第33話
うっすらと瞼が開き、真っ白な天井が映った。
ふかふかのベッドについ、もうひと眠りしそうになったが、モチオは上半身を起こし、ぐるりと室内を見回した。
モノトーンを基調とした家具がある他は、特別目を引くような物はなかった。
ベッドから下りようか迷っていると前方の扉がパタンと開き、リルが部屋に入って来た。
「気分はどう?」
「まあまあ……ここは……?」
「仮住まいだよ。モッチーの家からそんなに遠くない所」
「え……?“とおし”では見えなかったのに……」
「まだ、見つけてほしくなかったから」
リルは意味ありげに、にこりと微笑んだ。
「これは外すよ」
彼はベッドの隣にあった木製のスツールに座るとモチオの首に触れ、美須乃がメハトに貼ってくれたティッシュを丁寧に取った。
負傷した部分は赤茶色に変色していた。
じわりと染み出た液体をリルは清潔なガーゼで拭ってくれた。
「……一緒に死ぬつもりなの?」
「道連れになんてするわけないよ……ほら、昔、モッチーを『食べちゃおうかな』って言ってたでしょ。それもあって……」
「だから噛むなんておかしいよ」
「冷たいね。昔はあんなにくっついてきてくれたのに……モッチー変わったね」
「50年も経てば変わるよ……でも、それはリルだって同じじゃないの?」
「そうだね。この世に変わらないものなどなかった……特に人の心なんて」
「別に、リルのこと嫌いって言ってるわけじゃない。なんか変だから……」
「メハトの影響かな……」
リルはストールを脱いで、ほぼ真っ黒な自身のメハトに触れた。
「自力ではどうにもできないことが多すぎて疲れたんだ……頼れる人もいないし。
前はあんなに寄ってきてたのにね。まあ、もうこの先長くないからどうでもいいことだけど……」
「きっとみんな心配してる」
「戻って来てからの反応が全てだよ。皆、一時的に満たされていればそれで良かったんだ。
そんな関係を望んだのは自分だけど、好きだといってくれる気持ちは本物だと信じてたから、僕なりに応えていたつもりだった」
「そんな、本気じゃないみたいな……」
とモチオが口にした時、脳裏にカナエのある台詞が脳裏を過った。
「どうかした?」
「いや……彼女が……この前カナエさんに会った時言ってたんだ。
『退屈凌ぎになった』って。本気の人は1人に限らなくてもいいだろうって……」
モチオは言いづらそうだったが、リルは顔色を変えることもなく、
「知ってたよ。パートナーと上手くいってなくてストレスが溜まってたって。
ほとんど癒し目的で付き合ってた」
「そんな……」
「他の皆もだいたいそうだったから」
あっさりとした口調で言ってのけた。
「そんなの……言い方悪いけど、都合良く利用されてただけじゃないか」
「それはちょっと違うな。僕も彼女達と同じで、特別な人を決めなかったし、満足してもらえるならそれで良かったんだよ。
軽薄な関係に慣れ切ってしまっていたんだろうね……」
「じゃあ、わたしとも……」
「モッチーは違うよ。はじめは……本音言うと面倒だった。
『友達になって』なんて言って、どうせ長続きしないだろうと思ってた。
でも、一時の癒しを求める人達や、上辺だけの付き合いとは違って、素直で純粋に慕ってくれる姿にだんだん惹かれて好きになったんだ。
傍にいると荒んだ心も和らいで、こんな時がずっと続けばいいのに……
って、本心で思える相手に巡り合えたと思った……
でも、他の恋人達を見捨てるわけにはいかない、っていう気持ちもあって葛藤してた」
「それは体質だから仕方ないことだったんだろう?わたしは気にしてない」
「違う。固い意思があれば起こらなかった。僕はモッチーの優しさに甘えてたんだ。
ずっと一緒にいてくれたから、きっと幸せなんだと思ってた。
でも、そのうちモッチーの心は別の方に向いていってしまった。
あんな扱いしてたら当たり前だよ。
でも、君は文句1つ言うどころかいつも気遣ってくれて……
いるのが当たり前すぎて失うのが怖かった。
モッチーが離れていったのも、きっと愛想を尽かされたんだと……
僕が信用できなくなったんだろうなって……」
「わたしは優しくなんかないよ。リルがそう思うのは、わたしに優しくしてくれてたから、同じようにしたいと思ってただけだよ」
「モッチー……」
「恋愛のことは、リルと知り合った時点でわかりきってたよ。
わたしのことを大切にしてくれるなら、他に恋人がいても自由にしててもいいかなって思ってた……
何の取り柄もないわたしなんかと付き合ってくれてすごく嬉しかったから……
会える時間は限られてたけど楽しい毎日だったよ。
そんな中でニミコと出会ったのは偶然だったけど、彼女と過ごしていると自然体でいられる気がして…………」
「そうなんだ……悲しいけど、モッチーが決めたことならしょうがないね」
「わたしは、リルの傍にいるときっとダメになると思う。
子供の頃は良かったけど、一緒にいると全てがどうでもよくなってしまう時があったり……
でも、一緒にいなかったら不安で仕方なくて……
そういうのがだんだん窮屈に思えてきたのかもしれない。
わたしもリルに甘えてたところあったから。
自分でやらなきゃいけないことも頼ってしまう。
それに、やっぱり会うと……濃いひと時も思い出して、また求めそうになる。
そうしたら、いつまでも離れられない気がして怖いんだ。
昔の安堵感は、今はもうないんだよ……」
「じゃあ、もうくっつきたくもないんだよね……」
「そうは言ってない……」
「ああ、そうか。僕がいない間、恋しい人と過ごしてたからか」
白々しい台詞にモチオは少々焦りつつも、
「ないよ、全く。ずっと1人だった」
と否定した。
「こんなに魅力的なのに……?何人か言い寄られたんじゃないの?」
鼻先が触れ合う程に顔が接近すると、モチオは心臓が跳ね上がった。
「あ、えっと……1人くらいは…………」
「本当に?」
「……いや、本当は2人……」
「やっぱり、モッチーは嘘つけないよね。そこも良いところなんだけど……にしても、ここのウクーは見る目がないね」
くすくすと笑っているのがなんだか不気味に感じられた。
(早くニミコのところに行かないと……)
モチオが、花桃の木付近で待っているはずのニミコに会わねば――と思っていると、
「今、あの子のこと考えたね」
リルに心の内を当てられてぎくっとした。
「いいんだよ。思いは伝えられた?」
「まだ……」
「そっか。じゃあまだ誰のものでもないんだね」
「待って……ニミコとはそんなんじゃ……」
「『好きな人ができてもいいから』って言ったけど、僕は器の小さい奴だから、受け入れることができないみたい。君じゃないとダメなんだよ……」
「リル……」
悲しげな顔で頬を撫でられるとぞわりとした。
「怖い?」
「そんなことない……」
答えたのとは反対にモチオの体は強張っていた。
そんな彼をリルはそっと抱きしめ、モチオと目を合わせた。
「大丈夫。何も怖くないから……」
妖しさを含んだ瞳に見つめられると抗えず、身を委ねるしかなかった。
リルはモチオのメハトに口づけし、
「全て忘れるだけだよ」
傷口をゆっくりと吸い始めた。
「い、痛い…………!!」
激痛にモチオは顔を歪めた。
顔を上げたリルの口元は鮮やかな飴色に染まり、
「美味しい」
ぺろりと舌で唇の液体を舐め取った笑顔は狂気に満ちていた。
恐怖に震えながらもモチオはリルの腕を掴んだが、彼は何も言わず再びメハトを舐め始めた。
それは舐めているだけなのか、食んで吸っているのか、荒い息遣いと、くちゅくちゅという音が部屋に響いた。
「やめ……て…………」
声にならないうちにモチオは意識が混濁し、視界が薄れ、目の前が真っ暗になった。
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