第8話
(ふう……だいぶ終わったし、気分転換に外出よう……)
どんよりした気分を吹き飛ばすため、作業が一段落付いたモチオは外世界へ行くことにした。
移動には木の洞を利用する。
内世界と外世界が繋がっているのは、真ん丸で比較的滑らかな小さ洞のみで、この部分を3回軽く叩いて押してから通り過ぎると外世界へ出られる。
逆の場合は洞ではなくても、木自体を3回叩くと内世界に戻ってこられる。
モチオが移動する際はいつもウクカキの木を使っていた。
周囲にウクカキ畑が多いのと、低木で洞にも触れやすいからだ。
彼は丸くて滑らかな洞を見つけると、トントントンと叩いてから一歩踏み出した。
すると景色が一変し、目の前には整備された散策路と枇杷茶色の大きな建物が映った。
大型商業施設“トフシイ”だ。
館内でショッピングを楽しめる他、屋外では芝生広場や休憩スペース、散策コースがあり、20年前にこの施設ができてから、モチオは外世界へ足を運ぶことが多くなった。
トフシイ東側は憩いの広場として整備されているため、天気の良い日は散歩がてら人間がよく行き交う場所でもあった。
外世界の植物に何らかの異変があった場合、内世界でも何か問題が起きていることもあるので、普段から頻繁に外へ出て観察を行っていたのもあるが、モチオの場合は息抜きの割合が高かった。
ここ20年のメインの散策地はトフシイ周辺で、散歩したり、ベンチで読書をしていても誰にも怪しまれることはなかった。
内世界の整然とした閑静な自然よりも、時には雑然とした外世界の自然に浸りたかったのだ。
モチオは桜並木の散歩道を歩きながら、ひときわ大きな桜の木の前で立ち止まった。
内世界では花桃の木が植えられている場所だ。
既に桜の花は散り、鮮やかな緑色の葉を茂らせていた。
彼は木の幹から枝の先端まで、目視で木に異常がないことを確認してから移動しようとすると突然、
「ウク~」
と呼ぶ声を聞いた。
(えっ?)
思わず振り向いた先には、おかっぱ頭の目の細い小さな女の子が真顔で見つめていた。
3歳くらいだろうか。
緑の長袖シャツに辛子色のズボン、シャツの上には赤地に白のドット柄のベストを着ているのだが、着丈が短く胴回りもパツパツで、髪型とも相まって、まるでむっちりした毒キノコのようだった。
(今「ウクー」って言わなかった?もしかしてわたしが人間じゃないってばれてる?
この子何者……!?)
モチオがドギマギしていると、向こうから母親らしき人物が慌てて走ってきた。
黒茶の髪を小花柄のゴムで1つに束ねた、30代くらいの小柄なほんわかした印象の女性だ。
彼女はモチオを見ると一瞬目を見張った。
「ウク~」
「こら……!!よその人にウクー言うな!!」
「ウクーちょうだい!!」
「おやつさっきあげたやろ!!」
「おなかペコペコ~」
「お前はどんだけ食うんや!!」
キレる母親にマイペースな娘。
母親は派手過ぎず、かといって地味過ぎず、典型的な“子育て中のママ”といったカジュアルな感じで、彼女のカンサイ弁がまざったような喋り方が、モチオには新鮮に聞こえた。
ポカンとしていたモチオに、母親は彼に向かって頭を下げた。
「うるさくてすみません……」
「いえ……」
そして、
「ほら、ラムネ2個だけやで」
リュックサックの中から透明のチャック付き袋を取り出すと、ピンクと水色の小さな粒を女の子に渡した。
「ラムネおいしいね~~」
子は頬に手を当てて幸せそうな笑みを浮かべたが、飲み込むとすぐに、
「もっとウク~!!ウクちょうだぁ~い!!」
と追加のラムネをねだった。
(なんだ、ウクーって食べ物のことか……)
モチオがホッとしたのも束の間、母親は“ウクー”を連呼する子に対して、
「ウクウクうるさい!!」
と叱りつけた。
するとしょげた女の子は今度はモチオに、
「ウクー!!」
にこにこしながら右手の人差し指を向けた。
「この人はウクーじゃないの!!指さしたらアカン!!」
「あ、いや、ウクーだけど……」
「は……?ウクー????」
「ウクーっていう生き物」
「え…………人間じゃないんですか?」
モチオがこくりと頷くと母親は言葉を詰まらせた。
無理もない。
人間とほぼ同じ外見で「ウクーです」など、ますます不信感を募らせるようなことを言ってどうするのか。
モチオは後悔しそうになったが母親は、
「実は、あなたを何度か見たことあって……」
と口に手を当てた。
「え?そうなの?」
「この辺、散歩コースでよく通るんです。
草花や木をじっと観察してるから、保護活動とか研究してる人なんかと思ってました」
娘と会話するのとはうってかわって改まった口調で話した。
「守ってるのはあってるかな……植物を枯らさないように世話してるから」
「……遠目やったらわからんものですね。あの……ウクーっていうのは一体どういうものなんですか?」
おそるおそる尋ねる彼女の瞳は、心なしかキラキラしているように見えた。
「ウクーは人間に似てるけど寿命が長くて、主に植物を食べてるウキウクの住人だよ。ウキウクっていうのは人間世界の
この地域は“橙さん”が主だから“橙ウキウク”って呼ぶんだ。皆のんびり生活してる……」
「コピーエリア!?こことまるっきり同じ世界があるってことですか?」
「まるっきりじゃないな。トフシイみたいな施設はないし、車も走ってないから。
ここよりも自然が多くて、人間の代わりにウクーが住んでるって思ってもらえればいいかも」
「へえ……ウクーが人間の世界に来ることもあるんですか?」
「滅多にないかな。問題起こすと厄介なのもあるし……
わたしは外も好きだから“観察”ってことで、こっそり来てるけど……
あ、人間が住む世界を“外”、ウクーが住む世界を“内”って呼んでるよ。
内から外へは自由に行き来ができるんだ」
「へえ~人間の知らん世界ってやっぱりあるんやな……ってあれ?コマどこ行った?」
母親はきょろきょろと周囲を見まわした。
さっきまで彼女にくっついていた女の子が突然姿を消してしまっていた。
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