人か、そうでない何かか

 同期の女の子が結婚することになり、その結婚式にお誘いを頂いた時の話。

 結婚式は札幌で行われるため、地方に住む私はバスで札幌駅に来ていた。

 予定の時刻まではまだかなり時間があるが、時間の潰し方が下手な私は何をしようかと迷っていた。

 迷った挙句、まだ昼にするには早かったが、札幌に来たら必ず食べに行くカレー屋があるので、そこに向かうことにした。

 ワイシャツの替えがないため、カレーのシミを作らないよう気をつけて食べていたが、それでも食べるのが早い私は10分もすれば完食してしまった。

 このカレー屋で何時間も過ごす予定ではなかったとは言え、これでは時間を潰せたとは言えない。

 札幌駅には多数のお店が入っているので、普通なら時間を潰すのに何も困ることはないのだろうが、何となく、スーツ姿で彷徨くのが憚られたので、空いているベンチを探してスマホでゲームでもしていようと思った。

 しかし、雑踏の中で何時間もゲームに集中し続けることなど出来ず、すぐに飽きてしまった。

 どうしようかと思っていると、一緒に式に参加する友人から連絡が来た。

 これから札幌駅に向かうので、よかったらそこで落ち合おう、ということだった。

 私は独りで大変暇を持て余しているので急いできてほしい、と言うと、友人はまだ昼食を済ませていないので、食べてから向かうとのことだった。

 私はカレーを食べて腹が膨れており、一人で昼が過ぎているつもりでいたが、まだ11時になったばかりだった。

 仕方なくぷらぷらと地下街を散策していたが、どこの店に立ち寄ることもなく、結局は札幌駅の南口に流れ着いて壁際で時間が過ぎるのを待っていた。

 札幌駅は平日だろうと休日だろうと関係なく人の波でごった返している。

 時折、風変わりな格好をしている人や、目を奪われるほどの容姿の人が歩いていたりするので、人間観察には事欠かないが、あまり人のことをじろじろと見て目が合うのも嫌なので、結局は何も用事がなくともスマホの画面を見ることになる。

 そんな時だった。

 どこからかぼそぼそと喋る声が聞こえている。

 誰と会話するでもなく、一人で何かを説明しているような口調だった。

 やる気のない学生運動か、募金のお願いか、その正体が気になり周囲を探すと、すぐにその姿を見つけた。

 地下から上がってくるエスカレーターの降り口、その反対側に一人の老人が立っている。

 着古したポロシャツとスウェットにスリッパ。

 一見すると、どこかの介護施設から入所者が抜け出しでもしてきたのかと思うような風貌だった。

 このご時世、マスクもせず、若干俯き加減でずっと何かを話し続けている。

 その声は、決して大きな声ではないのだが、それなりに聞こえてくる。

 聞き耳を立ててみると、自分の人生がいかに惨めだったか、今住んでいる所で自分がどのような目に遭っているか、などととても前向きな話をしているようではなかった。

 わざわざ聞き耳を立ててまで鬱々とした話を聞く必要もないし、さして興味もなくなった私はその老人から目を離し、またスマホを見ようとした時、老人の左の方から一人の女性が歩いて来るのが見えた。

 少しメイクがきつめで、学生服姿の女性。

 なんとなくだが中高生には見えず、その手の仕事をしている人だろうか、などと思っていた。

 何の気なしにその女性を目で追っていると、その女性は独り言を話す老人をすり抜けて行った。

 目を疑った。

 角度的にすり抜けたように見えたわけではない。

 確実に老人の立つ位置とその女性が通った位置が重なっていた。

 私が唖然としていると、私の右の方にいた大学生風の男も驚いたようにその方向を見つめていた。

 するとその男性はおそらく他にも見た人がいないかを探し始めたのだろうか、周りをキョロキョロと見渡しだした。

 私はその男の方を見ていたため、必然的にその男と目が合った。

 すると男は近寄って話しかけてくることはなかったが、老人の方を小さく指差して、まるで「今の、見た?」とでも言いたげな表情で私を見てきた。

 同じく妙なものを見てしまった仲間がいると思うと、私も何となく嬉しくなってしまい、うんうんと頷いた。

 男は驚きよりも、変わった体験をしたことが嬉しくなったのか、にやにやと笑いながらスマホを触り出した。

 人が驚いた時の反応は様々だろう。

 私のように唖然とする者もいれば、彼のようについ笑ってしまう者もいる。

 そんなふうに思っている間も、例の老人は延々と何かを話し続けている。

 周りの人間もその老人をちらりとも見ないことから、もしかするとこの老人は人間ではない何かで、私とあの大学生風の男にしか見えていないのかもしれないと思うようになった。

 そう思った途端、何か居心地の悪さを感じてしまった。

 大抵、そういうものは見えてしまっている時点で、向こうもこちらに気付いていると相場は決まっている。

 まさか私についてきたりはしないだろうな、この場を離れた方がいいだろうか、などと心配していると、数名の駅員がこちらに向かって駆け寄ってくるのが見えた。

 どうやらその人たちはその老人に用があるようだった。

 駅員たちに遅れて、スーツ姿の男性もやってきて、その老人に何かを話している。

 なぜかその老人の声とは違い、あまりはっきりとは聞こえてこなかったが、聞き取れたところから察するに、その老人はやはりどこかの施設から一人でここまで来てしまった人らしかった。

 老人が普通の人間だということが分かり、ほっとした反面、ということはあのメイクのきつい女性の方が人ならざるものだったのかと気が付いた。

 もしかすると今は自分の背後にいるのではないかと思い確認するが、そんなことはなかった。

 奇妙なものを見てしまったが、ある意味、貴重な体験ではあったので、友人と合流してからの話の種にはなるだろうと思った。

 老人は駅員とスーツ姿の男性に連れられて行くところだったが、その歩く先に先ほどの大学生風の男が立っている。

 大学生風の男はスマホの画面に夢中になっているようで、前から歩いてくる老人とスーツ姿の男性に気がついていないのか、一向に避けようとしない。

 駅員らしき人たちも歩みを緩めないため、このままではぶつかってしまう。

 と、思っていると駅員たちと老人、スーツ姿の男性は大学生風の男をすり抜けてきた。

 私は驚きのあまり、持っていたスマホを落としてしまった。

 かつん、という音が嫌によく響く。

 その音に気が付いたのか、大学生風の男は私の方を向いて、にやり、と笑って人混みを避けもせず通り抜けていき、やがて姿が見えなくなった。

 4月の気温はまだまだ暖かいとは言えないが、札幌駅の中は空調よりも人混みにより息苦しい暑さで満ちている。

 しかし私はそれとは関係なくじっとりと汗ばんでくるのを感じた。

 私が人ごみの方を見つめたまま固まっていると、後ろの方で何やら喚く声が聞こえた。

 ぎこちなく振り向くと、先ほどの老人が駅員とスーツ姿の男性に抵抗している姿が見えた。

 逃げ出そうとでもしたのか、道ゆく人たちの注目を集めていた。

 それから暫くして友人と合流した。

 私が友人の顔を見るなり、「生きてる?」と聞くと友人は、「死んでるかもしれない」と答えた。

 その答えで友人は変わらず友人のままだと分かり、やっと安心することができた。

 一体、この人混みの中に、どれだけ本物の人間がいるのだろう。

 もしかすると、私たちが想像する以上に、見えるものと見えないものの境目は曖昧なのかもしれない。

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