樫杖の蛇(15)イリム視点

 ぱたん


 軽い音と共に運転席のドアが閉まると、トラックは何事もなかったかのように真っすぐに進んで行った。

 おじさんの影が運転席にするりと入ったのが見える。


――グジム、ここは僕が絶対に守るから……だから、必ず救急車を無事に検問所まで送り届けて。


 遠ざかるエンジン音に、僕は心の中で語りかけた。


 救急車が仲間の検問所にたどり着くまで約3分。

 その「たった3分間」を稼ぐのが、いま僕が果たすべき任務だ。


 ゆらゆらと宙をたゆたう光の玉が、雪原をしらじらと照らしている。

 僕たちの車が丸見えになったのと同じように、敵の車両だって丸見えだ。

 敵までの距離はだいたい1000mといったところ。

 ちょっと遠いけど……今回は敵を殲滅する必要はない。

 救急車が安全なところにたどり着ければ、それだけで僕の勝ち。


 暗視ゴーグルを装着して、白く輝く雪原をできるだけ身を低くして走る。

 敵からは丸見えのはずだけど、奴らの標的はあくまで車両。弾丸がこちらに向かってくることはなく、はるか頭上を飛び越えていく。


 立て続けに響く鋭い音。だんだん車両の近くに弾が落ちるようになってきた。

 あれの狙いをこっちに向けなくちゃ。

 そのために、奴らが無視できないくらいの攻撃をこちらから仕掛ける。それが、今の僕がやるべきこと。


 雪原に転がる大小の岩を見渡して、窪地に転がる大きめの岩の陰に位置を決めた。周囲の岩を適当に積んで即席の銃座をこしらえる。

 距離が遠い分、初弾は銃身がブレないようにしっかり固定しなくっちゃ。

 地べたに伏せて、銃に弾をこめる。


 かちゃり


 軽い金属音と共に弾を弾倉に送り込むと、照準器をのぞきながらゆっくりと気息を整えていく。


 敵との距離や、風向き、風速……

 いつもはグジムが伝えてくれる数値を、今は一人で読み取らなきゃいけない。

 彼の描いた軌跡をなぞって僕が撃てば、倒せない敵なんてどこにもいないのに……今は僕一人だけ。

 また彼の落ち着いた声で、辿るべき道を示してもらうことはできるんだろうか?


 まばゆい光球に照らされた黒いトラックの影を見据え、浅く吸い込んだ息をじっくりと細く細く絞って……

 軽く呼吸を止めたところで周囲が闇に包まれる。

 引き金を引きかけた指がぴたりと止まった。


――くそっ、早く明るくなれ……


 じりじりと待つこと数秒。


 ズン……


 再びお腹に響く音。5つ数えると周囲が明るくなる。

 くっきりと浮かび上がる『敵』の影。

 同時に引き金を引くと、自動車のタイヤがパンクしたみたいな、気の抜けた音がした。

 闇を切り裂き飛んでいく弾丸。

 敵の行く手を阻むために。


 止めていた息を一気に吐きながら少し前進して別の岩陰に隠れる。

 素早くボルトを操作。飛び出した薬莢が、照明弾に照らされキラリと光る。

 次弾を装填。浅く息を吸い、間髪入れずにまた1発。


 さらに息を吐きながら前に進む。

 別の岩陰に入ってボルトを操作。排莢。装填。閉鎖。

 軽く息を吸ってたたみかけるようにもう1発。


 また息を吐きながら前進し、岩陰に入ってボルトを操作……


 どのくらい繰り返しただろうか?

 銃身がだんだん熱くなってきた。

 機械的に撃ち続けているうち、またあたりが暗くなる。


 ズン……


 3度目のお腹に響く音。

 同時に2対のヘッドライトがこちらに近付いてきた。どうやら、標的をこちらに切り替えたらしい。

 まさに僕の狙い通り。


 また大きな光球が現れた。幽鬼ジンのようにゆぅらり揺れて、ふぅわりふわりと降りてくる。地上が明るくなると同時に、次々と銃弾が飛んで来た。

 でも、射程外からの……しかも、激しく揺れるトラックの荷台からの射撃だ。ほとんどの銃弾はずっと手前で落ちている。


――いいぞ、こっちに来い。僕を殺したいんだろう?


 その間に、救急車を……戦闘に巻き込まれてしまった人たちを安全な病院に運び込めれば、それでいい。


 近付くヘッドライトに向かって迷わず撃つ。

 ヘッドライトが一つだけ消えた。どうやらライトに当たったみたい。

 小走りに移動して別の岩陰に。

 それから息を吐きながらボルトを操作。

 排莢。装填。閉鎖。

 また息を吸って細く絞り。

 軽く息を止めながら引き金を絞ってもう1発。


 思い残すことは何もない……そう言ったら噓になる。

 それでも、いつこの生命いのちが刈り取られても仕方がないくらいには、僕も誰かの生命いのちを刈り取ってきたのだから。

 最期の時が訪れる、その瞬間まで。

 戦って戦って戦い抜いて……少しでも効果的な死に方をして、仲間に最大の利益をもたらす。

 そこまでが、戦士としての僕の役目だ。


 機械的に引き金を絞り、前進して岩陰に身をひそめる。

 ボルトを操作。排莢。装填。閉鎖。

 呼吸を整えながら、近付いてくるヘッドライトの上を狙う。

 パンパンにふくらんだ風船が割れるような音。

 鋭い風切り音と共に飛び出した直径7.62mmの弾頭は、秒速800mの速さで標的へと突き進む。

 ここは絶対に通さない……そんな僕の想いを乗せて。



 先を進むヘッドライトが左右にぶれた。車体のどこかに当たったのかも。

 一気にスピードを上げる3つの光点。かなり頭に血が上ってるみたい。

 敵のいら立ちが伝わってくるようで、つい笑ってしまいそうになる。

 僕の周囲に届く弾丸も増えてきた。

 降り注ぐ銃弾の雨が雪と泥とを巻き上げる。


――そうだ、こっちに来い。僕のところに。


 そんなことを考えている間にも僕の手は止まらない。

 排莢。装填。閉鎖。撃つ。前進。

 排莢。装填。閉鎖。撃つ。前進。


 同じ手順の繰り返し。ヘッドライトはどんどん大きくなる。

 周囲に絶え間なく降り注ぐ鉄の嵐。

 僕が引き金を絞るたび、ふらつくように光が揺れる。

 排莢。装填。閉鎖。撃つ。前進。


 また一つ、灯りが消えた。

 もうお互いの距離は600m。


 ライトの動きが止まった。

 光の中にいくつもの影が浮かび上がる。何か指さして怒鳴ってるみたい。

 車列より先に僕を始末するために、部隊を散開させてるんだろう。

 多分あれが指揮官だ。

 ためらうことなく腹のあたりを撃つ。

 崩れ落ちる黒い影。

 他の影がばらばらと動く。

 動揺しているのか、復讐に燃えているのか……

 あるいは、その両方か。


 くぼ地に潜んでこまめに位置を変えながら、一人ずつ撃ち抜いていく。

 僕が引き金を絞るたび、数を減らしていく黒い影。


――いいぞ、僕を狙え……僕ならここだ!


 そんな僕の心の声が聞こえたのだろうか?

 さっきまでとは比べ物にならないくらい、激しく銃弾が降り注ぐ。


――来るなら来い。ここは絶対に通さないよ。


 時おり激しく燃え上がるのは、機関銃から発射された焼夷榴弾だろう。

 ゆっくりと動き出す車のライト。

 いっそう激しくなる銃弾の雨。


 もう位置を変えるどころか、頭を上げることすらできなくなった。

 飛び交う怒号が聞こえてくる。だいぶ近付かれてしまったようだ。


「すぐそこだ! 例の狙撃兵だぞ!」


「必ず殺せ!!」


 頭上で幽鬼ジンのようにゆぅらり揺れる、白々とした光球。

 人工の星がふぃっと消えた。辺りが暗がりに包まれる。

 それでも銃声は止むことがない。いたるところで瞬く発砲炎マズルフラッシュ


 暗闇の中、飛び交う怒号に低い獣の唸り声。きっと犬を放ったんだろう。

 周囲にはばらばらと銃弾が降り注ぎ、いくつもの炎が立ち上ってはすぐに消える。

 飛んできた銃弾が頬を掠めて目出し帽バラクラバを切り裂いた。


――僕も、もうここまでか。


 みんなは無事に検問所に着いただろうか?

 グジム……ぜいたくを言うことが許されるならば、もう一度君に会いたかった。

 どうか、僕の分まで生きてくれ……


 そして、幸せに。


 僕はベルトポーチから、とあるものを取り出し……


 唐突に湧きあがった背後からの轟音に思わず手をとめた。


 鋭い音が次々に大気を震わせる。その数6つ。

 飛来したモノが突き刺さった次の瞬間、敵の車両が炎に包まれた。

 1拍置いて起きた大爆発。炎が雪原を明々と照らし、すさまじい煙があたりを覆った。

 ひっにりなしに続いていた銃声がぴたりと止む。


 唐突な出来事に頭の中が真っ白になりかけた時。

 いくつもの小さな黒いものが、ころころとあたりに転がってきて、僕は咄嗟に腕で顔を覆って地に伏せた。

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