第4話


「君は今、君が普段いる場所とは少しだけズレた場所にいる。同じ世界では在るのだけれど……そうだな、なんと言ってあげればわかりやすいだろうか」


 少しだけずれた場所……?


「ありゃ、お兄さん迷子やったんですねぇ。この場所を説明するにゃ、あっしがいい例ですえ旦那」


 けたけたと笑った三毛猫、もといミケは隣にちょこんと座り込むとくにゃりと体をくねらせた。


「ねえお兄さん。猫又って言やあどういう類のものだと思いやすか?」

「どういう類……? えっと、猫又って妖怪の一種、ですよね?」

「そう。あっしは妖怪です。つまるところ此処はあっしみたいな妖怪とか幽霊とか、そういうもんが存在している場所ですえ」


 じゃあもしかして、ここって……所謂"あの世"ってやつなんじゃ……?


「にゃはは。そんな青い顔しなくても、死後の世界とはまた違いますんで安心してくだせえ。よく鏡や水面の向こう側には同じようにみえる別の世界が広がっているなんて言うでしょう? 此処はその"向こう側"なんですえ」


 言わんとすることはなんとなくわかったけど……あまりにも突拍子がなさすぎてちょっとすぐには飲み込めそうにないな。


「じゃあえっと、バディ…さん、とかが喋れるのも……?」

「バディでいいよ。この世界に住む私もまた例外ではない、ということだね。まあ私は妖怪というよりは幽霊寄りのポジションだが」


 この世界のことはなんとなくわかったけれど、聞けば聞くほど自分が何故ここにいるのかがわからない。

 もしかして、下を向いて歩いているうちにトラックに轢かれてしまって死んだことにも気付いていないとかなんかそういう感じだったり……?


「茜、そんなに不安そうにしなくても大丈夫。君はちゃんと生きた人間だよ」

「え……で、でも」

「たまにあるんだ。人間がふらりとこっちの世界に迷い込んでしまうことが。まあそう滅多にあることじゃないが」


 そういい切って彼もといバディはキセルを手に持って、また吸い始めた。

 どうやらこの話題には一段落ついたらしい。

 うーん、頭がこんがらがりそうだ。


「お兄さん、もしよければ元いた場所まであっしがお送りしますえ」


 暫く隣で思案顔だったミケがテーブルに飛び乗り、くに、と首を撚る。

 するとなにやら慌てた様子でバディがミケの背をぐぐいと押した。


「こらこら、テーブルに乗るんじゃない」

「おっとと。お堅いこと言いなさんな旦那ァ。旦那だってよくテーブルに足乗せてるじゃないですかィ」

「前足はいいんだ」

「わかりませんねえ、その理屈。人間じゃないんだから」

「いいから。ほら、降りた降りた」

「はあ。まあ郷に入っては郷に従えと言いますし、探偵事務所では旦那が絶対です。失礼しましたっと」


 なにやらほのぼのとした言い合いの後、ミケはひらりとテーブルの上を降りて……僕の膝の上に居場所を変える。

 撫でたら怒られるかなあ、なんて思いながらふわふわの柔らかい体に思わず手を伸ばそうとして、やめた。

 鼓動の音がしない小さな体に心臓がきゅっと跳ねる。


「ところで、どうしましょうか、お兄さん。お見送りしましょうか?」


 膝の上で身を落ち着かせた後、彼はそう言いながらこちらを見上げた。

 宝石みたいなそのまん丸い瞳には困惑したような顔をした男が反射している。


「こらこら。その人は立派な依頼人だよ。行方不明者の捜索の依頼だ」

「へえ。こりゃまた誰を?」

「それは守秘義務に反する。依頼人の情報をそう易々と話すほど私の口は軽くないよ」


 そういい、つん、と向こうを向いてしまったバディ。


「じゃあいいですよう。お兄さんに直接聞きますから」


 するとそれに反抗するようにしてミケもつんとそっぽを向いてからこちらを再び見上げた。

 かと思うと、ごろごろと喉を鳴らして腹のあたりに額をぐいぐいと押し付けてくる。


「ねえねえお兄さん。どなたを探してはるんです? もしかしたら、あっしが力になれるかも知れませんよ。こう見えて、そこにいる死に損ないのワン公と違って歴とした妖怪なんですよ、あっし。その気になりゃ空だって飛べるしワープだって出来ますえ」

「誰が死に損ないだ、この化け猫め。茜が困っているだろう」


 ごろにゃんごろにゃんと膝の上で転がるミケに思わず口角が上がった。

 再三言うが、自分は無類の動物好き。

 こんなことされたら一瞬で攻落されるのである。

 とはいえまあ動物好きということを差し置いても弟を探していることを隠す必要もないし、正直猫の手も借りたいところだったので弟を探してくれる人が増えるというのは大歓迎だ。

 まさか文字通り猫の手を借りることになるとは思ってもみなかったけれど。


「七歳年下の弟を探してるんです」

「ありゃ、弟さん。そうなんですねえ。いつからいらっしゃらないんです?」

「……半年」


 そう呟いた瞬間、ほんの少しだけ、ミケの耳がぴくんと動いたような気がした。


「半年前、喧嘩してしまって。弟は頭を冷やしてくるって出ていって……それっきり」


 つい少し前にやっと引っ込めた涙がまた溢れ出しそうになる。

 自分の膝を握って、なんとか堪えた。


「成程ねえ。そりゃ猫の手どころか犬の手まで借りたくなっても仕様がありやせんねえ」


 そういい、どこか少しだけ柔らかい声色になったミケは、僕の手のひらに頬を擦り付ける。


「でもお兄さん、まだ旦那に頼るかどうかは決めかねてる、ってとこですね。今はとりあえず帰れればいいや、ぐらいに思ってる。違いますかい?」

「え?」


 首を傾げるとミケはくしゃりと目元を細めた。


「確かに此処のことを知らなかったんじゃ無理もありやせん。いきなり喋る犬に出会って、しかも其奴は探偵だと曰う。おまけに喋る猫まで現れてさァ大変。まっさきに自分の頭を疑ってしまうのは当然です。……だから、あっしが証明してみせやしょう。これが夢ではないと。あっしも、旦那も、ここに確かに存在していると」


 途端、手のひらにちくりとした痛みが走って思わず顔をしかめる。

 しっかりとした、痛み。

 彼に噛まれた手のひらにはくっきりと牙の痕が刻まれていた。


「……これで、お兄さんはあっし等の存在を信じるしかなくなりましたねェ」


 くつくつと喉の奥で笑うミケ。

 彼らの存在を疑っていたわけではないけれど……確かに、彼のお陰で今目の前に広がっている非日常がすとんと腹の奥に落ちたような気がする。


「ああ、それから」


 ふいと持ち上げられた彼の口元で、きらりと牙が光った。


「此処の旦那は腕利きですえ。あっしが保証します」

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