第32話
モチオがトフシイ東側広場のベンチで横になっていると、
「モッチー?」
聞き覚えのある女性の声――美須乃の声がした。
霞んだ視界に映った顔はひどく狼狽していた。
「だ、大丈夫……!?」
「うん…………」
「何か出てる……血!?」
モチオの首まわりにべったり付着した飴色の物体に焦っていた彼女に、モチオは弱々しい声で答えた。
「血じゃない……そのうちおさまる……」
「でも何かで押さえといたほうが…………そうや!!」
すると美須乃はリュックサックの中から、何やら白い輪形の物を取り出した。
「これ、養生テープ……さっき買うたんや」
彼女はポケットティッシュを2枚重ねてモチオの首に当てると、その上から短くちぎった養生テープを貼ってくれた。
「ごめんな、こんなんで……」
「ううん。ありがとう」
「トフシイにドラッグストアあったから、そこでガーゼとテープ買うてくるわ」
「いいよ。大丈夫だから……」
「本当に??」
「うん」
すると、心配顔の美須乃の後ろから、
「だいじょうぶ?」
駒もひょこっと顔を出したが、
「ごはんたべた~い!!」
すぐに空腹感に負けた。
「空気読めよ……今それどころちゃうの。モッチー、ケガしとんの!!」
「いたいの?」
「そうや」
「じゃあ、おいしゃさんもってくる~!!」
と叫ぶと駒は急に走り出した。
「待って!!」
「どうしたの……?」
「多分、家にお医者さんの診察玩具が置いてあるから、それを取りに行ったんやと……」
「わたしのことはいいから駒を追っかけて」
「うん……ごめん。すぐに戻ってくるから……!!」
美須乃は躊躇しつつも駒の後を追いかけていった。
(行ってしまった…………)
他のことに気を取られていたら、痛みが少しマシになってきた気がする。
モチオは体を起こし、目を瞑った。
(傷はそんなに深くないはず……でもこの痛み、結構キツいな。
この液体が全部出たらやっぱり死ぬのかな…………死ぬことはないのか……
リルも刺された時こんな痛みを感じたのかな。
真っ黒なメハトになったらそのうち抜け殻になってしまうんだっけ?怖い…………
いや、そんなこと考えてたらダメだ。なんとかしないと……
いつまでもこうしてるわけには……)
思いを巡らせていた彼はハッとした。
(もしかして、次はニミコを狙っているんじゃ……!?
危害は加えないって言ってたけど、今のリルは何をするかわからない……
急いで知らせないと!!)
ゆっくりと立ち上がったモチオは、広場を抜けた先の散歩道の桜の木を3回叩いて内世界へ戻った。
数十メートル先には花桃の木が見えた。
石塔の色ははっきりとは見えないが、まだ半分以上が白かった。
(……伝達猫いるかな)
彼はあたりをキョロキョロ見回していると、すぐ後ろの茂みからガサガサという音が聞こえ、体中が葉っぱまみれの猫が出てきた。
首にふわふわの緑のリボンをつけたキジトラ猫――フクちゃんだ。
「こっちこっち……!!」
手招きされたフクちゃんはトコトコとモチオの前までやってきて、ちょこんとお座りした。
「ちょっと待ってて…………」
彼は目を閉じてニミコの姿を探した。
(北西部にいるって言ってたけど…………あ、あそこだ!!)
ニミコはこの場所から約3km離れたとある公園の近くで、他のウクー達と害虫駆除に勤しんでいるところだった。
「フクちゃん、お願いがあるんだけど……」
「ミャウ?」
「今、わたし動けなくて、ニミコに『すぐに来てほしい』って伝えてくれないかな?」
「ミャウミャウ」
「場所は、ここから北西方向に3kmほど進んだ、時計台が特徴の公園を通り抜けた先の林の……」
フクちゃんに口頭で場所を伝えようとしたが、
「ミャウ??」
ポカンとした表情だったので、
「じゃあ、描くから……!!」
モチオはポーチからペンとメモを取り出して、ささっと簡単な絵を描いた。
それをフクちゃんに見せると、
「ミャウミャウ!!」
わかった!!というふう声高に鳴いて、周囲を確認してから北の方へと駆け出した。
その間モチオが木陰で休んでいると、数十分後、自転車のブレーキ音で目を覚ました。
「何があった…………!?」
ぐったりしているモチオにニミコが血相を変えて飛んできた。
強い橙色に染まったガーゼを見てぎょっとし、
「あいつか……!?」
「首を……メハトを噛まれた……でもわたしのせいなんだ。痛みを分かち合いたいとか言ってしまったから……」
「それでメハトを狙う奴がいるか!!」
彼女は鬼気迫る表情で、モチオの両肩を掴んで前後に揺らした。
「痛い…………」
「あ、ごめん……でも、好きな奴を傷つけるなんてわからねえよ……」
「思う通りにならないからだろ…………心中でもする気かな……」
「笑ってる場合か!!ちくしょー!!あいつ許さねえ……!!」
ニミコの瞳には憎悪の念がこみあげてきていた。
「大丈夫。まだ“抜け殻”になってないから……さっき、外に行ったら美須乃と会って、応急処置してくれたんだ」
負傷したメハトを覆っているものがガーゼではなく、ティッシュと養生テープだと気付くと彼女は拍子抜けしたが、
「そうか……」
と少し落ち着きを取り戻したようだった。
「それより、ニミコは何ともない?きっとリルはニミコのところにも…………」
「ああ?オレは大丈夫だ。とりあえず橙さんの所へ行ってくる」
「もう起きてるの?」
「石塔の色は半分以上
「わたしも行く……」
「そんな体で無理に決まってんだろ。お前は早く家に帰って休め」
「ちょっと良くなった」
「嘘つけ。途中で倒れたらそれこそ迷惑なんだよ」
「…………わかった」
しょんぼりと項垂れるモチオにニミコは、
「キツイ言い方して悪かった……家まで付いていったほうがいいか?」
「いや、自力で帰れるよ。ありがとう」
「じゃあ、気を付けて帰れよ」
ポンポンとモチオの頭を軽く叩いてから立ち上がった。
「うん、また後で……」
モチオも体を起こすと、自宅を目指してゆっくりと歩き始めた。
家までは1㎞もないはずなのに、道のりが遠く感じられた。
額や背中には汗がびっしょりで、次第に睡魔が忍び寄り、全身に力が入らずふらついていた。
(あともうちょっと…………)
集合住宅の建物が視界に入った途端、激しい痛みに襲われその場に座り込んでしまった。
首元を押さえながら深呼吸していると、
「モッチー……」
リルの声が間近でしてビクッとなった。
(そうだ、逃げてもこの人には全てお見通しなんだ……)
これまで抱いていた尊敬や憧憬の念が消し飛んで、今は恐ろしさしか感じなかった。
無言で見上げるモチオにリルはゆっくりと距離を縮めた。
「さっきはごめん……」
すっと手を差し伸べたその柔らかな顔は、いつもの優しいリルだった。
朦朧としていたモチオはそのまま手を取ろうとすると、リルはモチオの腕を引っ張り、ひょいと体を持ち上げ抱え込んだ。
「さあ、行こうか」
「……………」
モチオは声を上げなかった――というよりも上げる気力すらなかった。
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