龍神様の鏡

 私はこれまでに一つとして霊体験であるとか、科学的に説明のつかない体験などはしたことがない。

 しかし、私の弟が一度だけ、不思議な体験をしている。

 もう20年も前、夏になればテレビでは怪談の特番が放送されており、自分ではそのような体験をしたことがない私は夢中になってそれを見ていた。

 番組が終わった後、私の家族にも何かそういった体験をした人がいないか聞き回っていた。

 母はそういった話が嫌いなのか何も教えてくれなかったし、祖父も特にそんな経験はないと言う。

 ただ一人、祖母だけがそういえば、と話をしてくれた。

 祖母がまだ幼い頃、祖母の叔父が龍神様の鏡というものを大事にしていたという。

 その龍神様の鏡というのは、いわゆる神鏡しんきょうという木彫りの台座に円形の鏡を乗せたもので、本来、神社の本殿などに祀られているようなものである。

 どういった経緯で祖母の叔父がそれを持っていたのかは定かではないが、自宅に祀って、毎日拝んでいたそうだ。

 何分、祖母の幼い頃の記憶であるため、その神鏡についてどういった話を聞かされていたのかは覚えていないそうだったが、いくつか、とても鮮明に覚えている出来事があったそうだ。

 祖母が言うには、祖母の叔父はその龍神様の鏡を通して、どうやら未来を見ていたそうだった。

 祖母の叔父がその龍神様の鏡を拝んでいると、ある時、祖母の叔父は魅入られたようにその鏡に映る景色の奥をじっと見つめている。

 そうすると、誰々の姿が見えた、などと言い、鏡を通して姿を見た者の元へ急ぐのだと言う。

 どうやら、龍神様の鏡を通して見える未来というのは、金銀財宝を得たり、自分の得となるようなものではないそうで、偶に失せ物の在処を示したりする他は、ほとんど知人の誰かの身に降りかかる不幸についてだったそうだ。

 ある時、龍神様の鏡を見ていた祖母の叔父が、突然取り乱したように騒ぎ出した。

 祖母の母が何事かと聞くと、ある女の子が海の中へ歩いて行くのが見えたと言う。

 きっと入水自殺をしようとしているに違いないと言って聞かない。

 祖母の母も、これまで龍神様の鏡が見せたとされる未来が悉く的中しているのを知っていたため、一体それは誰なのかと問いただした。

 祖母の叔父は、顔は分からなかったが、きっとあれは親戚の女の子の誰々に違いないと話す。

 祖母が幼い頃に住んでいたのが道東の中標津なかしべつだったが、その親戚の女の子が住むのが隣町の標津しべつ

 中標津から標津までは20キロメートルほどの道のりだが、祖母の幼いころなど、今ほど十分に道路は舗装されてはおらず、車を満足に走らせられるような状態ではなかっただろう。

 それでも、祖母の叔父はどうにか車を走らせ標津へ向かった。

 どれほどの時間がかかって到着したのかは分からないが、祖母の叔父は標津の海辺に到着した。

 海に向かって歩いていく女の子の姿を見たとはいえ、正確な場所までは分からない。

 祖母の叔父は必死になって女の子の名前を叫びながら浜辺を走り回ったという。

 ほどなくして祖母の叔父は龍神様の鏡を通して見たそのままの姿で、もう半ば腰まで海に浸かりかけた女の子を見つけ、無理矢理浜辺へ引き戻したのだという。

 祖母の叔父によってその親戚の女の子はどうにか思いとどまってくれたそうなのだが、その一件以来、祖母の叔父はどうにもその龍神様の鏡が気持ち悪いように思えてしまい、そのうち海に投げ捨ててしまったのだそうだ。

 私は祖母からそんな話を聞けるとは思ってもいなかったので聞き入ってしまっていた。

 しかし、最後にその鏡がもう失われたものだと知って少し落胆もした。

 祖母が言うには、その龍神様の鏡と私の家の家系図は合わせて値段の付けられないほどの価値があるものなのだそうだったが、今となってはその家系図ですら失われてしまったのだという。

 当時の幼い私はどうしてそんな貴重なものを失くすようなことがあるのか甚だ疑問に思っていたが、もしかすると祖母が私の興味を惹くために色を付けて話しただけなのかもしれない。

 今となっては祖父母ともに鬼籍に入っているため確認のしようもない。

 しかし、最近になって実家に残っている弟が祖父母の荷物を整理していた時に妙なものを見つけたと私に話してくれた。

 それは祖父母が寝室として使っていた和室の押し入れ、その一番奥に古びた布にくるまれた状態で埃をかぶっていた。

 その布を取り去ると、中には一つの神鏡が入っていた。

 祖父は昔から木彫りが趣味で、物置には祖父の作品と思われるものが所狭しと並べられている。

 そのどれもが趣味程度で作れようものかというほど見事なものであった。

 弟も幼いころからそれを目にしてきたこともあり、その神鏡を見た時に、これは祖父が彫ったものだろうと直感したという。

 弟はその神鏡をまじまじと観察したが、鏡の部分がくすんでおり、なんとなく不憫に思った弟はアルコールを吹きかけたり、眼鏡拭きで磨いたりしていた。

 ある程度磨くとすっかりくすみは取れ、神鏡の台座に鏡を戻すと上等な骨董品でも手に入れた気分になり、自分の部屋に置いてみようと思ったそうだ。

 神鏡というのは普通の鏡と違い、表面が少し曲面になっており鏡として使用するには決して実用的ではない。

 それでも縁起物であるかのようにインテリアとして自分の机の上に置いていたそうだが、それから数日たった頃。

 夜中にふと目が覚めたという。

 弟は昔から一度寝入ってしまえば周りでどれだけ騒がれようが、絶対に朝になるまで起きないような人間だったため、変な時間に目が覚めてしまうことは珍しかった。

 もう一度寝ようとするがなかなか寝付けずにいると、机の上に置いてある神鏡に窓から差し込む月の明かりが反射でもしたのか、ちらと光ったのが見えた。

 ぼうっとしたままその鏡を見つめていると、次第にその鏡に映る景色が動き始める。

 まるで円形の液晶画面に映像が流れるが如く、どこかの風景が映し出された。

 よく見てみると、それはどうやら車の運転席から見た景色だった。

 どこかのまっすぐな夜道を走る車。

 一定間隔で左右に流れていく中央線と電柱。

 途中、上の方に青看板も見えるが、そこに書いてある文字はよく見えない。

 すると、次第にその景色がふらふらと揺れ出したのが分かった。

 わき見運転か、居眠り運転なのか、次第に揺れ幅が大きくなっていき、最後には対向車らしき光が一瞬見え、次の瞬間にはどの方向に回転しているのか分からないほどその景色はぐるぐると回った。

 見知らぬ道路で事故を起こした車の映像が見えたと思った直後、鏡はその映像を流さなくなり、暗がりに浮かぶ弟の顔だけが反射して見え、映像よりもいきなり映った自分の顔に驚いた、そんな話だった。

 私はその話を聞いて、神鏡は普通は神社などの適切な場所に置かれているべきものであって、インテリアなどに使うものではないと注意した。

 弟もそう思ったようだったが、どのような由来があるか分からないものを神社が預かってくれるか分からないし、とりあえずはまた元のように布でくるんで和室の押し入れの一番奥に戻しておいたとのことだった。

 しかし、気味が悪いと思ったのは弟が次に言ったことだった。

 鏡に映る景色を見ていた時は気が付かなかったが、バックミラーから釣り下がるストラップやメーターパネルの感じなどから、どうやらあの車は私のものではないかと思うようになったと言うのだ。

 そして、私が実家に帰ってきたときに私の車の中をみて確信に至ったそうだった。

 まさか弟が祖母の叔父のように鏡を通して未来を見たなんてことがあるとは思えず、何より例の龍神様の鏡とやらは祖母の叔父が海に沈めたと言っていたはずだった。

 弟は祖母のその話を聞いたことがなかったと言っていたので、もしかすると祖母の叔父が鏡を海に沈めたというのは嘘で、ずっとこの家に残っていたのではないかという話になったが、弟が言うにはその神鏡の台座は龍を彫ったようなものではなく、本当に一般的な神鏡の台座であったという。

 そんなことを言われ、私も気になって和室の押し入れを見てみると、確かに古びた布にくるまれた神鏡があり、その台座は決して龍を思わせるような意匠は施されていなかった。

 祖父母は私が知る限りでは神道を信仰しているわけではなかったと思う。

 どうしてこのようなものが実家に残されているのかは母にも分からず、結局それ以降もその神鏡をどこかに預けることはせず、押し入れの一番奥に置かれたままになっている。

 私に至っては、今の今まで弟が言っていたような事故は起こしていない。

 もしかすると弟にその話をされた日に、夜ではなく日が高いうちに車を走らせるようにしたことでその事故を回避できたと考えられなくもないが、起きなかったことについては何も言うことはできない。

 私自身には何も起こっていないが、私の実家にまつわる唯一の不思議な話。

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