落ち武者
朝河 修治
関ケ原合戦の落ち武者の話し
夏の焰の日照りの下にある髭面の男が大声を出して叫んでいる。
この男は、合戦の最中戦線を離脱して、向こう脛に傷つく、流れ矢に背中を打ってそれでも運よく頸を取られるような死にざまをしなかった。
落ち武者狩り、という、土民が刀劔を身につけて自分を殺めはしないかと、ただ、ひたすらこの髭面の落ち武者は、自分が今までで一番の願いを、一国一城の出世を願かけるのでは無く、ただ土民に惨めに撃たれないようにと心底神仏に祈っていたのである。山崎の戦いであっけなく死んだ明智光秀のように。
時はそれから移り変わって関ヶ原へ至っていた。
思えば、不思議な世であった。猿や禿げねずみと天下に揶揄された素性の知れぬ百姓上がりの羽柴秀吉が明智を平らげ柴田や島津、北条を平定し、成り上がりては武家の誉を越えて気がつけば関白太閤、藤原一門より日の本一に据わったのである。
そんな秀吉を若いこの髭面の男は羨ましく思った、同時に自分でも国を取れるのだと、若い思いが戦へ駆り立てていった。
しかし男なりに考えても浅はかが前のめりして、石田三成方に加勢して天下の形勢を予測するまでの遠謀深慮などあるわけは無かった。
ただ出世したい。ただ国を取りたい。そうすれば国もとの母親に腹一杯飯を食わせてやれる。
そんな思いだけでこの男の道筋を男なりの知恵で打ったのである。
何十手や何百手先の先すら読んだ訳ではなかったのである。
鬱蒼とした森の道を歩き男は天を仰ぎ篠突く雨に打たれていた。
短い人生だった。浅はかだったのだと思った。
一国一城より母親のもとで座して飯を食べて、畠を耕して暮せば幸せだったかもしれぬ。こうやって段々と激しい雨が男の薄い兜を湿らせて、男はうなだれた。腹が減った。本当に、背中が痛い、腰が痛い、遂に足が動けない。力は尽くした。こんな森で死ぬのか。情けない。涙が出た。涙が溢れた。母親に会いたい。男は必死に叫んだ、「おっかあ、おっかあ、助けてくれ!死にたくない!」
その時、遠い森の奥底からざざ、と音が聴こえた。落ち武者狩りだ、遂に死ぬんだ。殺されて、頸斬られれるのだ。と思った弾み、「御仁、大丈夫であるか!」と甲冑姿の男は言った。
「安心せい。」と屈強な甲冑姿の武士の男が落ち武者を抱えてた。
「おおい、こっちへ、人がいるぞ。」すると数人の侍が来た。
「大丈夫か、怪我しているな。」
男は抓まれた。殺さず生かすつもりだろうか。
「安心せい。落ち武者狩りではない。裏切り者小早川秀秋から離れた武士じゃ。もうこの世に出世の望みもない。大望大義もない。これからは、大切にしたいものを大切にする。大事にしたいものを大事ににする、御仁の母上に対する深い想いさぞ思いいった。国もとへゆっくり酒を飲み旅をして帰ろうではないか。」
「ハッハッハ、親思いのよい男であるのう。」
…男は気がつけば仲間の背中で、皆で楽しく語りあっていた。
髭面の武士は雨に打たれ、また落涙した。雨脚が強くなり男は仲間の背中に負ぶさり、風邪を引いて死なないかとまた少し心配していた。国もとれず、からかわれて男は笑っていたのである。夏の激しい雨が降り時代は変わろうとしていた、、。
落ち武者 朝河 修治 @takecha
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