男、ルークには誰も勝てない。


「苦しそうだな。魔法を解いて欲しいか?」

「だ、誰がそんなこと頼んだのよ……ッ!」


 思わず強がってしまうが力の差は既に分かっていた。


 もう眼前へと迫って来ていたルークとのどうしようもない彼我の差。立っている場所が違うのだ。遥か高み、雲の上の存在、それがティーミアとルークの差だ。


 ルークがこちらに手を向けてくる。

 ティーミアはびくりと体を震わせた。

 重力魔法のせいで逃げることは出来ない。


 あの手から魔法を一つ放たれただけで、ティーミアはこの世から消し飛んでしまうだろう。シルフの巣もそうだ。すぐに消される。あの人間の英雄に全員殺される。


「ぐ、くぅぅぅ……」


 何がいけなかったのか。

 

 強力な加護の効果で自分自身を無敵だと勘違いしたことか。人間側の主要戦力が落ちたので、自分が主権を取って魔王になろうとしたことか。戦争を起こそうとしたことか。はたまたルークと戦ってしまったことか。


 悔しさからか涙が零れてくる。

 するとだ。


「少しは反省出来たようだな」


 ルークが魔法を解き、ティーミアの全身を蝕んでいた重力が消え去る。


「かはっ!ゴホッ……ごほっ!」


 瞬間、息を吹き返した様に体が呼吸を求めた。

 どうやら息すら出来ていなかったのを今更理解する。 

 

 もはやティーミアにはルークを睨み返す気力すらなかった。今は魔法が解かれたことによる安堵感しかない。意識が朦朧としている。本当に死ぬかと思った。


「ティーミアと言ったか。まだ喋れるか?」

「な、なんとか……」

「そうか」


 返事を戻したルークが、地面で這いつくばるティーミアの横にしゃがみ込む。目の前に無防備な敵が横たわっているというのに、彼からは既に敵意の様なものは感じられなかった。 


 魔法から解放され、加護の効果もあってティーミアの表情に生気が戻ってくる。お陰で朦朧とした意識が回復し、まともな思考も戻ってきた。


 だからティーミアは疑念を浮かべる。

 どうしてルークは魔法を解いたのだろうと。


「な、なんで重力魔法を解いたのよ。そのまま圧殺すれば良かったじゃない。あんたは魔物殺しで有名な英雄なんでしょ?」


 なぜこんなティーミアを助けるような真似をしたのだろうか。そう問うとルークは視線をこちらに合わせたまま口を開いた。


「お前に一つ答えて貰わねばならない事があったんだ。先ほども聞いたが、もう一度聞くことにする」

 

 言ってルークは淡々と続けた。


「積み荷を奪って何がしたかったんだ?」


 ティーミアは一瞬言ってる意味が分からなかったが、呆れる様に鼻で笑って返答する。


「それこそさっきも言ったでしょ。戦争を起こす為って」

「違う。その先の事を聞いている」

「その先……? ま、魔王になるため?」


 質問の意図が分からず、ティーミアは思わず疑問形で返事をしてしまった。そんなティーミアにルークは深く息を落として、再度聞き返してくる。


「言葉を変えよう。何故、戦争を起こして魔王になる必要があったんだ?」

「そ、それは……」


 『シルフ』を守る為だった。


 最近、魔物が活性化している。

 理由は単純にSランク冒険者のルークが死に、人間側の魔物に対する勢いが衰えたからだとティーミアは考えていた。


 シルフは魔物ではあったが、魔物に襲われない訳ではない。魔物と魔物の間でも争いは起きる。故に魔物が活性化すると、それだけシルフの巣の存続が危うくなるのだ。


 初めは妖精王であるティーミアが先頭に立って交戦していたが、強力な魔物が次々に出てくるので、状況は次第にティーミア一人ではどうにもならなくなっていった。


 人間側にも『協力して魔物をどうにかしよう』と何度か交渉を行ったが、返ってくるのは門前払いの剣だけ。


 だから戦争を起こすのだ。

 戦力を有効活用しようとしない人間に取って変わって実権を握り、魔王となって魔物に対抗出来る状況を作りだす。


 だからティーミアは胸を張って言う。


「巣の仲間を守る為よ」


 それが理由だとティーミアはルークと目を合わせる。

 

「なるほどな。仲間を守る為に、戦争は致し方ないと」

「そういうこと。止めるつもりなら今すぐあたしを殺しなさいな。あんたなら『妖精王の加護』の再生能力も及ばない威力の魔法ぐらい出せるでしょ」


 ティーミアの返答に深く嘆息したルークが手をかざしてきた。


 巨大樹すら一瞬で焼き尽くせる火力を出せるSランクだ。妖精王の加護ごと魔法で消し飛ばしてくれるだろう。


 これから死ぬ。

 それを覚悟して目を瞑る。


「……?」


 が、一向に魔法が発せられる気配が無かった。

 瞑った目を開くと、ルークが伸ばした手をこちらの手に重ねてきた。


「ならば、俺がお前達を守る。というのはどうだ?」

「はぁ?」

「これだけでは頷けないか。ならばこれは交渉だ、魔物から守ってやる代わりに人間を襲うな。戦争なんて起こそうとするんじゃない」


 重ねられた手を取られて抱き寄せられる。


 シルフと人間の体格差は全く異なり、ルークの体が酷く大きく感じてしまった。種族差だけではない、人間の英雄という強さをその身に感じてしまう。


 この男の強さは前々から噂で知っていたが、それを身を持って知ってしまうと『お前達を守る』の一言にひどく安心感を覚えてしまう。


「あんた本気で言ってんの?」

「ああ」


 ルークは強く頷いた。

 ティーミアは思わず押し黙り、考え込む。


 人間相手に戦争を仕掛けるより、この英雄ルークを味方に付けた方がシルフをより良い未来に導けるのではないだろうか。もしかすれば何か企てがあるのやも知れないが。


「やるなら、ちゃんと守ってよね」

「お前たちシルフが人間を襲わないと誓うならな」

「ふん、いいわ。交渉成立ね」


 ティーミアはルークの手を強く握り返した。




 

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