扉
所謂霊感だとか、第六感と言われるものがあるとして、具体的にそれは何なんでしょうか。
よく、見える人、などと言われる人がいますが、見える、と言う以上は視覚から通常では見えないものの情報を取り入れているということになるのでしょうが、本来は人間には可視光以外の光線は感知することができません。
人によっては本来聞こえないはずの声が聞こえた、誰もいないのに体を触れられたなどと実に様々な感覚によって見えざるものの存在を感じ取っているようですが、第六感があるとすればその第六感から取り入れた情報を自分が最も理解しやすい感覚として処理した結果、見えた、聞こえた、触れられたという状態になるのでしょう。
以前、ある動画で見た怪談を語る人がこんな話をしていました。
人間は誰しも霊感を持っていて、ほとんどの人はそれに気がついていないだけ。普段、霊的なものを見たりしない、霊感などないと言っている人でも無意識のうちにその辺に立っている霊を避けて歩いている。といった趣旨の話でした。
また、見える、見えないは気持ち次第で切り替えることができると話す人もいます。
そういったものを今まで見たことがない、でもそういう体験をしてみたり、見てみたいなどと言う人は、やはり心のどこかで見えない存在を信じていないか、実際は興味がないため、いつまで経ってもそういった体験をすることはないでしょう。
一方で、様々な科学的論理を用いて霊的な存在を否定してみる人もいるでしょう。
もしかするとその人は実は見えざるものが見えてしまっていて、それをどうにか否定したいはずなのに、そういった体験をしてしまっている以上は先入観、固定観念が覆ることはなく、結局口では否定の言葉を並べていても、誰よりも見えざるものの存在を認めてしまっているかもしれません。
第六感とは何でしょうか。
最近、私は思い至ったことがあります。
第六感とは、例えるなら扉のようなものではないでしょうか。
見えざるものと自分の間にある一枚の扉です。
第六感の強弱は扉の開き具合ではなく、扉の作りの問題だと思っています。
全く見えたり感じたりしない人は、鉄扉のような、扉の向こう側を覗き見ることもできないような扉。
見えたり感じたりする人は、ガラスの小窓が付いていて、向こう側の様子を見ることができる扉。
そして、どの程度扉の向こう側が見えるのかが、第六感の強さなのではないでしょうか。
覗き穴のような小さなものであれば、虫の知らせ程度の少しの第六感。
ある程度の大きさがあるが、磨りガラスの窓がついた扉であれば、確かに見えるがぼんやりとしか見えない第六感。
そして、扉全てが透明なガラスで出来たものであれば、完全に見えてしまう第六感。
こんなことを言っている人がいました。
霊感が強すぎる人は危険な目に遭うと。
霊感、第六感が強いということは、扉の向こう側がよく見えるということ。
裏を返せば、向こう側からも自分のことが丸見えなのだとも言えます。
ただ、どんなに向こう側が見えてしまっても、向こう側から見られてしまっていても、扉が開きさえしなければ危険な目には遭わないはずです。
ではどうして危険な目に遭ってしまうのか。
それは、扉が開いてしまっているからではないでしょうか。
扉を自分で開けてしまう人もいれば、頑として扉を閉め切る人もいます。
扉を自分で開けるということは、例えるならば興味本位で心霊スポットなどといわれる場所に赴いたり、こっくりさんや丑の刻参りなどといった儀式を行い、自ら見えざるものにアプローチすることだと思います。
逆に、扉を開けないようにするということは、心霊スポットと言われる場所は見えざるものだけでなく、その他の危険もあるだろうから近寄らないようにしようだとか、怪しい儀式や呪いの儀式は自分に返ってくるかもしれないからやめておこうなどと、事前に危険を察知して避けていることに他ならないと思います。
では、見えざるものが見えてしまったり、そういったものから影響を受けてしまっている人は、自らその扉を閉めることで問題が解決されるのでしょうか。
第六感が扉なのだとしたら、開けることができれば閉めることもできるはずです。
しかし、多くの場合、そう上手くはいかないようです。
一度、扉が開けば、いくら頑丈で向こう側の見通せない鉄扉を心の内に持っていた人でも、見えざるものが扉の内側に入ってきてしまえばその姿を見ざるを得ないでしょう。
そして、その見えざるものは決して扉を閉めさせてはくれないのだと思うのです。
もし、扉の内側に入られてしまったら?私にはどうすれば良いのかはわかりません。
お祓いに行けばいいのでしょうか。
とてもご利益のある御守りを持てばいいのでしょうか。
塩を振り、盛り塩をし、御神酒で体を清めればいいのでしょうか。
はたまた、それらを受け入れてしまうことが最も楽なのでしょうか。
残念ながら、答えを知る人はいないかもしれません。
私たちにできることは、扉を開けないことだけです。
私もそうですが、怪談好きな人は際限なく怪談を求めるものです。
怖い話をしていると、おばけが寄ってくるよ。
こんな言葉、誰しもが聞いたことがあるのではないでしょうか。
私は少し違うと思っています。
見えざるものは私たちと同じように私たちの近くにすでにいるのです。
そして、そういった話に興味を持った時点で、扉の取手に手をかけてしまっているのではないでしょうか。
怪談に興味を持つ。
怪談を聞く。
怪談を語る。
それを繰り返すうちに、少しずつ扉が開いていき、扉の向こう側にいる見えざるものと相対することになるのだと、私は思います。
あなたの扉は、どの程度まで開いてしまっているのでしょうね。
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