第2話 神様と天使と神界

目覚めるとそこは、真っ白な空間だった。

いや、目覚めるっておかしくないかと雫は困惑する。


(僕は死んだはずだ・・・)


そう、雫は跳ねられて死んだ。

記憶は新しくはっきりと覚えているのにも関わらず、おかしいと思ってしまう。


(死んでも意識ってあるのかな?)


今まで死んだことないし、分からないから余計不安になってしまう。

だが自分の死について考えてばかりでは埒が明かないと、雫は周りを見た。

・・・真っ白だ。

建物がある訳でもないし、人がいる訳でもない。

ホントの真っ白な空間が広がっている。

これからどうしたらいいんだろうかと、またも困惑してしまい頭が痛くなるような感覚に雫は襲われる。


「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」

「だ、誰っ!」


急にお爺さんみたいな笑い声が聞こえ、雫はビックリした。


「後ろじゃよ、うしろ」


雫はゆっくりと後ろを向いた。

そこに結構な長さの白ひげを生やした爺さんがいた。


「あ、どうも」

「うむ、元気そうじゃの」

「えっと・・・貴方は?」

「神様じゃ」

「は、はい?」

「神様じゃと言うとるじゃろうがぁ!」

「ええぇえぇぇええ!!」


喝を入れるかのように叫ぶお爺さんに、雫はびっくりして叫んでしまう。

何せお爺さんは自らを神と名乗ったからだ。

しかし雫は自らを落ち着かせ考える。


「いや待てよ、神様って絶対嘘でしょ。そう言うのは空想上の産物で、人が勝手に生み出した存在だよ?いやいや神様がいる訳ないでしょ。いくらなんでもバカにし過ぎ」

「さっきから聞いていれば煩いのぉ。少し静かにせんか」

「す、すいません」

(まぁ話を聞いてみるかな。その方が良さそうだし)


そう判断した雫は神様と名乗るお爺さんを見て、どう行動するか目を見張る。

見るからにただのお爺さんって感じだが凄そうなんだよなと雫は一人で考えていた。

もし神様だとしたらどうしようと少し不安になってしまう。


「わしは剣闘神アウルゼルと申す。お主を迎えに来たのじゃ」


自らを剣闘神アウルゼルと名乗った神は長い髭を撫でながら自己紹介をした。


「迎えに来たってことは・・・僕は死ぬのですか?そうかぁ・・・天国かな?それとも地獄?」

「何を言っておる。天国か地獄に行くのなら、ここには来なくてもよい。普通なら神が迎えに来ることは無いからの」

「え、えっと。ここってどこなんです??」


雫は剣闘神アウルゼルに聞いた。

一面が真っ白で何も無い空間、ある意味ゾッとする様な空間は何処なんだろうと。

するとアウルゼルはニヤッと笑い、言葉を一つ。


「神界じゃよ」


そう言い放った。

神界・・・即ち神が統治する世界であり、神達が悠々と暮らす世界。

そんな場所に雫は来てしまった。

否、強制的に連れてこられたと言うのが正解である。

誰の所為で連れてこられたのかは雫は知る由もない。

アウルゼルは雫を見て、フッと笑った。


「儂に着いてくるがよい。これからお主が住む場所へと連れていく」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」


雫は早々と歩くアウルゼルの背中を追いかけた。



――――――――――――



しばらく歩くと建物が見えた。

ちょっと古風な感じの家で、屋根に瓦が使われていたり、庭に松の木があったり。

だけどそれ以外は先程の場所と変わらず真っ白な空間だ。

神様の家なのかな?と雫は頭を傾げると「何をしておる。はよぉ来るのじゃ」とアウルゼルは雫を急かした。


二人がが玄関に辿り着くと、アウルゼルが口を開いた。


「ここは今からお主が寝泊まりする家じゃ。儂が用意したからの」

「僕の家ですか?神様のじゃないの?」

「儂はちゃんと別にあるわい」


そう言ってカッカッカッと笑うアウルゼル。

雫はこの時、何故にこの場所に連れてこられたのか分からなかった。

通常ならこんな場所には連れてこられないんじゃないのか?と考えてしまう。


「お主にはこれから修行をしてもらうからの。理由は簡単、お主には異世界に行ってもらう。しかし簡単に死なれても困るからの。ここで住み込みで修行じゃ」

「ちょ、え?い、異世界!?」

「なんじゃ?嫌なのか?第二の人生が楽しめるというのに、最近の若いのはつまらないの」


アウルゼルは溜息を吐いた。

異世界とはライトノベルや漫画等でよく世界観としてシリーズ化される程に人気なのは雫もよく知っている。

しかしそれはあくまで空想上でのお話だ。

実際にあるなんて誰も信じないし、本当に行けるかも分からない。

雫も完全におかしいだろうという表情を浮かべている。


「さて、話は伝えたからの。早速修行じゃな。まずは家の周りを走ってもらうからの。うーん、取り敢えず千周程家の周りを走れ」

「すみません。よく聞こえません」


雫にはハッキリと聞こえていた。

しかし現実から目を背けたいという心の意思が現れ、生きていた当時使っていたスマホにある機能の真似をしてしまう。


「ふぉっ、ふぉっ・・・死にたいのか?チャンスを与えてやっておるのじゃぞ儂は」


そんな雫を見て額に筋を浮かべたアウルゼルの表情は正に鬼だった。

それを見て雫はビビったのか体を震わせている。


「それじゃ・・・行ってきま〜す」


と言った瞬間、雫はアウルゼルに肩をおもっきし叩かれ──


「千周じゃぞ?わかっておるな?」

「ひ、ひゃい」


雫はゆっくりと走り出した。

内心、神様怖いとそう思う雫であった。



――――――――――――



雫は今、走り続けている。

脳内には有名な二十四時間テレビのマラソンの曲が流れているだろう。

何故こうなったのか?

剣闘神アウルゼルから家の周りを千周走れと言われ、今も尚走り続けている。

今は多分五十周目ぐらいだろう。

既に足が限界に来ているのか、ほとんど足が上がっていない。

息も荒く、肩で呼吸をしながらやけくそに走っていた。

次第に熱くなる体を途中休憩して冷やすなら兎も角、全く休憩なしで走り続けている雫は顔色が悪い。

そんな時、遠くから剣闘神アウルゼルが雫に声を掛けた。


「うむ!もう良いぞぉ!」

「ぐへぇ」

「よく頑張ったのぉ!偉いの!」

「もう・・・無理でちゅ・・・」


雫が言うとアウルゼルはゲラゲラと笑う。

何がそんなにおかしいんだよとツッコミを入れたくなる雫だったが、そんな元気すら出ないようで、ただその場で倒れていた。

日常的に走り続けている人であれば、まだ行けるのだろうが、雫は至って普通より普通以下の生活で生きてきた人間だ。

そんな雫に満足に走り続けろと言うのも本人にとって嫌な話である。

そんな雫は既に疲れからか瞼を閉じて眠ってしまった。


「うむ、流石にキツかったか。しょうがないのぉ、運んでやるとするかの」


それを察したのかアウルゼルは雫を背負い家へと入った。



─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─



目覚めるとそこは知らない天井だった。

多分だが剣闘神アウルゼルに紹介された家の一部屋だろうと雫は考えた。

雫はゆっくりと体を起こす。

ふくらはぎを気にする雫だったが特に痛みや違和感などはなく、筋肉痛にすらなっていなかった。

そんな事を考えていると何やらいい匂いが雫の食欲をくすぐる。


(あぁ、お腹空いた)


雫はゆっくりと立ち上がり、匂いの元へ行く。

襖を開けるとそこには色々と料理が並べられていた。見るからに日本料理だ。

白飯に鯖の塩焼き、味噌汁に漬物。

食欲があるせいか物凄く美味しそうに見えてしまい、今にもがっつきたくなる。


「おや、目覚めたのかの?おはようなのじゃ・・・シズク」

「え、お、おはようござ──え?」


そこには着物に可愛らしいエプロンを着こなす、これまた可愛らしい女の子がいた。

手にはしゃもじ、茶碗を持ち、今にもご飯を盛ろうとしていたのだろう。

外見年齢は十二歳程だろうか。それと一番目を目を引くのが頭の上にある二つの突起物、狐耳がピンッと立っている。

腰にはふわふわとした尻尾があり、その二つが更に可愛らしさを引き立てていた。


「名を玉枝と言うのじゃ。ほれほれ立ってないでお座り、今からご飯を盛るから一緒に食べるのじゃ」

「す、すみません。いきなりの事でビックリして」

「仕方ないのじゃ。爺さんは何も言わず帰ってしまったかのぉ、妾の事を知らぬのも当然じゃ」

「えっとアウルゼルさんは何処に居るのですか?」

「んー爺さんは自宅に帰っているのじゃ」


雫は玉枝に言われた通りに座った。

するとご飯を盛った茶碗を持って玉枝が来て雫の前に置いた。

玉枝はシズクとテーブルを挟んで対面上に座り手を合わせて箸を持ってご飯を食べだした。


「シズクも食べるのじゃ。でないと冷めてしまって美味しい物が美味しくなくなるのじゃ」

「は、はい。いただきます」


雫も箸を持ち、焼き魚の身をほぐして口に運ぶ。

雫は目を見開いた。

生まれてからこんなにも美味しく、暖かな食事をとったことがなかったからか、感動している。

美味しいという言葉も出さず、ただただパクパクと食事を口に運んだ。

それを見て玉枝はニコリと笑っているが、雫は食事をとるのに一生懸命で気づいていなかった。


「美味しいかえ?」

「は、はい!とても美味しくてどれも最高です!」

「沢山食べて、たっぷりと精をつけるのじゃよ」

「ありがとうございます!」


雫は暖かな食事をたっぷりと腹に入れ、幸せな気分になった。

雫が休んでいると玉枝は食後のお茶を持ってきた。

緑茶とか麦茶ではなく抹茶だ。


「昨日はすまなかったのじゃ。シズクも大変じゃったろう?」

「千周走れって言われた件ですか?」

「だいたいあのバカ爺が悪いのじゃ。最初は少なく走らせ、徐々に多くしろと言ったのに」


玉枝は事前にアウルゼルに言っていた。

目標は確かに大きくてもいいかもしれない。

しかしいきなり家の周りを千周も走らせるのはどう考えてもおかしいと。

そして結局、千周走れと命令してこのザマだ。

玉枝は深く溜息を吐いて抹茶を流し込んだ。

雫を背負って帰ってきたアウルゼルを小一時間、説教したのも玉枝である。

そんな事実を知らない雫は出してもらった抹茶を飲んでいた。

今日も一日、滅茶苦茶な事を言われるのでないか?と不安が拭えないがそれも仕方ない雫は思った。


「シズクや、今日も一日頑張るのじゃ」

「え、ええ。頑張ります」

「晩ご飯を作って待っておるからの。夜は何が食べたいとか注文はあるかえ?」


雫は少し考えた。

玉枝は家事において右に出る者はいない。

完璧にこなすのが玉枝であり、食事を作るなど朝飯前である。


「肉じゃがとか食べたいです」

「分かったのじゃ。あと・・・夜で良いのじゃが、シズクの好物を教えてくれるかえ?」

「分かりました」

「あと一つ、畏まった言葉遣いをしたら怒る故、もうしないようにするのじゃな。今日から妾は家族じゃから、そのように」


玉枝はそう言って早々と部屋から出ていった。

雫としては初対面の人に敬語を使うなと言われ、困惑するのだが本人がやめろと言うのでやめることにした。

それに家族と言われ少し嬉しかったなと、誰もいない部屋でニコリと笑みをこぼす。


(さてと、僕も外に出てアウルゼルさんを待つとするかな)


雫は抹茶が入っていた茶碗を流しに持っていき、玉枝に外に出る事を伝えた。


――――――――――――


雫が家から出るとまだアウルゼルは来てない様子。

雫はストレッチでもして待つことにした。

こんな時は体を柔らかくし、いざという時に動かせるようにという考えだ。


十分後


(まだ来ないのか?まぁアウルゼルさんにも色々あるんだろうし、そのうち来るよね)


三十分後


(うーん、何かあったのかな?ちょっと心配になってきたぞ)


一時間後


(もういい・・・、勝手に走っとこう。いちいち待ってられないしね)


雫は待つのをやめ、走り出した。

昨日はどれだけ走ったか分からない本人だが、目標は百周と決めて走り出す。

アウルゼルにあったら自慢してやろうと雫は気持ちを入れ淡々と走る。

だがただ走っていても飽きが来てしまうもので、何が考えていないとつまらないなと雫は心の中で呟いた。


(そういえばこの家って結構広いよね。

建てるのが大変そうだ。あれ?どうやって作ったんだろう?周りは何も無い空間だし、資材がないよね)


走りながら家を眺め、ふと考える雫。

確かに真っ白な空間にポツリと大きな家が建っていれば、誰でも不思議とそう思ってしまう。

しかし神様なら何でもありか、と雫は内心勝手に納得していた。


しばらく家の周りを走っていると、周りが明るくなってくるのを確認できた。

多分、この空間にも昼と夜的なものがあるのだろう。

もしかしたら夜は星などが見えるかもしれない。

しかし昼間には太陽なんて上ってはいなかった為、月とかは無さそうだと雫は思った。

そんな事を考えながら走っていると、時間はどんどん過ぎて行った。

特に雫はがむしゃらに走っていた訳では無い。

別の事を考えていると全く疲れが来ない体に不思議とおかしさを感じる程だ。


それからずっと走っていると気づけば今の時間は夜だ。星空がキラキラと光っている。

結局アウルゼルは姿を現さずに雫は夜を迎えてしまい、どうしたものかと悩む。


(あと家の周りを一周ぐらいして終わりにしよう。何周走ったか分からない。それに疲れが来ないのは何故なんだろう。昨日とは訳が違いすぎるような気がする)


この空間に来てからたった一日でこんなにも変わるのだろうか?と改めて雫は考える。

修行とはコツコツと経験を積み上げるようなものではないかと。

それが一日でここまで変わるのだから、不思議に思っても仕方ない事だ。


残り一周を走り終えて雫は「ふぅ」と溜息を吐くとガラガラと玄関が開いた。

そこには朝と同様、着物に可愛らしいエプロン姿の玉枝が雫を見ていた。


「今日はもういいのじゃよ。ささ、お風呂が沸いておるので入ると良いのじゃ」

「もういいのですか?」

「こら!敬語を使うなと言うたじゃろ!」

「あっ、すみませ──ごめん」


玉枝は少し不機嫌になったのか、頬を膨らまし「むぅ」と声を漏らした。

しかしその姿に雫は何処と無く可愛いと思ってしまう。


「そ、そういえばアウルゼルさんは何処に?今日は・・・来なかったんだけど」

「爺さんなら先程まで家にいたのじゃ。喜んで帰って行ったのじゃよ。気持ち悪い笑顔じゃったの」

「は、はぁ・・・」


なぜ喜んで帰ったのか静かにには理解出来なかった。

それに姿を現してあれよこれよと、色々と教えて欲しかったというのが雫の本音である。

修行と言っても何をしたらいいかも分からないし、そもそも強くなるにはどうしたらいいのかすら分からない。

ぬくぬくと平和な日本という国で育ってきた雫にとって修行なんて無縁すぎる。

雫がそんなことを考えていると玉枝は雫に早く家に入るよう催促した。

それに釣られるように雫は家に入り、玉枝から風呂の場所を聞いて向かった。


風呂場に案内された雫は『お風呂』と書かれた暖簾を潜り、脱衣所で服を脱ぐと風呂へと入っていく。

そこで雫は「おぉ!」と声を漏らした。

それは何故かと言うと露天風呂だったからである。

時間が夜の為か、空にはキラキラと星が眩く輝いていて、湯船がそれらを飲み込むようにまたキラキラと輝いていた。

生前の雫は温泉など入ったこともないし、そんな人間が露天風呂を目にすれば興奮するのも当たり前。

雫は髪と体を、丁寧に洗って泡を水で流してから湯船に浸かった。


「これは凄いなぁ。こんなにも贅沢していいのかな」


生前の雫は贅沢が出来る家柄ではなく、裕福な暮らしなんてもってのほかだった。

父からの暴行に母からの勘当、小さい妹の世話。

それら全てを受け止めて生きてきた雫にとって、この露天風呂体験は心に沁みるような思いだった。

父親の暴行に耐えていた身体は十五歳の身体にしてはガッチリとしていて、痣が所々にあった。

死んでしまう前の日も雫は父親から暴行を受けていた。

主に原因は父親の仕事上のストレスで、家に帰れば直ぐに酒を飲み、それから徐々に本質が出てきて子供を殴るといった流れだった。

何度か近所に住む人間が警察に通報して、家に来たものの直ぐに帰ってしまう始末。

雫は自分が死んでしまった事で、妹が次に殴られ続けるのではないか?と心配している。

生前は風呂に入る度に自分の身体が鏡越しに見え、嫌でも思い出す最悪な出来事は一生忘れないであろうと雫は思った。


「考えたらダメだよね。もう終わった事で、これからは第二の人生があるってアウルゼルさんも言っていたし」


雫は自分にそう言い聞かせ、何とか心の整理がまとまり、軽く溜息を吐いた。

明日はどんな修行なんだろうと考えながら星を眺め、ゆっくりと体を解した雫は風呂から上がり、玉枝のいる所へと向かった。



─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─



キッチンでは一人の小さな女の子が料理に励んでいた。

作っている料理は雫が注文した肉じゃが、それとは別にシーザーサラダや焼き魚等。

狐耳をぴくぴくと動かし、鼻歌を歌いながら玉枝は一人の少年の為に食事を作っている。


(妾の料理を褒めてくれる子じゃ。可愛がらないとのぉ。・・・しかし帰ってきた時、シズク本人は気づいておらんかったの。自分の髪色が変わっていることに)


料理がもうすぐ出来上がる頃、玉枝は外で走り続けている雫に、もういいのじゃと声を掛けた。

その前には爺さん、剣闘神アウルゼルと話をしていて、その内容は雫の事だった。

剣闘神アウルゼルがこの家に裏口から来たのは昼頃。

何を話すかと思えば、雫の走っている距離についてだった。


『彼奴──シズクは化け物な気がするのじゃ。たった一日でここまで来るとは・・・今走った距離は既に家の周りを六百周は超えておる』

『外見はどうかえ?そこまで来ているなら変わってるはずじゃが』

『既に変わっておる。髪色は勿論、顔立ちも少しだが変わったの。少し丸っこい顔じゃったが、鼻が高くなり顎もシュッとしておった。身長も少し伸びたかのぉ』


雫は知らない事だが、人間が神界に来ると日によって神界自体に馴染もうと体や外見が変わるという特殊な事案が発生する。

そのスピードは人それぞれで変わるのが早い程、変わりようが大きい程、実力的に強くなる。

実際に雫はたった一日で髪の色が黒色から紺色へと変化していた。

それ即ち、かなりの実力があるということを証明しているのだ。

アウルゼルは今まで見てきた人間の中で、これまでに変わりようが激しい者は見た事がなかった。

元人間で神に昇華し、神々を処刑する『処刑神デミウルゴス』という存在が今でもいるが、ここまで変わったとは聞いたことがない。

アウルゼルは内心、もしかしたら自分を超えるかもしれないと思っていた。

それは嬉しいことであり、少し心配な所でもある。

異世界に行くにあたってもしかしたら雫自身の実力が凄すぎてイージーモードになるのではないかと。

きっと次の日の朝を迎えたら、尚更外見が変わっていたりするかもしれない。

そうなれば適当には育てられないとアウルゼルは思っていた。

雫が強く、そして神になればそこら辺の奴らなど蟻のように見えてしまうだろう。

アウルゼルは慎重に、かつ着実に雫を強くしようと考えながら家に帰って行った。

結局、雫が走った距離は千周を超えて一千二百五周という正しく化け物っぷりを発揮した。

アウルゼルとの会話を思い出しながら料理をしていた玉枝は後ろから声を掛けられた。


「お風呂、ありがとう。玉枝さん」

「うひゃ!び、びっくりしたのじゃ・・・」


雫は風呂から上がり、玉枝に声を掛けた。

いきなり後ろから声を掛けた為か、玉枝は肩をビクンっと上げながらホッと溜息を吐いた。


「料理はもう少しで出来るからの。そうじゃ、箸や皿などを出してくれるかの?」

「うん、分かった。手伝うよ」


雫は棚から皿と箸を出して、食事をする部屋へと持って行く。

暫くすると玉枝が肉じゃがの入った鍋などを持ってきた。

食事の準備が整い、玉枝がご飯を盛り、二人でいただきますと声を合わせ食事をとる。

雫が肉じゃがを一口食べると目を見開いた。

それを見て玉枝は少し笑みを浮かべた。


「こ、これ美味しい!ほろほろって柔らかくて、しかも味が染みてて最高だよっ」


雫はそう言いながらガツガツと物凄いスピードで口の中へと箸を進める。


「そんなに急がんでも食事は逃げたりしないのじゃ。落ち着きながらゆっくり味わう、それこそ美味しいものを美味しく味わうコツじゃよ」


玉枝はゆっくりと食べながらそう言った。

その様子を見て雫も習い、ゆっくりと味わいながら食べる。

美味しすぎて食べている時間すらも忘れてしまう程に、堪能していた。

気づけば鍋に入っていた肉じゃがは空となり、他のおかずも全て平らげてしまった。

玉枝も雫も満足したのか、ニコリと笑いながらご馳走様でしたと一言。


「凄く美味しいかった・・・」

「シズクは他にどんな料理が好きかえ?」


食後のお茶を持ってきて、雫の横に座った玉枝はそつなく質問した。

その顔は雫の事に興味津々といった顔で、少しだけだが距離が近い。

それもそのはず、玉枝は剣闘神アウルゼルの使者であり正式には天使だ。

玉枝は人間を遠目では見ることがあるものの、こんなにも近くでは見た事がない。

ましてや話したこともない故、どんな子なのか興味があるのだ。


「基本的にはなんでも好きだけど・・・癖のあるものとかは嫌い」

「なるほどのぉ、では塩辛なんかは嫌いじゃろ?」

「大っ嫌いです!臭いし!」

「ぷっははははっ、そうじゃろなぁ。妾もあまり好かん。酒には合うらしいがのぉ、あれを美味しい言うて食べる奴はどうかしておるのじゃ」


意外にも笑う玉枝を見て雫は少しだけびっくりした。

距離が近いのもそうだがフレンドリーに話す事があるんだなと思った。

そんな玉枝はまた少しだけ雫との距離が近くなり、今では体と体がピタッとくっつく程に近い。


「あ、あの〜玉枝さん?」

「なんじゃ、何かあったかえ?」

「いや、あの、距離が近いというかなんというか・・・」

「なんじゃぁ、そんな事かえ」


玉枝は少し離れると一気に雫に体重を乗せ、そのまま倒れた。

雫が下で玉枝が上という状態になり、雫は戸惑った表情を見せた。


「家族なんじゃから、これぐらいで騒ぐでない。なんならもっともっ〜と近くに行く故のぉ。・・・家族なんじゃからのぉ」


家族なんじゃからのぉと二度も同じ事を言って雫に圧を掛ける玉枝。

雫にとって言葉よりも色々と他にも圧が掛けられており、男として理性を保つのに一生懸命になっていた。


「ふふっ。さてと、妾は食器を片付けてお風呂に入るのじゃ」


そう言って玉枝は雫から離れ、早々と片付けてしまった。

あっという間の事で雫はポカーンと惚けていた。

暫くボッーとしていると玉枝が「言い忘れたのじゃ」と言いながらやって来た。

何を言い忘れたのかと考えていると、玉枝は手の中から鍵を出した。


「シズクの部屋の鍵じゃ。二階の一番奥の部屋じゃからの。ゆっくりと部屋で休んで、また明日頑張るのじゃよ」

「ありがとう。でも部屋に鍵なんているの?」

「この家は元々シェアハウス用なのじゃ。じゃから鍵が各部屋にあるのじゃよ」


だからこんなにも大きい家だったのかとシズクは納得した。

鍵を受け取った雫は「おやすみなさい」と一言残し、部屋へと向かった。

二階への階段を登る途中、足が引っかかり転けそうになったが何とか無事、部屋に来れた。

鍵を開け、部屋に入ると六畳程の大きさだろうか。

壁際にベッドがあり、ベッドの反対側に机、その間に小さなテーブルがある。

至って普通の部屋なのだが、一つだけ只者じゃない雰囲気を出している物があった。


「どうして太刀が壁に掛けられているんだろう」


そう、雫が目にしたのは黒塗りの鞘に納められた太刀だった。

雫はそれを手に持ち、ゆっくりと刀身を抜くとその見た目に心が揺さぶられるのが分かった。

刀身部分はこれまた綺麗で艶やかな黒色。

しかし刃の部分は煌びやかで真炎に燃える真っ赤な刃だった。


(かっこいいな。うん?机の上に手紙があるな)


雫は一旦、太刀を鞘に仕舞いベッドにそっと置いた。

手紙の封を手で切り、中身を確認する。

それはアウルゼルからの手紙であった。


『この度は色々と滅茶苦茶ですまんかったの。改めて謝罪するのじゃ。

色々と説明が足らんかったのでな、この手紙で説明しようと思う。

まずお主を強くするのに三年程、この神界で修行してもらう。

その後は異世界に行って好きなように過ごすが良いのじゃ。

その太刀は儂と玉枝と・・・生前お主が助けた猫からの贈り物じゃ。

太刀の名は千年守村正春風。

それと悪い知らせじゃが、猫達はお主の父親に殺されてしもうての。

理由はまぁ会ってみれば分かる故、頭の片隅にでも置いて置くのじゃな。

明日は休みにするからの。明後日から修行じゃ。

修行開始時刻は朝の八時から、終了は夜の九時じゃ。

家の前で待機しておれば、儂が来るからそのようにの。

では、これで通達は終了じゃ。頑張って強くなるんじゃぞ、シズクよ。』


一通り手紙を見た雫は静かに目を閉じた。

その時、脳裏では猫を助けた時の記憶が蘇る。

この手紙に書いてある事が真実であれば、猫達は死んだ。

自分の親に・・・助けて貰った人の親に殺された。

その事実を受け止める事は・・・雫はしたくなかった。

次第に雫は目を閉じたまま涙を流した。

声も出さずに、静かに──しかし心の何処かに怒りがあるのか、手紙を握っている力がどんどんと入り、クシャクシャにしてしまった。


(落ち着け、落ち着け。手紙に会ってみれば分かるって書いてあった筈だ。って事はちゃんといつか会える時が来るんだろう。ならその時にでも──なんなら一緒に異世界に連れていきたいな)


そんな事を考え、雫は太刀を手にして暫くそれを見つめた。

明後日から修行がスタートすると思うと少し不安だと考えてしまう。

でも何故か、太刀に触れているとその不安も徐々に消えていった。


(もう寝よう。明日は休みだし、でも鈍らないようにちゃんと朝は起きて自分なりに運動しようかな)


雫は太刀を壁に立て掛け、部屋の窓を開けて風を入れてから布団に入り目を瞑った。

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