第6話
降車して数分歩くと、緑に囲まれた中にひっそりと建つ青い屋根の小さな家が見えてきた。
時刻はちょうど21時。
玄関扉をノックするとしばらくして、
「お疲れ様」
リルがにこやかに出迎え、家の中に入れてくれた。
「ごめん、もうすぐ終わるから、もうちょっと待ってて」
「うん、わかった。じゃあ着替えとくよ」
彼がリビングの一角で作業をしている間、モチオは寝室に行って、チェストから薄グレーのTシャツと7分丈のズボンを取り出して着替えた。
リビングに戻って来ると、2人掛けソファにごろんと横になり、自宅から持ち込んでいたペンギンの形をしたビーズクッションを抱えて、鼻をひくひくさせた。
やさしい明るさのブルーとグリーンが取り入れられた清潔感のある室内には、甘い花の香りが仄かに漂っていた。
(この空気吸うだけでも癒される……)
連日オドロシムシの駆除に追われて疲れ切っていたモチオは、お腹から“すう~~”と思い切り息を吸い込んだ。
彼はしばし微睡むと、ポンポンと肩を叩かれた。
「終わったよ」
「……あ、うん」
起き上がったモチオにリルはにこりと微笑んだ。
既に着替えていたらしく、淡い水色のルームウェアもお洒落に着こなしていた。
「髪、整えようか?」
「ああ……ホント、絡まってる……」
低めに結んだポニーテールの毛束がバサバサになり、少しクセのある毛先がくるんとカールしていた。
今は鎖骨に届くほどの長さの髪も、当時は胸が隠れるほど長かった。
自身では1つ結びやねじって留める以外、変わった結び方はできなかったが、リルに頼むと色々なアレンジをしてくれた。
「もう寝るからいいや」
「ゆるめに結んどくから」
「じゃあ……」
モチオは促され椅子に座ると、リルは引き出しから櫛を取り出して髪を梳き始めた。
「この前、赤ウキウクにいる知り合いから聞いたんだけど、パムズターがオドロシムシを食べるところを見たんだって」
「え?パムズターが……?オドロシムシの臭い平気なの?」
パムズターとは夜行性の薄茶色をした小型の齧歯類で、橙ウキウクのいたるところで見かける動物だ。
昆虫や植物などを食べる雑食性であるが、他の動物と同様にオドロシムシの強烈な臭いを嫌うはずだった。
「いや、臭いは嫌だろうけど、パムズターの好物の草、ハッカメソウに虫がくっついていると一緒に食べるとか。
くっついてなくても、ハッカメソウの傍にオドロシムシがいれば、他の昆虫と同様に食べてしまうらしい」
「ハッカメソウ……聞いたことないな」
「橙にはないね。その植物もまあ、相当なニオイがするらしいから、オドロシムシの臭いを打ち消してるんだろうって」
「その草があればパムズターに虫の駆除任せられるなあ……」
「うん、だからハッカメソウを探しに行こうと思うんだ」
「赤ウキウクに行くの?」
「ハッカメソウは、赤ウキウクでも限られた地域にしか群生しない希少植物なんだよ。保護の対象になってるから他所のウキウクに探しに行くしかない……モッチー、ついてこないか?」
「それって、しばらくここには帰ってこれないの?」
「うん。数か月、もしかしたら数年かかるかもしれない」
「え……そんなに?庭園の仕事はどうするの?」
「仲間には前々から話してあるし、リーダーの了承も得てるから問題ないよ」
「………………」
気持ちの整理がつかないモチオはシャツの裾をぎゅっと掴んだ。
「わたしはここを離れたくない」
「モッチーは今のままでいいの?虫の罠作り、いつも大変そうにしてるじゃないか」
「でも、もう慣れてしまってるし……ハッカメソウがすぐに見つかったらいいけど、どこにあるのかわからないなんて……」
「それは良くない”慣れ”だよ。根本的な解決にならないってわかってるのに、
だから、誰かがやらなきゃいけないんだ。
じゃないと、ずっと同じこと繰り返すばかりだ。
これから生まれてくるウクーにとって、快適な環境を作るのも僕達の務めだよ」
「それはわかるけど……」
橙ウキウクはまったりのんびり生活できる場所なのに――ニミコとも打ち解けてきた頃なのに――とさまざまな思いがモチオの頭を過った。
「はい、できたよ」
渡された手鏡には、ねじりの入った、高い位置で結ばれたポニーテール姿が映っていた。
「これって……全然ゆるくないよ」
「こうしたほうが、うなじが綺麗に見えるからね」
「……見えても見えてなくても、どうせ触るじゃないか」
「ははは……」
悪戯っぽく笑うリルに困りながらも、モチオはお礼を述べて椅子から立ち上がった。
すると、
「モッチーはニミコのこと好きなんでしょ?」
「え…………なんで?」
唐突に尋ねられたモチオは戸惑った。
「顔に出てたよ。すごく嬉しそうに話してるから。僕とはタイプが全然違うね。
ああいう子が好みなんだ」
「いや、そういうわけじゃないよ。リルはリルの良さがあるし、ニミコはニミコの良さがあるの」
「わかってるよ」
微かに笑んだ顔はどこか哀愁を帯びていた。
「彼女は君の気持ちに気付いてないみたいだけど。いや、フリをしているだけかな……」
「それでもいいんだよ。わたしは今の関係が好きだから」
「モッチーって多くを求めないんだね。僕には無理かな」
「怒ってる?」
「ううん。ちょっと寂しいかな。僕にはないものが彼女にはあって、そこに惹かれてるわけだから。それだけモッチーが成長したってことかな……兄心みたいなものだよ」
「兄なら手は出さないと思うけど」
「それじゃ満足できなくなったってことだよ。受け入れてくれてたと思ってたのに」
「それは……」
うんと頷くとリルはふっと笑った。
「嫌ならなぜ僕をふらないの?」
「え…………?」
「モッチーの中に“触れあいたい”っていう願望があるからじゃないの?」
「それは……」
ない……と言いかけて口をつぐんだ。
「ごめんごめん。意地悪なこと言っちゃったね」
リルはモチオの頭をぽんぽんと軽く叩いてから、
「さ、寝ようか」
寝室に向かうと2人揃って布団に入った。
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