火傷をした猿

夏眼第十三号機

記録

 火傷をした猿が、御山から降りてきたという話を地元の友人から聞いた。

曰く、左手に大きく文様を描くような、酷い酷い火傷を負っていたようだった。

すぐに地元の猟師に保護され、近くの街にいる獣医に見せて、火傷を直してやったそうだ。

が、それから暫くして。猿は、またもや大きな火傷を負って人里に降りてきたそうだ。


 そんな猿に対して、僕は大きな興味を抱いてしまったのだ。

電車に揺られて――わずか二時間か。

他人事のようだが、こんないい街によく僕が生まれたものだ。

「……ま、それも運命ってヤツ?」

窓の風景を――懐かしさと共に噛みしめながら、僕の旅路が幕を開けたのだった。


 さて、さてさて。

聞いていた山道は、存外にも険しいものだった。

今回の旅路は実家への帰省も兼ねていたので、荷物を実家に置いて適当に時間を過ごしてから、一つだけバックを下げて山道にやってきた。

……適当に時間を過ごしたというには、あまりにも長く過ごしたものだ。

夜闇が空を包んでいる。

時計は、既に月の出る頃を指していた。

「よく遊んだもんだよ、こういうところで。悪ガキもいいところだよな。怪我でもしたらどうする……」

独り言のように、僕は過去の自分を叱ってみた。

そういえば。

ここで遊んだってばれると、よく母親に叱られたものだ。

そうだよな。

こんなところ、危ういにもほどがあるもんな。

「そりゃ大目玉だわ」


 夕日が、まぶしい。

空を覆う雲は茜色に染まっており、どこか寂しかった。

木々を揺らす風も青く――強まっていき。

夜の色に染まっていこうと、影を強めていた。

ざわざわ……さわ、り。と。

そんな擬音と共に、山が胎動している。

そうか、これが命か。

いつしか、誰かしらから言われてた、深い緑の命か……

「わお、なんてプロパガンダ」

独り言が、少々過ぎるようだ。

よし、これからは黙っておこう。

と、その時だった。

いや、もしかしたら僕が思っている以上にタイミングが良かったのかもしれないし、悪かったかもしれない。

とにかくその時だ。

木々が、おぞましく揺れていた。


 上に気配を感じる。

今日は夕日が眩しいこともあって、影の様な何かがくっきりと見える。

怖い。

率直に、恐怖が僕を支配していた。

いいぜ……かかってこいよ……

そんな、かっこいいみたいなセリフを言おうとしたその時。

声が聞こえた。

「――者よ、願いを叶えよう」


 低い声だった。

腹に、ズシンと響くような、そんな――

「願いだ。願いを聞いているんだ。こんな夜も間近の夕暮れだ。何かしらの効果を期待してやってきたんだろ? なら、答えよう。答えて見せよう。やれる範囲でだけどな。再び問う。者よ、願いはなんだ? この山に踏み入った、その心は、一体なんだ?」

笑ったような気さくさで、声は話しかけてきた。

いや――これは声なんかじゃない。


 「おま……え……は……」

「ん? ぁあ、そうか。猿が喋ることは、存外珍しいことなんだよな。藪医者のジジイに言われてたのを、忘れてたよ。じゃあなんだ? こっからはウッキーで通せばいいのか?」

その事実に、ただ動揺していた。

いや、動揺だけじゃない。

混乱も同様に、僕の心の中で起こっていた。

だから、こんなことを返してしまったのだろう。

何か返さないといけないと、とにかく思ってしまっていた。

「お前は――死んだはずだ!」

猿は、首をかしげる。

「死んだぁ? 確かにジジイからは、死んでもおかしくない火傷だって言われたけどな。でも、死んだはねぇだろ流石に。俺も若くはねぇけどよ」

「……すまない。つい、気が動転して……」

「ま、心臓止まってないだけマシか。ジジイなんて酷いんだぜ? 俺が喋った瞬間よ、心臓止まったみてぇにぶっ倒れちまったんだよ。ま、もし俺が人間だったらば、そんな風になっていても仕方ないと思うがね」

嘘、だと思った。

本当だと思いたくなかった。

だが、ここに。

事実は反転して存在する。


 「それで、用件はなんなんだ?」

「……へ?」

「だーかーらぁ、用件だよ用件。見たところ、俺に用があるみたいだしな」

「あぁ……その通りだ。うん、その通り」

「ならちゃっちゃと用件を済ましてくれ。森の連中がおびえて仕方ねぇ」

「……あぁ、そうしよう。どうやらここは、人間の踏み入れちゃいけない場所だったみたいだ」

「そうだよ。ここは、俺らの住んでる家みたいなもんだ。誰だって、自分ちを荒らされたくは無いだろ? ま、俺は獣医のジジイの家に暫く住んでたから、どちらかと言えば故郷みたいな扱いだけど」

「じゃあ、二点。お前に質問がある」

僕は、指で数字の二を表わした。

「なんだ? 質問、だって? 猿にか?」

「相談、に近いかもしれない。ともかく、今現在僕の心理的な整理は追い付いていない。だから――それをスッキリさせたいのさ」

「はん。猿に相談ね……人はいつから、猫の手だけじゃなく、猿の知恵を借りるようになったのさ。願い事なら、猿の手で事足りるのにな」

「……とにかく、僕の質問は二点だ。それが済んだら、俺は山を下りる」

「いいぜ。そういう事にしよう」

猿は、めんどくさそうに。

頭をかいていた。


 「まず第一にだ。お前は、どうして人語を解することができる?」

「それって設定資料集にするつもりか? まぁ、まとめられようとまとめられなかろうと、言っちゃうんだけどさ」

「で、回答はどうなるんだ?」

「わからない」

「へっ⁉」

「だから、分からないんだよ。気が付いたら喋れてた。生まれてからかもしれないし、生まれた後かもしれないし。あ、そうだ。ジジイの元に行ってから喋れるようになったっていう言い訳を思いついたぜ」

「言い訳って……じゃあ人語を解する理由はわからないが回答なんだな」

「おう、その通りだ。期待してたような答えじゃなくて残念だったな」

「じゃあ――次の質問。どうして、お前は火傷してしまったんだ?」


 「…………」

猿は、押し黙る。

まるで痛点を突かれたように。

「たとえば、だ。例えば他の猿たちはどうだった? みんな、怖がって火に近づこうとはしなかっただろ? なのに、お前は近づいた。目に見えてハッキリしたよ。これは、日焼けとかそういうレベルじゃない。明らかに、かがり火か何かに手を突っ込んだ結果だ」

しばらくの沈黙の末、猿は――世にも珍しく口を開く。

「……そりゃあ、試したかったからだ」

「試したかった……?」

「ここにさ、キャンプ? をしにきた連中がいたんだよ。そいつがさ、『うまい肉が手に入ったからみんなで焼こうぜ』って言ってたんだ」

「キャンプ……」

確かに、ここはかなり大きな山だ。

超えるための道路が一本舗装されているだけで、横道に逸れれば普通に大自然が広がっている。

かくいう僕も、食事の買い出しだと言って、車でその道を通ってこの山を登ってきた。

今は路肩に停めて、横の木々に入ってしばらくのところにいる。

道に迷いそうだったので、コンパスを持ってきていた。

「そいつらが炎を用意して、肉を焼いているのをじっと見ていた。旨そうだったぜ。豚肉とかなんとか言ってたが、脂が地面に落ちていたのを覚えている」

「……うん」

「その時、何か木の実の様なものを食べてたんだが……急にある欲求が湧いてきた。これをあの炎で焼いて食べたいってな。あんなにも怖いって感じるのに、その恐怖すら欲求に消えていったんだよ。あの時の感覚は、今でも忘れられない」

火傷の跡をなぞりながら、猿は重々しく語っていた。

「そして、次だ。連中、顔を真っ赤にしてたんだよ。俺は、これを好機と見て持っていた木の実と共に、こっそり火の元へ近づいたんだ」

「つまり……酔っぱらってたの?」

「あぁ、そういえば。あいつらの周りにあった、ほら変な味のする水。あれは良かったなぁ。一舐めするだけでものすごく気分がぶっ飛ぶもんだからさ。仲間にも勧めたかったんだけど、生憎、在庫はあいつらの残りしかなかったみたいだ」

「…………」


 猿は、ただじっと語っていた。

「そんでさ、こいつはスゲーもん手に入れたぞーって自慢しに行ったんだよ、仲間のところに」

次の瞬間、猿はあまりに悲しそうな顔をしていた。

「でも……仲間共は、奇怪なものを見る目で俺を見てたんだ」

「それって……」

「あぁ。俺の腕は、燃えてたんだ。焼き爛れてたんだ」

猿は当たり前のように、火傷をした腕を見せた。

「それ以降、俺はこうしてはぐれメタルをやっている」

「経験値が入るのか?」

「いや。ただ単に、仲間外れにされただけだ。当たり前だろう? 火の中に腕を突っ込んで、わざわざ火傷をする狂人を、お前は相手するか?」

「…………」

押し黙った。


 「な? 結果は見えてたんだよ」

「なるほどな……そのあとに人里に降りたってのか?」

「あぁ。冷静な判断じゃなかったがな」

夕はじきに暮れて、夜になっている。

猿は空を見ていた。

「でも……俺は、後悔したことはないぜ。火傷したことも、人里に降りたことも。良い言い訳になった」

「言い訳って……」

「猿ってのは――人間もそうかもだが、生きていくのに言い訳ってのが必要なんだ。弱いからな。そうじゃないと、耐えられない。俺はそうだった。無知蒙昧で生きていくのは、いやだと思った。結果として、誰かから疎まれたとしてもな」

森に風が吹いていく。

行間を埋めるような、冷ややかな風が。

「それじゃさよならだ。願い事なら猿の手にでも頼むんだな。あ、知ってるか? 猿の手を借りるってことは、俺らに借りを作るんじゃないぜ。悪魔に、借りを作るんだ」


 猿はその言葉を最後に、森の中に消えてしまった。

もう夜が深い。

「確か……あっちだっけ」

去り際に。猿は僕に、最寄りのスーパーを教えてくれた。

「……ここだな」

***

 火傷の跡がする猿は、喋ることができた。

なんて話は誰も信じないだろう。

怖いから。

恐ろしいから。

そういうのがいない。自分たちはこの現実において、無知蒙昧じゃないと錯覚しないと――言い訳しないと生きていけないのだ。

それは僕も、あの猿だって変わりはないと思う。

人は言い訳をしないと、何にもできないのだから。

そうか――僕も、不気味な猿に会いに行くなんて言い訳が無いと、故郷に帰ってこれないのかもしれない。

まぁ、本当の事なんて、誰にも分からないけど。

ただ、そういう事にしておこうか。

少なくとも、今日の間は。


 明日はどんな言い訳が良いんだろう。

どんな生き方を選ぼうか。

なんだっていいと思う。

それに、自分なりの言い訳が見つかるのなら。

「……痛った」

火傷の跡が、小さく痛んだ。




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