樫杖の蛇(17) イリム視点
二人並んでトラックに戻ると、ハキムおじさんが上機嫌で出迎えてくれた。
「見てくれ、奴らの落し物がこんなに!」
荷台には敵から回収した銃や弾薬がてんこ盛りになっている。
「こんなものまで手に入ったぞ」
嬉々として見せてくれたのは80mmクラスの迫撃砲。
「さっき照明弾を打ち上げるのに使っていたやつだろうな。良い手土産ができた」
楽し気な声も笑顔も、きっと僕たちを安心させるためのものだろう。
おじさんにも心配をかけちゃったな。
僕が何も言わずにトラックを降りてから5分足らず。
二人とも、仲間の検問所まで救急車を届けてから、できるだけ急いで駆けつけてくれたんだ。
どれほどの危険が待ち構えているのか分かった上で。
さっき抱きしめられた時、
きっと、見透かされていたんだ。僕が「もはやこれまで」と覚悟を決めて、敵を巻き添えに自爆するつもりだったってことを。
僕たち狙撃兵が敵に捕まれば、ただ殺されるだけでは済むはずがない。
拷問なんて生易しいもんじゃない。死んだ方がはるかにマシだと思うような凌辱を、執拗に繰り返し加えられ続ける。
それも、簡単には死ねないように、絶妙のバランスで手加減されながら。
中には5年以上にわたっていたぶられ続け、ようやく
だから、どうせ助からないなら、少しでも楽に死ねるようにしたかった。
……ううん、違う。
本当は、嬲り尽くされた醜い姿を、彼に見られたくなかっただけ。
そのくらいなら、跡形もなく吹き飛んでしまった方がはるかにマシだと、自暴自棄になっていた。
――どうせ長くは生きない身だ。彼の記憶の中だけでも、きれいなままでいたい。
そんな願いがいかに身勝手で傲慢か、痛いほどに抱きしめられてようやくわかった。
自爆して果てたところで、彼が悲しむことには何ら変わりはないのに……
彼の味わう苦しみの深さよりも、僕の気持ちばかり考えていた。
自分でも気づいてなかった醜いエゴに嫌気がさす。
他人様の血で身も心も汚れ切った僕が、今さらどんなに取り繕っても、きれいになんかなれるはずがないのに。
「ずいぶんと大漁ですね」
「ああ。使っている武器が同じだと、弾薬が使いまわせてありがたい」
笑顔で話しながら、まだ使えそうなものがないか見て回っているおじさんと
転んでもただでは起きない逞しさは、この紛争地で最後まで戦い抜く決意の表れなのだろう。
二人とも、眩しいくらいに真っすぐにこの戦場に立っている。安易に死に逃げようとする僕なんかとは違って……
彼らがなぜ僕なんかのことを、こんなに大事にしてくれているのかわからない。
いけない、また発想がネガティブな方に行っちゃいそう。
僕も戦利品探しを手伝って、余計なことを考えないようにしなきゃ。
照明弾が消え、雪原を照らすのは満月の白い光と燃え上がる車の炎だけ。薄暗がりの中、何か使えそうなものはないかと目を凝らすと、視界の隅で何か黒いものが動いた気がした。
「何かいる!!」
「どうした!?」
愛銃を油断なく構えて近付こうとすると、
大切にされていることを実感できて、くすぐったいやら申し訳ないやら。
「何か動いた気がする。気のせいならいいけど……」
「討ちもらしがあったら厄介だな。おとなしく降伏してくれればいいが……」
「!! 何か聞こえた!」
お互いに死角をカバーするように周囲を警戒しつつ、影が見えた方にじりじりと向かう。
ほどなくして、かすかな唸り声のようなものが聞こえてきた。
「動物……?」
「油断するな、軍用犬かもしれない」
そう言えば、さっき包囲された時、獰猛そうな獣の声がしていた。
敵が軍用犬を放ったみたいだったけど……もしかして、ケガをしているのかな?
「あ、いた!」
岩陰でお腹のあたりを真っ赤に染め、横たわっている犬が一頭。
立ち上がるどころか身を起こすこともできないらしく、わずかに頭を持ち上げては必死にこちらを睨みつけている。低く声を上げてはいるが、あまりに弱弱しくて今にも消え入りそう。
それでも懸命に威嚇しようとする姿に、ひとかどの戦士の矜持を感じた。
「大丈夫? ひどいケガ……」
故郷で飼っていた犬を思い出して思わず駆け寄ってしまう。
あの子も大切な家族で友達だった。羊の群れを守るため、熊と戦って殺されたけど……目の前の犬のぐったりした姿が、あの子の最期に重なって見える。
「おい、不用意に近づくな!」
彼が止めるのも聞かず、犬の傍らに跪いて傷の様子を診た。
犬は何とか噛みつこうとしてたみたいだけど……何度か首を持ち上げようと力んでは失敗する。今は力尽きたのか、首を大地にだらんと落とし、かすかに声を上げるのみ。
それでも瞳の光だけは失わず、気丈に僕を睨んでくる。
「大丈夫、何もしないから」
僕はできるだけ穏やかな声で話しかけながら、傷の様子を手早く診た。
「流れ弾か……はじけ飛んだ岩の破片が当たったのかな? 貫通しているみたいだから、止血さえすればなんとかなりそう」
「おい、そいつを連れて帰るつもりか?」
しっかりと銃を構え、
「大丈夫、もう頭を持ち上げる力もないみたい。噛まれる心配はないよ」
「しかし……」
「この子、もう少し見つけるのが遅かったら死んでいた。それなのに、間に合うタイミングで僕が見つけたんだ。きっと神様の思し召しだよ」
渋い顔をする彼を押しとどめ、僕は必死で訴えた。
彼が何か言おうと口を開いた時……
ワンッ
犬は一声小さく鳴いた。ぐったりと横たわったまま、
「やはり、楽にしてやろう」
「駄目っ!」
改めて銃を構える彼。僕は慌てて犬の身体に覆いかぶさった。
「そこをどけ」
「嫌だ! この子はまだ生きてるんだよ!」
「そいつを見ろ、一人前の戦士の顔だ。それが、瀕死のまま虜囚の辱めを受けると思うか?」
「でも!」
たしかに、この子はこのまま楽にしてあげた方が良いのかもしれない。
それでも、生命の灯が消える前に僕の前に現れたことに、きっと何か意味があるはずなんだ。
そのまま
どうやら僕たちが言い争っているのに気が付いて、心配して様子を見に来てくれたらしい。
「はい、そこまで。守護者くんはなぜこの子を助けたいの?」
「それは……わかりません」
いたずらっぽい笑顔で尋ねるおじさんに、僕は明確な答えを返せない。
「この子の生命は、放っておけばこのまま消える。それを君の意思でつなぐというのなら、君はその生命に責任を持たなくてはならない」
「……はい」
「この子が生きている限り、君はこの子が周囲に迷惑をかけないように面倒を見なければならない。決して先に死ぬことはできないよ。それは、わかっているのかな?」
「……っ!?」
そんなこと、考えもしなかった。
ただ、目の前で消えようとしている生命を何とかつなぎとめたくて……
「もしお前が、こいつが生きている限り絶対に死なないと約束するなら、俺も連れて帰ることに同意する」
僕が何も言えずにいるうちに、静かな声で言ったのは
底知れぬ湖のように澄んだ蒼い瞳が、僕を真っすぐに見据えている。
「どうだ、誓うか? こいつを残して死ぬことは絶対にしないと」
射貫くような視線に僕の心の奥底までもが見透かされているような気分。
おかげで僕の心も決まった気がする。
「わかった、誓うよ。必ず生き延びるって」
「よし、決まりだ。この子をすぐに止血して、安全なところに運んであげよう」
「はい!」
おじさんが持ってきてくれた布を裂いて手早く止血する。
この準備の良さは、声をかける前から僕の答えがわかっていたんだろう。やっぱりおじさんにはかなわない。
手当を始めると、犬は牙をむくのをやめてぐったりと身体の力を抜いた。
もう威嚇する力も残っていないのか、それとも僕たちに危害を加えるつもりはないのがわかってくれたのか……
止血が終わったところで、犬は目を閉じて動かなくなった。
できるだけ揺らさないように、そっとトラックに運んで後部座席に乗せる。
「帰りは私が運転しよう。君はその子についていたまえ」
当たり前みたいな顔でハンドルを握っているおじさんのお言葉に甘え、横たわった犬の隣に座った。
「大丈夫、必ず助けるからね」
荒い息を吐く犬に声をかけながら背中を撫でていると、東の方の空がかすかに明るくなってきた。
怪我をした人たちは、今頃ちゃんと手当を受けているんだろうか?
検問所を通過するとアルファーダまではあとわずか。
長かった夜が、ようやく明ける。
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