川底の積み石

 私は仕事で河川の関門の様子を見に行くことがある。

 私の住む町のすぐ横を通る川の上流と下流にそれぞれ一ヶ所ずつ水の流れを調節するための関門があるのだが、そこに何か異常が起きてないかを定期的に点検する必要がある。

 6月から8月の中旬頃までは灌漑かんがい用水といって田畑に必要な水を川から用水路に流すために関門は閉じられており、川の水深は1メートルから深いところでは2メートルに及ぶほどになる。

 それが9月に入り雨量が少なくなるといきなり川の水量は激減し、用水路に水を回す必要もなくなるため関門は完全に開くのだ。

 そうすると、夏の間は見えなかった川底が露わになり、ごろごろと丸石の群れが顔を出すのだ。

 関門の点検は二人一組で行うため、いつもは歳上の同僚であるIさんと一緒に行っていた。

 その日は9月に入ってから2回目の関門の点検だった。

 先に上流の関門を点検しに行き、関門が全開になっており川を流れる水が全然ないから、下流は干上がってるんじゃないか、などと冗談めいた話をしていた。

 実際は上流と下流の関門の間に別の川から合流している部分があるため、下流の川が干上がることなどあり得ないのだが。

 上流の関門の点検を問題なく済ませ、次は下流の関門へ向かう。

 関門同士は10㎞ほど離れており、特に下流の関門への道はまず人が立ち入るような道路ではなく、途中すれ違う車といえば、山から間伐材を運び出すトラックぐらいである。

 そうして誰も通ることのないような道の突き当りまで進むと下流の関門が見えてくる。

 話していたように川が干上がっているということなどはなかったが、予想通り、川幅は夏場の半分以下になっており、軽トラを停めた位置からは水が流れているのが見えず、まるで白い石の流れる川のようにも見える。

 ひとしきり関門の点検を行った後、私は何かごみでも落ちていないか探しに行く、という体でその石の川に降りて行った。

 Iさんはというと、私のように特に川底の露わになった川に興味は内容で、ぼうっと景色を眺めている様子だった。

 Iさんは私よりも年上だが、それは少し先輩という程度ではなく、親子ほどの歳が離れているため、私のように好奇心に任せてこの程度のことを珍しがるなんてことはしないのだろう。

 川の水位が下がりきってからかなり時間が経っているのだろうか、丸石の表面は川底に堆積した泥や藻などが付着しからからに乾いており、堤防や川岸に生える木々の緑さえ目に入らなければ、どこか地球ではない星に来たと思えるほどの光景だった。

 丸石の川底を上流に向かって歩こうとすれば、どこまでも歩いて行けるのではないかと思える程に白い川は続いており、Iさんのいる位置から50mほど離れたところまで行ってから踵を返して戻ろうとした。

 当たり前だが、川を流れていくようなごみは水量が多いうちにもっと下流へ流されてしまうため、こんなところを探しても初めから何も落ちてはいないのだ。

 Iさんが退屈そうに対岸の方を見つめているため、なんだか急にこんなことで待たせるのが申し訳なくなり歩みを速める。

 そんな時だった。

 白く乾いた丸石の群れの中にどうにも奇妙なものがある。

 まだ水の流れている所に沿って歩いていたので気が付かなかったが、私がぐるっと一周してきたところの中央付近に積み石がしてある。

 石を絶妙なバランスで積み上げていく遊びを最近はロックバランシングなどというようだが、その積み石はもっと稚拙で、ただ重ねやすい石を無造作に3個か4個積み上げただけのものだった。

 しかもそれらが一つだけではなく点々と何か所かある。

 遠くから見るだけでは気が付かなかったが、一度注意を向けさせられると次々に見つかるそれをみて、私はなんだか賽の河原のようだなとも思った。

 もちろんそんなものを見て疑問も浮かぶ。

 一体誰がこんなことを?と。

 まだ川底が水に沈んでいる時に自然の力で偶然にも石が重ねられたとはとても思えない。

 であればやはり人為的なものだということになる。

 しかし、ここは一般車両が出入りするような場所ではまずない。

 関係者以外の車両の出入りを禁じているわけではないが、わざわざこんな鬱蒼とした林道を通ってまで遊びに来るような人はそう相違ないだろう。

 たまにここから見えるもう少し下流の対岸で釣りをしている人も見かけるが、それはまだ水量が残っている時の話である。

 仮に釣り人がこの時期のこの場所へやってきて、釣りそっちのけでこんな遊びをしていたのであれば余程奇特な趣味嗜好の持ち主のようであると思う。

 そんなことを考えているうちに、遠くでIさんがおおい、と私を呼んでいる。

 少し時間をかけ過ぎたと反省し、Iさんの下へ急いだ。

 私が川底からもぞもぞと這い上がると、Iさんは何かあったかと聞いてくる。

 積み石がたくさんあったが、なんとなく気味が悪いし、Iさんに話すことでもないと思った私は特に何もなかったとだけ言い、軽トラを発進させた。

 Iさんは私が特に聞いていなくともべらべらと一方的に話をしだす方ではあったが、林道の中を走らせている間、珍しく何も言わずにラジオを聴いているようだった。

 しかし、林道を抜けて川の対岸へと戻るための橋を渡り切ったところでぽつりとこんなことを言い出した。

「お前、見たか?何ともなかったか?」と。

 私はIさんが何について話しているのか分からず、何か虫でもいましたか、などと適当な返事をしていた。

 Iさんは「違う」と言って、話だした。

 私が川底に降りて行った後、しばらくは関門から下流の川底に魚でもいないか探してみたり、対岸の景色をみて私が戻ってくるのを待っていたそうだが、私が余りにも遠くへ歩いていくので声をかけようか迷っていた。

 そう思っているうちに私が振り向いて戻ってくるのが見え、そのまま待っていたが、また私が立ち止り地面を見たまま動こうとしなくなったのを見て、今度こそ声をかけようかと思ったそうだ。

 しかしその時、私の後ろの方、まだ川の水が流れている所から何かが歩いてくるのが見えたという。

 こんな人気のないところで見かけるものと言えば狐か狸かテンか鹿か、運が悪ければヒグマに出会うかしかないが、Iさんが見たものはそのどれでもなく、真っ白い肌の中高年くらいの男だったというのだ。

 もちろん私はそんなものを見てはいないし、いたとすれば丸石の上を歩く音ですぐに分かるはずだった。

 しかしIさんはその真っ白い肌の男がふらふらと私に近づいて行くのが見えてしまい、堪え切れずおおい、と声をかけたのだという。

 Iさんが私を呼んだ時にその真っ白い肌の男もIさんの方を向いたのだそうだ。

 Iさんは老齢になりあまり遠くのものははっきりとは見えないそうだが、その真っ白い肌の男の顔は嫌にはっきりと見えたと言い、嬉々とした満面の笑みだったという。

 私が走ってIさんの下へ戻ってきた後もふらふらとこちらへ向かって歩いてきており、すぐさま追いつかれるような距離ではなかったものの、急いでその場を離れたくて仕方なかったのだそうだ。

 そんな話を聞かされて私もにわかには信じられないでいたが、Iさんが人を怖がらせようするような冗談を言う人ではないと知っていたし、私もその男のことは見えなかったとはいえ奇妙な積み石を見かけたこともあり、何か関係でもあるのかと思いぞくりと背中に悪寒を感じた。

 ただ、いくら訳の分からない存在であったとしても、相手はふらふらと歩くだけで、こちらは軽トラ。

 5分も走れば何も怖いことなんてないなどとIさんに言うと、Iさんは引きつった顔でこう言った。

「橋を渡り切るまで後ろにぴったりくっついたぞ」

 私は何も言葉を返せず、自然とアクセルを踏む力も強まる。

 3速のままアクセルをべた踏みするせいでエンジンがやかましく唸るが、それもどこか遠くで聞こえているような気がした。

 そんなことがあったが、私もIさんも今のところはけがなどなく働けている。

 今になっても私が見た積み石とIさんがみた真っ白い肌の男が何だったのかは分からない。

 しかし、川というのは水によってどことでも繋がっている。

 何か得体の知れないものがどこからか流れ着いていてもおかしくはないのだと思う。

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