神隠しの怪
第5話
「いただきます」
日曜日。
遠くから聞こえるスズメの鳴き声を聞きながら、誰もいない空間にそう呟き、箸を持った。
自分で作って自分で注いだ味噌汁を啜る。
うん、いつもと同じ味だ。
ほかほかとした暖かさが喉元から腹の奥まで落ちていくような感覚に深く息を吐いて、ふと空っぽの向かいの席を見る。
親元を離れて二人暮らししていた僕と弟は、いつも必ずこのテーブルで向かい合ってご飯を食べていた。
僕は仕事、弟は学校。
二人共忙しいながらにお互いに余裕がある時に家事炊事をしたりして、まあ世間一般からみたら仲のいい兄弟だったと思う。
年が七つも離れているせいか、弟は昔から僕にくっついて「兄ちゃん、兄ちゃん」となにかと真似をしたがっていたっけ。
静かな家の中は、弟がいたときより随分ひんやりとしていて、僕はそっと立ち上がり空になったお椀にもう一度味噌汁を注ぐ。
それでもまだ並々味噌汁が残っている小鍋を見て小さく息を吐いた。
味噌汁も、ご飯も、未だに二人分作っている。
これは僕の願掛けのようなもの。
こうしていつも二人分のご飯を用意しておけば、食べ盛りで食いしん坊なあいつが匂いに釣られてふらりと帰ってきてくれるんじゃないかって。
「兄ちゃん、腹減った」って、笑いながら食卓につくんじゃないかって。
もう何度その希望をへし折られたかわからないけれど……それでも、僕は諦めない。
いや、諦められない、と言ったほうが正しいかもしれない。
二人分の食事を作ることをやめてしまったら、もう二度とあいつは帰ってきてくれないような気がするから。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせて、呟く。
さて食器を片付けようと思いながら立ち上がった瞬間、手のひらに薄っすらと残った噛み痕に目が行った。
そういえば結局昨日……喋る柴犬と喋る猫に翻弄されたあの後、ミケの申し出を受けて元いた場所まで送ってもらい、そのまま近所のスーパーで買い物をして自宅に戻ってきたんだった。
「弟くんのこと、こちらでも調べてみよう。こうして出会えたのも何かの縁だからね」
そう言って見送ってくれたバディの顔が頭から離れない。
ミケには申し訳ないが、彼らの存在に確証が持てたかと聞かれれば答えはちょっと悩んだ末にNO寄りだ。
しかし、少なくとも昨日遭遇したあの出来事は夢ではなかったんだということはこの手のひらに残った噛み跡が証明してくれている。
思えば今まで警察とは散々やり取りをしてきたけれど、探偵に捜索を依頼しようとは考えもしなかった。
とはいえ仮に思いついたとしてもただのしがないサラリーマンでしかない僕では金銭的に難しかっただろうけれど。
……あれ、ちょっと待って。
そういえばバディに探してもらったとして報酬はどうなるんだろうか。
流石に探偵事務所だし無償ではないだろう。
人間じゃないし日本円で支払うというのは考えにくいか……?
はっ……!
も、もしかして、怪談話とかによくある「お前の命が代償だ」みたいな感じなのでは……?!
あんな可愛らしい見た目をしていたが、本人たちの話が本当ならば、彼らは人智を超えた存在。
人間の命をその辺の石ころと同じものだと思っていてもおかしくない。
ど、どうしよう。
静かにフェードアウトしたくなってきたけど、そんなことしたら地の果てまで追いかけてくるということもあり得る。
きらりと光っていたミケの牙が脳裏を過ぎって……それ以上は考えることをやめ、とりあえず食器を洗い始めるのだった。
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