第38話

「本当に行ってしまうの……?」


「モッチーに怖い思いさせて、殺そうとしたんだ……ここにいる資格はないよ」


「怖かったけど、殺そうなんて……本心じゃない。歪んだ感情がそうさせただけ」

「それをなくすために白に行くんだよ」


「………………」


何か言いたげな表情のモチオにリルは、


「また死のうとするんじゃないかって思ってる?」

と尋ねた。


「…………うん」

「一度はそう思ったけど……生かされた命、大事にしないとね。でも、生き方を変える必要はある」


「わたしは何もできなかったな……」

「何言ってるの?モッチーがいてくれなかったら、人を慈しみ愛する気持ちなんて、理解できないままだったよ」


「そんな……大それたことしてないよ」


モチオは俯いたまま言葉を続けた。


「……こういう時って、どんな言葉かければいいかわからないよ。

『頑張って』とも違うし、『ゆっくりしてね』も変だし…………きっと、もう会えないんだよな……」


リルはその問いには答えず静かに微笑んだ。


「僕はどこにいても、モッチーの幸せを願ってるよ」

「リル……」


モチオが顔を上げると、リルは遠くの山を物寂しそうな瞳で眺めていた。


「あの時、他の恋人達と縁を切ってモッチーを選んでいたら……って何度悔やんだだろうな……」


「わたしも……リルがいなくなってから、自分の思いをちゃんと伝えていれば……って後悔してたよ。けど、今だからそう思えることなんだろうなって…………

もし、過去に戻れたとしても、あの時のわたしにはきっとできなかったと思う…………」


「そうだね。それをわかっていても後悔してしまうのは、一番幸せな時期だったからだろうね……」


「これからも幸せになれるよ」

「そうだといいけど……」


「……心のどこかでは気付いてたんだ。こんな不安定な付き合い方してたら、いつかモッチーの心が壊れてしまうことを……

でも、どうしても繋ぎ止めておきたかった。

いずれ僕が足枷になると分かっていても離れていくのが怖くて、君の気持ちを確かめようとして、わざと突き放すようなことも言ってしまった……

ずっと苦しめてごめん」


面と向かって謝るリルにモチオは思い切り首を横に振った。


「恋人達のことはやきもきしてた時期もあったけど、どの人とも真面目に向き合ってたの知ってたから……わたしを思うように、皆のことも大切に思ってるんだなって」


「でも、モッチーにとっては辛いことだったでしょ……?」


「だから、一緒に過ごす時間をもっと大切にしたいって思ってたんだよ。

リルはいつでも親切で、どんな些細なことでも褒めてくれて……

それがすごく嬉しかった。だから“とおし”だって続けて来られた。

投げ出しそうになったことも何度もあるけど、リルが傍についてくれてたから苦じゃなかったし、力も伸ばすことができたんだよ」


「それは、モッチーがコツコツ頑張って得た成果だよ。僕はきっかけを与えたにすぎない」


「きっかけをくれたから、興味だってわいたんだよ。

あの頃のわたしにはリルが全てだった……“生き甲斐”っていってもおかしくないくらい毎日が充実してた。

それまでは“自分なんか……”って卑屈になりがちだったけど、リルと一緒にいるうちに、わたしにもできることがあるんだって、ちょっとずつだけど自信がついてきたんだ。

だから、ニミコへの気持ちを意識し始めた時、リルにこんなに愛してもらってるのに、好きな人ができるなんて裏切っているようで…………」


「後ろめたさを感じる必要なんてなかったんだよ。それは気が移ったとかじゃなくて自然なこと。

モッチーが本当に必要としている人と進む時が来たっていうことだよ」


「うん……今ならわかる気がする……

自分がされて嬉しいことを他人にもしてあげたいって、リルが教えてくれてたんだよな。

わたし、独りじゃ絶対わからなかったもん。好きな人――大切にしたい人がいるって、こんなに嬉しくて、心が温かくなるものなんだって。

今のわたしがいるのは、リルのおかげなんだよ」


「モッチー…………」


リルの頬に一筋の涙が流れた。モチオは彼が泣くのを初めて見た。


「ありがとう……最後にギュッてしてもいい?」

「うん」


と頷くと優しく抱きしめられ、甘くやわらかな香りが広がった。


(あったかいな……あの時も……初めて出会った時も、こんな感じだったなあ…………)


心地良い温もりの中、もう彼を恐れる気持ちはどこにもなかった。


これまで共に過ごした思い出が次々に呼び起され、モチオは名残惜しい気持ちに掻き立てられたが、過去に別れを告げるようにぎゅっと目を閉じていた。


しばらくしてから体を離すと、ほんの少しだけ心が軽くなった気がした。


「わたし、皆の役に立てるよう頑張るよ。ウキウクのために、ウクーが心地良く過ごせるように。

“とおし”も……挫けそうになってもこのペンがあれば、“リルが見守っててくれる、大丈夫”って前に進めるはずだから」


モチオはポーチから紺藍色のペンを取り出し、ぎゅっと握りしめた。


その瞳に揺らがぬ意思を見出したリルは、

「モッチー、僕が知らない間に大きく成長してたんだね……」

手をポンとモチオの頭に乗せた。


瑠璃色の瞳は再び魅入ってしまうほどに、より深く美しく輝いていた。


「わたしなんて……まだまだ至らなくて、目の前のことに精一杯だよ……」


「それは懸命に取り組んでる証拠さ。モッチーは引っ込み思案で不器用なところもあるけど、一途で芯の強い子だよ。

そんな直向きで、いつも心に寄り添ってくれる君が大好きだったんだよ……」


「リル……」


「モッチーは僕のこと褒めちぎってくれてたけど、本当は皆に嫌われたくないだけの小心者。常に心の中には不安と恐れが付き纏ってた。

でも、君が傍にいると、陽だまりにいるような安らぎをもたらしてくれて、ずっと心の支えになってたんだ…………長い間伝えられなくてごめんね」


「ううん……そんなことないよ」


モチオは思い切り首を横に振った。


「僕を好きになってくれてありがとう」


「わたしのほうこそ……一緒にいられた時間は本当に…………本当に幸せだった……」


涙で視界が歪みそうになりながらも、モチオは精一杯言葉を絞り出した。


「じゃあ、もう橙さんとこに行くね」

「うん……元気で…………」


モチオは泣きたい気持ちを抑えながら、しっかりと彼の笑顔を目に焼き付けた。


踵を返したリルはそのまま花桃の木へと向かった。


それに合わせるように木の中から橙さんが出てくると、彼を導くように前をのっそりと歩き始め、そのうち2人とも姿が見えなくなってしまった。

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