樫杖の蛇(16) グジム視点
照明弾と満月とに照らされた白い雪原を、車列は北に向かってひた走る。
周囲に落ちて来る銃弾が、徐々に車体にかすりそうになってきた。やはり視界が確保されたことで敵の射撃の精度が格段に上がっている。
窪地を選んで被弾面積を減らすようにはしているが、このままではいつ命中することか……
いや、そんなことにはならないはずだ。
イリムは……俺の大切な相棒は、そのためにたった一人で荒野に残ったのだから。
そう思った瞬間。
バックミラーに映る発砲炎。
微妙に位置を変えながら、チカチカ光が瞬いている。
戦っているんだ。自ら見出した使命を果たすために。
だったら俺も、使命を果たすのみ……救急車を無事に送り届けて、必ずお前を迎えに戻る。
闇の中、俺は改めて固く決意した。
息詰まるような時間が過ぎる中、車列は着実に検問所に近付いている。
はるか後方で激しい銃声がするものの、銃弾が周囲に届くことはなくなった。
あの暗闇の中、彼がたった一人で戦っている……
俺も一秒でも早く駆けつけて、その隣で戦いたい。
そしてついに、薄暗がりの中に友軍の
すぐさま左右から飛び出した戦士たちが移動式バリケードで道を塞いだ。そのままバリケードの陰で武器を構え、待機姿勢を取る。
「ここまで来れば、後は彼らに任せて良かろう。行くぞ!」
「はい!」
急ハンドルでUターン。ハキム師は一気にアクセルを踏み込んだ。
見る間に近付く銃火の光。
「まず私が奴らの
「了解っ!」
トラックが停車するのを待たず、助手席の窓から飛び降りる。
前方の闇の中で瞬く炎の群れ。
耳をつんざく銃撃の音。
猛々しい獣のうなり声。
あのただ中に、俺の大切なひとがいる。
今すぐにでも愛銃を乱射したい所だが、まだその時ではない。
もどかしさをおさえて、大地を蹴ってひた走る。
背後で次々に起きる轟音が6つ。
大気をびりびりと震わせながら俺の傍らを通り過ぎた何かは、前方の車両に突き刺さると同時に爆発した。
振り向かなくてもわかっている。
出発時に俺が積み込んだ
あれをハキム師がまとめてぶっぱなしたのだ。
「こんな事もあろうかと思って」
そう言えるほどには、ここまでの危機を正確に予測していた訳では無いが。
それでも「備えあれば憂いなし」と言ったところか。
車両が更に爆発して激しく燃え上がった。おそらく積んでいた弾薬に引火したのだろう。
炎に照らされ、いくつもの黒い人型が踊る。
敵は完全に浮足立っているようだ。
動きが停まっている
ならば、もっと混乱していただこうか。
ポーチから無造作に取り出した手榴弾を次々と投げ、両腕をかざして目を守る。
4秒後、爆発音とともに強烈な光が固くつぶった瞼ごしにも感じられた。
あちこちであがる叫び声。きっちり3秒数えて瞼を開けば、視界はわずかにちらつくものの、戦闘には何ら支障はなさそうだ。
よし、行ける。
左手の親指で愛銃のセレクトレバーをフルオートに切り替え、一気に引き金を絞ってぶっぱなす。
明々と燃える炎が照らす中、次々と倒れる黒い影。
きっかり3秒。全弾撃ち尽くすとポーチから予備の
そのまま装着してまた1連射。
また
自棄になった敵が狙いも定めず撃ちまくり、しまいには同士討ちが始まった。
閃光弾で視界を奪ったのが功を奏したのだろう。
俺は次々と弾倉を交換しながら戦場をかけめぐった。
次第に小さくなる敵の発砲音。
「伏せてっ!!」
耳慣れたテノールが鼓膜を打つ。
戦場の喧騒の中でもよく通る、清冽で凛とした声。
言葉が脳に浸透するより早く、俺は反射的にその場に伏せた。
バシュゥ……ッ
夜気を切り裂いて頭上を飛び行く銃弾。
一拍置いて、何かが落ちるような重い音。
俺の背後に迫った敵を、
俺は周囲を確認すると、一挙動で立ち上がって、また周囲に銃弾をばらまき続ける。
どのくらい経っただろう。ついに撃ち返してくる敵の銃弾が止んだ。
満月と炎とに照らされた雪原には、物言わぬ人型がいくつもごろごろと転がるのみ。
ゆらゆら揺れる火焔の他には、動くものはなにも見当たらない。
周囲の安全を確認すると、俺はさっきの声が聞こえた窪地に駆け寄った。
――良かった……生きていてくれた。
湧きあがる安堵と共に、狙撃姿勢のまま伏せている
「待たせたな」
「グジム……」
俺を見上げて呆然と呟く彼の唇から、俺の本名がぽつりとこぼれた。
「こら、まだ作戦中だぞ」
「ご、ごめん。でも……」
慌てて顔を伏せる
――これは泣かせてしまったか?
内心焦る俺とは裏腹に、すぐに顔を上げた彼は綺麗な笑顔を浮かべていた。
俺ですら本心をうかがうことの出来ない、ガラスのように硬質で透明な笑み。彼がいつも漂わせている、春の陽射しのような温かさも柔らかさも、今は全く感じられない。
「ふふ、あんまりいいタイミングで来てくれたから、一瞬夢かと思っちゃった」
冗談めかした声は、きっと本心を隠すために偽ったもの。
――こいつ……一人で死ぬつもりだったな。
そう思い至って、背筋が凍る思いがした。
その証拠に、俺が駆けつけた時、最初にぶちまけた閃光手榴弾に混じって通常の手榴弾も爆発していた……俺は閃光手榴弾しか投げていないのに。
きっと、一人でも多くの敵を巻き添えに、自爆して果てるつもりだったのだろう。たまたま爆発させる直前に俺が乱入したから、どさくさに紛れて投げただけ。
――そんなこと、絶対に許さない。
彼の腕を掴んだままの手に、知らず知らずのうちに力がこもる。
「もう、会えないかと思ったから……」
淡々とした言葉に、たまらなくなって彼を頭ごと抱き込んだ。
「馬鹿、死ぬときは一緒だ! 村を出る時、そう誓っただろう!!」
しっかりと抱きしめたまま、声の限りに叫ぶ。
彼の心に……いや、魂にまで刻み込むように。
黙ってこくりとうなずく
「もう二度と、一人で死のうとするな。俺のいないところでお前の身に何かあったら……俺はもう……」
最後は声が詰まって言葉にならなかった。それでも、想いは通じたのだろうか。
「ごめん……」
絞り出すような声が闇の中にふわりと溶けて消えていく。
俺の肩に顔をうずめたまま、彼はじっと動かない。その身体が小さく震えていたことには、俺は気が付かなかったことにした。
腕の中には確かな温もり、鼓膜に届く少し早めの鼓動。吐息で少しだけ温まった肩に、彼が間違いなく生きていることを実感する。
細かいことはどうでもいい。こうして無事でいてくれただけで、俺にとっては充分だ。
2人とも、言葉もなくずっと立ち尽くしたまま、ゆっくりと時間が過ぎて行く。
ややあって、顔を上げた彼は、やはり笑顔を浮かべていた。
今度はぱっと花の咲いたような、明るく朗らかないつもの笑顔。星を宿した夜空のような紫紺の瞳に、さっき浮かんでいた暗い陰はもう見当たらない。
「ありがとう、迎えに来てくれて。もう大丈夫、一人で立てるよ」
ようやくいつも通りの
「まったく……こんな無茶はもう勘弁してくれ。心臓がいくつあっても足りん」
「ごめん……」
「さあ、さっさと帰るぞ」
「うん」
軽く彼の背を押して促すと、二人並んでハキム師が待つトラックの方へと歩き出す。
いつもと変わらぬ軽やかな足取りに、やっと危機が去ったことを実感できた。
それでも俺は知っている。
彼が心のどこかで一人で死にたがっていることを。
自分の存在が俺を戦場に縛り付け、幸せになる妨げになっていると思い込んでいることを。
本当は、彼こそが俺にとっての生きるよすがなのに。
俺の幸福は、彼の隣にしかあり得ないのに。
どうしたら、この想いを彼の心の奥底まで届けることができるのだろうか。
――もう二度と、こいつを一人にはさせられない。
何があっても俺が絶対に守り抜く。
その決意を胸に、俺も彼と肩を並べて歩き出した。
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